Ⅲ9.貿易王子は招く。
「どうもボルドー卿。足を運んで頂き感謝します。……なんてね?」
「御戯れを……」
ふふっ、と悪戯っぽく笑いを零す蒼い髪の王子にカラムは思わず顔が赤らんだ。
国で最も厳かな城内の大広間。大勢の招待客で埋まる空間で、名立たる演奏家達の音楽と、そして料理人が腕によりをかけたご馳走がひしめき合う。特に料理と酒は、王侯貴族である招待客ですら初めて口にするものも多い。
式典とはいえ各国の王侯貴族が佇む中、カラムへワインを片手に自ら話しかけたのはレオンだ。
以前からときどき繰り出される揶揄いだが、カラムはまだ慣れない。前髪を指先で軽く挟み、払ったとこで肩の力を意識的に抜く。深々と礼をし、王族であるレオンへ失礼にならないようにと挨拶を口にした。その挨拶に、相変わらず礼儀正しい人だなと思いながらレオンは滑らかに笑いかける。
「君が来てくれて嬉しいよ。プライドがいなくてちょっと寂しかったところなんだ」
「プライド様も残念がっておられました。くれぐれも宜しくと、私からも伝言を預かっております」
そう言って再び深々頭を下げるカラムの言葉に、レオンも嬉しそうに微笑を浮かべた。
今夜、プライドは居ない。それも当然に、今彼らが出席しているのはフリージア王国での式典ではない。フリージア王国の隣国、アネモネ王国の式典だ。
アネモネ王国国王の誕生日を祝う式典には、数々の王侯貴族が招かれていた。当然フリージア王国のプライドも招かれていたが、彼女は国外の社交に出ることを禁じられている。まさか来月によりにもよってラジヤ帝国へ足を運ぶ予定が組み込まれているなど関係者以外誰も思わない。
プライドとつい二日前に会えたレオンだが、それでもやはり式典に美しく着飾った彼女に会えないのは残念だった。プライドと盟友となってから可能な限り参列してくれていた式典に、今彼女はいない。しかし、代わりに嬉しい来賓に胸を弾ませた。
「ボルドー卿もヴィンセント殿も良い人だけれど、やっぱり君の方が僕は楽しいな」
「恐縮です。兄は今日どうしても外せない用事で出席できず、……両親からも。少々、強く頼まれてしまいまして……」
ハァ……とそこで一度カラムは音には出さず溜息を吐いてしまう。
フリージア王国の伯爵家である自分の家だが、アネモネ王国の式典に招かれたことは最近からだ。自分がこうして公的にレオンの友人という立場にもなったことで、レオンが気を利かせてボルドー家に式典への招待をしてくれるようになった。
元々はフリージア王国の式典に強制参加しなければならなくなった自分を守る為に友人として傍に立ち話し相手になったレオンが、そこまで徹底してくれたことにカラムは未だに頭が上がらない。
お蔭で公的にも社交界でも自分とレオンは友人として親しい仲と思われている。こうして式典主催国の王子に話しかけられても誰も疑問の眼差しは向けてこない。
レオンからすればカラムが出席しなければならないフリージア王国の式典でさえ会えれば、自国の式典にはカラムではなく本来の招待客となるボルドー伯爵かもしくはその後継者で良かったのだが、今回訪れたのがカラムだったのは少し意外だった。
カラム自身、本来ならフリージア王国以外の式典や社交界全般は全て兄に任せたい。
表向きは体調の悪い父親と多忙な兄の代理となっている分、父親が他の表舞台にも出てこれなくなったのは自業自得で仕方がない。しかしそこで招待を受けたアネモネ王国の式典で、兄が多忙だからといって断らず自分に押し付けてきたことは困ったものだった。
アネモネ王国も、そしてレオンのことも好ましいとは思っている。しかし、自分は騎士になった時点でもう家の貴族としての社交から身を引いた筈だった。それをこの年になっていきなり代理に立たされるなどと思う。
今まではたとえ本当に兄と父が体調を崩しても多忙でも、自分にそれを回してくることなどなかった。それを兄が許さなかったし、そして自分も頼まれたところで絶対に断った。己はもう騎士なのだから。
しかし今回、父親が表舞台に出れないのは細かいことを省けば自分が婚約候補者として式典出席が決まったから。そしてアネモネ王国の式典も自分とレオンとの友人関係が理由だ。
せっかくできたアネモネ王国王族とボルドー家との繋がりを無駄にしたくないという父親の言い分もわかる。しかし、だからといってと。……今夜の式典出席に兄の代理を頼んできた時の父親の言い分を思いかえせば流石のカラムも遠い目をしそうになった。
『妻の不在を埋めるのが夫の役目だろう。他の婚約者候補と差を付けるにも良い機会だ』
ならば貴方の不在は兄や自分にではなく隣に座っておられる妻に任せればいかがでしょうか。と、カラムは至極当然のことを本気で言いたくなった。
