Ⅲ70.騎士隊長は確認し、
「けど皆あんなに騒ぐってことはアレスさんが戻らないのもいつものことじゃないんですよね。今までそういう連中に狙われたこととかウチでもあるんすか?」
「ある。……そりゃものすげぇある。アレスのアレがなくても、そういう不可思議を売りにしてんのがウチだ。〝サーカス団員〟も物好きには高く売れるらしいし、実際あいつらだってそれで騒いでるのもある」
アランの指摘に、ぴくりと肩を震わすディルギアはそこで完全に鍛錬の気が削げたと言わんばかりに自分の抱えるダンベルを地面に降ろした。
「だからサーカスの敷地内から出て買い出しにいくのは食材選びたい料理長とか薬剤選びたい先生とか抜いたらあとはアレスと下働き連中が殆どだ」
アレスは舞台で変装も徹底してるからな、と。肩にかけていたタオルで首から頬を拭い、低い声を漏らす。
サーカス団でも古株に値する経験上、そうやって狙われるのが怖いからとサーカス団を抜け出した仲間も何人も送って来た。自分やアレスも含め腕っ節や喧嘩に自信がある団員はいても、奴隷狩りや人身売買組織に勝てるほどの人間などいるわけがない。あくまで自衛程度である。
サーカス団である以上いくらかは自己責任と共に付いて回るそれは、奴隷容認国も巡り続けている彼らには日常だった。
そこで「狙われたくないから抜けます」と言われれば、自分達にはどうしようもない。引き留めず、ただ見送るのがサーカス団の方針である。表に出るような演者団員はなるべく状態を隠しテントに引きこもり、そして腕に自信のある団員や客前で顔を見せることのない下働きなどが買い出しに行くことくらいしか自己防衛方法もない。
「けどあのアレスだぞ?団長いなくなってただでさえガッタガタの今無茶するわけもねぇだろ!ただでさえアイ……。……あー、あの、こっそり団長探し歩いてるとか道に迷ったとかその辺だろ」
曖昧に言葉を途中から濁す先輩に、あんまりそこまでは考えてなかったんだなとアランはこっそり理解する。
アレスが帰ってこないと騒ぎになってからも、誰一人彼を探しにテントを出る者はいない。追うな探す必要はない持ち場に戻れと上から命じられてしまえば、団員達も心配とは別にただ従うしかない。
目の前の男もアレスを本気で心配していないわけではなく、恐らくはそう思い込んで現実逃避しているのだろうなとアランは思う。アレスの人間性については昨日今日の付き合いの自分達よりもディルギアの方が理解していることは間違いないが、現状についてはアランの方が遥かに把握できている。
しかし、あくまで彼らと同じくテント内にずっと籠っている筈の自分が、カラムと共有したプライド達との情報を彼らに漏出するわけにもいかない。
「…………にしても、皆アレスさんのこと慕ってますよねー。あの人もやっぱ結構長いんですか?」
「そりゃあいつはウチでも看板みたいなもんになったしな。一回開演しちまえば翌日からはあいつの演目見たさに毎日通う客も多い」
「長いんですか?」
「いや長くはねぇよ!うっせーなお前!!!まだ一年だ一年!!年歴だけなら下働き連中の中でも下だ!!」
質問に答えるまでしつこすぎるアランに、ディルギアも苛立ちが隠しきれない。
僅かに上体が前のめりになりながら唾を飛ぶほどの大声で叫ぶ。たった一年、という言葉にアランも今度はわずかに瞼が開かれた。
少なくとも自分の尺度なら集団に馴染むには充分な期間だが、それでも今の中間地点の地位を持つのは並大抵の努力ではない。ただ馴染んでいるのではなく、間違いなくそれなりの地位にいる。稼ぎ頭で、しかも特殊能力者という希少な存在である演者も理由にはなるが、目の前にいる上下関係に拘る男までアレスを受け入れているのも少し引っ掛かった。
こういう人間ほど、いつまでもアレスみたいな新入りを〝才能だけ〟と目の仇にして偉そうな口を叩かせたくないのが常である。
しかし、自分の目の前でアレスと話していた彼を思い返しても、口は悪いがやはり対等に近かった。
「アレスさんって、もともとどういう理由でウチに?団長が勧誘したとか??その前は何やってたんですか?」
「………………」
ディルギアさんなら知ってますよね?と、古株である男に今度は声を抑えて尋ねる。
あくまでアレスの個人的な情報を尋ねる上で、今度はアランも周囲に聞かれないように配慮して声を落とした。しかし、今度は尋ねられた側も口を閉ざす。貝のように口を合わせたままアランから目も逸らした。
ついさっき手を止めた筈のダンバルを再び腰を落として持ち直し、わざとらしくゆっくり呼吸法から初めて構え、また上下運動を繰り返す。アランからも同じ質問をもう一度繰り返したが、それも聞こえないかのように無視された。
首を傾げるアランに、ディルギアは眉の間に力を込めたまま顔も向けない。団員の過去については同じサーカス団員でも容易に話すことは避けているものが多い。アレスについてもそうである。
