Ⅲ90.侵攻侍女は窺う。
「そんなことよりもフィリップ様はどうされました?ご気分が悪いのならどこかで休みましょうか……?」
「ンなへこむなら最初から言ってンじゃねぇよ」
アーサーの言葉に、目に見えてまたステイルの肩が丸く総面積を減らしていく。その様子にプライドも二人へわからず聞き返した。
アーサーが言うのならば本当に落ち込んでいるだけなのかとは理解しながらも、何を落ち込んでいるのかはまだわからない。
ついさっきまでラルクに対して侮辱を繰り返し連投したことに後悔しているのかしらと考えるが、そもそもステイルが挑発したのもオリウィエルに会う条件を飲ませる為であることはプライドも理解している。
確かにいつもよりきつい言い回しが多かったけれど……、と首を小さく傾ける。
「すみません」と改めて謝罪を溢すステイルは、眼鏡の黒縁を押さえ付けながら顔を意識的に持ち上げた。
「飲ませる為とはいえ行き過ぎました……。……自分に向かって殴り付けるのが一番手っ取り早そうだったので……」
つい、と。
そう溢すステイルの音は抑揚がなかった。顔を上げれば漆黒の目が遠くなっている上に、表情もさっきまでとは別人のようにやつれてプライドには見えた。
ステイルの言葉に、つまりはステイル自身が刺さる指摘をラルクにすることが一番動揺を示すと思ったということかしらとプライドは考える。そしてアーサーは、やっぱりかと呆れながら眉の間を狭めた。ラルクの神経を逆撫でようとしたステイルの途中からこラルクへの挑発はそのまま
〝自分に向けての辛辣〟だった。
『自信がありませんか?たかが話し合いの場に出すことすら躊躇うほどに彼女は人前に出すのも恥ずかしい人間だとお認めで?』
現在でない。しかし、当時の自分がそれを言われたら間違いなく激昂では済まなかったとステイルは自覚する。
ラルクのオリウィエルへの振る舞い方は、今までのアラン達からの報告でも、そして今目の前での言動から推察しても彼女を立てる者としての振る舞いだった。自分ではなくオリウィエルを団長代理にしようとしたところから見ても明らかである。
人を立てる側ならばステイル自身が誰よりも言われたくない言葉も知っている。
己にとって大事な存在をどのように貶められれば殺意が湧くか。
─ラルクの意志が作り物でなければ俺だってここまでしなかった……。
『猛獣を何匹も従えながら彼女を守りきる自信すらないと。仮にでもこうして交換条件へ挙げるのも恐れると。ああそれとも貴方の手に掛ける猛獣もまた所詮は飼い慣らされた〝商売道具〟でしかなかったということでしょうか』
誰に対してのものかもわからない言い訳を自分の脳へ繰り返す。
既に七度目になる自身の発言反芻を行えば、自己嫌悪で奥歯を噛み締めた。
ラルクのオリウィエルへの意志がどういう過程であれ本心であれば、個人的恨みもない相手にあそこまで言わなかった。恨みもない相手に、ここまで的確に傷は抉れない。
自分の味方がいくらいようと、それでも守り切る自信がどうしても持ちきれない。たった一度仮にでも矢面に立たせることも怖い。だが、その恐れを知られるのも怖い。
ステイルにとって、ごく最近までのことだ。
『貴方自身もまた無力なのにそれでは確かに心許ないですね』
自分で言いながら自分にナイフを刺してる気分になった、と。ステイルは記憶を返してはまた思う。
余裕の笑みを維持するのも苦労した。それでも確実にアーサーにはバレていたと理解する。
その前の発言も重ねれば「お前が言うな」と自分で思った。ジルベールが悪意を持ったら同じことを自分に言ってくるだろうかとまで過ぎった。半分自分の中のジルベールが乗り移っていた。
