Ⅲ89.侵攻侍女は茫然とする。
プライド・ロイヤル・アイビー
フリージア王国第一王女 身長約175センチ。
「あの、……だ、大丈夫すか……ジャンヌ……?」
「……………………ぇ、か女……」
瞬き一つできないままその場に茫然と固まるプライドに、アーサーが眉を垂らし覗き込む。
ラルクとステイルの一触即発交渉を終えてからもその場から一歩も動けなくなったプライドとステイルに、案内役のアレスもまた強制的に促す気にはなれなかった。状況が飲み込みきれない。
ずっと会いたがっていた一人であるラルクに結果として会わせることができたというのに、途端にこの上なく険悪に売り言葉に買い言葉をするフィリップ。
そして、大人しくしているのも束の間に鞭を振るおうとしていたラルクを自分よりも早く押し止めたアーサー。
あまりにも目に余る行動でもあるが、彼らの正体がやり手の商人と騎士であると聞かされているアレスは行動には驚いてもそれができたことは意外ではない。
商人がどれだけ口が達者な生き物であることも、フリージアの騎士がどれほどの強さを誇るからも常識程度は知っている。
しかし今目の前で突然打ちひしがれるフィリップと、そしてたかが捨て台詞一つで茫然と硬直するジャンヌには意味がわからなかった。
本当ならばさっきの交渉について言ってやりたいことも多かったが、先ずは勝手に打ちひしがれた様子の二人をどうすべきか腕を組み眉を寄せて考える。
アレスを待たせていることにも気付かない二人に、アーサーは交互に見比べてはプライドへ声をかける。しかし呼びかけても殆ど反応を示さないプライドは、アーサーの声も頭まで届いていなかった。それよりも、ショックが大きい。
『デカ女』
かつん、と。気付けば自分の靴を確認するようにプライドは無意識に踵を鳴らした。
今履いているのは侍女としての履物で、更にはヒールではない動きやすい靴だ。それなのに全く何も怒らせるような発言をしていない自分があんなことを言われたのは、間違いなくそれが彼の正直な感想だったということだ。
身長175センチ。中世ヨーロッパ風乙女ゲームの世界でもプライドは女性平均を優に上回っている。プライド自身、自分の身長がそう言われて仕方がない数値である自覚はとっくの昔にある。
しかも王族として生きて来た彼女は姿勢の良さが余計にその背の高さを強調させていた。
しかし、何度でも頭の中でラルクに放たれた発言を反復すればするほどにプライドは言葉も出ない。わなわなと手を震わせながら立ち尽くすばかりだった。
今までもそれなりの暴言を受けた経験はあるプライドだが、今回ばかりは駄目だった。
一人ショックを受けるプライドに、呼びかけるアーサーも彼女が何故そこまで氷ついているのかはっきりとはわからない。最初はあまりの衝撃の受け方に予知をしたのかとも思ったが、それにしては硬直している時間も長い。
彼女の零した言葉を耳が拾い、ラルクの発言の所為だと理解してもしっくりこない。
ステイルならばもっとわかるのではないかとも考えたが、今はそのステイルもまた使い物にならない。いっそ打ちひしがれているそちらの方がアーサーも理解できるだけ心配もなかった。
そしてプライドの硬直理由がわからないのは、ローランドから離脱し別方向の影から彼女達の護衛と見張りに徹していたハリソンもまた同じだった。
ステイルへ鞭をラルクが振り上げた時にはナイフも構え、プライドへの暴言も基本的に許さないハリソンだがその彼ですら今のラルクの発言はプライドがショックを受けるほどの破壊力には聞こえなかった。ただの事実だ。
透明化するローランドは声を出せる立場であればアーサーに教えたかったが、今は気配すら出すわけにはいかない。誰も自分の姿を視覚化しない以上、誰も彼女にフォローを入れられていない状況を歯痒く思いながらも今はプライドへ情を向けることしかできない。
「…………」
でか女。またその言葉を喉の奥でかみ砕き反芻しながら、プライドは口が開いたままだった。
プライド・ロイヤル・アイビー。キミヒカ第一作目の〝ラスボス〟女王の身長。攻略対象者とも戦闘を行う悪であり脅威であるラスボスは、普通の登場人物ではない。
ゲームプレイ時には気にもしなかったが、実際には主人公であるティアラの対比効果と攻略対象者達の身長とも対峙できる彼女の背は高い。
子どもの頃は良かった。成長発展中の男女の差でならばやはり女性であるプライドは男性よりも低い場合が多い。しかし成長するにつれ身体つきと共に背も伸び、……次第にラスボスらしい女性としては高身長に伸びていった。
今でこそ男性の中でも背の高いステイル達や、逞しい身体つきをした選ばれし騎士達に囲まれているプライドだが、社交界や式典の中でその自覚は早々に持っていた。
