地雷源に立つ。
「ならば大盛況だった場合は当然褒美も頂けるのでしょうね?」
ラルクが怪訝な顔でステイルを注視する。
一発本番のようなこの状況で、成功すれば採用失敗すればクビだと言い渡されたばかりだ。大舞台にサーカス初心者五人が全員失敗しないほうが難しい。廃部寸前の部活に全国優勝しろというようなものだ。
そこでまさかの成功以上を提示した新人に、眉を顰めるのも当然だ。
「……どういう意味だ。褒美?」
「先に無理難題を提示してきたのは貴方の方です。罰があるならば褒美もあって宜しいのではないでしょうか」
一歩、二歩とラルクの方からステイルに歩み寄る。
ラルクもヒール無しの身長は男性平均より少し低いくらいだけど、ステイルと比べるとヒール付きでも彼の方の顎が上がる。鋭い目で鞭を片手に睨みあげるラルクに、にっこりと黒い笑みのステイルは変わらない。
ラルクは鞭を強調するように両手で一度緩め、また張る。ビシン!と音が響いた中でも鍛えられたステイルの表情筋はぴくりともしない。むしろ誰よりも涼しい顔だ。
ステイルならこの場で上手くラルクの提示条件を緩めることも低めることも引っ込めさせることも可能だろう。けれど今、ステイルがやっていることは話に乗った上での上乗せだ。
ラルクも一度ぎゅっと眉間を寄せた後、小さくだけど喉仏を上下させた。どうせ失敗するに決まっている、それを前提とした上での検討だろう。ここで約束したところで叶うわけがない条件ならば飲むことも問題ない。
「何が望みだ」と、ステイルへ自ら促せばその答えは待っていましたと言わんばかりに告げられた。
「噂のオリウィエルさんと僕らに話す場を与えて下さい」
場所はどこでも構いません、と。
にっこり笑みのまま突き付けたステイルに反し、ラルクの表情は一気に変わった。桃色の目が極限まで開かれ、血色も明らかに変貌した。
息を飲む音が距離の空いた私にまで聞こえる。青筋を立て、両手に握っていた鞭を利き手で大きく振り上げた。「調子に乗るな!!」と声を上げると同時に鞭がステイルへと振り下ろされる。
けれど耳に痛い音は響かない。にっこりとした笑みのままのステイルは手で庇う構えすらしなかった。
できなかったわけじゃない、その必要がないという確信だ。
ラルクが鞭を振り上げた時点で、一瞬の内に二人の間へ飛び込んだアーサーが鞭の手を掴み止めた。すぐ傍にいたアレスもラルクを止めようと手を伸ばしていたけれど、当然ながらアーサーの方がずっと早い。
「……避けるくらいできンだろ」
「結果は同じだからな」
舌打ち混じりに溢すアーサーに、ステイルは振り向かずにむしろ誇らしげな笑みだ。……うん、まぁそうだけど。
ステイルが避けようと止めようと反撃しようと、騎士であるアーサーが王子に向けられる鞭を止めないわけにはいかない。そしてアーサーが動けば間違いなくラルクの攻撃を止めるに決まっている。結局は信頼の証だ。
アーサーが傍にいるなら避けないどころか目を瞑っていても安全だと、私もステイルもわかっている。
昔から一緒にいることが多いステイルとアーサーだけれど、なんだかアーサーに守られるステイルは珍しい。いつもは二人で私を守ってくれるくらいだから。
ぎぎぎぎっ、とアーサーにわし掴まれた鞭の手をラルクは振り払おうとしているようだけれど、勿論敵わない。ラルクが腕どころか肩ごと力んでいるのが見てわかる。整った歯まで軋ませながら睨むけれど、アーサーは落ち着いた眼差しで見返した。
無言で返されたのが余計腹立たしかったのか、ラルクが眼光を燃やし声を張る。
「ッ彼女に近付くな……!お前らごときが近付けられる女性じゃない……!!そんなに猛獣の餌にされたいか?!」
「近づけますよ。アンタ一人が良いって言ってくれりゃあ今日にでも」
アーサーまで意外に痛いところを突く。いや、単純に事実を告げてるだけだ。
ゲームでは仰々しいラルクからの扱いもしっくりきたラスボス団長オリウィエルだけど、今の彼女はサーカス団の代理団長ですらなくなった。
私にとっては必死さの違いはさておきゲームと似たような物言いのラルクだから聞き流したけれど、アーサーからすれば違和感だったのだろうなと思う。
「どうせ貴方は僕らを根刮ぎ追い出すつもりで課したのでしょう。ならば良いではありませんか。僕はただ勝利した場合での賞品を望んだだけです」
こちらの不利も、勝利条件も敗北条件も変わらない。ハンデを貰ったわけでもない。
それを改めて一つ一つ言葉にしてステイルはラルクに告げる。唯一の武器をアーサーに掴み抑えられて、ラルクも今は必死に抵抗するので精一杯だ。ヒールの足でアーサーを蹴ったけれど、踏むならまだしも彼のか細い足で痛むほどやわなアーサーじゃない。
「ましてや僕らの望みは彼女の身柄でも、追放でもありません。ただただ話す場を与えてくださいと言っているだけです。ああ因みに、貴方の演目の失敗や責任で客が逃げた場合も同様です。……それとも」
わざとなのだろう、ゆっくりとした口調で話すステイルの背中が一瞬ジルベール宰相と重なった。黒い気配と合わさって、とうとう私も耐えきれず口の端が片方ヒクついた。
昨日聞いた話通りならば、昨夜のアラン隊長に続いて今度はアーサーに鞭を封殺された彼だ。屈辱をあらわに顔を歪めるラルクに、ステイルは離れるどころか更に距離を詰めた。もともと至近距離だった相手に、アーサーに封殺されてるのを良しと言わんばかりに鼻先が触れそうなほど接近し、王手を掛ける。
「自信がありませんか?たかが話し合いの場に出すことすら躊躇うほどに彼女は人前に出すのも恥ずかしい人間だとお認めで?」
えっっっぐい!!!!