『このまま永久に死ぬまで枯れるまで貴方は大事な大事な彼女を閉じ込め隠し保管するおつもりですか貴方の力不足故に今の状況を作り上げているというのになんとも勝手なものですね?この状況に本気で彼女が満足していると思っているのならばなんともおめでたい頭だ』
─ むしろあの悍ましい男さえ乗り移っていたような気さえする……
そう思えば自己嫌悪どころか殺意が宿る。
思い出したくもない男と、そして過去が脳内に蘇れば舌を回すのにも苦労した。噛み切る前に言う方が酸素が続く限りよりも苦労した。
当時の自分に浴びせれば殺し合いになっただろう言葉を言語化するだけでも虫酸が走り反吐が出る。無理やり笑ませた口元が歪み、吐き気が沸き皮膚が張り攣った。
言いながら自分の発言を後悔し、わかっていながら更に醜悪に染めていくのは胃が煮えた。過去の自分がどれだけ無力だったのかはよくわかっている。
結果、間違いなくラルクの矛先を自分へ向け、話に乗らずにはいられないように誘導することはできた。が、引き換えに過去の自分まで傷口をフォークで抉られた。
唯一の救いは、自分は変えられない過去を抉られたが、今最も憤っているであろうラルクはオリウィエルの特殊能力さえ解かれれば偽物の感情と共に傷も無に帰ることだ。
思い出せば思い出すほど今もさらに瞳が澱んでいくステイルに、直後アーサーが後頭部を叩いた。
ぱしん!と軽やかな音と共にステイルの頭が素直に前へ倒れる。
あまりに突然のことにプライドも思わず口を覆ったが、大きく目を開くだけだ。アーサーが本気で殴ったわけでもなければ、ステイルも敢えて受けたのも一目で理解する。
「全部終わったら謝っとけ」
「わかった……」
アーサーの一言に、ステイルも間は開けなかった。
全て、と。つまりはラルクの洗脳も解けたらのことであれば、もう根に持たれていない可能性の方が高いとステイルは思うがそれでも今はアーサーが正しいと思う。同時に、漆黒に澱みも晴れた。
アーサーも、ステイルが妙に黒い覇気を溢れさせた時点でそれがラルクを通していつの誰に向けているかもすぐに気付いた。それどころかアーサーの耳にはステイルが挑発ではなくただただ自分を自分で殴り付けているようにしか聞こえなかった。
頭を片手で押さえながらもいつもの目の色に戻ったステイルに、プライドもすぐ両手を離しそのまま胸を撫で下ろす。
「全部、って……お前ら本当にあんなのできると思ってんのか」
ひとまずステイル達の落ち着いたらしい空気に、様子を窺っていたアレスは頭を掻きながら投げかけた。
顔を顰め、彼らの会話に入ろうと一歩更に歩み寄る。早々に案内を済ませたいとも思うが、今は自分にとってもやはり先ほどの取引の方が気に掛かった。
本来ならば、団長が決めた時点でラルクの吠え声など関係ない。しかも今回、ステイル達と団長が密約を交わしている。
ラルクをどうにかすることも、団長を守ることも、ステイル達がサーカス団に潜伏してくれていないとどうにもならない。ステイル達の目的がどうなろうと自分は良いが、団長とラルクのことは諦められない。にも関わらず、ラルクの条件に乗っただけでなく更に実行不可能な無理難題を自分から提示した彼らにはアレスも一周回って呆れていた。
新入りで、しかもフリージア王国から訪れた上級商人と騎士はサーカスを甘く見ているのだと確信する。案内よりも今は、ラルクとフィリップそれぞれが提示した条件がどれほど厳しいものなのかを思い知らせるべく口を動かした。
「先ず、だ。お前ら、サーカスでの〝大盛況〟の意味わかってんのか?チケット完売の満席。その上客が途中で帰らねぇでの最後まで席に残って拍手喝采だ。一か月みっちり準備と宣伝して目玉演目用意してウケてやっとだ」
サーカスなめんな、と。そう声を低めながらアレスは最初にステイルの幻想を叩く。
