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Danke Schӧn

作者: 春樹亮

最近ずっと考えていた。

帰り道に離れ小島のように1つポツリとある、赤い屋根の家。この2階の部屋から聞こえてくるピアノは誰が弾いているのだろう。

俺が通るとき、いつも決まって同じ曲が流れる。

その曲は、ゆっくりとした曲調なのに、なんとなく力強い。音楽についての知識など持たない俺は、その曲を聞いたことがなかった。

でもここ数日、同じように流れてくるその曲を、赤い屋根の家の前で、時には足を止めてまで聴いた。そのせいだろう、今ではその曲は俺の頭の中にしっかりと残っている。

ふと気がつくと、鼻歌で歌っているほど。

俺はその曲を聴くたびに、頭の中でピアノを弾いている人物を勝手に想像した。

そして勝手に決め付けた。

ピアノを弾いている人は、髪が長く、色が白い、小動物のような女の子だと。

そしていつの間にか、その家の前で立ち止まり、ピアノの演奏を聴くことが俺の日課になっていった。

いつも流れてくるピアノの音を、11月の肌寒い季節に外で聞く。

吹き付ける風は冬を感じさせるが、それでも、ピアノの演奏を聴くと、なぜか身体が暖かくなった気がした。

周りに家がなく、赤い屋根が1つ見えるだけの淋しい風景。でも、そこにピアノの音が流れるだけで、何倍も明るく感じた。

俺のピアノの演奏を聴くという日課が始まって2週間ほど経つが、ピアノを弾いている彼女(俺が勝手に想像しただけだが)は、依然として姿を見せてはくれない。一応、楽しく演奏に耳を傾けているつもりだから、怖がってはいない…とは思うのだが。

でも、それでもいいと思った。

いつものピアノの音が聞こえるだけで、俺は幸せな気分になれるのだから。



 「なぁ、和。今日、お前の家行ってもいいか?」

そう、俺の友人の春樹が言った。和とは俺のあだ名で、本名は松下和樹。春樹とは、高校2年目で初めて同じクラスになったのだが、名前が似ているという共通点で、よく遊ぶ友だちになった。

「別にいいよ。」

と、俺は安易に返事を返した。

そして俺はいつもと同じ道を、春樹と一緒に帰って行く。

しばらく歩くと、いつものように、赤い屋根の家からピアノの音が流れ始めた。

ミス1つなく聞こえてくるピアノの音に、俺は少しだけ得意げになる。

しかしそんな俺を見て、春樹は?マークをつけた顔をして尋ねてきた。

「和、なに?どうした?」

「えっ?」

「お前、笑ってる。」

どうやら自然に笑顔になっていたらしい。顔には出していないつもりだったのに。

「あ、いや・・・。この家から聞こえてくるピアノの音がいいなって思ってさ。」

「・・・は?」

「は?ってなんだよ?」

「ピアノの音なんか聞こえないよ。」

「何言ってるんだよ?現に今、流れてるだろ?」

俺の言葉に春樹は黙って耳を澄ませた。そして数秒後に、俺の方に再び顔を向ける。

その顔は青白かった。

「・・・聞こえない。ってか聞こえるはずがないんだ。だってここは、誰も住んでいないはずだから。」

「どういう・・・?」

言葉が途切れる。

それでもかまわず、春樹は続けた。

「俺の親父、結構顔が広いからいろんな話聞くんだけど、ここの家、たった1人の娘を1ヶ月くらい前に病気で亡くしているんだよ。原因不明の突然死らしい。・・・で、親も娘を亡くしたショックで田舎に帰ったらしいぜ。だから、今この家には誰もいない。・・・はずなんだ。」

「・・・。」

言葉が出なかった。

春樹の話が本当なら、今まで俺が聞いていたピアノの音は?

