Ⅲ74.越境侍女は見届ける。
「おーいアレス!皆!こっちだ!!私はここにいるぞ!!」
ハハハッ!と笑い混じりに大声を上げる団長は、両手を大きく頭上で振ってこれ以上なく存在を主張した。
アレス達の気配が遠のいたことを確認してから荷車の中から出て間もなく、物陰に潜んだ私達とは別方向に歩き進めてからの団長の行動は早かった。
左右背後にアラン隊長とカラム隊長を控えたまま、テントに戻る間も惜しんでの団長の大声に、アレスの「団長!!?」という弾けるような声がすぐに返ってくる。私達がこっそり人目に付かず帰れるように注意を引き付けてくれているのもあるだろうとは思うけれど、……大半は団長の性格そのものかなぁと思う。
大勢の団員と一緒に戻って来たアレスの傍には、もう護衛を任せたマートはいなかった。アレスも包帯をいくつかは自分で外したのか、最後に分かれた時のような重傷者感はない。テントの大きな灯りと星空の下は、荷車の中よりも幾分明るく彼らの表情までしっかり見えた。
団長と打ち合わせも終えた私達は一度解散し、アラン隊長とカラム隊長には引き続き団長の護衛と潜入をお願いすることにした。明日からは私達も合流だ。
アレスだけでなく団長の許可も得たし、今度は誰に追い返されることもないだろう。
ドタバタと集団になって自分の元へ走り込んでくる団員に両手を振りながら途中で足を止めた団長は「ハハッ!元気だなー!」と今も呑気な笑顔だ。
「ジャンヌ。……どうしますか?」
「ごめんなさいもうちょっと。……ちゃんと、見届けたいの」
こそこそと小声で私へ瞬間移動するか尋ねてくれるステイルに申し訳ないけれど時間を強請る。……これを、見届けないと本当の意味で安心できない。
物陰、ではなく今はローランドの透明の特殊能力で姿を消して貰っている私達はもう誰に見つかる心配もない。一度団長には見られないように物陰に引っ込んだ後は、ローランドとステイルの特殊能力で目撃者に怯えず帰れる。
一緒に透明化しているお陰で今はローランドの姿も見える私は、差し出された手を掴む指に無意識にぎゅぅうと力が籠った。非力とはいえ流石に力を入れ過ぎたのかローランドの手が強張るように震えが感じて、慌ててまた意識的に緩める。痛いのとんでけとお詫びの気持ちを込めつつ反対の手でも摩り撫で、最終的には右手を押さえる形で左手も合わせて握った。完全に有名人に握手を求める側のポーズで、団長達の様子を最前列で見守る。
アーサーとハリソン副隊長も黙す中、それでもかすかな気配を辿るかのようにチラッとアラン隊長が目をこちらに向けた。まだ帰ってないのかと思っているのかもしれない。カラム隊長は気付かない振りをしてくれているのだろう。団長と一緒に目の前で足を止めるアレス達を正面から迎えた。
「団長!!大人しくしてられねぇのかアンタは!!一体今までどこいってたんだよ!!!」
「ちょっと新入り二人と話が積もってな。喜べお前達!明日から有望な新入りが入る!開演の準備だ!チラシ作りから始めるぞ!ケルメシアナサーカスの再出発だ!」
「そっちじゃねぇ!!」
ハハハハッ!と高らかに笑う団長に、先頭を切っていたアレスが地団駄を踏む。
彼としては今さっきまでではなく、今日までどこにいたのかを尋ねていたのだろう。これも団長が話を逸らしたのか、天然なのかいまいち読めない。けれど強く拳を握っていたアレスは、団長に掴みかかったりする素振りもない。顔はこの上なく苛立っているようにみえたけれど、途中でハッと顔色を変えるとアラン隊長とカラム隊長を見比べた。
