Ⅲ77.騎士隊長は止め、
……やっぱやらかす気ぃしたんだよなぁ。
はぁ〜〜と、息を吐き出しながらアランは心の中だけでそうぼやく。
捉えた先でカラムが取り押さえる猛獣へ指示を与えたラルク、にではない。今自分が両腕で安全を確保しているクリストファー団長にだ。
プライド達に任されている以上サーカス団に戻った後も警戒を緩めず団長の護衛を続けていたアラン達だが、本当にテントの外に出るとはと呆れてしまった。
念の為にアレスのテントの傍で身を潜めてはいたが、本来ならば心配のし過ぎで済んだ話だった。
団長はつい数時間前にラルクから鞭を振るわれ脅されたばかりの身である。それなのによりにもよってそのラルクからの呼び出しに素直に応じ、しかもせっかく同室になったアレスを寝かせたまま単身で外に出た。
テントの外に出た時点で相手が間違いなくラルクであったことも、彼が檻からライオンを引き連れてきたことも月の光で明らかだったにも関わらず最初から助けを呼ぼうともしなかった。
「アラン!!助かったどうもありがとう!しかし私はもう大丈夫だ!そろそろ離してくれないか?!」
「いえこのままで。もう暫くだけご理解お願いします」
猛獣の雄叫びに、我に返り手足をジタバタさせる団長にアランは羽交締めにしたまま動かさない。
ライオンに飛び掛かられた団長を持ち前の足で飛び掛かり避けさせ、そのまま確保し一度は前に出たアランだが、ふらふら足を動かし出した団長を再び捕まえた。下手に動かさない方が良いと考える。
ここまでのこのこと命を狙う相手の前に現れ、今もラルクに近づこうとするような男を手放せば、状況を悪化させることしか想像できない。
ライオンを警報代わりに吠えさせることができた今、次々と周囲の団員テントからも騒めきが聞こえる。プライドに任された以上、団長に怪我を負わせたくもない。自分の手で確保したままが一番である。
アランの鍛えられた太い腕で取り押さえられたまま体勢を立て直すこともできない団長は顔の向きを変えるか瞬きを繰り返すしかできない。自分は怪我もしていないというのに何故、と思うがやはり一番気に掛かるのはライオンをけしかけてきたラルクとそして自分の代わりに襲われている新入り団員だ。
今も変わらずライオンの頭を押さえ付けたまま、誰よりもその大口と牙に近い位置に立っている。一瞬でもライオンに力負けすれば、もしくは手を振り払われればカラムの首から先は食いちぎられる。
「私よりも彼を!カラムを助けてやってくれ!!あのライオンは肉食獣でラルクが躾けているお陰で普段は良い子だが元来とても狂暴で生息地では百獣の王と呼ばれるほどの」
「あ、知ってます知ってます。アレスさんに今日案内で聞いたんで」
「それとだな!!こういっては悪いんだが猛獣は買うのが本当に本当に高くて大変で!!もちろん人命が一番だが……!!」
「あー大丈夫です。その為にカラムが相手してるんで」
カラムの心配したり動物の心配したり忙しい人だなーと思いながら、アランはその腕を緩めない。カラムの安否については全く心配はしていない。
本来ならば、ライオンの相手も自分がしてみたかった。フリージアの王都でも滅多に見れない猛獣、しかも百獣の王とまでその呼び名を聞けば勝負してみたいと腕自慢の欲が湧く。
実際、テントの傍で見張っていた際にラルクがライオンを引き連れてきたのを確認した時は「俺行くか?」とカラムに提案もした。自分がライオンの相手をして、カラムが団長の確保でも結果は大して変わらなかったと思う。……ライオンの安否以外は。
カラムに「アラン、お前ではライオンに怪我を負わせるだろう」「今回は害獣ではない、サーカスの所有物だ」と正論で却下され、仕方なくライオンの取り押さえはカラムに任せることになった。