突然、怖くなった。

嫌な冷汗が、顔から、脇の下から出てくる。

汗のせいだろうか、風が急に冷たくなった気がした。

今まで何ともなかったのに、ピアノを聞いている耳が痛い。

ピアノの音が聞こえないはずの春樹も、耳を強く押さえている。

「とにかく、ここを離れよう。」

春樹が早口で言った。

耳を押さえていたため、よく聞こえなかったが、何を言ったのかはわかった。

俺は不安そうに俺を見ている春樹の顔を見て、小さくうなずく。

そうして俺たちは、走ってそこから離れた。

後ろを振り返って見てみると、屋根の赤がだんだんと小さくなっていき、赤い点のようになる。

俺はそのことに安堵した。


 息を切らしたまま、家に着いた俺たちは、俺の部屋に入った。

冷蔵庫に入っていたジュースの缶を春樹に渡す。春樹はそれで喉を潤すと、早速真剣な顔をして聞いてきた。

「いつから聞こえたんだ?ピアノの音?」

「・・・2週間くらい前からかな。」

「なんかそれから変わったことは?」

「別にない・・・けど・・・。」

「けど?」

「変わったことじゃないんだ。でも、いつもピアノは同じ曲だった。」

「・・・なんか、発表会前に死んだらしい。だから・・・誰かに聴いて欲しかったのかもよ。発表会で弾くはずだった曲を。」

「俺・・・どうすればいい?」

我ながら、情けないくらい声が震えている。

「とりあえず、もうそのピアノの音を聞かない方がいいんじゃないか?取り憑かれたりするかもしれないし。」

「そうだな。そうするよ。」

遊ぶ気力があるはずもなく、春樹は俺の出したジュースを飲みほすとすぐに自分の家に帰った。

しかし、俺の家から帰るにはあの道を通らなくてはならないので苦い顔をしていた。



 それから俺は、その家の前を通るとき、耳を赤くなるほど強く押さえ、全力で走り抜けた。

それでも、音はかすかに耳に入ってくる。しかし俺は、「聞こえない、聞こえない」と自分に言い聞かせ、通り抜けた。

そして春樹の話を聞いていから、ちょうど1週間経った日。

授業で出された課題を終わらせるため、図書館に寄っていた俺が帰る時には、夜の7時を回っていた。

月も星も厚い雲で覆われている真っ暗な夜に、街灯が1つしかないあの家の前を通るのが憂鬱だった。

しかしあのピアノの音を聴かなくなってから、俺はどこか淋しさを感じていた。

せっかく覚えたあの曲を、少しずつ忘れかけていることも、なんとなく悔しかった。

〝また聞きたい〟自然に出てくるその思いに気づかぬふりをして、俺はいつものように耳を塞ぐ。

しかし、音が聞こえない。

いつも耳を塞いでも、かすかに聞こえてきていたピアノの音がまったく。

けれど、ピアノの音が聞こえない代わりに、唯一存在する街灯がパチパチ音をたて、ついたり消したりを繰り返していた。

俺の髪を優しくなでていたはずの風が、急に怒ったかのように激しくなり、冷たくなる。

俺は急いで逃げようとした。

しかし、耳を塞いでいるため、両手が使えず、バランスを崩し転びそうになる。

地面に近づいて行く顔を何とか反らし、元の位置に持って行くと、そこには宙に浮かんだ少女がいた。

透明だった。

後ろの赤い屋根の家が透けて見えている。

しかし綺麗に光っているから、彼女の姿ははっきりとわかった。

俺は思わず耳から手を離す。

目の前にいた少女は、髪は長くはなかったが、それ以外は俺の想像通りの小動物のようにかわいらしい女の子だった。

俺は、また怖くなり、耳を塞ぐ。今度は目も一緒に。

すると、塞いでいる両手の内側から、声が聞こえた。

「お願い聞いて。」

耳の近くで聞こえたその声は、今にも消えてしまいそうなほど細い。

そのありえない現象に恐れを感じたが、それでも、その声はあまりにも悲しそうだった。

俺は口の中いっぱいにたまった唾を飲み込み、軽く息を吐く。

そして恐る恐る耳から手を離し、彼女を見た。

透明な彼女はやっぱり綺麗だった。

「お願い、少しでいいから聞いて。何もしないから。」

「・・・。」

俺は黙ってうなずく。

目の前の彼女はかわいい顔で笑った。

「ごめんなさい。ただ、誰かに聞いて欲しかたったの。誰かに聞いてもらう前に死んじゃったから。」

「・・・。」

何か言ってあげたかった。

でも、何も言えなかった。

俺は、彼女の感じた淋しさや苦しさを、少しでもわかってやれる自信がない。

「・・・私は死んでからずっとこの家でピアノを弾いていたの。他の人は何も気づかずに通り過ぎて行った。でも、あなたは驚きもせず、私のピアノを聴いてくれた。立ち止まってくれた。口ずさんでくれた。それがね、本当にうれしかったの。私はまだここにいてもいいんじゃないかって・・・そう思っちゃった。でもね、1週間前にあなたが見せたおびえた顔。・・・それを見て、やっとわかった。私はここにいるべきではないって。」