気付いた時点で、それまでは大人の女性らしくて好きだったヒールの高い靴も避けるようになった。可愛らしい平均身長より少し小柄なティアラと並べば余計に自分の身長の高さは浮き彫りにされた。
唯一の救いは義弟であるステイルが主人公の兄という攻略対象者らしい高身長に伸びてくれたことである。お蔭で三人で並ぶ時にも〝弟よりも背の高い王女〟という状況は早々に避けられた。
当然、社交界でも背の高い女性はいる。しかしヒールも無しにプライドよりも背の高い女性は滅多にいない。
プライドにとっては、身体的特徴で密かなコンプレックスだった。そしてその事実を知るのも子どもの頃から彼女の共にいるティアラとステイル、そして現在の専属侍女二名と近衛兵くらいである。
「あ、あのっ………もしかしてジャンヌ、背ぇ……気にして……?」
「…………」
ングッ。と、言葉ではなく口の中を飲み込む音をアーサーは拾った。
プライドが何故ショックを受けているのかは理解できずとも、彼女が零した言葉からそこまで推理することは難しくない。
更には今の喉を鳴らす反応から、アーサーは〝マジか〟と頭の中だけで呟いた。思わずプライド以上に口を大きく唖然としたまま自分まで言葉に詰まる。
ステイルほどではなくとも子どもの頃からプライドと知り合っていたアーサーも、彼女が身長を気にしていることまでは把握していなかった。ステイルよりも更に高身長に恵まれたアーサーにとって、他の女性もティアラもプライドも背の高さに違いを大して感じたことがない。
むしろ、プライドの場合は背の高さだけでなく凛とした佇まいもあって女性にも憧れを抱かれることが殆どだ。背も高くすらりとした女性らしい体格と際立つ美しさを持つ王女は、社交界でも卑下されることなどない。むしろ化粧にもドレスにも装飾にも負けない、全て王女として風格を演じる要素にもなる。
ただし、今は顔つきも衣服も地味な〝侍女〟で〝サーカス新入り〟でしかない。
そんな女性がいくら姿勢や女性らしい体つきを持とうとも、悪印象を抱くラルクにとっては単なる〝デカ女〟だった。
「?なんだそんなことかよ。デカ女なんて誉め言葉みてぇなもんだろ」
「ッッ誉め言葉ではありません!!!!!!」
腕を組んだまま眉を寄せ怪訝な表情で呆れるアレスに、思わずプライドは声を荒げてしまう。
まさかの大声を受け、流石のアレスもこれには目が皿になる。つまらないことでそんな落ち込んだのかと大げさ過ぎると思ったくらいなのに、逆に怒鳴られてしまった。しかも、自分へ振り返り目を吊り上げる彼女は昨日の奴隷商へ向けた目よりも遥かにとんがっていた。
若干涙目になりながらアレスのデリカシー皆無発言に肩まで怒りで震わせるプライドに、アーサーも泡を食う。まさか彼女がそんなに気にしていたのかということに驚きもあれば、ちょっと可愛いと不謹慎にも思ってしまう。しかし何より一番は、涙目のプライドをどうやればフォローできるかだった。
むむむっ…………と唇を結んでアレスを睨む彼女に、アーサーも視線を泳がせながらおよび腰のように背中が丸まった。
その様子にローランドは透明化したまま、相手が後輩騎士であれば背中を叩きたいと思う。この場にカラムかエリック、もしくはステイルが打ちひしがれていなければ状況は異なっただろうと考えるが状況はそんなに都合良くはない。
「えっと、ジャンヌ、は背全然普通だと思いますよ……?……別にそんな、…………とかは全然」
そうじゃない!!!!と、ローランドは気配を消しながら心で叫ぶ。
子どもの頃から当然のように高身長に恵まれて生きて来たアーサーには、女心以上に背の高さを気にする女性の気持ちはわからない。
背が普通と言われたところで、本人が今まで気にするほどのことがあったのならばその誤魔化しは効果がない。何より、自分より遥かに背の高い男性にそれを言われても慰めにはならない。
プライドもアーサーの言葉が今度は耳に届いたが、しかしただただアーサーの優しさが染み入るだけだった。
アーサーが自分に気を遣ってくれているとわかっても、やはりアーサーの高身長があってこそだと思う。攻略対象者である彼らよりも高身長のラスボスに設定されなかっただけマシだろうかと、キミヒカ第一作目ゲーム制作者への呪いを少し意識的に薄める。
しかし嘆きたい気持ちは変わらない。自分だって女性として気になるものは気になる。特に、目つきの悪さに自覚もある己にとってもう一つのラスボス要素なのだから余計に憎らしい。
必死に言葉を探すアーサーとプライドの様子に、アレスは「いやでかいだろ」と言いたい気持ちを今度はしまった。ついさっき怒らせたばかりなのにそれを言えば今度は拳か靴が飛んできかねないと知っている。
しかし他所から見れば、まるで恋人に浮気の言い訳をする姿にも見えるほどにアーサーのフォローは苦しかった。