ただ猛獣が襲ってきただけであればアランが相手にしても問題はなかったが、今回はサーカスの飼っている動物だ。しかも希少生物であれば、怪我を負わせた場合の治療方法が最善で処置できるかもわからない。
下働き仲間と共に餌やりも行った後のカラムは、檻の中に入っていたその生き物がサーカス団員にもそれなりに可愛がられていることも重宝されていることも、観客に好評であることも聞いている。開演準備を始めるサーカス団に、目玉商品の一つであるライオンの怪我がどれほどの痛手かも想定できた。その為にも、やはり無傷で取り押さえるしかない。
「……飼い主が悪いだけで苦労するものだな」
取り押さえる両腕に集中しながら、カラムは独り言のように呟いた。
今もグォオオッと唸る猛獣とするどい眼光と牙を間近に眺めながら、鞭の音だけで自分や団長を敵視する生き物に同情する。檻の中ではむしろ大人しい生き物だったと思い返せば、それだけしっかり調教されている証である。
ラルクにそれほど厳しく支配下に置かれているのか、それとも信頼関係という名の優先順位が築かれているのかはまだ新入りであるカラムにはわからない。餌やりの時は新入りの自分が現れた時にも人慣れがしているお陰か大して警戒もなく、餌の肉にしゃぶりつく姿は巨大な猫という印象だった。
フリージア王国でも、檻の中に入った同種のライオンを目にしたことがある。あくまで騎士として、もし檻から逃げ出すか暴れた時の取り押さえ要員としての出動で目にしただけだが、その時の獰猛な威嚇を繰り返していたライオンと比べれば別の生き物ように愛らしかった。しかし今は間違いなく同じ獣の目である。
カラムからの呟きに、猛獣は応えない。しかし不自由に顔を固定され取り押さえられた不快のままに再びグルルと喉を鳴らした。押さえつけられた口から牙が届かずとも雄叫びと共に唾混じりの息を吐きつけ牙を剥く。
「!なんだあれ!!」
「キャアッ!!えっなに嘘!えっ?!」
「ららららラルク君はやくライオンを引かせて!このままじゃカラムさんが」
「団長!どんな無茶な演目やらせるつもりだ!!」
ざわざわと、いくつものテントからとうとう寝床から抜けてでも外に出てくる団員が現れた。
下働き用の集合テントから出てくる者もいれば、女性団員テントから出てくる者も、そして個人テントからも団員が現れる。
一度外に出れば、猛獣の大きな影と唸り声は充分大きな目印だった。団員に牙を剥き襲い掛かっているようにしかみえないライオンも、そのライオンを二本の手だけで押さえ付けているようにしかみえないカラムも、どちらも誰もが目を疑う現実離れした光景だった。
今もライオンは口こそ届かずとも、何度も何度も牙を剥きカラムへ噛り付こうとを繰り返している。そしてそれに誰よりも狼狽えるのは、他でもないライオンを仕掛けた側であるラルクである。
チッ、と短く舌打ちを零し、鞭を握り締める。邪魔するのなら新入り二人諸共ライオンの餌にしてやっても良かったが、どうみても劣勢。しかも団員達に見られた今はここで誰を殺しても自分達の立場が悪くなるだけで隠しようもない。
仕方なくライオンを一度引かせるかと、指示を与えるべく鞭を一度握り直したその時。
「ラルク!!なにやらせてやがる!!!」
誰もが手の出しようがない状況へ、いの一番に一人の影が飛び出してくる。
その叫び声に、気付いたカラムも「待て!危険だ!!」と逆に待ったをかけるがテントから飛び出した足でそのまま突進してくる男の足には迷いがなかった。
包帯の巻かれた右手に握られた棒状のそれをバットのように握り、先に自分が歯を食い縛る。カラムがライオンを一人で取り押さえている異常さにも気付かないように、目の前の猛獣を止めることを考える。
