〈書籍9巻発売決定‼︎・感謝話〉一番隊副騎士隊長の夢見は。
この度、ラス為書籍9巻の書籍発売と発売日が決定致しました。
感謝を込めて、書き下ろさせて頂きます。
時間軸は「我儘王女と旅支度」あたりです。
『…………こっ…………………そ……!』
目を開けているか、閉じているのかわからない。
夢の中に入る直前のような光景に、暫くはじっと口を閉じ身を固くした。
瞬きを繰り返してようやく、視界の先が真っ暗なのだと気付く。それでも寝ぼけているのか、夢の中かなと思ってそのまま眺め続けた。
いつの間にか立ち尽くしている自分に気付くのは、首ごと動かし見回してからだ。自分の両手と、そして足下がくっきり見えたことにまず驚く。
真っ暗だと思ったのに、自分の身体だけはくっきり見える。その違和感に気付いたのなら、これは夢ではなく現実かもしれない。夢の中ならこんなことで変だなんて滅多に気付かない。
見渡す限り一面が黒色に塗る潰されている視界に、どこかに閉じ込められてるのかと両手や足を前に出してみたけれどぶつかるような物もなかった。罠の可能性も考えて、一歩も動かず剣を取る。誰かを斬りつけないように、鞘に収めた状態で剣を周囲に振るってみた。腕よりも先の範囲にもかかわらず、やっぱり何にもぶつからない。カンッ、と音を唯一鳴らしたのは壁でも天井でもなく、足下だ。固い感触と反響音に地面ではなく人工物の床かと見当づける。……なら、やっぱり閉じ込められたのか。
目覚める前の記憶も、妙にぼやけている。確かいつもの演習所使用後にきちんと戸締まりもして、騎士館に戻ろうと…………思ったところまでは覚えている。まさか奇襲でも受けて夢でも見てるのか、それとも特殊能力者の仕業か。騎士団の演習場で襲ってきたならかなりの手練れだろう。
他に被害者がいなければ良いけどと、最悪の事態から考える。
俺一人なら大した騒ぎにはならないだろうけど、仮にも隊長格が奇襲成功されたなら他の本隊騎士も襲われている可能性もある。そこまで考えれば、早くこの状態から抜けないといけない。
まだ、物理的に閉じ込められているのか、それとも精神系の特殊能力なのかもわからない。
剣は、ある。鞘から一度抜いてみれば、ちゃんと刃もついていた。更に銃も全て揃っているのを確認する。自分の身体だけじゃなく、服も所有品も全て目視できるのはやっぱり特殊能力の類が強いと考えながらも安堵する。物理的に閉じ込められて大事な銃も剣も奪われていたら、そっちの方が困る。
「……誰かいるか?!聞こえるなら返事をしてくれ!」
ひと息吐いてから、試しに周辺へ声を張り呼びかける。
敵か、味方か、被害者か。そのどれかがいればと思ったけど、俺の声が薄くぼやんと反響する程度で、目を閉じ耳を澄ませても反応はこない。
気配も感じられず、少なくとも被害者はいないだろうと仮定して銃を抜く。気を失っている可能性も鑑みて、天井に向けて銃を撃つ。パァンッパァンッと二度撃っても、やはり誰からも反応は返ってこなかった。それどころか弾の手応えもなく、信じられないことに弾の方が宙で力尽きて振ってきたらしい。真っ暗の中で弾は見えないけれど、カランカランと遅れて響いたからきっと弾だ。
天井がないのか、それとも頑丈で音を吸収する素材なのか、まさか銃じゃ届かないほとの高さなのか。もうここまで来ると、いっそ夢を見せられているだけの方が良い。こんなふざけた場所に閉じ込められた方が面倒だ。
一歩、一歩靴先で罠の有無を確かめながら正面に進む。弾の数も限られている上、視界も閉ざされている以上無駄撃ちはもうできない。
銃をしまい、剣を抜いて身構えながら進むことにする。
方向感覚も狂う空間で、なるべく真っ直ぐを意識する為に足もとに集中して進む。三歩進むごとに呼びかけるけれど、返事はない。銃声も響かせたんだからこれでも起きない奴はあまりいないだろう。
呼びかける内容が問題なのかと、試しに「何か要求でもあるのか!」「どういうつもりだ!」と声を上げてみたけれど、それでも返事はなかった。騎士を狙ってにしてはたった一人の騎士に大がかり過ぎる。
まさか一番隊か、近衛騎士に恨みを持つ相手かとも考えたけれど、なら武器も奪わないのもおかしい。暗闇の中に閉じ込めて苦しめるのが目的なら、もっと見えない場所で呼びかけるなりこっちを刺激してくる筈なのにそれもない。
騎士として、恥ずべきことをした憶えはない。けれど、騎士だからこそ逆恨みされる覚えは充分ある。
ここまで大がかりで頭のおかしい監禁をしてくるなら、せめて標的は俺一人であってくれと思う。アラン隊長ならきっとここまで苦労しないで壁まで到達さえすれば、壁を破壊して進むだろうけれど。
そんなことを考えながら歩を進めれば、疲労とは関係なく冷や汗が滲んできた。……広過ぎる。これから他の人間を閉じ込める予定ならともかく、もうざっと三十メートルは歩いているのに全くつきあたらない。特殊能力じゃないなら、いっそ死んだと思う方が納得いくかもしれない。
『……っち………!…………にな……!』
「?誰かいるのか!!」
うっすらと、確かに鼓膜に引っかかった。人の声に、迷わず声を上げ問いかける。
さっきまでは気配の欠片もなかった空間で、進行方向の更に先から聞こえた声に俺は足を速めた。足が伸びるよりも先の空間に剣を構えながら、速度を出す。
声はまばらに聞こえるけれど、返事らしい応答じゃない。こっちに気付いていないのか、それとも混乱してまともに話せない状態なのか、一方的な抑揚だった。助けを求めているなら怪我か、体調不良の可能性もある。「今行く!」と告げながら、周囲の気配へ意識を研ぎ澄ましつつ急いだ。
俺が呼びかけても、足音を立てるほど地面を蹴っても、向こうからの呼びかけに変化はない。ただ、少しずつ声に近付いたのは声量の変化でわかる。
声のする方向へと目を凝らしていれば、キラッと一瞬だけど何か反射したように光って見えた。暗闇で、反射できる光源なんて無いにもかかわらず、光った先に俺も目の照準を合わせる。ちょうど声も聞こえる方向だ。