それでも垂れたプライドの頭を上げる為に、アーサーも必死に自分なりに言葉を尽くす。
「っつーか!背の高いのも格好良いと思いますし!今のも単純にラルクが僻みもあると思います!ジャンヌがそんな気にする必要はないと……!!」
「あー-……それあるな。ラルクのやつ、ここじゃ特に背も低いからディルギアのおっさんにも「でかい」ってよく言うぜ。あの踵の高い靴とかも気にしてるからもあんだろ」
格好良さを主張するアーサーと、よりにもよってサーカス団でも〝おっさん〟と呼ばれる男を女性相手に引き合いに出すアレスに、ローランドは場所が場所で相手が許される相手なら手を上げるか一言説教したくなる。
もっと上手い言い方が百はあるでしょうと言いたい。潜入中でなければ畏れ多くもアーサーに耳打ちで助言したい。
プライドと親しく信頼関係もある近衛騎士であるアーサーならばたった一言「自分はプライド様の背の高さも美しさの一つだと思います」と言葉にできればそれだけでプライドの気持ちが幾分持ち上がるのではないかと本気でローランドは考える。
王女の、それ以前に女性にとってのコンプレックスと男性の基準を同列に並べるなど愚の骨頂。騎士として、特殊能力を生かす者としてどんな時も有事でない限り姿も気配も消し続ける意識は持ち続けているが、目の前で背の高さという女性として長所でもあるそれを気にするプライドにとうとう胸が痛んできた。
「…………ありがとうアーサー。アレスも。案内中に勝手に落ち込んで怒鳴ってごめんなさい……」
そして二人がローランドの心の叫びに気付くよりも、背の高さの良さも訴えてくれるアーサーととうとうアレスからまで入ったフォローに、プライドの方が大人として頭が冷え出すのは先だった。
しかし言葉を返しても顔は俯いたまま、笑顔を取り戻すべく一度ぎゅっと表情筋に力を入れてから顔を上げる。にっこりと社交界で鍛えられた笑みで笑って見せたが、アーサーのまだ繭が垂れた様子に、まだ自分はショックが隠しきれてないのかしらとプライドは少しまた落ち込む。実際まだ引き摺っている。
アーサーに格好良いと言って貰えたのは純粋に嬉しいが、ラルクの身長も実際はそこまで低くないこともプライドは知っている。平均かやや低いくらいだ。
何せ、ラスボスの右腕として主人公達を追い詰める敵でもあったのだから。そんな敵相手に主人公は恋愛したのかとも思うが、どうやって恋愛したのかははっきりと思いだせない以上メインなのかモブなのかわからない
「……!ス、フィリップ様は……?」
「様?」
アレスが眉を寄せる中、プライドは思考が途中からラルクと主人公のところまで移れば、次第に気持ちも切り替えられてきた。
自分でも思いだしそうな落ち込み要素に意識を向けないように努力しながら、いつの間にか視界からも消えているステイルに気付く。さっきまでラルクからの一撃が大き過ぎてステイルの変化にも気付く余裕がなかった。
大きく瞬きを繰り返すプライドに、アーサーとアレスは同時に一方向を指差した。
見れば、最後に見た位置から一センチも変わらずその場に蹲って小さくなっているステイルにプライドは「えっ?!」と一気に思考が上塗られた。
どうしたの?!とうっかりいつもの口調に戻ってしまいつつ、地面の上で小さくなったまま全員から放置され続けたステイルへと駆け寄った。
「どっ、どうなさいましたか?ご、ごめんなさい。私今の今まで自分のことばかりでっ……」
「いえ、僕の方こそ……。…………?ジャンヌさん、何かあったのですか……?」
あわあわと今までしゃがみ込んで動けなくなっていたステイルに気付けなかったことで頭がいっぱいになるプライドの慌てた声に、ステイルも初めて頭が外部の声も取り入れだした。
茫然としてしまったプライドと同じく、ステイルもまた頭の中でぐるぐると思考が忙しくすぐそこのプライド達のやりとりも耳以上には入ってこなかった。
しゃがみ込んだまま自分の膝を抱えこむ形で小さくなるステイルは、ずっと膝に押し付けていた額を少しだけ顔ごとプライドへと傾ける。あまりの思考の波に時間の経過も感じなかったステイルだが、プライドが「自分のことまで」というと言うことは何か彼女の身にあったのだろうかと今更になって気がはやる。
流石の指摘にどきりと身体が揺れるプライドは「いいえ全然??!」と慌てて取り繕ったが、アーサーに向けてよりも強張った。今もう一度そこを掘り返されるとまた落ち込みたくなってしまう。
「そんなことよりもフィリップ様はどうされましたか?ご気分が悪いのならどこかで休みましょうか……?」
「ンなへこむなら最初から言ってンじゃねぇよ」
ぶわっか。と、
心配そうに声を潜めるプライドに続き、アーサーは溜息混じりに腰に手をついて覗き込んだ。
ステイル相手には容赦しない。