自分へ向けて鋭い目を向けてくる対象に、ライオンが再び大口を開けて威嚇をすればこれが好機といわんばかりに飛び込んだ。疲労でライオンの声にもすぐに目覚められなかったアレスは、癒えきっていない傷が痛むのも構わず酷使する。
右手に握ったそれをライオンの懐まで潜ればそのまま無理矢理牙を立てる口に噛ませた。何度も空振りし歯を立てられなかった猛獣の口に咥えられ、鋭い牙がガブガブを一瞬で咥えられたそれに突き立て一部はそのまま減り込み刺さった。
グゥゥッ!!と口輪のように嵌められたライオンも呻きが抑えられる中、カラムへ「どけ!!」と叫んだがカラムもそこは譲らない。自分は特殊能力で押さえ込んでいるから良いが、ここで言われた通りに退けば牙だけでなく鋭い爪と巨体にアレスが襲われることになる。
「ラルク!!!三秒以内に引かせねぇとマジやるぞ!!!!」
良いな?!!と、ライオンの牙に噛ませたまま怒鳴るアレスに、ラルクも今度は苦々しく顔を顰めた。
カラムの特殊能力も知っていれば、当然アレスの特殊能力も知っている。〝怪力〟の特殊能力で自分のライオンが完全に負けるかどうかは知らないが、少なくともアレスの特殊能力をライオンに使われたくはない。もともと引かせる気になったところで邪魔したアレスに苛立ちながら、一秒を数えられる前にラルクはその鞭を振るい地面へ叩きつけた。
パシンッ!!と素人には違いもわからない耳に痛いだけのその音を合図に、急激にライオンの勢いが止まる。口を塞がれずとも必要以上開こうとしなくなり、カラムも押さえつけていた手に力を込めずともライオン自身がまるで「待て」をされている状態のようにぴたりと止まったのがわかった。
あまりにもわかりやすい変化に、タイミングを見計らってライオンから手を離す。同時に傍に立っていたアレスも腕で下がらせ背後足で飛びのくようにして距離を取らせた。
さっきまで獰猛に振舞っていたライオンは、もう自分達が見えていないかのように目でも追ってこない。自分の頭を押さえる存在がなくなったことにに、全員の緊張も解けたのがカラムの目でもわかった。
牙に刺さったままアレスに深く咥えさせられたものを吐き出そうと、自ら口を大きく開ける仕草も捕食者ではなく欠伸のような動きだった。それでも牙に刺さったまま上手く抜けないと、前足でバタバタと口からはみ出た部分を獣の手で押さえ外そうとする。カラムが檻の中でみた時と似た、獣より猫のような可愛らしい仕草である。
「アレス、なんとかしろ。ライオンが困ってる」
「ッテメェがカラム襲わせたからだろ!!そんなことより状況を説明しろ!!」
ライオンの牙に嵌ってしまったそれを外せと離れた距離から命じるラルクに、今度はアレスが牙を剥く。
もともとライオンを操って襲わせた分際で命じれる立場ではない。サーカス団の上下関係だけでいえばラルクはアレスよりも上だがしかし、今更そんなことで言うことを聞くアレスでもない。
牙に嵌ったまま抜けない物体に、興奮が落ち着いた後は余計に苦しむように顔を振りバタバタと獣手で押さえ顎を大きく開くライオンは、完全に今は被害者である。しかし、鋭く太い牙に刺さり嵌ったままの物体は、唯一ライオンの口へ手を入れられるラルクも腕力ではどうにもならない。
周囲の団員達も、ライオンが元の調子に戻ったことに胸を撫でおろすのも束の間に、今度はラルクが何をやっていたのかと疑念が再び生じる。その傍にでアランに取り押さえられている団長の存在に気になれば、アレスよりも先に当然結びつけられる者もいる。
ラルクが団長に鞭を振るおうとしたのも、脅迫めいた捨て台詞を吐いたのも目撃者は大勢いる。
団員の雲行きが怪しくなってきたところで、こちらの形勢逆転を感じ取ったアランはやっと団長から手を離した。
打ち合わせをする必要もなく、団長がどういう行動に出るかはアランにも想像できた。