「新入り……!?」と今その言葉が頭に届いたように掠れた声が聞こえた。私達が接触したのも勘付いたのかもしれない。行き違いなのは不可抗力だから許して欲しい。
他の団員達も団長が突然消えたのに戸惑ったのか、アレスだけでなくいくつもの疑問が飛び交い続ける。
新入り?まさかその為に?なんでアランとカラムが、団長は今までどこにと。当然ながら突然帰還した団長に疑問は尽きない。
いつもなら間に入ってくれるだろうカラム隊長もサーカス団では新入りという立場上なのか、なかなか難しそうな様子だった。アラン隊長も苦そうに笑いながら彼らの猛攻を見つめる中で、当事者の団長だけが涼やかな顔で両手を広げる。
「まぁまあ細かいことは気にするな。次の新人はすごいぞ??今までにあり得ない演出で客を虜にしてくれること間違いない!失われし時代の戦闘民族……いや、地獄の戦士ッ番人?番犬?悪魔?天使……いや!!それは後から決めよう!とにかく最高の催しだ!」
……ちょっと、なかなか不名誉極まりない気がする枕詞が聞こえたのだけれども。
戦闘民族とか地獄とか、取り合えず最強を誇る我が国の騎士達に何かしら客前でさせたがっていることは確信できた。フリージアの人間と隠す意思があるだけ感謝すべきだろうか。失われし時代はなんだか滅亡感あって不吉だからできれば遠慮したいし、悪魔は論外だ。
気付けば顔が半分笑ったまま引き攣って変な顔になってしまう。カラム隊長もアラン隊長も気にしないように表情はさっきと変わらないけれど、ちょっと首の向きを変えればアーサーの眉が困惑に寄っていた。至近距離にいる私達にしか聞こえないくらいの小声で「ブラッドのが趣味が良いっすよ」と呟くのが聞こえて、今度は私が笑ってしまいそうになる。
少なくともアーサーにとってはゲームでアムレットを「小鳥ちゃん」呼びセンスだった攻略対象者ブラッド以下らしい。ローランドに至ってはちょっと理解できないという表情で首を傾げていた。さっきまで姿が見えないことが多かった分、彼のこんな表情を見れたのはちょっと貴重かもしれない。
一人楽しそうに盛り上がる団長に、今度はアレスのすぐ後ろにくっついていた大柄な男性が前のめった。
「団長!!そんなの良いからさっきの話説明してくれ!!まさかラルクが団長を?!あいつがオリウィエルと組んで団長追い出しやがったんだな?!」
「ッディルギア!んなことより団長が何してやがったことの方が先だろ!!」
「アァ?!んなことってなんだ!お前こそラルクのやつ庇ってんじゃねぇだろうな?!大体入団した時から……」
うるせぇ!!と、次の瞬間にはバチバチと団長そっちのけでアレスとディルギアと呼ばれた男性がゼロ距離で睨み合う。
アレスも気合のまま息巻いているけれど、多分図星なんだろう。団長が帰ってきて欲しいのは本心だったアレスだけれど、同時にラルクが団長を追い出したことは隠し通したかった彼だ。カラム隊長達の話だと、ラルク本人が皆の前で仄めかすようなことを言ってしまったようだし、今は彼の立場も危ういだろう。団長が帰って来た今はその方がサーカス団にとっては良いのは間違いないだろうけれど……。
「まぁまぁまあ」と、団長が二人の仲裁に入る。睨み合う二人のどちらよりも細い腕で双方の肩に触れ、離れさせるように押せば二人ともギリギリと睨み合いながらも少しずつ互いの距離を取っていった。
団長というよりもまるで調教師のようだなとこっそり思う。
「ラルクのやつはちょっと反抗期だが、私に似て少し大げさに言う癖がついてきただけだ。新しい演目と人材探しで留守にする間、一時的にまとめ役をラルクに任せたのは本当だ。オリウィエルと仲良くやるんだぞとは言ったからあいつが都合よく勘違いしたのかもしれないな?うっかり書置きを忘れた私が悪かった」