今回はある程度知名度のある地であり、確かに大盛況したことも多い。しかし、それは一か月近くしっかりと開演準備と宣伝を重ねた上での結果だ。
チケットも有料である以上演目中に金返せと退席する客もいれば、そうでなくても時間の無駄だと去る客は普通にいる。長時間客をその場所に押しとどめること自体も相応の演目価値がなければ難しい。
ステイルの告げた大盛況は、単に来た客全員が最後に拍手して大喜びしていればいいのではない。全席に客が埋まっていて、その客全員が満足していないと叶わない。
「客に喜ばれる」などという抽象的な表現ではなく、具体的な線引きがサーカス団内では存在する。場合によっては最後にアンコールまで求められなければ大盛況と言えないと難癖をつけられる場合もある。
こうやってアレスが説明をする間にも、周囲ではトンテンカンと補強の音が鳴り響き、時間も練習も足りないと怒号が響いている。どう考えても充分な準備ができているとはいえないのは、アーサーも顔を引き攣らせながら理解した。
「それに、団長の所為で開演は明日だぜ?まだ開演の宣伝も回り切れてねぇ状態で集客なんざまともに望めねぇに決まってんだろ。大都市でやって席が三分の一も埋まらなかったことだってある」
どいつも明日の予定がない暇人だと思うな、と。アレスは断言する。
宣伝が街中に広めるのにも最低でも三日、可能ならば一週間以上の期間を本来要する。それを、明日の今日などそもそも団長の断行から間違っている。
アレスの言葉に「既にこういう無茶ぶりはあったのね」と思いながらプライドは口の中を飲み込んだ。
前世のようにテレビやSNS等で宣伝できる世界ではない。広告の印刷技術すら前世のように素人が短時間で数百枚と刷れるわけでもない。宣伝が広まらなければ客も開演を知ることがない。そして、もし広まってもいきなり明日と言われて時間を割けるほど時間に余裕を持った人間はまた限られている。
「大体な、ラルクの言った条件自体ふざけてんだよ。お前ら五人全員だぞ?演目一つにもどんだけ機材と構成の打ち合わせ必要だと思ってんだ。カラムは特殊能力でアランもまぁ上手くやるだろうが……あとはアーサーくらいか?ジャンヌは、…………。あー……、いや、じゃあ一番やばいのはお前だなフィリップ。下働きじゃ済まなくなっ」
「僕のことはお気になさらず。先ほども言いましたが、頭を使うことにはある程度自信があります」
騎士であるアーサーは置いてもとプライドを指差し途中で止まり、最後に一番戦闘もできないだろう商人を指差すアレスに、ステイルはやんわりと片手を上げて断った。
ラルクの提示した五人全員の演目出場と成功。当然常人であれば不可能であることはステイルも知っている。
素人が五人で客を満足させるどころか成功すらも難しい。むしろ演目途中で塵を投げられてもおかしくない。
しかし、ラルクが指名してきた五人ならば自分も含めてそう難しくもない。
もともと、サーカス団に潜入と多少の融通や迷惑をかける以上、彼らサーカス団へもそれなりに収益の見返りは提供したいとは思っていた。ラジヤでの調査も短期間である以上、明日全て済ませまれることはいっそ都合も良い。
アレスの叩きつける状況説明に、ステイルは眼鏡の黒縁の位置を指先で一度直す。ゆっくりと姿勢を伸ばし起立し、彼へと目を合わせた。ラルクの提示条件を達成する方法など、既に天才策士の頭には構築できている。
サーカス団を案内された中で、舞台や観客席も確認したが器材や小道具大道具だけは充実している。さらには、観客収容人数も大規模サーカスというに相応しい席数だったが、それでも所詮はテント一台分の最高人数だ。
「客についても一夜ぐらいならば伝手もあります。最後の手段としては〝僕らの知り合い〟をいくらか呼ぶのも視野に入れるべきでしょうが。……それもあくまで最終手段です。ね?」
