Ⅲ7.八番隊騎士は覚悟する。
「へー、兄ちゃん遠征かぁ〜」
久々だねぇ。そう、眉を上げながらブラッドはテーブル中央へ大鍋を置いた。
家族全員が囲むテーブルには大鍋以外にもパンとサラダも置かれている。だが主菜は大鍋の中だ。野菜とともに煮込まれた肉の腸詰めの香りに、席に着いていたライラは丸い目をいっぱいに輝かせた。
学校の寮に住んでいるライラだが、今夜は城下に引っ越した新居に帰ってきていた。未だ肌が馴染んではいない家だが、家族全員が揃うだけでライラにとっては心地の良い我が家だった。
「ああ。……暫くは留守にする。ブラッド、ライラと母さんを頼む」
「はいは〜い!気をつけてねぇ、あんまり怪我しないでー」
声をくぐもるほど低くなるノーマンに、ブラッドの声は反して穏やかだった。
兄の遠征は今回に始まったことでもない。むしろ城下に住むようになってからこうして会う時間が増えただけで、今までも遠征へ行く、行っていたと報告されたことは多々あった。
既に食器が並べられたテーブルで、最後の大鍋を置いたブラッドも席に着く。以前は大鍋などテーブルへ運ばず器によそうか、いる時は兄に運ぶのを任せていたノーマンだが最近は少しずつ自分から踏み出すことが増えてきていた。相変わらず慎重に動くことは変わらないが、それでも村にいた頃よりは恐怖心も薄れ始めている。
「でも兄ちゃんなんでそんな嫌そうなの〜?八番隊の任務でしょ??」
今度は何処に行くの?と尋ねる母親に続き、ブラッドも投げかけ首を傾げる。更にはライラまでも「のん兄頭痛い?」と夕食よりも注意が向いた。
テーブルの前に座りながら両指で頭を抱えるように抑えるノーマンの様子は、家族の誰もが気付く違和感だった。いつもならば目を輝かせるか、鼻高々に語る遠征に今は明らかに乗り気ではないのだから。
「……いや、話したら色々その、……緊張して」
めっずらしーと、伸びやかな声でブラッドはノーマンへ両眉を上げる。
いつもは緊張よりも遥かに騎士の任務に覇気を漲らせていた兄だ。しかし、ノーマン本人にとっては今回の任務は八番隊の任務でもなければ〝いつも〟のでもない。
女王付き近衛騎士として初の重大な任務だ。
しかも極秘任務。式典で控え護衛する程度ではない。国外の、更にはラジヤ帝国の一部へ足を踏み入れる。
世界規模のミスミ王国オークションにも同行し、各国王侯貴族達の中で女王を誰よりも近くで守り通さなければならない。
第一王女付き近衛騎士として自分の上官二人も同行するのも余計緊張の元だった。王族の目の前であの二人の顔に泥を塗るわけにはいかないと、考えれば考えるはど足の裏からひんやりとした冷たさに浸るかのようだった。
そんな兄の苦悩までは知らず、ブラッドはテーブル中央の鍋をすくう。ライラの器からスープをよそい、次は母親、次に兄へとよそうところで「兄ちゃんお皿ー!」と敢えて呼び掛けた。未だ頭を抱えるノーマンも、その言葉にハッと息を飲み顔を上げる。そのまますぐに手元の皿をブラッドへと手渡した。
ありがと、と笑いかけるブラッドはもう兄から深く聞こうとは思わない。
ここまで尋ねて言葉を濁す場合は、兄が聞いて欲しくないかもしくは騎士団の機密事項だと騎士の家系の親子は理解する。ライラもまた、はっきりわからずともこういう時は聞かないであげた方が良いのだと家族同士の会話で染み付いていた。
まさかノーマンが女王付き近衛騎士になったなど、思いもしない。
家族が知れば喜んでくれるとはわかっているノーマンだが、未だ言い出せずじまいのままだった。女王付きなのが嫌なわけでも、近衛騎士なのが不満なわけでもない。ただ、……未だにそんな大それた役職に胸を張る自信が持てない。
「これねぇ、クラリッサさんに教えてもらったんだぁ」
賄いで食べてすっごい美味しくて。と、にこにこ笑いスープの出所をブラッドが話せば、一口頬張ったライラから「おいしー!」と一番の絶賛が上がった。
今では週に四日は店で働くブラッドは、こうして料理を振る舞うことも増えてきた。
ライラに続くようにスープを掬い味わう母親も、すぐに料理への話題に乗った。うん!と大きく頷き、頬に手を当て笑う。病気がちだった頃は食欲もあまりなかったのが嘘のように、今は食事の時間も一日の楽しみの一つだった。