背中しか見えないステイルからぶわりと黒い覇気が放たれるのが見えるようだった。
ステイルえぐい!いつにも増して言葉の棘に容赦ない!!時間もないし手段も選べないのはあるけれど、いつの間にかステイルの地雷踏んじゃったのかしらレベルの挑発だ。
凄まじい形相でステイルへ手をあげようとするラルクに、今度はアレスも掴んで止める。右手はアーサー、左手はアレスに掴まれ完全に取り押さえられている状態になる。
そして新人であるステイルの方が悠然とした態度で畳み掛ける。
「そして猛獣を何匹も従えながら彼女を守りきる自信すらないと。仮にでもこうして交換条件へ挙げるのも恐れると。ああそれとも貴方の手に掛ける猛獣もまた所詮は飼い慣らされた〝商売道具〟でしかなかったということでしょうか。貴方自身もまた無力なのにそれでは確かに心許ないですね。しかしこのまま永久に死ぬまで枯れるまで貴方は大事な大事な彼女を閉じ込め隠し保管するおつもりですか貴方の力不足故に今の状況を作り上げているというのになんとも勝手なものですね?この状況に本気で彼女が満足していると思っているのならばなんともおめでたい頭だ」
見える!見える!!天才腹黒策士の背後に我が国の宰相の生霊が!!
ひぃぃいい!!と悲鳴を上げそうになりながら私は自分の胸を自分で押さえつける。
途中からは殆ど息を吐く間もなく明確な毒と悪意を吐くステイルは、いつもの倍は口が悪い。ある程度の敵対相手でもこんなに罵詈雑言とも呼べる罵倒なんて滅多にない。アレスどころか親友のアーサーすらやや引いている。手袋を叩きつける方がまだ平和だ。
ピキピキと青筋を立てるラルクが自由な口で言葉を荒げるけれど、彼の口の悪さなんてステイル相手ではずっと平和的に見える。「なんだと」「猛獣の餌にしてやる」「彼女を侮辱するな」と強い口調の彼は、ゲームでもあまり口は達者な方じゃない人物だった。……我らがステイル相手に口で勝てるわけがない。
しまいには、ラルクの数少ない反撃の手段である足を、靴越しに踏めばもう確信犯だ。踏まれるだけで痛みはないだろうけれど、屈辱感は比にならない。喧嘩することの多いジルベール宰相やヴァル相手にすらこんなことするのを見たことがない。
ぐりっ、と今度は悪意も感じる踵で彼の靴を躪る。
「で、どうしますか?ここまで来てもやはり逃げますか?口で敵わず手で敵わず、こんな新人ごときに大人気なく自分優位な条件突き付けてもまだ逃げますかいっそお二人揃って出ていきますか」
「ッ出ていくのはお前らだ!!期限は明日だ忘れるな!」
「それは褒賞の方もお認め頂いたということで宜しいですね?貴方の大事な彼女の名において。ならば団長にもお認め頂けるように僕からお伝えしておきましょう。きちんとこの場で言葉にしてお認め頂けないなら、僕らも明日の結果関わらず永久に居座り続けます。僕らの雇い主は団長ですから??」
ラルクが今までの暴れ方とは違い身体を翻すように動けば、ステイルが片手で合図を出す。それに合わせアーサーが、そしてアーサーに合わせてアレスも手を離した。
自由になった手でバチン!と足元へ鞭を鳴らし、踏まれた靴を引っ込めた。息遣いも荒くステイルを睨み、鳴らした鞭を握る手を怒りに震わせる。きっと本当はこのままステイルに振るいたいくらいだろう。そして、それをすればまたアーサーに取り押さえられるのも分かっている。
最後に出したステイルの言い分は、尤もだ。ラルクがなんと言おうと彼が私達を追い出せる権限なんか無に等しい。
団長が認めてくれているのだから、彼の文句なんか団員全員が聞き流して終わりだ。……それこそ、この最後の短い言い分一言で本来ならばラルクの条件を無に帰せることができたほどに。
なのに敢えて今の今まで言わなかったのはステイルの計算だ。
「ッ……アレスからよく聞いておけ……!彼女に、オリウィエルにお前らごときが会う為のその条件がどれだけのものかをな!!」
「御了承ありがとうございます」
遠回しに条件が叶ったら会わせてやると肯定したラルクに、ステイルは落ち着いた声で返した。
その涼やかな返しがまた腑煮え繰り返ったのだろうラルクは敷地中に聞こえそうな声で、わかってるなそれまで絶対彼女に近付くな猛獣の餌にしてやると喚き散らした。
「忘れるな…!お前一人じゃない新人全員だ!!この馬鹿力とっ……でか女とな!!」
で か 女。
ラルクがアレスの胸を突き飛ばし、私達をそれぞれ指差し宣戦布告し駆け去ったのを見つめながら、私は暫く呆然と動けなくなる。
ラルクの姿がテントの向こうに消え、アレスか何が話しかけてくる中でアーサーが心配そうに私と、……ラルクの姿が見えなくなった途端、落ち込むようにその場に蹲り出すステイルとを見比べた。
短期決戦は望むところ。ただ今は、……どこかに今もいるだろうハリソン副隊長が、ナイフを投げてくれても良かったのにと思ってしまった。