そして睡る。
「……自分は、ジャンヌ様の初恋は是非本物を味わって頂きたいです」
「!そっ……そうです、ね……」
途中からの気まずそうな彼女の声と、ひっくり返った最初の一音に、きっと今になって恥ずかしがっておられるのだろうとエリックは察する。
微睡みの中での会話と思えば、もしかしたらさっきまでの会話も彼女は覚えてすらいないかもしれないと考える。だとすればその方がお互い平和だとも。
「そろそろ眠りましょうか」と軽く切り出せば、プライドからも肯定が一言返って来た。布の擦れる音と、そして今度は気配を消すことも忘れた彼女が、ゆっくりと床を歩く音が遠のいていくのも拾えた。
それにひと呼吸ほっと吐きながら、エリックも合わせて立ち上がる。いつの間にか長時間経っていた膝に力を入れ、ゆっくりと。
おやすみなさいませ、の言葉を言いそびれたとそこで気付いたが今更呼びかけようとも思わず口の中で消えた。これから寝付くつもりであろう彼女がこのまま笑んで眠ってくれれば良いと思う。
…………扉越しで助かったなぁ……。
そう、向き合ったまま扉を見つめエリックは遠い目で扉を胸位置から数センチ撫でた。
自分がこの会話中どれだけ表情を変えたかわからない。ただ、どう考えてもプライドに見せれるような顔ではなかったと色々な意味で思う。
自分には何もできず、結局彼女の吐露を聞くことしかできないがそれでも最後に心置きなく眠ってもらえる手伝いができたと思えば今は幸せだった。たとえ、彼女に届かないことを思い知る結果になろうとも。
途中までは本気でこのまま高熱死するかと思ったエリックだが、今思い返せばそれを彼女が他ならない自分に語ってくれたことは信頼と、…………そして〝話しても良い相手〟だったという事実だ。
もしここにいたのが婚約者候補のカラムだったら流石のプライドも話せない。
彼女の傍に立つ騎士としては誉れ高い信頼の証であると理解すると同時に、同じ状況でも〝プライドがとても話せない〟人物が今だけは羨ましいと思う。それはつまり、彼女が〝そういう〟相手として認識しているという証拠にもなるのだから。
もしこの扉がなくても、あの穏やかな口調の彼女はずっと微笑み語り続け、そして聞いている自分だけが顔を真っ赤に頭を蒸気して表情を隠せなくなっていた。つまりはそういうものだと、エリックは一度目を閉じて二度目の息を吐
「あのっ……もしご迷惑でなければ…………」
「?!?!!!」
バッ!!と思わずエリックは扉から半歩下がり背中を反らした。
遠退いていた筈のプライドが、いつの間にかまた扉の真ん前に立っていたと今気付いた。確かにさっき足音が……!!とそれからは何の気配もしなかったのにと目を転がすが、事実いまプライドは扉のすぐそこに立っている。
ガタッ、と思わず小さく足音を立ててしまったエリックにプライドも驚かせたと気付き「ごめんなさい」と謝った。うっかりまた気配を消して歩み寄ってしまった。
「もし、ご迷惑でなければ…………ここで寝ても良いですか?毛布と枕は持ってきたので心配はいりません」
「え……ええ、承知致しました……。あの、眠られたらベッドにお運びしても…………?」
身体が痛くなりますし、と。扉越しに改まるエリックに、プライドも勿論ですと返した。むしろ余計な労働を増やして申し訳ないと思いながら、自分も眠くなったと思ったらベッドに戻れるように頑張りますと意思は示す。
扉の鍵も今のうち開けておこうかと手をかけたが、既に開けっ放しにしていたことに今気付いた。入った時に落ち込んだまま鍵を閉める気力がなかったことを思い出す。
枕を床に置き、毛布に身体全体を包ませる。せっかくならば隣部屋のように自分も寝るまで傍にいてもらえる感覚まで堪能したくなった。
ごそごそと布の擦れる音が何十も重なるのを聞きながら、エリックは唇を結ぶ。護衛の為とはいえ、この音に耳を傾けているのも今は妙に悪い気がしてしまう。
「………………扉越しで良かったです……」
ぽつりと、独り言のように呟いたプライドの言葉にエリックは肩が揺れる。
ついさっき自分が思った言葉と似た発言に、心の声が漏れてしまったのかと一瞬思う。寝付く彼女に合わせて背中を向けたばかりの扉へまた振り返る。起立した自分と違い、これから眠ろうとするプライドはまた低い位置からの声だ。
本当に一人言のような遠さと小ささに、その意味を尋ねることも悩むエリックへプライドは毛布を頭まで被り、溢した。
「異性にこういうお話はやっぱり……。…〜っ、見せれる顔ではとても、無理でしたので……。……付き合っていただき、ありがとうございました……」
おやすみなさいっ……と、そのまま早口で切り上げボフンと倒れ込む音も聞こえればエリックはもう何も言えなくなった。
