合わぬ蓋あれば合う蓋あり
彼女と会ったのは、本当に偶然だった。
最近はまっている休日のカフェ巡りで、新しくオープンした少し遠いカフェに行った折に、声をかけられた。
「あれ、もしかして本間さん?」
カフェオレとチーズケーキをのせたトレイを手に空いた席を探していると、目があった女性が手を振ってきた。
「えぇと、三木元さん?」
「偶然!本間さんもこの辺りに住んでるの?一緒にお茶しない?」
「あ、えっと……はい、ぜひ」
綺麗に爪がベージュカラーでコーティングされた手で招かれた。三木元さんは同じ会社で同い年だけど、入社は彼女の方が早かったので先輩にあたる。注文はもう取ってしまっていたし、仲を拗らせたくもなかったから、ちょっとたじろぎながらも彼女の向かいに座る。でも正直、あまり彼女のことは得意じゃない。派手じゃないけどキリッとした綺麗な顔立ちで、なんかこう……平々凡々を自称する私は引け目を感じてしまう。それに彼女にはちょっと良くない噂もあった。
「面倒だなぁって顔してる」
「ーーッ!」
からかうような視線で私を見ながらさらりと言い当てられた内心に、飲もうとしたカフェオレを吹き出しそうになる。
それにケラケラ笑いながら、カランとアイスティーの氷をかき混ぜるようにストローを動かす。
「私がどこかの金持ちの愛人をやってるって誰かに聴いた?」
尋ねながらも確信しているような口調。
なんだか尋問されている気分になって居心地の悪さに身動ぐ。
「ああ、ごめんごめん。責めてるわけじゃないの」
また内心を当てられる。私、そんなに思ってることが顔に出ているのかな。
「怒らないで。これ1つあげるから」
彼女のお皿に乗せられていた小さなマカロンが私のお皿に移動される。ちょっと席を立とうか迷っていたけど、再び椅子に腰を落ち着けた。我ながらチョロい。
「一応言っておくけど、ちゃんと結婚してて私は浮気なんてしてないから。旦那は愛人がいるけど」
どうでも良さそうに言われた言葉にびっくりしてマジマジと彼女の顔を見てしまう。
「えぇと……それは、いいの?」
「うん、そういう約束で結婚したから」
思わず訊いてしまった声に、あっけらかんとした答えが返ってくる。
「ーー聴きたい?」
肘をついて組んだ両手に顎を乗せ、少し身を乗り出すようにこちらにいたずらっぽい視線を向けてくる。
本当なら、聞くべきではないと思う。他人の色恋をアレコレ聞いたり、それでなんだかんだと考えたり意見するのは、本来下世話だと思うし。三木元さんは気にしてないみたいだけど、品がなくてあんまり大っぴらに話すことでもない。
でもいま正直に言えば、他人の結婚という話に興味があった。もうすぐ私は30歳を越える。今の世の中、クリスマスケーキとまで言われることは減ったけど、両親や親戚から結婚の予定をきかれることは増えた。でも大学時代に一瞬付き合っただけで、男性経験はほとんどない。
人並みに結婚に憧れはあるけど、お母さんや親戚のおばさんからこぼれる夫の愚痴を聞けば、結婚なんて全然良いものじゃないような気もする。余談だけど散々夫の愚痴を言いながら結婚するべきだと言うのは何でだろう。結婚してほしいのか、してほしくないのか。閑話休題。
明らかに円満な話は胸焼けと僻みが先に立つし、悲壮感たっぷり愚痴たっぷりの話もご遠慮したい。
そういう意味では明らかに問題がありそうなのに悲壮感がない三木元さんの様子に興味が湧いた。
「三木元さんが良いなら……」
おずおずとした頷きに、彼女はオッケーオッケーと軽く返して明るく笑う。
「そうだなぁ、何から話そうかなぁ」
カラカラとストローを動かしながらちょっと視線を上向けて、ちゅーっとアイスティーを飲んでから彼女は頷く。
「うん、あのね。私、家族が欲しくて」
「子どもが産みたかったってこと?」
「うん、最初はね。だから精子バンクになってくれる人を探そうと思って」
「結婚するんじゃなくて?」
びっくりしてちょっと声が裏返った私にあははと彼女が笑う。
「私を選んでもらえるように努力して、付き合って、結婚してって面倒くさくて。でもさ、うちの会社ってほら、ブラックじゃないけどホワイトでもないじゃない?仕事は嫌いじゃないけど、微妙に産休育休にいい気持ちしない感じで、給料もめちゃくちゃ高い訳じゃないし」
「まぁ、それは確かに……」