もしかしたらあの先に外に通じる何かがあるのかもしれない。
剣を握り直し、構えを新たに足を動かした。
足下と、剣先よりも先、そして反射の見えたその場所に注意しながら進みようやく辿り付いてから、構えを解いた。誰か、と呼びかけたけれど返事はない。相変わらず人の気配も壁も見当たらないままだけど、反射した物体の正体だけは確かめられた。
窓かと、最初に思う。
長高い枠組みがついて硝子が嵌められている。王族が所有しているような全身鏡にも見えるけれど、映すのは俺ではなく外だった。地面もあるし、空も見えるから間違いない。
もう夕焼けが見えたことが少し目を開く。目が覚めてから、結構時間が経っていたらしい。まずい、演習と近衛にはとりあえず遅刻した。
副隊長の俺が不在だと、騒ぎにはなっただろう。プライド様にあまり御心配をかけていなければ良いんだけれど。
アラン隊長なら遅くても朝食には間に合う時間に脱出できただろうと思うと口の中が苦くなる。
とりあえず外に繋がっているなら、窓を割るしかない。剣を鞘に戻し、再び鞘ごと手に
『こっちだこっち!そっちには並べるな!』
急な気配と聞こえた声に、割るより前に窓枠から身を引き死角の位置に隠れる。
さっきの声の連中か、逃げるとしても一度正体や手がかりを得てから逃げた方が良い。武器は奪われていないけど、こいつらが去った後の方が逃げやすいのも間違いない。人を呼ばれたら面倒だ。ただでさえ、今呼びかける声の主以外にもこっちに近付いている気配が複数ある。
息を潜め、耳を立てながら窓の向こうに意識を集中する。ガラガラと荷車のような音と複数の足音。カチャカチャと武器を携帯しているのだろう金属音も紛れて聞こえてくる。
握っていた剣から手を離し、音を立てないように銃に持ち返る。窓を割るのにも、相手を牽制するにも銃の方が都合が良い。相手も武器を持っているなら飛び道具で応戦される可能性も充分ある。
窓枠の側面に身を潜めながら姿勢を低くする。銃弾の残りを確かめ、安全装置を外した。
積み荷を運んでいるのか、どさりどさりと鈍い音が聞こえる。下っ端か、それとも取引なのかと考えながら音だけでも情報を拾う。
ハァ、と男の溜息が聞こえた。
『……これで最後か?』
『そう聞いた。……良い意味じゃないけどな』
『限界はある』
『決まったのならば仕方ありません。自分の上官はとうとう見つかりませんでした』
そうか、残念だったな、お前のせいじゃない。そう、慰めるような声が続けて掛けられる。
何か盗品の相談でもしているのかと思ったけど、それにしては空気が重い。しかも互いを労い合う感情の籠もった声は、裏家業同士ではあまり聞かないやり取りだ。最後には「上官」とその言葉で思わず眉が寄った。裏家業で、そんな呼び方するような組織はあるか?奴隷商人や大規模な組織でも「首領」や「幹部」という呼び方はあっても上官なんで呼ぶ組織はあまり聞いたことがない。革命でもするつもりの大組織か、とそう考えれば少しは納得できた。フリージアの騎士団を狙うのも、何か目論見でもあるのかと汗が滲
『おかえり』
「ッ?!…………?」
どくん、と。急に気持ち悪く脈立った心臓を押さえ、口を結ぶ。
たった一回の動悸が余韻のように身体の内側に広がる感覚に、引き金に指を掛けたまま銃の側面を胸へ強く押しつけた。さっきまで緊張時の汗なんか比べものにならないほど、全身から汗が噴き出してくる。ぞくぞくぞくっと直接なぞられたような悪寒が駆け抜けて息が止まった。なんだ?なんで今、何が起きた??
まるで、呼びかけられたように聞こえた。だけど、俺の存在に気付いたとは思えない。その証拠に、言葉を放っただろう男達は平均的は歩調で何事もなかったかのように足音が遠退いた。「行くか」「お前は誰にする?」となんてことのない会話をしながら去って行った。それなのに、たかが簡単な呼びかけなのに、酷く胸が騒いだ。ドッドッドッと、銃身越しにも動機が伝わってきて、声が漏れないように意識的に歯を食い縛る。
違う、違う、違うと、自分でも何を違うと言いたいのかわからないままその言葉がふつふつと沸いてくる。
もう、気配は遠退いた後なのにそれでも動けない。頭では、もう一度窓の向こうを確かめる、窓を割って飛び出すと次にすべき行動がわかるのに、身体が拒絶するように動かない。まさか今の呼びかけが何かしらの特殊能力だったのか?と疑いながら、触れられてもいないのにどうやったかもわからない。
呼吸を整え、動機が静まるか身体が動くのを待っている間にも、また足音が聞こえてきた。さっきとは別の奴らだろう、歩調も、そして声も人数も、そして立ち止まった位置も微妙に違う。
『……この辺は、まだ救いようがあるな』
『別人の一部も混ざってる可能性もある。……が、それでも帰る場所がわかったのは幸いだ』
『先行部隊なんか、団服のお陰でいない奴は〝いない〟ってわかるから辛いもんだ』
『新兵だって同じだ。……それでも、大体が特定できたのは総勢でも数十人にまで減っていたからこそだな。昔みたいに、一隊分ならとても無理だった』
先行部隊?団服?新兵??
ドッドッドッドッと心臓の脈打つ音がまた大きくなる。脈の数のせいで呼吸まで勝手に荒くなり、左手の平で口を覆い押さえる。何を言っている?何者だ彼らは。
どう考えても民間組織で使うような言葉じゃない。騎士団??一体どこの国の、どれほどの規模なんだ。まさか、今俺は異国にいるのかとまで考える。
まだ話している彼らの会話を聞きながら、今窓を覗けばある程度は特定できる可能性はあると考える。団服はその国によって異なる。俺の記憶だけでわからなくても、特徴さえ覚えていればフリージアに帰還した後に特定できる可能性は高い。
心臓の気味悪さを感じながら、今度こそと窓の枠に左手を伸ばし、指先だけ引っかける。顔を、……覗かせようとして足が動かない。
ッなんでだ、この程度のことで今更怖じけてどうする?!