「えっ?」

そう漏らした俺の驚きには触れず、彼女は淡々と話した。

俺には、涙をこらえているように見えた。

「それでもすぐに消えなかったのは、あなたに謝りたかったから。そして・・・何より、もう1度、あなたの顔を見たかったから。ここ数日、あなたの顔をまともに見られなかったから・・・。今、また怖い思いさせてしまっているのなら、本当にごめんなさい。でも、本当にあなたに取り憑いたりするつもりなんてなかった。それだけはわかっていて欲しいの。・・・あなたに、会えてよかった。それだけ伝えられれば、心残りなんてない。・・・さようなら、和さん。」

そう言うと、彼女は丁寧に俺にお辞儀をした。

彼女が身体を戻し、またまっすぐ俺を見る。

よく見ると、彼女の身体が足下から消え始めていた。

俺は消えていく彼女を止めなくてはならないと思った。だから、彼女の透明な腕をつかむために、思いっきりジャンプする。

しかし、掴もうとした俺の右手は不発に終わり、勢いをつけていた俺の身体は、大きな音をたてて地面に倒れた。

顔が擦れて血が出る。

口の中に気持ち悪い鉄の味と、砂利の感触が広がった。

でも、そんなことどうだってよかった。

ただ、消えていく彼女をここに留めておきたかった。

彼女がここにいてはいけない理由が、俺の中には見つからなかったから。

俺は口にたまった血を唾と一緒に吐き出し、無理だと自分の身体で証明したにもかかわらず、何度も何度も彼女の腕をつかむためにジャンプした。

制服はもう砂だらけだった。


 しかしそんな俺の努力もむなしく、彼女の身体はあと胸の辺りから上を残すだけとなっている。

もう無理だ。

諦めの悪い俺でも、さすがにそう思った。

まだ、彼女に伝えていないことがある。

今まで痛々しい俺の姿を見ないように、顔を背けていた彼女に向かって叫んだ。

俺のことをまっすぐ見てくれるように、大きな声で。

「ごめん!それから、今までありがとう!!ピアノすごくよかったよ。」

俺は、そう言って笑った。

彼女の思い出に、笑顔の俺を残しておきたくて。

顔を背け、彼女から逃げた俺を、彼女の中から追い出したくて。

こっちを見た、彼女は笑った。

消えかけている顔で、かわいく、しっかりと笑った。

そして消えた。

何も言わず、笑って消えた。


 「ま、・・・待って!」

俺はそう叫んだ。

彼女はもう、いないのに。

目の前の美しい光は、もう消えてしまったのに。

彼女は最後に笑っていた。

その笑顔の意味はわからない。しかし、彼女はうれしそうだった。

今まで、忘れていた顔の傷に、やっと痛みが走る。

消えずに今もなお、自分の足で立っている俺は涙を流した。

人眼なんか気にせず、声を出して泣いた。わんわん泣いた。

そして後悔した。

彼女のピアノの音を聴いて、俺は取り憑かれると1度でも思ったことがあっただろうか?

逆に幸せな気持ちになったんじゃないのか?

自然と笑みがこぼれるほどに。

俺は、俺を責めた。

彼女がこの世界に残っていていいかどうかなんて、俺にはわからない。でも彼女は確かにここに残りたいと思っていた。

そんな希望を俺が奪った。

ただ誰かに自分の弾くピアノの音を聴いて欲しい。そんな願いすら叶えてやれない自分が憎かった。

 家に帰るとき、彼女の家の赤い屋根がどんどん小さくなっていき、赤い点になる。

それがまた、俺を泣かせた。

 

 そして、涙が枯れるまで泣いた俺は決意した。

彼女を絶対に忘れない、と。

知らぬ間に親しくなっていた、彼女のことを。

知らぬ間に名前を覚えていてくれた、彼女のことを。

知らぬ間に好きになっていた、彼女のことを。

想像だった。

でも、大好きだった。



 その後俺は、彼女が聴かせてくれた曲を探し回った。

彼女のことを、彼女の笑顔を忘れないために。

恥ずかしいのを承知で、忘れかけていたあの曲を口ずさみ、店員に聞かせ、

「これってありますか?」

と聞いて回った。

そして彼女が消えてから半年が経ち、俺はやっとあの曲を手に入れた。

題名は『Danke Schӧn』

ドイツ語で、「どうもありがとう」という意味らしい。

どうだったでしょうか?


みなさんはなぜ人を好きになるのでしょう?

恰好いいから?かわいいから?話が合うから??


その人が、「人」だから?

私たちは、人を何で見ているのでしょうか?


なんてことを考えてもらえたら、いいなって思います。



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