「本当に美味しい。クラリッサさんのスープと本当に同じね」
「母さんも一緒にスープ貰ったもんね〜」
「母さん、また店に行ったのか?流石に頻繁過ぎるのは……」
しかも賄いのスープまで…‼︎とノーマンも思わず声を上げる。
自分もまた心配で、許される時間はブラッドの様子を見に行っていたが、あれから一ヶ月以上経って尚では、向こうにも迷惑なんじゃないかと頭に過ぎる。しかもあの店は自分の遥か上官二名の家だ。
しかし母親だけでなく、ブラッドも全く穏やかなままだ。「平気だよー」と笑う新入り店員は、母親がクラリッサとすっかり打ち解けているのもよく知っている。
もともとは自分のことを心配で来てくれていた母親だが、今はただの常連だ。料理好きの母親と小料理屋は相性も良かった。寧ろ、母親の方から料理のレシピをクラリッサに提供した時もある。
「そういう兄ちゃんこそちゃんと仲良くできてるー?」
「…………」
ざくりと。
弟の手痛い投げ掛けに、ノーマンは真正直に口を閉ざす。
今までもよくあった投げかけだが、今はいつもと別の意味で何を示してしまう。
八番隊でも、寧ろ騎士団でも〝仲良く〟など諦めている。だが、女王付き近衛騎士間ではそんな甘えは許されないと思う。
絶対的な力を持つ騎士隊長副隊長と自分は違う。女王の前で一度でも無様な姿や不仲など見せられない。八番隊のように誰も連携を必要としない隊と異なり、女王を間違いなく守る為にも、自分は同じ近衛騎士達を知らないといけない。
……なのに、未だ近衛騎士の誰ともまともな会話ができていない。
もともと必要にもせず諦めていたことだ。それを突然自分からやれと言われても難しい。しかもその中の二名は先輩であり上官だ。
最近はその二人に話しかけて貰えることが少し増えたが、自分はあいも変わらずの調子で全て跳ね除けてしまっている。
ノーマン自身、自分の性格が問題と思うだけで同近衛騎士の三人を悪くは思っていない。
九番隊騎士のケネスは部下からの信頼も厚く、有言実行する人間として騎士団でも評価が高いと知っている。二番隊のブライスは、口調や態度こそ荒いが誰もが認める実力者だと理解している。十番隊のローランドは自分と同じくらいの年齢なのに既に隊の任務でいくつも功績を立てている。噂では近衛騎士もあのエリートで最優秀騎士常連のカラムの推薦だと聞けば実力は裏付けされたようなものだ。
しかし、そんな彼らの長所を理解しても尚自分にはまともなやり取りが未だ一度も出来ていない。
沈黙の兄に、ブラッドも「やっぱりー」と独り言のように呟いた。
「遠征でちょこっとは仲良くなれると良いね」
今度こそ。そう、兄が黙している理由は八番隊だろうと思いながら続けるブラッドに、ノーマンは心の中で「無理だろ」と呟いた。
寧ろ実際はその八番隊の隊長副隊長と直接はあまり関わらないだろうと思う。だが、共に行動はする。
遠征の道中では、ラジヤに踏み入る前にも経由地に滞在する。頭の中で地図を思い浮かべれば、ラジヤを横断する経路の場合他の道中はフリージア王国。しかし、国璧を超えてしまえば地図上はフリージア王国でも実質何物にも守られない国外だ。一度だって気は抜けない。
優秀な彼らの中で、自分は何ができるのだろうと考えた数は今日だけでも数知れない。
「せめて父さん達の記録や手記があれば……‼︎」
先代騎士達の記録と書物。それを思えば拳を握り、顔中の筋肉を中央に寄せてしまう。
子どもの頃から当時の書物を何度も繰り返し読んでいたノーマンは、そこにオークションについてとはいかずともミスミ王国やその周辺について記録があったことは覚えている。しかし、具体的に思い出そうにも思い出せない。
読み返したくても、自分が騎士館に保管している数冊以外は家ごと燃えてしまって今は灰だ。
家族を前に素のまま落ち込み悔しがるノーマンに、ブラッドがスープが冷めるよと声を掛ける。折角弟が作ってくれた料理を冷ますわけにもいかず、ノーマンもがっくり肩を落としながらスプーンを手に取った。
一口大に切った野菜と共にスープを頬張れば、賄いにするのが勿体ないほど美味しい。こんなに美味しい料理ばかり毎日食べたからアーサー隊長も騎士団長もあんな恵まれた身体つきなんじゃないかと考えてしまう。