クソッと口の中で悪態を吐けば「あっちは」「間違いない連中だ」と足音がまた別方向に遠退いていくのを聞く。
まずい、姿が見えない位置まで去られた方が今は困る。仕方なく動かない足の代わりに引っかけた指と腕の力で、上半身を無理矢理窓枠へ引っ張り上げた。あくまで慎重に、気付かれないようにと窓の向こうへと覗かせれば
「…………嘘だろ」
見覚えがある、なんてものじゃなかった。
純白の団服。装備品も上着も紋章も全てが間違いない、今俺が身に纏っているものと同じ騎士団の団服だった。
思わず零れた声に、窓の向こうの騎士は気付かない。暗い表情で語り合いながら、窓の向こうへと消えていった。あまりに信じられない光景に、聴覚が死んだように数秒だけ会話が聞こえなかった。味方の筈の騎士相手に助けを呼ぶことも忘れた。
まさか騎士団に裏切り者がとも考え、そういえばさっきの騎士達は見覚えがあると遅れて気付く。一番隊ではない、他の隊の本隊騎士だ。……が、なんだろう。知ってるような気はするけど、憶えが無い。名前は出てくるけどその騎士達は本当に〝今そういう風貌だったか〟と考える。髪型とか、髭とか、古傷とか、最近見たものじゃなかったような。
指だけでなく腕も窓枠に引っかけ、完全に顔を出す。
騎士も去ったその光景は、最初に見た夕日と大差なかった。同時に、今になって気付いた光景に〝むしろ何故最初に気付かなかったんだ〟と思う。夕焼けなんかよりもずっと、気付く筈だったのに。
窓の向こうの風景は、異国なんてとんでもない。フリージア王国の騎士団演習場だった。
作戦会議室のある建物も端に見える。なんだ演習場だったのかと、安堵で息を吐く。ああそうだここは単なる騎士団演習場で、きっと俺はどこかに迷い込んだだけだった。さっきまで何を俺はやっていたんだ異国なんてどうして思ったのか最初から警戒し過ぎただけだっただけでこんなところにいつ窓ができたのかも知らなかっ
「死体袋」
思わず自分で溢れた言葉に、直後口の端が片方引き攣った。
「はっ……?!」と自分でも笑いたいのか怒りたいのかわからない。ただ、目の前の光景で、本来は一番最初に気付くべき、気づかないのがおかしいだった。騎士団演習場よりも、作戦会議室よりも荷馬車よりも、夕陽なんかよりも遥かにずっと。
硝子一枚先に見えるのは、夕暮れの騎士団演習場。作戦会議室を出てすぐのその位置に等間隔で並べられた死体袋の行列だった。
こんな数の死体、俺は見たことない。昔は結構な規模の死傷者が出たこともあると先輩に聞いたことはある。だが、奪還戦も終えた今、こんな犠牲が出るような戦の予定はない。一体何が起きたんだと、気付けば銃を叩きつけていた。
ガン!!と肩まで響くほどの衝撃に反し、まさかの窓はびくともしなかった。今度は意思を持ってもう一度、銃を振り上げ叩きつけたけどやはり割れない。傷一つない窓に、今度は銃口を突きつけ引き金を引いた。パンッッ!!と破裂するような音が響き確かに煙も吐いた銃だけど、……窓は割れなかった。銃弾だけが弾かれ床に落ちる。
銃でやったなら同じだと頭ではわかるのに、我慢できず肘でも打つ。
銃をしまい、剣を鞘ごと叩きつけ、それでも割れなかった。特殊能力製なのか、普通の硝子じゃない。
一体どうなってるのかと、頬の汗を手の甲で拭いながら考える。すると、また再び足音が近付いてきた。
ここだ、聞こえるかと。声を張り呼びかけながら窓を叩く。だが、歩いてくる騎士達は全く俺を見ない。俺に背中を向けて立ち止まり、並べられた死体袋を眺める。
『届けきれると思うか?』
『やるしかない。その為に一度出したんだ』
もう腐臭が出てる、作戦会議室に置いておくのも限界がある、手分せばいけると。言葉を続ける騎士もやっぱり知ってる騎士だ。名前もわかるその騎士達へ窓を叩き、呼びかけるが一人は名前が出てこなかった。
こんなに騒いでるのに何故届かないんだと、両膝を着いたまま思う。まだ、足は使い物にならないが、それもどうでも良い。声は届かないのに怖いほどよく聞こえる窓の先に集中する。
『アラン副隊長は身元確定した奴から早速馬車走らせたそうだ』
『故郷が地方の奴らだ。腐り切る前に帰してやりたかったんだろ』
『捜索作業も夜通しで殆ど休んでなかったろ?大丈夫かあいつ。まだ副隊長になったばかりだぞ』
副隊長、と。違和感を覚えたけれど、あまりわからない。名前の知る目の前の騎士が、妙に若く見える。ああそれよりも流石アラン隊長だな。昇進早々その行動力は流石としか言いようがない。俺はどうだったか、…………なんだったかな。どちらにせよアラン隊長と比べても仕方ないことだ。俺なんかとアラン隊長じゃ比べるのも失礼だ。一番隊どころか本隊騎士すら知らない俺が推し量れるわけもない。
「…………」
なんだろう。頭が霧がかるようにぼやけてる。目の前の光景が現実から遠すぎて理解しきれない。窓に手を付いたままただ聞くしかない。俺の知る騎士団で騎士の会話の筈なのに、なんだか現実感がない。膝から下の感覚だけじゃなく、手のひらの感覚も死んでくる。窓に手をついてるのか、それとも降ろしてるのかも見ないとわからない。
騎士が、死んだ。でも何故アラン隊長自らと疑問が浮かぶ。死体を届けるなら新兵か、もしくは十番隊か、衛兵に頼むこともできるだろう。遠方でも馬車で届けられる距離ならアラン隊長自ら行かずとも先行部隊に頼めば─……ああそうか、先行部隊も殉職したからか。…………?
