瞬きの光2
お風呂から上がると、空腹を刺激するようないい匂いが脱衣所全体に広がっていた。
なんだかんだで、時刻は七時を過ぎていた。
着なれない服を着て、脱衣所の扉を開ける。
「ん? もう出てきたのか。 もう少しゆっくりしていても良かったんだけどな」
「……ごめんなさい」
「起こっているわけじゃないから。 ただ、まだ料理が出来てないんだ」
男の人は目線を鍋の方向にやる。
それに釣られるように、目線をキッチンの方へと向くと、そこにはとてもとは言えないぐらいの豪華な料理が並べていた。
ご飯に野菜、スープにカレーなど、こんな料理が学校以外で見れるなんて……
「と、後は煮えるのを待つだけだな……んで、いつまでそこに立ってるんだ?」
「えっと……ごめんなさい……」
「いや、いちいち謝らなくていいから。 ただ、そこに突っ立っていても意味ないだろ。 そこにリモコンあるから適当にテレビでも見てな」
「わ、わかりました……」
言われた通り、テーブルに置いてあったリモコンでテレビの電源をつける。
画面には見たことのない番組が流れている。
それでも、なん個かは、クラスメイトの子が言っていた番組があった。
よく言うクイズ番組を眺める。
番組内に出てくる問題を解こうとしたが、難しくて全く分からない。
それでも、何とかして正解したい私は、今あるだけの知識を最大限に引き出しながら説いた。
『次の問題。 この画像はこの麻雀の役をすべて答えなさい』
「これは全部わかる!」
興奮した私は、周りに人がいることも忘れて番組に熱中していた。
そして、問題の結果は全問正解だった。
「やった! 初めての正解だ!!」
「おめでとさん。 それにしても、よく麻雀の役なんて覚えてるな」
「いっつも、お父さんが家で友達としていたし、それのおかげかな」
「そうか……」
男の人の目は、とても悲しそうな目で見つめてきた。
それに気づいた私は、さっきまでとは違い、静かになる。
リビングは、テレビの音しか響かない。
自分でもわかっていたが、男の人はとても気まずいのだろう。
なんせ、この年で、麻雀のルールを知っているのだ。
ただ知っている、遊んでいるならいいのだが、私の体を見てからだと、そんな言葉はいつの間にか消えている。
数分が経過する。
脱衣所の扉が開き、中から魅夜さんが気持ちよさそうに出てくる。
それと同時に、この重たい空気は消えていた。
「むむむ? この匂いはカレーですな!!」
「分かっているならいちいち喋るな。 あと少しで出来るから黙ってそこで待ってろ」
「はーい! なるべく速くねー」
「なら話しかけてくるな」
「良いじゃんそのくらい! そんなんだからモテないんだぞ!!」
「その話は今関係ないだろ! そして余計なお世話だ」
魅夜さんと男の人が楽しそうに会話をしてる中、私はますます自分の場違いな空気に押しつぶされる。
そもそも、私はここの家の人じゃない。
それなのに、ここの人たちと、魅夜さんと楽しく会話しようなんて、ただのエゴなんだ。
パチパチと響き始めたキッチンからは、香ばしい匂いが部屋全体に広がる。
気になってみてみると、油に肉が揚げられているだけだった。
それでも、私からしたら初めて見た光景で、そして初めて嗅ぐ匂いだったから。
「と、これで完成かな……と、美友音さんちょっとこっちに来てもらっていいかな?」
「い、今行きます――!!」
いきなり呼ばれため、少しだけ声が裏返ってしまった。
そんな私を見た魅夜さんは少しだけ笑った。
何でなのかは分からないけど、夜魅さんを見ると心の中が少しだけはれる感じがする。
「これをテーブルまで持って行ってくれ」
「わ、わかりました……」
オボンの上には、ご飯と、カレー、そしてトンカツの入った皿が三つおかれていた。
漂う匂いが私の胃袋に活気を出させる。
落とさないように、慎重に、慎重にテーブルに運ぶ。
「おほー!!! うまそう!!」
そう言いながら魅夜さんの手はカツの方へとのびる。
それと同時に、違う方向から手が飛んでくる。
「てめぇは待つとゆうことを知らねえのか?」
「ちょっとくらいいいじゃん!! ケチ魔め!」
「悪かったなケチで」
そんな二人を見ながらオボンをテーブルに置く。
次に、男の人が持っていたオボンがテーブルに置かれる。
そのお盆には、野菜やら飲み物があり、それらを一つずつを魅夜さん、男の人、私に並べる。
「もう食べてもいいよね!」
「ハイハイ食ってろ食ってろ」
「いただきまーす!!」
それを合図に私も「いただきます……」と言い、カレーをすくい上げ、それを口の中に入れる。
口の中には香辛料などのスパイシーな風味、そして、ほのかに甘い味わいがあり、とても美味しかった。