頭の中では書いたつもりだったんだがなぁと笑い飛ばず団長に、全員が全員納得した表情はしていない。一番安心したように顔の力が抜けていっているのはアレスだ。
ある程度は誤魔化せるかもしれないけれど、それでも団長がラルク達を庇っていると思うのは避けられないだろう。どちらにせよ今の理由付けじゃラルクが勝手にサーカス団を掌握しようとした理由や団長に敵意を向けた理由としてはお粗末だ。
口は上手い方だとは思うけれど、こうなるならステイルに事前にいくらかこっちの方も理由をそれらしく考えて貰えば良かったかもしれない。
彼らの視線が集まったことに団長はまた明るい笑顔で返した。まるで客の前にでも立っているかのように大袈裟なくらい身振り手振りで語り、手近な場所にいるアレスともう一人の団員を始めに背中を向けさせるとぐいぐいと押し出した。
「さあさあ忙しくなるぞ!!皆今日はゆっくり休んでくれ!私も初心に戻って空きテントで身を休めよう!明日からは忙しく……??アレス」
「?なんだよ」
団員達をテントへ押し戻そうと歩き出したばかりの団長の動きが、突然ぴたりと足が止まる。
急に声色が落ち着いた団長に、一度は押し戻されるまま背中を向けたアレスもくるりと首だけで振り返る。ラルクのことを誤魔化せたからか、本物の団長の帰還を確かめられたからか、最初に怒鳴り込んできた時よりも大分落ち着いた様子のアレスは眉間に力は込めているけれどそれだけだ。
お怒りの収まったアレスと今は目は合わせず、団長は別の部分を凝視したままだった。一瞬、セドリックの私物である上等な服に気付いたのかとも思ったけれど、……そうじゃない。
「その包帯どうした?歩き方も少し変だな。お前こそ今まで一体何があったんだ」
ギクリッ、と。アレスの肩が身体ごと大きく上下した。
さっきまで団長の帰還で頭がいっぱいで誤魔化すのも忘れていたのだろう。最初から巻いていた右腕以外は、見えるところの包帯全て取り外したらしいアレスだったけれど服の下はがっつり応急処置の後が残っている。団長に背中を向けた途端、開けた首筋から肩に巻かれた包帯がちらりと見えてしまっていた。
駆け込んできた時は傷の痛みも無視して急いだのだろうけれど、今は気が抜けた分普通に歩いてしまえば自然と痛む傷を庇うように姿勢も傾いている。
団長の鋭い指摘に、他の団員達も振り返れば何人かが思いだしたように「そうだ」「団長こいつ帰って来たと思えば」と包帯ぐるぐるの目撃情報も団長へと言いつけられ始めた。まるで硝子を割った生徒と担任教師だ。
どうやら見えるところの包帯を取ったのも、テントに戻ってかららしい。取るのを忘れていたのか、皆に心配されたから外したのか、団長を探すのに動きにくいからか、……それまで送迎していた騎士のマートが外すのを許さなかったのか。
七番隊の騎士であるマートから傷を癒す特殊能力を施された後だし、いくらか腫れや小さな傷は引いて目立つ傷も抑えられているけれど全回復というわけじゃない。しかも、よく考えたらさっきまで団長を探して走り回っていたのだから傷がぶり返している可能性もある。
二人とも何があったか話せと。纏めて団員達に裁判に掛けられる中、アレスは引き攣らせ食い縛った顔を思い切り団長からも団員からも背ける。少し離れた距離からでもわかりやすく首筋まで汗が滴っていた。……まぁ、言えるわけもない。団長と人違いして奴隷商人に殴り込みましただなんて。
言い訳も思いつかないように、全力で言いたがらないアレスに、団長はおもむろに手を伸ばす。