私が結婚を躊躇う理由の1つに同意すると、彼女がねーっと唇をちょっと尖らせた。わざとらしいけど、不思議と彼女に似合っている。
「知り合いとか友人からの紹介とか、出会系アプリとかで何人か会ってる内に、私は何がしたいのかって思うようになって。それでじっくり自分が望んでることを考えてみたの」
思い返すように苦笑する彼女から、何となくその当時の苦労が察せられる。
「家族が欲しいって思ったきっかけはね、老人の孤独死のニュースを見たから。絶対に私はあんなふうに死にたくない」
思いの外強い断定にちょっと瞬きが早くなる。
「死ぬ時は誰かに見守られて死にたい。それには家族かお金がいるでしょう?いい施設に入ろうと思ったら2000万じゃ下らないって言うし。そのために節約節約で過ごすのは嫌だったの。それに節約には限界があるけど、高卒で資格もなかった私が転職も難しかったし。けどのんびりしてたらすぐ老いちゃうじゃない。今だったら30歳越えても出産に全然問題ないけどさ、仕事しながら子育てするなら体力がいるでしょ。それに何だかんだ言って、女の若さって力で武器だと思う。あ、異論は認めるけど」
「腹立たしいとは思うけど、私も同意する」
それが全てだとは思わないけど、確かに若さは女性にとって武器だ。選べるなら誰だって皺々で醜いよりは艶々で綺麗な方が良い。その事実にムキになってもしょうがないと思う。
「ちょっと話ズレちゃった、ごめんね。つまり私は子どもを産むとして、特別贅沢はしなくても良いけど、私自身にも私の子どもにも、スーパーで値段とにらめっこしたり、たかが数十円のために何件も梯子したり、借金しないとやりたい勉強を諦めるような暮らしはさせたくなかったの。だったらそこを負担してくれる人がいるじゃない?でもさ、自分が許容出来るくらいの年齢と容姿の高給取りと結婚するって、若さとやる気とそこそこの容姿くらいしかなかった私にはけっこう狭き門だと思ったわけ」
「三木元さんは充分綺麗だと思うけど…」
ポツリと溢れた私の僅かな嫉妬まじりの本音に、彼女はキョトンとした後に照れたように笑った。
「ありがとう、でもそれはちょっと自分の磨き方を研究しただけで。後は旦那さんの財力のおかげもあるかな」
「お金って言っちゃうんだ……」
「本人も知ってるし、いーのいーの」
開けっぴろげ過ぎるとは思うけど、彼女の口調からは旦那さんへの信頼が見えた。
「話が長くなったけど、だから譲れない条件を書き出してみたの。特別容姿に優れてなくてもいいけど、あんまりな不細工は子どものためにも嫌だから却下。面食い、偉そうと言われようと受け付けないし。生殖機能や遺伝的問題がないこと。子どもが欲しかったんだからこれは当然ね。それから、将来的に施設入所も選べて節約に追われないでいいくらいの財力。法律的な問題がないことも重要。犯罪者だったり既婚者だったりはご遠慮したいでしょ。同じように暴力を振るう人も嫌。あとは出来れば仕事を続けたい。気兼ねないお金があるかないかってやっぱり精神的に違うと思うの。最後にどっちかが亡くなる時は側にいられること。もちろん急な事故とかの場合は省いてだけど」
並べられる条件に、うんうん頷く。そこまで特別に高望みとは感じなかったけど、恥ずかしそうに偉そうだよねと苦笑されてびっくりした。
「普通じゃないの?」
「人によると思うけど、私は伴侶は負担も等分すべきって思ってるから。自分が求めるなら相手にも求める権利があると思ってる。出せる対価が少ない私が、アレコレ注文付けてさらに経済的には甘やかして下さいなんて言うのは傲慢だと思ったわけ」
厳しい言葉に頭を殴られた気がする。学生時代に就職活動の練習で、自分をボールペンに例えて売り込んでくださいという問題に、何とか及第点な自己PRしか出来なかった私には、自分が出せる対価、自分の価値などという言葉がひどく重い。
当たり前の話だけど、意識的でも無意識的でも、自分が誰かを評価してるなら、相手も自分を評価している。誰もが平等に尊重されるべきで人間に上下はないなんて、御題目でしかないことくらいこの年齢になれば嫌でも分かる。御題目はあること自体が重要だけど、それとは別に私達は無意識に人を選別してるし、誰かと比べて競争してる。その仕組みから自分だけ逃れたいなんて、世捨て人にならなければ無理な話だ。