起きてた?!話した意識がある?!と、エリックにしては珍しく方向違いのことに最初に驚きながら瞼がなくなり顎がぽかりと外れる。てっきり自分相手にだから平然と語っていたと思ったプライドが、扉の向こうではそうではなかったのかとエリックが理解するのは十秒も後だった。
実際の彼女は顔が火照りもすれば、顔を何度も両手で挟み覆い自分で自分を扇ぎながら語ることも多かった。
振り返った体勢のままエリックは顔を始めに熱が急上昇していく。視界が暗くて赤い。ドッドッドッと反応が遅れた分今日一番の音で心臓が鳴り出した。
言葉の綾だと考えたくても、どうしてもプライドに〝男性〟として見られていた今の事実が太く刺さる。
せっかく自分で自分に見切りをつけたところだったのに、それをあっさりと否定されてしまった。プライドにとってエリックは決して〝圏外〟ではない。ただ、エリックという人間が本音を言っても馬鹿にしない、そして人に言いふらす相手でも言及してくる相手でもないと信頼できた、それだけだった。
じゅわじゅわっと自分の目尻まで湯気になっていく気がしながら、エリックは血の回った頭で今気付く。決していま自分が気付いてしまってはいけない事実に。
彼女の求める恋は〝叶わない恋〟でも構わないのだと。
『一生で一回だけでも、そう思える恋に……憧れます』
『叶わない恋にすら、憧れるのですね』
そして自分も確認をとってしまった。
そんな気はなかったが、気付いた後だと自分も自分でとんでもないことを口走ってしまったとエリックは今、後悔する。やっと動いた両手で頭を抱え、真っ赤な顔で床を向く。
もし彼女の憧れる恋が〝そういう〟ものでも良いと含まれるのなら、まるで自分は扉越しに彼女を口説いているような発言をしてしまったように思えてならない。
自分はあくまで、彼女の婚姻相手がそういう恋をさせてくれる人であればと願っての発言のつもりだったのに。
『それほど悪いものでもありませんよ』
ああああああああああああああああああああああああああ、と。声に出さないのが精一杯だった。
気付かなければ良かった、でも今気付いて良かった。もしあの扉越しでの語らいで気付いてしまったら自分は本気でもっと畏れ多くも口にしてはならない言葉をプライドに言ってしまったかもしれない。あの時は本気で彼女に鼓動を奪われたままどうにかなりそうだった。
とうとう声だけは噛み殺しその場に蹲ってしまえば、一秒も待たず剣を首に突き付けられた。ジャキン、と剣を構える音と共にハリソンから「立て」と氷のような声を掛けられる。
護衛中、プライドとの談話の為に片膝をつくことは許しても、それ以外で護衛中に意味なくしゃがみ込むことなどハリソンは許さない。
しかし今は頭を冷やしてくれるハリソンに心の中で感謝しながらエリックも慌てて立ち上がり両手を背中に組んだ。未だ顔色も変わらず奥歯を食い縛らないと黙っていられないが、それでも今は護衛として時間が経つのをひたすら待つ。
その後、寝息を立て始めたプライドを自分が発言の責任を持ってベッドへ抱きかかえ運ぶことになるとまで、まだ頭は回らなかった。
『大切で、大好き過ぎて。…………愛しくて』
「エリック・ギルクリスト。責任持ってお運びしろ」
「~~っっ…………はい……」
終始正真正銘赤面どころか動揺の一つもなく平常運転だったハリソンからの容赦ない命令に、ただ従う分の気力で限界。彼女が告げたその言葉が具体的に誰に対して放ったか思い返せば、指先一つ彼女に触れるだけで火傷をしそうなくらい熱く感じた。
まるで包まり出した時点で体温が高かったと言わんばかりに毛布から長く白い足をはみ出させた彼女の姿は、それだけでも心臓が危ぶまれた。あまりにも無防備過ぎる。しかも夏から大きく外れた気温下で、彼女が足を出すほど身体が火照っていた理由も察しないほどエリックは鈍くない。
軽く、細い彼女を毛布ごとそっと腕で包めば、抱き上げる前の一瞬のぬくもりに息を止めた。
抱き締めてるようだと脳が錯覚すれば、これを彼女が恋に憧れていると語った時にこうしていたらとどうしても考えてしまう。扉が施錠されてないままなのもあの時はまだ頭にあった。
しかし自分はプライドの婚約者候補のカラムでもなければ、行動力の塊であるアランでもない。
彼女を抱え上げれば、その温度と柔らかさに毛布越しでも意識がもっていかれそうになった。あんな話をした後でなければ、まだ体温が上がる程度で済んだのにと思うが今はどうにもならない。
毛布のないベッドへそっと寝かせ、ハリソンが唯一拾ってくれた枕を受け取り彼女の頭下へと忍ばせた。こてん、と首が拍子に傾く彼女の寝顔は柔らかく笑んだままだった。
─ やっぱり、悪いもんじゃないんだよなぁ……。
赤らむ顔のまま、言葉を飲み込んだエリックは困り眉で溜息混じりにその寝顔へ小さく笑んだ。
明日の朝、今夜のことを彼女が覚えていた方が嬉しいと思ってしまう自分を自覚しながら。
本日二話更新分、次の更新は火曜日になります。
よろしくお願いします。