「手記って何〜?どの手記⁇僕覚えてるかもよ」
「……お祖父様の、北遠征した時のとか……」
何度も何度も何度も読み込んだ。
自分の祖父の記録であることも、その遠征の記録にミスミ王国経由やその間に周辺国の記述があったことも覚えている。しかし、その詳細までは思い出せない。
自分が子どもの頃から何度も読み漁り読み耽ったのは祖父の記録だけではない。曽祖父のそのまた祖父、祖父の祖父からひたすら蔓のように続いている。それだけゲイル家の騎士の系譜は長い。その中でミスミ王国と周辺の記載の存在を覚えているだけでも、ノーマンが何度も読み込んだ証だった。
「あー、覚えてる覚えるー!兄ちゃんよく読んでくれたじゃん。僕よく覚えてるよ」
「!本当か⁉︎」
バッ‼︎と音が聞こえる勢いで顔を向けるノーマンは目が溢れそうなほど丸くする。
ほんとほんと、と。にこにこ笑うブラッドは兄が〝ど忘れ〟してることの方が不思議に思う。騎士を目指す目指さないは置いても、自分と同じくらい寧ろもっと真剣に読み込んでいた兄が何故覚えていないのかと。
寧ろ先祖代々の記録全てを暗記している〝自分の方が〟凄まじいとは思いもしない。ブラッド自身記憶力や頭は良い方だが、あくまで常人程度ど。セドリックのような絶対的な記憶能力も、プライド達ほどの賢さもない。ただ、一族の記録だけは〝何故か〟
全て記憶していた。
「この後話してあげるね」と夕食を楽しみながら軽く約束するブラッドは、それに疑問はない。
幼い頃から何度も何度も兄と絵本のように読み耽り、しかも自分は兄が新兵になって出て行ってからも家事以外の楽しみは残された書物を読み返すことくらいだったのだから。手元になくなっても覚えて当然としか思わない。ゲームでアムレットと語らう設定の為など夢にも思わない。ステイルの指笛やティアラのナイフ投げのように。
良かった、とひと息ほっと吐くノーマンは少し自分の出来ることが見えたお陰で食欲が戻る。記録を確認できたからといって近衛騎士の面々と交流や連携を取れるわけもないが、何もできないよりはずっと良かった。
兄の役に立てたらしいことに頬が緩むブラッドは、にこにこと笑いながら腸詰めをフォークで頬張った。
「ご褒美に今夜兄ちゃんの団服また着させてね」
「ッまたか⁈良いかブラッド?あの団服は本来騎士団だからこそ袖を通すことが許されるもので、その辺の衣装とは比べものにならない希少で神聖なものなんだ。大体お前はサイズ違いで引き摺るだろう??僕だって父さんには三度しか……」
わかってるわかってる〜とノーマンの長い話を聞き流す。今まで何度も聞いた説教だが、なんだかんだ兄が着せてくれることは知っている。
騎士になることは避けたいブラッドだが、憧れであることは変わらない。何より自分とサイズの合わないダボつく団服が好きだった。
「……あーでも最近ちょこっとずつ兄ちゃんの団服大きさ近くなってきちゃったよねぇ」
「お前はいつまで伸びるんだ……」
僕はもう止まったのに……!と。悪気ないブラッドの言葉にノーマンは食の手が止まり頭を抱えてしまう。
今は自分の方がまだ背があるのに、ブラッドは一方的に追い上げようと伸びてきている。特に移住してからの伸びは凄まじかった。単なる成長期だとノーマンは思うが、ブラッドは「最近重いのがなくなったからかな」と心の中だけでぼんやり思う。
「まぁ僕ってほら父ちゃんの子だしぃ」
「僕だってそうなのに‼︎‼︎」
思わず絶叫に近い音で叫んでしまう。
ノーマンからすれば血を吐きたいくらいの嘆きだった。しかし容赦なくそこでライラから「のん兄はお母さん似だねー」と言われればもうこれ以上嘆けない。自分の母親が小柄なことをこの場で責めるわけにはいかない。
むむむと下唇を噛むノーマンに、母親もその心情を察し苦笑してしまう。ぽんぼんと手を伸ばし、心優しく育った息子の肩を叩いた。
背は置いても、どちらも間違いなく全員あの人の子だということは自分がよく知っている。何よりノーマンの性格は父親似だ。
「ちゃんと帰ってきてね」
ふふっと笑いながら、在りし日の家族を思い返す。
間違いなく息子は父親の面影を辿り成長していると、確信した。
Ⅱ413
「家の手記にこんな騎士の記録があったんだ」