しかし結局は全て息子を婚約者候補から婚約者、敷いてはさらに向こうへと押し上げる為の父親の言い分。差をつけるも何も、父親は他の婚約者候補を知らないのに差の大きさもわかる筈がない。しかも婚約者や候補者を飛び越えて〝妻〟など畏れ多過ぎる。
そんな両親に、自分がいくら言い返しても意味がないと判断したカラムは、仕方なく休息日を合わせて代理出席を決めた。何より、兄の負担を減らす為に自分にできることはこれだけだ。
今年も素晴らしい式典をと。改めてアネモネ王国の式典を褒めたたえるカラムに、レオンも滑らかに笑んで返した。大国フリージア王国の式典が見慣れているカラムにも、そういって褒められるのは誇らしく思う。
アネモネ王国だからこその食材や酒、装飾、そして来賓もいれば、どれもが世界に誇れる自国の誉れだ。
「しかし戻られないで宜しいのですか。第一王子としてレオン王子殿下もお忙しい身でしょう」
「今日の主役は父だから。相変わらず教えられることばかりで、自分が勉強不足だと思い知らせてくれる父だよ」
お互い苦労するね?と、敢えてカラムの家事情も推察した上で肩を竦めて見せる。
既に後継者として名高く、誰の目にも次期国王として申し分ないレオンにもやはり上がある。いくら優秀な王子であるレオンでも、国王には経験値では敵わない。
しかもレオンが後継者として頭角を現してから、国王自身も自分の持つ技術知識全てをレオンへ継がせるべく課題も試練も手を抜くことはなかった。たとえ息子の提案でもそこに穴があれば指摘し、そして読みが甘ければ首を横に振ることもある。
レオンの言葉に、カラムも少し笑ってしまう。騎士の道に進んだ自分は別だが、兄もそういう思いなのだろうかとこっそり思う。
ちょうど給仕の侍女がトレイを手に歩み寄ってきた。そこからカラムはワイングラスを受け取ると、早速レオンと乾杯にグラスを掲げあった。
周囲には一定距離を保って自分達の様子を伺っている王侯貴族の来賓の目的が、間違いなく自分ではないだろうことも理解する。
互いにグラスの中身を味わい合うと、そこで周囲の人混みが割れ出した。王侯貴族ばかりが招かれているこの場で、その誰もに道を開けさせる人物にレオンとカラムも向き直る。
人の波を開け、堂々と二人へ直進する人物はやはり王族だ。カラムは頭を下げ、そしてレオンは滑らかな笑みで彼を向かい受けた。
「どうも、ステイル第一王子殿下」
「どうも、レオン第一王子殿下。今宵はお招きありがとうございます。国王のお誕生日おめでとうございます。カラム爵子も、会話中失礼致します」
宜しければ僕も混ぜて頂いて宜しいですか?と、にこやかに笑いかけるステイルは右手のワイングラスを軽く掲げて見せた。
フリージア王国第一王子。今回、アネモネ王国から招待受けた王族で女王ローザと王配のアルバート、そして第一王子のステイルだった。本来招かれていた第一王女の不在の代理として、補佐であるステイルが招かれた。
ここ数年はレオンと盟友関係を強調する為もありプライドとステイル、そしてティアラの三人だけがアネモネの式典に出席することも多かったが、今は状況が大きく異なる。
国から公には出られないプライドと、そして王妹として多忙であるティアラだ。
その為、本来通り国の代表である女王と王配の出席は、他の来賓にも嬉しい驚きだった。
ステイルの参入に、カラムもそしてレオンも一言で受け入れる。むしろ自分が身を引いた方が良いのではないかと考えるカラムだが、すかさずステイルとレオンから念を押された。
「カラム爵子とこうしてお話できるのも新鮮で嬉しいです」
「確かに。この三人だけは珍しいかな。セドリック王弟はまだ渦中かな?」
三人で話すことを前提に会話を繰り出される二人の王子の先手に、カラムもこれは留まれという意味だなとすぐに理解した。
レオンの投げかけに合わせて視線を向ければ、中央から少し外れた位置にアネモネ王国の王族ではない渦ができている。ハナズオ連合王国の王弟、今はフリージア王国の民として根を下ろした彼がハナズオ連合王国の代表として招かれていた。
黄金と鉱石の国、ハナズオ連合王国との接点をと人だかりは絶えない。アネモネ王国の貴族の多くは貿易商である。フリージア王国の式典に招かれない位の家からすれば、自国の式典こそ千載一遇の機会でもあった。更には今試運行が始まった国際郵便機関の統括役。重ねてセドリック自身の人気も変わらず高い。
自国の王子であるレオンとも方向性の異なる男性的に整った顔立ちの王子は令嬢の目にも余計輝いて見えた。
「彼がフリージアに移住してくれたのはこういう時ありがたいと思うなぁ。片道十日だとやっぱり呼ぶのも申し訳ないしね」
「国際郵便機関が本始動すれば、アネモネ王国もハナズオと手紙のやり取りがしやすくなりますよ」
ハナズオ連合王国の王族であるセドリックは、今ではフリージアとアネモネには最も身近な代表者だ。
