Ⅲ81.越境侍女は鑑み、
ゴンッ、ドダッ。
二つの音が殆ど同時に寝室に発生した。
予期せぬ大音に扉の向こうではプライドがびくりと肩を上下させ、そして音の正体を知るレオンとセドリックもまたすぐには声が出ない。ほんの一瞬の間、自分のことで手いっぱいになる。
待ちに待った交代騎士であるローランドが帰ってきてくれたのだと目を輝かせたアーサーは、急ぎ開けようとした手をプライドの声で引っ込めることはできた。が、一瞬で脳内全てが真っ白になった彼は扉を開けるのを中断できたところで自分の早めた足を止め損ねた。前に出した足が扉にぶつかり、踏み出した勢いのまま続けて額がぶつかった。
足音を控える為に駆けずあくまで早足程度に抑えたが、アーサーの持ち前の足では充分事故レベルの衝撃だった。ゴンッと真正面に自分から受けた衝撃に弾かれ、大きく仰け反る。
いつもならば扉を開けるのを中断しても、額をぶつける前に扉を蹴り上げ跳ね返れた。たとえ頭をぶつけたところで、仰け反ることもなく態勢を整え足で踏みとどまることもできた。しかし、今だけは〝余計な思考〟の所為で条件反射しか働かない。
仰け反った態勢から転ぶことはなくなんとか立て直しはしたが、そこからは鈍痛の額を抑える余裕もなく固まった。
ベッドに腰掛けていたステイルもまた、動揺は同じだった。
ベッドへ入ろうと片足を乗せ、アーサーが向かった扉の方へ振り返った中途半端な態勢だった為にその後の急激な身体の反応に対応しきれなかった。
プライドの声を聞いた途端、頭の血が沸騰するように熱くなり肩が激しく上下した。毛布を翻すか瞬間移動するかアーサーに開けるなと前のめるかと一瞬に様々な行動を頭が考え、結果その全てをやろうとした身体は態勢を崩しベッドに乗り上げるどころか掴んでいた毛布ともども床へ間抜けに転がり落ちた。
床に身体を叩かれ少し我に返れたが、今の自分の状況を再認識し頭が再沸騰するだけだった。意味もなく毛布を引っ張り上げながら、扉を凝視し目を剥く。彼女が扉一枚向こうにいることに〝余計な思考〟が頭を支配する。
二人は同時に同じことを思考し、発言すらできなくなった。
そして動揺はステイルとアーサーだけでなく、レオンとセドリックもまた同様だった。先ず第一に、いま自分達は普通の格好をしていない。
これから身を休める為だけに上着を脱ぎ、ボタンも緩めただらしのない格好だ。
こんな格好をプライドに見せるわけにいかないとレオンは思わず乙女のように毛布で胸元より上まで毛布をたくし上げ身体を隠す。昔は彼女と身体を重ね合う覚悟も、そして今よりもはるかに粗末な恰好も姿も目にされたレオンだが、それと今このだらしのない格好をうっかり彼女に見られるのとでは話が全く別だった。しかも今彼女は、とそう思えばじわりと顔が熱くなる。
セドリックもまた、よりにもよってプライドに今の格好は見せられない。初対面の頃に多くをやらかした彼はもう二度とプライド相手に不敬などできない。それなのにこんな格好は!と、毛布で隠すよりも先に慌てて緩めていたボタンを上から掛け直し出した。
「あ、あああの、大丈夫……ですか?何かものすごい物音が聞こえましたけど……?」
「だ、い丈夫だ。ジャンヌ、このような深夜にお前こそどうした。何か問題でもあったか?」
戸惑い気味に扉越しから投げかけるプライドに、比較一番動揺が少なく済んだセドリックが言葉を返す。
ステイル、そしてアーサーも顔が見えないとわかっていながらも扉の向こうへ向けてこくこくと頷きを繰り返した。てっきりとっくに眠りについていると思ったプライドの乱入だ。心臓がバクつく音を身体の芯まで響かせながら、セドリックの問い掛けへ全員が同意する。自分達もまた同じことを問い返したかったが、いまは舌が痺れたように言葉が出なかった。
セドリックからの問い掛けに、プライドも「いえ、そういうことでは……」と少し口籠る。彼女が立つ扉前には当然護衛に控えるアネモネの騎士達もいる。更には自分が部屋を出たことで自室前から付き添ってくれた近衛騎士のエリックとハリソンもいる。彼らの視線を気恥ずかしくも思いながら自分が今ノックを鳴らし呼びかけた理由を遠回しに答える。
「隣から皆さんのお話するような声が聞こえて……もしかしてまだ話し合う内容があったのかしら、と」
ギクッッ!!と次の瞬間にまたステイルとアーサーの肩が大きく上下した。
プライドの言葉と二人の反応にレオンもまた冷たい汗が一筋滴う。最初こそプライドが部屋を移動してから敢えて話題も投げかけ、更には隣室ということも配慮して一定声量で会話をしていたが、確かに振り返れば何度か声が大きくなっていた場面もあったなと気付く。
四人の大部屋ということもあり、それなりに壁も分厚い筈の部屋だったが、少なくともアーサーの叫び声は鮮明に聞こえていておかしくない。今更になって誰のどのような発言が大声になったかを思い返そうとしたレオンだが、会話の内容自体は思いだせても詳細になんという発言で大声だったか全ては思い返せない。話題が話題だったことと、そして大声になるほど追い詰めたのも結果的には自分であったことも踏まえれば流石に焦燥を覚えた。
毛布を肩までたくし上げながら、流石の完璧王子もどこまで言い訳して誤魔化せば良いかと悩む。
とにかくこの場の責任は持つべく「うるさくしてごめん」とセドリックに代わり謝罪をジャンヌへ投げかけた。