次に、サラダを食べる。
噛むたびに野菜からはシャキシャキとした音や、たくさんの水分があふれる。
普通の人ならば、何の変哲もないのだろうが、私からしたらこの何の変哲もないこれがとても幸せだった。
食事を終わらせた後は、食べ終わった皿を洗っていた。
少しでも、みんなの役に立てるように、ちょっとでも恩返しをするために皿だけでも洗う。
そうしなければ、またあんな生活になるかもしれない。
少しでも、ここに入れるように。
「美友音さん、それ終わったら僕の所に来てくれないか」
「わ、わかりました……」
手を拭き、緊張した足で男の人に近づく。
頭の中で、今までの行動の数々を振り返る。
何をしたか、何をされたか、それに対してどんな影響を及ぼしてしまったのか、考えれる可能性の全てを考え、想像した。
「手を出して」
「……どうぞ」
ビクビクと震えた手を男の人に差し出す。
本能的なのか、経験なのかは分からない。
それでも、私は、何かを間違ってしまった。
ぎっしりと引き締まった腕が私の手を掴み、そして、もう片方の腕が手の方に伸びる。
どうしよう――
今すぐ謝ったほうが――
「ごめ――!!」
「ここ怪我してるぞ? 痛くないのか?」
捕まれていた手の近くには、どこかで切ってしまったような傷があった。
そこからプクット血が膨らんでいる。
そこに消毒液が塗られ、ほんの少しだけしみた。
女の子がつけるかわいい絵がプリントされた絆創膏が傷の上から張られる。
「たぶん包丁を洗ったときに切れたんだろう」
「……ごめんなさい」
よかった。
てっきり私が何かをしてそれに対して、仕置きがされるのかと思ったが、そんなことではないみたいだ。
「はぁ……いちいち謝らなくていい」
「ごめ――」
「だから謝るな。 こんなんに謝罪する価値なんてない。 あと、うっとうしい」
「な、ならなんて言えば良いんですか……? こんな時、何を言えば良いの……」
「なにどこぞの綾波のセリフ言ってんだよ。 ありがとうで十分だろ」
――ありがとう
今までなんで出てこなかったんだろう。
店の店員や、学校の友達、そのほとんどが私に感謝を述べていた。
ありがとう。
それだけでよかったんだ。
「それに、ごめんよりかは、ありがとうの方が相手からの印象も良くなるし、それに気分もいい。 そう考えれば、どんな言葉にもそれなりの心の変化を与えてくれるもんだ」
「分かった……あり……ありがとう?」
「なんで疑問形なのかは知らねぇが、まぁさっきよりは幾分増しだろ」
ありがとう。
改めて言うと、すごくすごく心が明るくなっていくような気がする。
「ま、手当はこんなもんだ」
「ありがとう」
「と、忘れるところだったが、美友音さんはこれからどうするんだ?」
「どうするって……?」
「俺たちがいなくなっても大丈夫かってことだ」
分かっていた。
分かり切っていることなのだ。
私はここの家族にはなれない。
どんなに同じでも交わることは出来ない。
だから、だから、だから……
「たぶん大丈夫ですよ……」
「本当にか? もし、無理してるなら、俺達でも何かしてやるが――」
「いりません!! いいんです。 もういいんです……もう満足なんです……これ以上私のために気を使ってほしくないんです…………」
いつまでも甘えてはあいけない。
自分で生きなければならない。
「今まで私は、こんな幸せな生活なんてしてきませんでした。 家では、親からひどい仕打ちを受け、人間としてすら見られない。 学校から帰ってくれば、またあの家に収容される。 そしてまた朝の繰り返し。 それを感じたら、ここはとても天国のようでした。 温まるお風呂に、温かい食事、そしてやさしさの温もり……その一つ一つが私にとって、何よりの幸せでした……」
「そうか……美友音さんがそれを望むなら俺は何も言わないし、何もしない。 でも、あいつはほっとけないだろうな」
「その時は、あなたから止めてくれませんか」
これ以上は迷惑をかけたくない。
特に魅夜さんには私のために自分に時間を使ってほしくない。
「断る。 さっきも言ったが、もう俺は美友音さんのために何かを言ってあげたり、行動もしないといったはずだ。 いやなら、自分自身で説得しろ」
私は何を言ってるのだろう。
さっき自分で迷惑をかけたくないと思ったばかりなのにまた、迷惑をかけようと……
「分かりました……明日の朝にここを出ます……」
「……んじゃ俺は寝るから、お前も寝ろ」
そんな楽しい日に別れを告げながら温かい布団に入る。
最後くらい自分に正直になりたかった……
そんなことを思いながらこの家を後にする。