言いながら、くるりと確認を取るようにプライドとアーサーへ目を向ける。
にこやかに笑いながら、途中からは黒い笑みを浮かべて振り返るステイルにプライドだけでなくアーサーも肩が上下した。
自分達の〝知り合い〟という言葉にそれがたった二人や五人という程度の規模ではないと知る。彼らも協力という形で訪れるかもしれないが、それ以上に今この地には自分達と違い〝正式に〟王族と護衛の騎士団も滞在しているのだから。
アレスが「そんな知り合い程度で済む席数じゃねぇよ」と舌打ち混じりに言うが、むしろ客席の方が足りなくなる数を動かすことができるのが事実。
〝最強のサクラ〟と、プライドは頭に過りながら顔が強張った。最悪の場合とステイルが言うのならば最終手段ではあるのだと信じるが、客席を王族と護衛そして彼の特殊能力も使えば自国の騎士や衛兵も呼んで埋めるのは至極簡単だ。
しかしそれは同時に、王女である自分が騎士や母親と叔父に客として観覧されてしまうことにも繋がる。
客前に立つ程度はなんとかなる気はするが、流石に身内の前では恥ずかし過ぎる。特に母親と叔父、騎士団長にまで見られたら緊張で失敗しかねない。
「勿論自力で客を呼び込むことを前提です」と断るステイルにも今は安心できない。これは自分の為にも明日までに死に物狂いで客を呼ばないと……!!と危機感へ急き立てられる。
最悪の場合、サーカスの満員御礼がそのまま身内だけの授業参観会になりかねない。
アーサーもこれには血色が青くなる。流石に父親や騎士にサーカス芸を見られるのは恥ずかしい。まだどんな芸をするのかも決まっていない。
「ジャンヌ、アーサー。後で俺からいくらか提案させてもらいます。案内を終えたら今後と僕らの演目についてと集客についても相談しましょう」
フフンッ、といつもの調子を取り戻した証拠のように笑うステイルに、プライドとアーサーもそれぞれ頷いた。今ばかりはきちんとこちらに相談してくれるステイルで良かったと切に思う。最初から最強サクラカードを使われたら自分達に心臓がもたない。
集客方法と、演目。このどちらか一つでも間違えればラルクの言い分通りにこのサーカス団に潜入することも難しくなる、だけではない。
ただ客の前に立って身体能力を披露するよりも数段恥ずかしい結果になる。
「……あの、ジャンヌさん。……ネイトの、アレ……。知り合いにも効果ありましたよね……?」
「ええ、けど注目されないといけないサーカスだとちょっと……。それよりもアーサーも、あっちのフィリップにお願いしてみる……?」
「…………演目によっては……考えます。すんません」
ごくりと、喉を鳴らすアーサーにプライドも慰めるようにそっと肩に手を置いた。こそこそと話す二人は隣同士に並びながら、アレスと対峙するステイルの背後に控える。
一部の人間以外には姿を変えて見せている自分と違い、アーサーは姿そのままである。どういう演目になるかはサーカス団の案内を終えてから相談して決めることになるが、場合によってはステイルがこなすであろう〝奇術〟の相方という地味な役回りを作ってアーサーに譲ってあげようと考える。
……私は銃弾を避けるくらいしか芸もないけれど……。
「一先ず案内の続きをお願いします。器材の確認と演目の重複も避けたいので」
「ったく……この後宣伝回りにいかせようと思ったのに……」
「ああ良いですね。手間も省ける」
しかしそれも母親と叔父に見られれば大変なことになると。ステイルとアレスのやりとりを聞きながら、プライドは口の中を噛む。
危険な演目は頭の中から打ち消し小さく肩を落とした。残る案内の中でそれなりに見栄えして観客受けの良い芸を思いつければと願いながら、改めてアレスの案内再開へ従った。
Ⅰ437-1、Ⅱ462、Ⅰ458-2
 