眉を寄せ、包帯の巻かれていないアレスの頬へとそっと触れ自分の方へ向かせた。団長の皺のついた手に促されるまま背けていた顔をぐぐぐと動かすアレスは、腕を組みながらも逆らわない。けれど唇は固く結んだままだ。
そんなアレスに、初めて団長から苦々しい表情が向けられた。
「顔に傷を付けなかったのは偉いが、あんまり無茶するものじゃないぞ。うちにいる間はお前だけの身体じゃないと言っているだろう。もっと自分を大事にしろ」
「…………うっせー。こっち台詞だ」
見開き、そして顔中の筋肉がぎゅっと絞られる。
身体の横に降ろした両手が拳を一度固く作ったと思えば、アレスの首が垂れた。団長の方を向かせられたまま、身体も振り返りそのまま自分より背の低い団長より首から背中まで丸く落ちていく。表情も見えないくらいに俯いて淡々と放たれた声は、逆に感情を抑えているように聞こえた。
顔の傷も、もともとはあった。薄い傷は全部特殊能力で治まっただけだ。あの時の彼は、どこを守る余裕もないくらいに傷だらけだったのだから。
幸いにも私達が間に合ったけれど、今思い返せばどれだけアレスが必死だったのかわかる。
頬に触れられたまま、だらんと首を垂らすアレスは大きくそこで息を吸い上げ、吐き出した。その音が安堵の色だとはっきりわかる。俯いたまま片手で顔を覆い「あーもー……」と投げやりに零すアレスの声と、周囲の団員達の彼を心配する声が混ざり合う。
そんな中、彼の言葉はただ一人今は団長だけに向けられた。
「心臓にわりぃよ、団長。…………もうこれっきりにしてくれ。こういうのもう無理だ」
「そうだな今回は運悪くお前にばかり重荷を背負わせてしまった。よし、今夜はお前のテントで労おう。資金繰りの相談もしたい」
「労うかこき使うかどっちかにしろよ……」
別人のように覇気の抜けたアレスの声に、団長は「そうだな!」と大きな口で笑いながらそこで手を引いた。
ハハハッ!と自分でも言っていることのおかしさに今気付いたように両手を叩き、今度はアレスの肩に腕を回す。行こう行こうと言いながら、アレスと並んで今度こそ揃ってテントへ向かい出した。
周囲の団員達がまだ問いが尽きないように二人に話しかけながらも、大きな人の波はそのまま動きを始める。
待て、話は終わってないと訴える団員達も、団長はアレスに肩を組みながら笑って受け流した。「皆今夜ははやく休め」「全ては明日からだ」「忙しいぞ」と彼らを迎えた時にと同じような言葉を繰り返す団長は揺るぎない。
怪我人であることに気付いたアレスにそれ以上深く事情を聞こうともしなければ、肩へ回した腕で背中を押すようにして進んでいった。アレスも一度俯かせた顔を上げようとはせず、されるがままにふらふらと歩いて行った。
団員を連れていくアレスと団長達の後ろ姿を見送れば、最後尾のアラン隊長とカラム隊長が小さくこちらに向けて頭を下げた。
身じろぎせず見送り、最後に彼らが見えなくなってから、まるで今まで息を止めていたんじゃないかと思うくらい深く息を吐き出した。
良かった、無事ちゃんと再会できた。
最後まで見届けられただけで、思わず足元が浮く感覚を覚えそうなほど安堵した。胸を押さえ、自分の鼓動に触れて落ち着ける。
「ジャンヌ、そろそろ……」と、ステイルからの呼びかけに一言返し、私は空いている方の手で彼に触れる。
……ゲームではアレスは〝間に合わなかった〟。団長を探しに飛び出し、やっと戻ってこれた日にはちょうど全てが終わっていた。
ラスボスの〝腹心〟ラルクの手によって。
温かい光を内側から溢れさせるテントを見つめながら、そこで私達の視界は切り替わった。