先行部隊が、なんで。
『カラム、隊長なんて、……聞いたか?』
『知ってる。救護棟だろ。それが普通だ。……無理し過ぎだ』
『ハリソンみたいに副団長が帰還命令をしてくれなければ、あいつも現場でぶっ倒れてた』
今は副団長じゃなく騎士団長だ、と。騎士が指摘を受ける。
夜通しアランに付き合ってた、味方の死体も見過ぎだ、騎士であの数は初めてだろ、吐かなかっただけ立派だと、わけのわからない会話にそれでも少し目が覚めたように気が急く。倒れて救護棟なんてそれこそ大ごとだ。任務でも負傷を負うことが少ない人に、何があったのか。
おい!ともう一度呼びかけて拳を叩いたけど、やはり反応がない。ああでも今のは気が付かれなくて良かった。つい本隊騎士相手に言葉も整えないで叫んでしまった。どんな急務でもそんな無礼は許されない。……いや、でも今は俺が、……、……?
『誰から運ぶ?知り合いがいるなら選んでやれ』
『先行部隊ならまだしも新兵はな……。ああ、でもコイツは知ってる。確か貴族でファース家だったか。入団試験でも結構良い筋で.…、……俺はこいつにする』
『自分はこの方に。ベンさんには新兵の頃に本当に良くして頂きました。……いつか、任務を共にしたかったです」
騎士として。そう言って、また一人騎士が死体袋を丁重に抱えあげた。中の死体が多分形が殆ど残ってないんだろう。ぐちゃり、と人の形ではない方向に曲がる。
騎士がそれぞれ選んだ死体袋はどちらも子どもよりも小さい中身だと袋越しでもわかった。二人の騎士が抱えた後、残りの騎士が「俺はコイツだな」と死体袋をまた選ぶ。中身が誰なのかを示された表面にはハンネスと書かれていた。全員、俺が知ってる騎士だ。
本隊騎士の中でも、後処理や他の任務がある騎士も多いんだろう。手の空いている騎士が一人一体届ければ、先行部隊を入れても大した人的不足にはならない。
そういえばアラン隊長が以前に、自分の故郷は遠いから殉職しても帰れなくて良いやと笑いながら言っていた。アラン隊長の為なら一番隊でも先行部隊でも長期休暇を取ってでも動くでしょうと返したけど、……返した?俺がなんでアラン隊長と話すんだ。会話なんかしたこと殆どないだろう。さっきから頭がおかしい。
騎士がそれぞれ死体袋を抱え、また去っていく。他にも、並べられる死体袋を抱えて去る騎士が行き交う。縦長い窓じゃ全ては見渡せないけれど、恐らく身元特定の確定度合いで並べられてるんだろう。ちょうど俺が見えるのはあの大きさから考えて中間だろうか。まだ目の前の死体袋は、…………死体袋は。
〝エリック・ギルクリスト〟
「…………」
思考が止まる。上手く考えることができない。なんで俺がそこにいるんだと、悪い冗談だったらどれほど良いか。
声も出ず、あんなに煩かった心臓がいつの間にか静かだった。まるで止まってるかのようで、身体も頭も〝おかしいと思ってない〟んだと理解する。瞬きの仕方もわからないまま瞼だけが痙攣し続けた。
死体袋の膨らみから、置かれてる時点で揃ってないんだろうとわかってしまう。中身が、本当に俺かもわからない。新兵は武器や装具品も少ない。貴族なら家紋の入った武器や私物を持っている場合は多い。騎士の家系でも持つ騎士はいる。
けど、ただでさえ新兵だ。本隊騎士になったら自前で買う武器や装具も増えるし、自分の物だとわかるように印を付ける騎士もいる。だけど新兵は、騎士団から支給された物で済ます騎士が多い。俺もそうだ。一体どうやってこれが俺だと判断されたのかもわからない。あんな死に方で、頭も潰れていただろう。特徴的な傷があるわけでも、髪や眼球の色が珍しくもない。身体つきだって平均的だ。
こうなるんだったら、何か一つでもそれらしい物を持っておくんだったと思う。本隊騎士になってからで良い、新兵で買うなんて無駄遣いだと思った。
『確かこの辺の新兵に、城下出身者が集中していたかと……』
また、騎士が通る。三人は通り過ぎ、先頭を歩いていた二人は足を止めた。
通り過ぎた騎士も含めて全員名前を知ってる、筈なのに殆ど浮かばない。知ってるのに気持ち悪いくらい出てこない。むしろなんで俺が、こんなに本隊騎士の名前を知ってるんだ。……いや、でもこの人は覚えてる方が普通だろ。新兵だからって、騎士隊長の名前くらいは覚えてる。
『そうかエリックもか……。こうして見ると城下出身者もわりといたもんだなぁ。国中で憧れの騎士団っつっても、城下からの割合は新兵も本隊騎士も似たようなもんか』
溜息混じりにしゃがむ騎士隊長が、迷いなく死体袋を開いた音がした。
騎士の背中に隠れて俺からは見えないけど、本当にこういうことも躊躇わない人だなと今はどこか安心する。あんな大きさの死体、本隊騎士でも気軽に見れるものじゃない。俺のを開いた後、次々と手の届く距離の死体袋を同じように開いてはまた閉じる。最後にまた大きな溜息を吐いた騎士隊長は、案内した騎士に「おい」と振り返った。
『本当にこいつら本人なんだろうなあ?こんな状態を家族が見て、別人だったら地面に額擦りつける程度じゃすまねぇぞ。判定理由は?」
それだけ損傷の酷い死体だったのか。隊長の問いに姿勢を正す騎士は「間違いありません」と一つ一つの死体袋を示して説明した。残された毛髪の色、眼球、傷、装飾品や私物。俺の場合は、補給係の装具で判断されたらしい。他にも補給係はいたけど、そっちは物品で別人と判断された。補給係……そういえばそうだった。あの時も確か騎士団長に、……っ?!