いくら関わりたいと願っても、遠方の国へは直接赴くことのできない家は多い。国際郵便機関が始まれば、フリージア王国の同盟国同士で手紙のネットワークが形成される分やり取りは今よりも円滑になる。王族だけではなく貴族にも許された連絡手段だ。
それを言葉で示すステイルに、レオンも滑らかに笑んだ。ハナズオの国際郵便機関については、自分も挨拶に来て貰った時に軽く聞いたが、学校に続いてアネモネに浸透するのが楽しみな仕組みである。
貿易は一方だけでは成立しない。今は港を介して大陸のどこよりも世界と繋がれている自負もあるレオンだが、陸続きの国との関わりも今後広げていきたいと考える。
「姉君がくれぐれも盟友であるレオン王子によろしくと申しておりました。ところで、来月のミスミでのオークションですが、レオン王子とご一緒できるようで嬉しいです。何卒宜しくお願いします」
「ああ、僕も父上から許可を得れて良かったです。フリージア王国の騎士団と共になら更にも増して心強いですし」
ね?と、そこでレオンは同意を求めるようにカラムへ笑いかける。
自国のアネモネ王国騎士団が決して非力とは思っていないが、同時にフリージア王国騎士団の優秀さもよくわかっている。毎年の新兵合同演習でもそれは明らかだ。新兵同士ですら、フリージア騎士団の実力は大陸でも群を抜いている。
しかし正面からしかもアネモネの式典で第一王子にこれ以上ない賞賛を受け、カラムも腰が低くなる。レオンが国王に許可を得て共にフリージア王国と移動することになったのは自分も騎士団と近衛騎士両方を通して知っていた。アネモネ王国騎士団と共同の護衛任務と考えれば、なかなかない貴重な機会でもある。
ミスミ王国のオークションへフリージア王国も参入を決めたことは、一部には有名な事実だ。その為包み隠さず語るステイルとレオンの会話に、それでも周囲に控えていた王侯貴族は耳を立てては心臓を跳ねさせた。あの大規模オークションにフリージア王国も参加するというのならば、それだけでも経済も政治も動きが変わる。
「ミスミは片道だけでも王族の馬車で四日は掛かるからね。僕も出国までに準備しておかないとなぁ」
「僕もです。まぁ母上と共に僕も同行させて頂けることになりましたから。以前からミスミのオークションには興味もありまして」
「是非、出品もお勧めしますよ。興味深い美術品や名作家が新作も出しますし、競りの駆け引きはステイル王子も楽しめると思います」
あくまで目的はミスミ王国。それを前に出しながらレオンとステイルは会話を進める。経由地については微塵も気配すら出しはしない。ここでそれを口にすれば、ミスミのオークションなど比べ物にならない超える騒ぎになると知っている。
そして、言葉の裏とは関係なくレオンの話に、ステイルも確かにと少し笑みが自然になった。
駆け引きという言葉に、何か一つくらい競り落としてみたいと考える。プライドの予知もひと通り解決したら最後のご褒美にもちょうど良い。無駄遣いはできないが、良い子で留守番をしているティアラへの土産にもいいかもしれない。
まだ、ステイルもオークションという商売方法は知っていても、実際に参加したことはない。更に続けてレオンから「そこでしか手に入らない物も多いです」と言われれば余計に興味も高まる。いくら金を積んだところで、手に入らない貴重品というのが世界には多く存在する。
「我が国もいくつか出展予定ですから。フリージア王国から輸入した〝品〟と、〝ドレス〟も出します」
「……何卒、我が国の品を宜しくお願い致します」
声を一段潜めたレオンの翡翠の目が一瞬だけ妖しく光を宿せば、カラムも極限まで声を潜めて頭を下げた。
レオンの言わんとしていることを理解し、ステイルも口を意識的に結んだ。アネモネ王国の出店内容に、自分がよく知っている人物の品が含まれていることもよく知っている。
一体あの品がオークションでどれだけの価値を示すのかも、二人には興味深いものだった。作り上げた本人達が目にできない分、自分がしっかりと見届けたいという思いも湧く。
ステイルとカラムの反応に、またいつもの笑みに戻るレオンはグラスをまた傾けた。以前からミスミ王国のオークションに参加はしているレオンだが、今年はいつにも増して楽しい催しになるだろうと思う。そして同時に最も危険なのはその前だ。
最大規模オークションのなど大したことがないと思えるほどに、未知の地へ自分達は潜入するのだから。
「セドリック王弟も合流したら皆で乾杯しましょうか」
「そうですね」
「是非とも」
レオンの言葉に、ステイルとそしてカラムも続いて頷く。
〝プライド〟の名を口には出さず、しかし間違いなく彼女の為にも力を合わせる意志を疎通する。
水面下で参入を決めている彼らは、互いに合わせてグラスを傾けた。