沈黙がそのまま問いへの返事でありアレスの過去そのものであると言葉以外の全てで示す男に、アランは首を大袈裟なほど大きく横に傾けそれからくるりと踵を返した。
流石にこの沈黙には空気の読めないアランも察したかと、ディルギアは気付かれないようにほっと胸を撫でおろし
「ディルギアさんの演目やっぱ楽しそうだからやってみたいなー」
ハァ?!!!と、直後には本人すら驚くほどの素っ頓狂な声が響き渡った。
顔ごと逸らしていたアランの方へ反射的に目を向ければ、向かう先には自分の演目用の重量用具が並べられた棚がある。そしてその中の一つを自分はアランに軽々と持ち上げられた上で「もっと重い方がウケるんじゃ」とダメ出しもどきを受けた後である。
おいおい待てやめろ何言ってんだと!早口で少し噛みかけながら慌ててダンベルを下ろしアランを追いかける。しかし待ったの声も構わずアランはむしろそれを合図のように一気に駆け出した。ひょいひょいと段差も気にせず昇りつめ、やはり見かけのわりには軽い巨大なバーベルを掴む。
自分の大事な商売道具であることを抜いても、ディルギアにとっては尤もアランには触れられて欲しくない物体である。
客の前では少々大袈裟に演じつつも自分が渾身の力で両腕と全身で持ち上げ掲げ喝采を受けるそれを、アランには「もっと」と言われたのが今も耳からへばりついて離れない。
やめろ下ろせお前は違う演目だろと大声を上げながら駆け寄る間、アランは奥歯に力を込めつつそれを〝片腕〟で持ち上げて見せた。流石に片手ではアランでも辛い重さだが、持てなくはない。
その様子に、悪夢でも見ているように男は顎が外れてしまう。見間違いだ、あれは二番目に重い方だろいや三番目だなと自分の頭に言い訳するが、現実は残酷だった。
「俺もやっぱディルギアさんの下に付いて良いか聞いてみて良いですか?なんなら俺、これ担いだディルギアさん〝を〟持ち上げられるようにがんばって鍛えますよ!」
「や!!め!!ろ!!お前は空中ブランコ気に入ったんだろ!!!大人しくクルクルしてろ!!」
「いやいけますって。ラルクさん、でしたっけ?あの人も客を集められるならなんでも良いって言ってましたし。わかりやすく古株のディルギアさんより使えるって思ってもらえたら、アレスさんについてもあの人に教えて貰えるかも」
「もうわかった!!教えてやるから!!!だからそれ置け!!そしてブランコに帰れ!!!!」
ゼェ、ハ、ハァ、と最後まで吐き切った時には肩の動きは大きくそして呼吸は小刻みだった。
先輩の怒鳴りを背中で聞きながら、振り返らないままアランはニヤリとしたり顔で笑う。よっしゃ!を心の中で叫びながら、敢えて顔は見せない。そっと壊さないように慎重に巨大なバーベルを下ろしながら、思ったより手っ取り早くいったと思う。
アラン自身、騎士団で上下関係には厳しくない。後輩に怒られても部下に反対されても不快には思わないし、先輩や上官に対しても任務外であれば大概は物怖じしない。気に入れられるよりも前に酒を酌み交わして仲良くなる方が早い。
が、それもあくまで〝自分の周り〟だけである。
新兵の頃から上官や先輩の指示には従い、任務中も自分勝手な行動はせずあくまで命令通りそして許可と任務の範囲内で動く。
騎士団に性格に難のある先人がごく一部の隊を覗きいなかったこともあるが、それでも上の人間を舐めるような態度は決して取らない。
ディルギアに対しても本来ならば勝手に商売道具に触れようとすらしない。わざとお株を奪うと仄めかすなどもってのほかである。ある程度先輩を立てることも、自分の能力を勝手に、そしてあからさまにひけらかすことが無礼であることもアランは当然知っている。むしろそういった配慮ができなければ、一番隊ではなく八番隊に所属させられている。
しかし今はあくまで情報収集の為の潜入〝任務〟
一生サーカス団に所属する気などなければ、情報を引き出しやすくなるなら敵対とは言わずとも脅威くらいに思われていて良いとアランは思う。どうせ短期間でいなくなる存在だ。ちょっと嫌われているくらいの方が寧ろ去りやすい。
正体を隠している今、大事なのはサーカス団に馴染むことではなくあくまで情報収集と動きやすい環境にすること。その為なら多少嫌な人間と思われても良いから口を割らせやすい役回りになりたい。
もともと騎士団としてこういった潜入任務も初めてではないアランは割りきりもできていた。サーカス団に罪がない以上は本気で迷惑にならない程度で、彼らの間を行き交い情報を引き出しやすいように細工の一つや二つはする。本当の先輩や上官のように敬い振舞う必要はない。
何故上下関係に厳しい相手をあてがわれたのかは今もあんまりわからないアランだが、しかし結果として自分が情報を聞きやすい相手を得られたと今も思う。古株でサーカス団にも詳しく、しかも自分の立場と虚栄心の為にならこのくらいのことで口を割ってくれる相手だ。
「それでそれで?アレスさんって結局なんなんですか?」
「……来い。もっと近くに。良いか?絶対俺から聞いたって人には言うなよ?」