思った瞬間、今度は吐き気が込み上げた。器官から喉の手前まで胃液が逆流する感覚に片手で口を覆い押さえる。駄目だその先を思い出したら今はまずい。
『よーし城下出身者の新兵で身元確定者は全員荷馬車に運べ。こっちは城下から出るほど暇じゃねぇんだ。俺ァ近場で済ますぞ近場で』
『全員、ですか……?!副団長からは一人一体で充分だと……!』
『誰が俺一人でって言った?二番隊ー!まだ遺体返却してねぇ奴全員ついて来い!!俺らは王族じゃねぇんだ!城下にいる身内にぐらい誠意みせねぇでどうする!!』
もう運ばれた新兵達の家にも回るぞ、と。そう続ける隊長に、各方向から騎士の発声が聞こえる。二番隊だけじゃない、他の隊の騎士まで声を上げ、一斉に動き出す。本当に、こういうのが隊長格なんだと思う。
次々と運ばれる死体袋の中、隊長が〝俺を〟抱える。
俺のことなんか大して覚えてなかっただろうに、それでも運んでくれることに感謝する。あの大きさなら三つは運べるだろう人が、死体袋一つだけを抱えて歩き出した。ただの荷袋じゃない、その扱いで遺体なのだと思い知る。………………俺の。
瞬間、ふらりと大きく視界が眩んだ。頭を押さえながら、何が起きているのかわからず膝から上も崩れ、座り込む。なんで俺、この光景がわかるんだ?こんな甚大な騎士団の被害見たことない、新兵がみんな死ぬなんて知らない筈なのに、目の前に自分がいてどうしてこんなに現実だと思うんだ??
俺が、死んでる。そんなわけない、今俺がここにいるのに。夢に決まってると、そう窓に拳を叩きつけながら自分へ言い聞かす。……言い聞かすしか、できない。
死んでる、わけがない。認めたくない。けど、こんなにこの光景を理解できるのは何故だ?
グラングランと視界から脳まで揺れ、回る。目を閉じても回ってる感覚が続く、酔うように窓のない方向を見ても吐き気が込み上げた。呼吸がひどく浅い。吸い上げても吸い上げても、肺が潰れたかのように膨らまない。ああそうだ潰れたんだ。
「違う、違う、夢だ、やめろ、やめろ………ゆッ………っ!」
声に出さないと、どうにかなりそうなほど頭も視界もグラつく。口の中を噛んでも治らない。こんなの現実なわけがない、夢に決まってると思いながら、……寧ろ今までが出来過ぎた夢だったんじゃないかと、どこか冷たい部分が思う。
まさかそんなと考えた途端、頭が鉛のように重くなる。いつの間にか上体までもが床に引っ張られてるかのように近付いていた。
身体が、上も下も自由が効かない。まるで見えない何かに潰されてるかのように床と一体になる。これじゃあ窓の向こうが見えないと、思った瞬間「見たくない」と思う。目を覆い耳を塞ぎ情報を遮断しないと俺の頭がおかしくなる。
死体を運ぶ、音がする。窓の外から聞こえるのか、俺の頭の中から聞こえるのかもわからない。嗚呼……本当にこれが夢だったら良かったのに。
手に、力が入らなくなる。感覚だけじゃない、指先まで神経が切られたようにボトリボトリと覆う耳から床に落ちていく。
瞼と違い、強制的に耳から聞きたく情報が流れ込む。
『騎士団長殉職で城下は不安定だがくれぐれも箝口令は守れ!』
『女王から罰せられるのは私達ではなくクラーク騎士団長であることを忘れるな……!」
夢だ、と思いたくて仕方がない。
クラーク騎士団長という言葉に、……順当に騎士団長を継いだんだなと思う。誰も異議を唱える騎士はいないだろう。
それでも、きっと誰もがロデリック騎士団長がいればと思ってる。あの時俺が動ければ、きっとこの光景も変わっていた。不思議と何度も見たような気がする。どこで見たのか、何度見たのか、……誰にも見せちゃ駄目だった。
─ 夢を見た、何十何百も同じ夢だった。
子どもの頃から憧れた、立派な騎士になりたいと。
夢に見ては目が覚めて自分には無理なんだと、現実が刺さっては俯いた。夢を見るようになったのはいつからか、現実を知るようになったのはいつからか、見た夢に落ち込むようになったのはいつからか。……諦めがついたのはいつからか。
声が、でない。目を閉じて暗闇なのに黒と白で明滅する。眉間が強張り過ぎて痛みが走る。手も足も神経どころか俺のものじゃないかのようにもうべったりと動かない。床に突っ伏したまま、鉛の頭を首が釣り上げられない。足音が死体袋を持ち上げ荷馬車が去っていく音を聞きながら〝俺〟も今頃運ばれてるんだなと理解する。
諦めれば、良かった。
新兵で満足して、そのくせ新兵でいることは諦められなかった。実力も才能もないとわかった時点で騎士団から去るべきだった。
そうすればあの時騎士団長の傍にいるのも俺なんかじゃなかった。いつか本隊騎士になれるような選ばれた人が動いて、それだけでも事態は変わってた。諦めればあんな事態も招かなかったし、こんな死に方だってしなかった。……こんな悲しませるような死に方、せずに済んだ。
死ぬ覚悟はあっても遺す覚悟がなかった俺は、目指すこと自体が間違いだった。
─夢を見た、何十何百も未練がましい夢だった。
身体が、重い。まるで潰されてるかのように床から離れない。手をつくどころか拳すら握れず、前を見るどころか顔を上げることもできない。べったりと、まるで野晒しの死体だと、……どうせならもっと早く死んどくんだったと胸が痛んだ。
何年も何年も騎士になりたい諦めない目指していると言い続け、それ以外の選択肢に背を向けた。家族に迷惑かけて負担をかけて、最後は悲しませるだけの選択肢に固執した。
騎士を目指した長男がこんな死に方で、キースやロベルトはどう思うか。父さん母さんも悲しませて、おじいちゃんおばあちゃんに長生きしてと言いながら俺の方が先に死ぬなんて不孝どころの話じゃない。
せっかく入団まで支えて貰ったのに、こんな形で終わるなんて想像もしなかった。何も返せてない。何も、ただ迷惑かけて最悪でつまらない死に方して終わっただけだ。いくら騎士として死ぬ覚悟はがあったからってこんなにすぐ、新兵の間に死ぬなんて──……いや、あったか?本当に。
─ 夢を見た、死を恐れない立派な騎士になれた夢だった。
死を恐れないのと、自棄は違う。覚悟も恐れなかったわけでもなく、放棄した。
騎士団長を庇う勇気も判断力もなかった分際で、最後の最後は生き抜く覚悟も持ち合わせなかった。騎士団長を庇えなかった責任も、仲間を死なせた責任も、何もできなかった責任も、襲撃犯の情報を持ち帰る意思も、何一つ背負わずに立ち止まった。
最後まで生き抜く努力もできずに足を止めた俺は、騎士見習いとして弔ってもらう価値すらない。そうだ、騎士になんかなるべきじゃなかった。騎士団の為に、家族の為に、民の為に〝なっちゃいけなかった〟。
一人の非力で無力で足手纏いで迷いで判断違いで、大勢の仲間や民を死なせると頭でわかったつもりで何も理解していなかった。運良く城下に生まれて運良く平均的に余裕のある家に生まれて騎士に憧れただけでいつかはなれると信じられたような生温い環境と生半可な覚悟と憧るだけの男が何を夢に見た?所詮は夢で、憧れで終わればこんな凄惨な事故は招かなかった。
俺なんか騎士になれるわけないと力不足も才能も思い知った分際で。平凡で特殊能力もない何一つ特出した才能を持たない俺が本隊騎士なんて特別な存在になれると思い上がったこと自体が間違いだった。騎士団長を守れず仲間も守れず最後の最後に騎士団も誇りも全てを放棄した俺は騎士を志すべきじゃなかった。何もできない役立たない取り柄も価値も力も知恵も何も誇れないこの俺が
『見限らないでくれてありがとう』
「───────ッッ……?!」
閉じた視界にバチリと、光が走った。
呼吸が通る感覚に、一体どれだけ止めてたのかと思うほど大きく胸も肩も上下する。ゼェ、ハァッと肺からの息が音になる。
ゲホッゲホッと咳込み拳を握り、床に叩きつけながら突っ伏す上体ごと顔を起こす。強く叩きつけた所為で骨に響いた感覚が前腕まで伝わった。急に目が覚めたように頭がはっきりして、回る。…………なんで、忘れていた?