会社において社長の都合と平社員の都合を並べたら、社長の都合が優先されるのが当たり前だ。そして私は社長側になれる気がとんとしない。
「私はちょっと古風な価値観で育ったからね。男が女より優先されるなら、男が女より重責を負って苦労するのが当たり前。女が男の権利が欲しいなら男と同じように外の社会の理不尽に苦労するべきだし、男が女に責任を負って欲しいなら男が内の女の苦労を負うべきだって感じで。とことん平等だけど現代には馴染まない極論でもあるから、そこまで気にしなくていいよ」
落ち込んだ気配を感じ取ったのだろう三木元さんが、フォローを入れてくる。
曖昧に頷いて、すっかり冷めたカフェオレをちびちびと口にした。
「えぇと何だっけ。またずいぶん話がズレちゃった。たびたびごめんね。ーーそうそう、条件ね。並べてみて思ったんだけど、私は結婚生活に別に恋愛は要らないなって気付いて。そりゃそもそもシングルマザーになるつもりだったんだしそうだよねって感じだけど。じゃあ経済観念のしっかりした浮気性の男を契約結婚で狙おうと思ったわけ」
ぱっと弾けるように両手を開いて見せる彼女の顔は明るい。ずいぶんと割り切りがいいと思う。
「だからちょっと訳ありっぽいお金持ちが集まるって噂の婚活パーティーに色々参加してね。そういう所って若くてそこそこ綺麗だと入れ食い状態で。そこで堂々と浮気は咎めないけどきちんと責任を果たして添い遂げてくれる人を探していますって言って、釣れたのが旦那さんだったの。性欲が強すぎて前妻さんに逃げられた人で。寂しがりの愛されたがりでもあるから、浮気が止められないの。それ以外は理想的と言ってもいいと思ってる。結婚する時に色んなもしもを話し合って契約書を交わしたけど、その内容はきちんと守ってくれてるし。最初に想像してたよりははるかに優しくて居心地の良い家庭を築けてると思ってるわ」
「ーー旦那さんを愛してるんじゃないの?」
あまりに柔らかな微笑みに、思わず問いかけてしまう。三木元さんはうーんと首を傾げた。
「好きか嫌いかって言ったら好きね。愛してるとも言える。でも今の彼を独り占めしたいかと問われればNOね。今の彼は私には支えきれないから。でも彼が看取るのも彼を看取るのも私だけ。その信頼だけで私には充分なのよ。産んでから思ったけど結局子どもはいつか独立して好き勝手に生きるし」
つまらないとため息を付きながらも、その顔はどこか母を思い出させた。
「失礼だったらごめんね。本間さん、もしかして結婚焦ってる?」
「ーーそんなに私、分かりやすいですか?」
恨めしそうに見ると、三木元さんはパタパタと手を左右に振った。
「前に会社前の本屋で結婚情報誌をこっそり見てたの見かけて。私の話はまったく参考にならないとは思うんだけど、気になったから」
「ぐぅ……」
見られていたことに思わず唸り声がこぼれる。焦ってるかと聞かれれば焦っていないとは言えないが、焦ってる女と見られるのは嫌だ。恥ずかしくて穴に埋まりたい。
「まったく参考にならない結婚をした私が言うのも何だけど。焦らなくてもいいけど、現状を変えたいなら行動は起こすべきだと思うわ。問題に対して真摯に行動した者だけが未来を選択できる。これは私の高校の恩師の言葉ね。人には愛人みたいと言われるけど、私は覚悟をして条件を見定めて動いて得た結果に満足してる。いつか王子様がと夢見て待つのは別に悪いことじゃないけれど、そんな幸運はめったに起こるものじゃないし、幸運を得る人ってだいたいそれなりの理由があるのよ。自分が特別じゃないと思うなら、行動するしかないと思うの。そしたらきっと、王子様じゃなくてあなたの鍋にピッタリの蓋が見つかるわ。って説教臭いわね。ごめんね」
ポイッと食べかけのマカロンを口に放り込んでモグモグしていた彼女のI-PHONEが音を立てる。
「ごめんね、そろそろ娘を迎えに行かないと」
「いいえ、あの、お話ありがとうございました」
「こちらこそ。あなたのその素直さ、とっても素敵だと思うわ」
立ち上がり上着を手にした彼女が笑いながら手を降って店を離れていく。
「動いた者だけが、選択できる…か」
呟いて、スマホを立ち上げる。いくつかピックアップしていた結婚相談所のホームページの1つを開いて、資料請求のフォームに移動した。自分のピッタリの蓋を見つけるために。
最後まで読了ありがとうございました。よろしければ評価やご感想等お待ちしております。