「実は相談して護衛体制も鑑みて僕らは一緒の部屋で休むことになったんだ。それで少し僕がはしゃいじゃって。ダリオ達を雑談に付き合わせちゃったんだ」
「~~っ、ジャンヌ。ちなみに、こちらの会話はどのような発言が聞こえていたでしょうか………?」
「た、大したことは……?フィリップ様が「見るな」と主にあ、アーサーの、色々怒った声とかすみませんって声ぐらい…………?」
すみません!!!!!!と直後にはまた隣室にまで軽々届くような大声が放たれた。
プライドは扉の向こうにも関わらず赤い顔と腫れた額の顔を勢いよく下げて謝罪する。まさかの自分の声が彼女の睡眠を妨げた原因かと思えば本人の目の前で平伏したいくらいになった。しかし、今この扉は開けない。開いたら自分が死ぬと確信する。
アーサーからの謝罪に、プライドもびくりと身体を跳ねさせながらも慌てて「いえそんな」と扉越しに首を振った。そう謝られると思ったから言うのを躊躇った。むしろ気になってからはベッドで無意識に聞き耳を立てていた自分の方がはしたなくて恥ずかしい。
隣室にいたプライドには、隣部屋のやり取りはうっすらと聞こえても殆ど内容は聞こえていなかった。ただ、何時になっても誰かが部屋を出ていくような気配も物音もなければ、それどころか話し声が聞こえる気がすれば当然気になった。
自分が先に出て行ってしまってから、また何か事案が起きたのかと思えば気にならないわけがない。自分を気遣って起こしにこないでいてくれているんじゃないと考えれば、最後までじっとしていることができなくなった。しかも途中からはアーサーの元気な叫び声まで聞こえてきた。怒り声に謝り声など、どんな会話をしているのか気になるのは当然だった。
そして今、レオンから男性陣が同室お泊りでの雑談と聞けば、更にプライドの興味は高まった。彼女が会話全てを聞いていたわけではないらいしことに全員が扉の向こうで胸を撫でおろす中、彼女はぴとりと扉に手で触れた。
「あの、……私もまだ寝付けなくて……。もし宜しければ私も雑談に参加させて頂くことはできますか……?」
「!あの、ジャンヌさん。流石にその恰好ではっ……!」
いいえそれは!駄目です!!!と、ステイルとアーサーが同時に叫ぶのと、プライドの背後に控えていたエリックが思わず言葉を掛けるのは殆ど同時だった。
まるで弾くような扉向こうからの却下にショックを受けると共に、プライドもきょとんと大きく瞬きを繰り返してエリックへ振り返る。
暗がりでわかりにくいが、彼女が部屋から出てきてから顔が赤らんでいたエリックはそれ以上は言いにくいように唇を結んでしまう。そして、エリックにそれ以上を言わせないと理解できないプライドでもなかった。
彼の視線に導かれる前にすっと視線を自分自身の身嗜みへと下ろす。ベッドの上でぼんやり隣部屋に意識を向けたまま廊下に出た所為で無自覚だった。気付いた瞬間、思わず今更になって自分で自分を抱き締めるようにして隠す彼女は、息を飲み下唇を噛む。
何も言わなくなったプライドに、扉の向こうからは一番事情を確信しているステイルが声を抑えながらも早口で彼女への説得にかかる。
「流石に寝衣の格好で会うのはどうかと……!特に、ジャンヌの今の格好はあまり公然とされっ、しない方が良いかと……!」
「おいステッ、フィリップ!お前どんなんジャンヌッさんに渡してンだ!!」
「俺じゃない侍女だ!!!!!」
アーサーの怒号にとうとう今度はステイルも怒号で応戦する。
顔を真っ赤に燃やしながら、ステイルは自分の手でプライドに手渡した寝衣を思い出す。通常はステイルも、そして近衛騎士もプライドの寝る前の格好は比較見慣れている。やや薄着や露出がある時はあるが、それでも王女として人の目に触れること前提のデザインと布地である。特に異性の前ではプライドも羽織りなどで隠す程度の礼儀は守り恥らっている。
しかし、今回の彼女はあくまで〝王女〟ではなく〝侍女〟だ。
侍女としての普段着ならばともなく、そんな格好の彼女を騎士以外の男の目に晒したくなどなかった。
粗末とはいわずとも、今までの王女としての寝衣とは別物だ。薄い布ででき、身体にゆったりとしたワンピース型のシフトドレス姿は当然ながら異性に簡単に見せて良いものではない。今の薄暗い廊下でなければ下着も透けておかしくない、着心地と吸汗性重視の衣服だ。
あくまでプライドの正体を隠す為にと侍女が万全の体勢で準備した着替えだったが、下着の上にシーツを羽織っただけのようなそれはあくまで彼女が自室で一人の時間に身につけることが前提だ。プライドが部屋から出てきてから、その判断に困る露出と格好にエリックも上着を貸そうか悩んだくらいだった。
そしてたとえ彼女がそんな薄着でなくとも、レオンにはプライドが寝衣で深夜に訪問というだけで充分心臓に悪かった。
しかも今のステイルの言葉を聞けば勝手に背中まで反ってしまう。セドリックもまた、ステイルの言葉にそんなあられもない格好を自分が目にしてはならないとベッドに頭から潜るべきか本気で思案する。
エリックの指摘とステイルからの説得にプライドも今更になって自分の格好に焦り出し扉を開ける手を引っ込めた。
「あ……、その、じゃあ今から先ほどの服に着替えて来るので、そしたらお邪魔しても………?」
「ご、ごめんジャンヌ。実は僕らもちょうど寝るところで……。夜更かしは肌に悪いし、君も休んだ方が良いと思うよ」