あんなに、あんなに誇れていた唯一を。
─ 夢を見た、立派な騎士になって民を守る自身の姿を。
「ハッ……ァッ……っ、……っっ……」
忘れるな、誇れと。俺自身に叱咤する。誇れるものがないだと?ふざけてる。あの言葉を俺が軽んじるなんてたとえ死んでも許さない。
あの時の言葉も、誇りも、称号も一生捨てない、俺だけのものだ。
ダンッッ!!ともう一度拳で床を叩く。滝のような汗が全身から吹き出し、熱を放出する。途端に一瞬、信じられないほど怖気が背筋を走り抜け思わず息が詰まった。指先から足先まで神経が今繋がった感覚にチクチクとした痛みが隅々にまで広がった。足が、動く。
─ 夢を見た、誰へよりも自分自身に誇れる騎士になる日を。
「……ッ……っ……っっ……れ、のだっ……お、……のだ……俺の、だッ……!!」
何もないなんて、もう言わない。
あの誇りを得るまでに支払った。死ぬ覚悟も殺される覚悟も離れない覚悟も泣く覚悟も痛みも代償全て俺が払った俺が決めた俺のものだ。何一つ取り柄のないこの俺の誇りを、なかったことになんかするものか!!
瞼を、限界まで見開いた。何もない塗られた黒の視界に、雫が散った。
血が滲むほど叩きつけた拳が両方とも震えてた。「ッアア゛!!」と喉を張り上げ、吠える。歯を剥き、一度二度と繰り返しまた叩きつけた。鉛のような頭を持ち上げ、全身の感覚が戻ると同時に膝を突き、片足を立て踏み鳴らす。たかが片膝をついた体勢が、水からあがってきた後のように重く、息苦しい。まるで、暫く機能が止まっていたんじゃないかと思うほど心臓がけたたましく働き出すのが耳の奥から鈍く伝わった。ああ駄目だ、こんなところで膝を折る場合じゃないだろう!!
丸まる背中を反るほど伸ばし、手を窓につく。垂れた首で俯いた頭を歯を食い縛り、上げた。見開いた先で、窓の先には死体袋がもう一つもなかった。幻覚じゃない、ただ回収されただけだ。…………ッどうでも良い……!!
─夢を見た、あの人にいつか辿り着く日を。
「ッふざけた夢だ……!!」
それとも特殊能力か、もうどちらでも良い。
なんでこんな映像を、現実だと思い込んでいた?なんで納得できていた?俺は何を考えていた?
ガン!と、今度は窓に拳を叩きつける。その瞬間、バリバリと亀裂が走った。窓なんかじゃない。騎士団演習場にこんな窓も硝子もない!!
やっぱり特殊能力か。さっきまで銃弾も弾いた硝子がこんな拳で割れるわけがない。映像と同じ偽物だ。騎士団長が死んだ?俺も新兵も、崖崩落で騎士団に死者はいない!!
─ 夢を見た、あの人のお役に立てる日を。
─ 夢を見たあの人へ誇れる騎士になれる日を。
─ 夢を見たッもう二度と守りたい人へ躊躇わない未来を!!
「今はもう夢じゃないッ……!!」
硝子の先に宣言し、食い縛った歯の隙間から荒い息が吹き抜けた。
圧迫された余韻がまだ抜けない。フーッフーッと呼吸が整うのも待たず、銃を抜く。装填された弾も確かめず、確信と共に安全装置を外し銃口を硝子へと突きつけた。
自分の目線より高い位置へ押しやればガリッと窓の亀裂からそれだけで硝子の破片が削れて落ちる。今になって脆くなった理由はわからない。だがこんなこと過去も未来もあり得ない、あるわけがない!俺達が許さない!!
プライド様も、民も国も守るべき全てを守り通すのが、騎士団だ。もう二度とあんな地獄は起こさせない!!
騎士団長も新兵も先行部隊も、死ななかった!死なせずに済んだから俺は今も騎士でいる!!
身体中の血流が目まぐるしく巡る中、雷を浴びるような感覚と共に深紅の銃へ引き金に指をかけた。
あの日、誰も死んでいない。運ぶべき死体袋が一つもなかった、喪失に泣かせる遺族は一人もいなかった。あの日死んだのは襲ってきた奇襲者達と
「ッ諦めるのを許せてた俺自身だ……!!」
ダァンッッ!!!!
撃ち抜いた瞬間、銃身の紋章が夕陽に反射した。
硝子が舞うのも構わず見開いた中、その破片のどれもが身体に刺さることなく透け抜けた。撃ち放った瞬間に一枚硝子全てが破裂するように散る。
硝子が散らばる先にはもう何の景色もなく、騎士団演習場もない黒に塗りつぶされた後だけだった。呼吸が酷く大量に通り、頭に空気が回りきった感覚で逆にまたフラつく。
あんなに憎かった硝子が、光の一つもない世界で反射するように光る光景が綺麗だと、どこか遠くなった思考が思う。
重く鈍く疎ましかったほどの胸の奥が、ふっと軽くなる。何もないただの枠組みを眺めながらも湧いてきた感覚に不思議と口元が笑んだ。せっかく開いた目がまた重く、視界が黒塗りのまま遠くなって、後ろに倒れ込む。それでも指を掛けたままの銃は死んでも離さない。
薄くなる視界で目だけを動かせば、銃身の金細工文字はまだ輝いていた。
〝我が心優しき近衛騎士〟
この文字こそが、何より綺麗だと。
そう思いながら俺は最後に自分の意思で目を閉じた。理由は、諦めでも放棄でもない。
胸に灯った〝決別〟だった。
……
…
「どうしたエリック、疲れ溜まってんのか?」
すみません……、と返しながらも苦笑いしてしまう。
早朝演習を終えて食堂に向かうところで、アラン隊長に背中を叩かれた。うっかり欠伸をしてるだけじゃなく背中まで丸まっていたんだとそこで気付く。
多分、一回でアラン隊長が決めつけるとも思えないから、早朝演習中も何度か欠伸を気付かれてたんだろうなと思う。演習自体に手を抜いたつもりはないけど、終わった途端に姿勢まで崩すのは少し弛みすぎだった。
演習中に注意するのが普通なのに、敢えて終わってから言ってくれたのは気を遣ってくれたのかもしれない。
そのまま俺に並んで歩くアラン隊長は、相変わらずの元気さだ。昨夜も遅くまで飲み会してた筈なんだけど。
「俺らは久々の遠征だったしな〜!疲れたんなら午後の近衛と変わってやろうか?」
「いえ、大丈夫です……。……少々夢見が悪くて、まだ後を引いてるのかもしれません……」
あはは……と枯れた笑いを溢しながら頭を掻く。アラン隊長から「夢見??」と意外そうに眉を上げられたから、今回の遠征任務とは関係ないとだけ断る。
お陰で朝起きたら酷く身体が重くて怠かった。目覚めの時は今よりも鮮明に覚えてて、ベッドから起きれないままに装備してる銃の弾数を確かめた。……今思えばその時点で大分混乱していた。
寝る前に弾は一度全部抜いてるし、もし残っていても部屋の中で撃つわけもない。大体夢の中では自室じゃなくて、外とも中とも言えない別空間だった。
八年前の崖崩落での最悪な事態が招いた事後処理の夢。
崖崩落の時の夢は、今までも何度か見ては魘されたこともある。当時の過去と殆ど変わりない夢もあれば、俺も新兵も死んだ夢も、騎士団長が崩落に飲まれた夢も、奇襲者達に殺される夢もみた。あの騎士団奇襲の生き残りのヴァルと配達人として顔を合わせるようになってからは一回か二回、騎士団長や俺があいつに殺される夢も見た。
けど、まさかその後の死体袋になった自分の夢を見るのは多分初めてだ。
……崖崩落の件、結構まだ引き摺ってるんだなぁ。
「ま〜!それなら寧ろさっさと近衛のが良いな!久々のプライド様だし!」
わははっ!と楽しそうに笑い飛ばしてくれるアラン隊長に感謝しながら、俺も肯定を返す。そうですね、と言いながら自分に対してなんとも呆れに近い気分で口の中まで苦くなった。
俺の人生であれほど惨めで情けなく、自分に絶望したことはない。それでも最近はああいう悪夢も見なくなってきたのに、こんな形でまた見ることになるとは思わなかった。夢の中でも情けなかった上に、今じゃどっちが俺の意識だったかもあまり自信がない。
俺が死んで、なんか他にも色々騎士が出た気がするけど今はそれも上手く思い出せない。なんで今更あんな夢を見たのか、理由もわからない。
今回の遠征任務も、地方の町を占拠した盗賊討伐で、特にこれといって崖崩落を思い出させるようなこともなく終わった。それなのに、何故あんな夢を見たのか。
「おっ!ブライス、お疲れ。任務そっちも忙しかったんだろ?」
「お疲れ様ですブライス隊長。二番隊で裏稼業討伐お疲れ様でした」
食堂に入ったところでちょうど並んでいたブライス隊長に挨拶をする。「おー」と一音で返すブライス隊長は、本当に怒っていなければ温厚な方だなと思う。騎士団の中でも年長者で、二番隊だけでなく一番隊を含めた他隊でもブライス隊長を尊敬する騎士は多い。
昨日まで遠征に出ていた俺達一番隊だけど、その間に急遽討伐任務で二番隊も出動する事態が起きたらしい。城下での強盗とかで、そのまま裏稼業の拠点まで三番隊と連携して追い詰めたと聞いたのも俺達一番隊は昨夜だ。
「お前らもな」と俺とアラン隊長それぞれの背にバシンと叩いて労ってくれるブライス隊長は、全く疲れた様子もない。
「こっちは疲れてなんざいねぇよ。今回みたいな城下で済む任務ならありがたいぐらいだ。地方は一番隊に押し付けろってロデリック騎士団長にも言ってんだがよぉ」
いやそうはいかないだろと、アラン隊長が笑う。
城下に御家族がいるブライス隊長は本当に城下から離れるのを嫌がる。任務を拒むことはないけど、文句や愚痴は毎回溢してるなと思う。騎士の中でもアラン隊長とは別の方向に、優先順位がはっきりしてる。
隊長職を譲らないのも騎士隊長としての役職手当が欲しいからと言っていたことがあるけど、そうでなくてもブライス隊長が隊長でいて欲しいと二番隊は皆思ってるだろう。
「それよりエリックー、お前こそ気ぃ入ってねぇんじゃねぇか?演習は目覚ましだけの時間じゃねぇぞ」
「あーなんか夢見悪かったんだと」
申し訳ありませんと俺が謝る中で、アラン隊長が笑いながら先に代弁してくれる。「夢見だぁ?」と当然それでも眉を上げて訝しむブライス隊長は、べしりと俺の肩をまた叩いた。
どんなのだ言ってみろと探るブライス隊長に、どこまで言ったものかと視線を浮かす。もう記憶も薄れているし、アラン隊長まで気になるように俺を見る中で、取り敢えず覚えてる中でも当たり障りない部分だけ選ぶ。
「殉職して、その後の夢を見てしまって……。まぁ、騎士としてならそう悪い夢じゃないかとしれませんが」
「そりゃあ悪夢だな悪夢。俺は名誉の死もごめんだあと百年稼いでやる」
ばっさりと切り捨てるブライス隊長に、アラン隊長が声を出して笑った。苦々しい表情のブライス隊長は百年以外は間違いなく本心だろう。そのまま「食え食え」とまたバシバシ背中を叩かれる。
取り敢えず俺が死体袋になってて、騎士団演習場だったことは覚えてる。騎士団に回収されたなら取り敢えず殉職と思っておいても自惚れにはならないだろう。
ふと視線を感じて振り返ると、既に三番隊と朝食を取っているカラム隊長がこちらを見てた。また俺が以前みたいにブライス隊長に責められてると心配してくれたのか、それともアラン隊長達と同じカラム隊長にも不調がバレたのか。恐らくは両方だろう。
心配ありませんの意思を込めて笑みと共に一礼すれば、軽く手を上げて同じ笑みで返された。動作と表情だけなのに「大丈夫なら良い」と仰っているのがわかる笑みだった。ああいうところが本隊騎士だけでなく新兵にも慕われるんだろうなと思う。俺も新兵の頃にカラム隊長にはお声がけ頂いた記憶がある。逆に、アラン隊長には本隊に入ってからだ。ブライス隊長の方がまだ話しかけてくれたことは
『そうかエリックもか』
「エリックが殉職したら俺が一番困るなぁ。エリック死ぬようなことなら先に突っ込む俺の方が死にそうだけど」
「……。いえ……それはどうでしょう。アラン隊長ならどんな危地でも自分と違って生き抜かれる気がします……」
「お前ら真正の騎士は死ぬなよ〜。隊長会議で昇進に賛成してやった俺の身にもなれ」
なんだか妙な違和感が過り、思わず首を回すふりをして見回した。
ふと口が「ブライス隊長に抱えられたことなどありましたっけ?」と言おうとしたのを飲み込み、会話に即した受け答えだけをする。そんなことあるわけないだろと、聞くまでもなくわかる。
二番隊と連携することも珍しくはないけど、幸いにもまだブライス隊長にはそこまでお世話をかけずに済んでいる。新兵時代だって、話しかけられた回数はカラム隊長より一度二度多いかくらいだ。
朝食を受け取ればブライス隊長は軽く手を振って二番隊がいるテーブルへと去っていった。
俺とアラン隊長も、一番隊が多いテーブルの空き席へと移動して腰を下ろす。朝食を取りながらまた欠伸が溢れたら「珍しいですね」と他の騎士にも言われた。
食後にアラン隊長とも分かれ、門へと向かう。王居へそのまま踏み出せば、途中で追いかけてきたのだろうアーサーに呼び掛けられた。「任務のお疲れ溜まってますか?」と心配するように背中に手を置かれ、笑いながら夢見が悪かったとだけ伝える。
一緒に近衛に向かいながら、今度は欠伸も噛み殺した。アーサーと一緒に王居に入り、宮殿で衛兵により扉が開かれる。
階段を登り、廊下の前で今日は俺達よりも先にステイル様が待たれていた。ご挨拶をして、それからティアラ様も合流されて四人で扉が開かれるのを待つ。
近衛兵のジャックさんの確認の後、扉がとうとう開かれた。ステイル様とティアラ様に続き、任務ぶりにお会いするプライド様に朝のご挨拶をした途端。
「おかえりなさいエリック副隊長!」
『おかえり』
花のような笑顔を朝から浴びた。
今までも何度もあったことなのに、不思議と胸のつかえが取れるような、上塗られるような感覚に顔が緩む。
ただいま戻りましたと言いながら……戻ってきたんだなと、今日は思う。やっぱり今朝の夢のせいかな。
「今回の任務は大丈夫でしたか?お怪我などされたりとかは……」
「いえ、問題ありません。アラン隊長のご活躍のお陰で無事帰れました」
「ツいやエリック副隊長もご活躍だと聞きましたよ?!」
笑って返したら、アーサーに前のめりに食い付かれた。一応経歴では俺より後輩のアーサーだけど、たかが討伐任務で聖騎士にそんな前のめりに言われるのも不思議な話だと思う。いや、それを言ったらまず第一王女であるプライド様に迎えて貰えること自体が
『今はもう夢じゃないッ……!!』
「…………」
「?エリック副隊長??どうかしましたか」
「やっぱり任務でお疲れなんじゃっ……!」
「ご無理はなさらないで下さい。必要ならハリソン副隊長に代わってもらうのも可能ですから」
いえなんでも……!と慌てて言葉を返す。しまった、欠伸の次は呆けてしまった。しかも王族の目の前だ。
両手を振って全力で否定しながら、これを夢見のせいにはできないなと思う。大丈夫です、少し考えごとをと言葉を返しながら首も横に振った。
俺の夢見を知ってるアーサーも「お疲れとかじゃないンすよね?!」とアーサーなりに弁護してくれる中、頭の隅には今過った言葉が引っかかる。
誰かに言われたような、やっぱりこれも今朝の夢かなとまでは思う。騎士が色々出てきた気がするから、その誰かか。死体の俺に何を言いたかったのかも、どうせいくら考えたところで答えはない。誰でも言いそうだし、だけどどういう状況で言うんだそんなことと思えばちょっと笑いたくなる。
「是非、朝食を食べながら任務のお話が聞きたいわ!」
「私もですっ!!」
「姉君もティアラも、エリック副隊長とアラン隊長のことをとても心配していました」
王族と共に食堂へと向かう。いつも通り任務を聞きたがって下さるプライド様達に言葉を返しながら、自然と夢のこともどうでも良くなってきた。良くても悪くても所詮は夢で、予知でも現実でもない。
今はこの現実さえあれば良いと、姿も知らない誰かに告げれば不思議と肩から力が抜けた。
Ⅱ521-2
本日22時頃に活動報告にて
9巻書籍と特典について記載します。
よろしくお願いします。




