教室の窓
実家から今月も米や野菜が届いた。全くもって恥ずかしい話だ。
毎月の荷物の中には幾らかの現金があり、それは学生時代よりも二万円多い。今ぼくはそのような暮らしをしているのだが、今回は手紙が二通入っていた。一つは中学最後の宿題「拝啓 15年後の君へ」ってやつでもう一通も「拝啓 15年後の君へ」だった。
すっかり忘れていたけれど、自分へ宛てた封筒の癖字を見ただけで何を書いたのか思い出した一方で、こぎれいな字でぼくの宛名が書かれている方は謎でしかない・・・・・・
中学生だったとき、誰も彼もがとにかく他人より目立ってしまうことを嫌った。あるいは病的に嫌っていた。思えばスマホを持ち始める小学校の高学年辺りから探り合いみたいなことが起こり始め、これは何かヤバイぞと気付いたときには、誰もが過剰な同調圧力下に身を置き、心の集団自傷行為とも言える「LINE」地獄にぼくらは苦しんだ。過敏すぎるまでの察知能力を無難に生きる術とし、何でもなかったはずの空気を反ってのっぴきならないまでにしてしまう。どの時点で誰の発言が起点になったのかを分析するぼくらは、どうあれ自分が無色透明でいることに命をかけた。比喩ではなく本当に半径数メートルの無味無臭の平和を守るために「命がけ」だったと思う。大概の時事問題など他所の惑星の騒ぎと等しく、他学年の教師の不倫疑惑は海外ニュースのレベルである。唯一の関心は「保健室」の現況だった。
中学校生活でもっとも象徴的だったのは、目立ってしまうから、と懸念し誰も教室の窓を開けられなかったことだろう。朝のベルが鳴り担任が顔を出し、窓を開けろ、と言い出すまで閉め切ったままだ。六月、七月、九月、年によっては十月に入ってもエアコンのない朝の教室は茹った。席替え時の願いはただ一つ。なんとしても窓際だけは避けたい。
朝から気温の高い日に、窓際ではない圧倒的多数者が、外れくじをひいたクラスの六人に向け、開けてくれよ、と無言で訴える咳払いは夏の教室の風物詩だ・・・・・・
中学三年の一学期末のテストが終わってから間もなく教室に石灰が撒かれた。日常空間は不穏な呪術のように白くなっていた。自主的に窓すら開けられないぼくらは、昨日の朝と全く違う挑戦的な景色に酷く驚いたものだ。
床は当然、誰も自分の机や椅子すら拭こうとはせず高温の教室に全員でただ突っ立っていた。ぼくらは、あらためてそんな我々自身にも驚いた。そのとき席の離れた中井と目が合ったことを覚えている。試験の始まる前日に、校庭の隅にある体育倉庫からパンパンのビニール袋を両手に持った彼女が出てくる姿を目撃していたからだ。彼女のスカートの裾は白く汚れていて、不思議な顔をしたぼくを睨み付ける彼女の瞳の中には火柱が立っていた。
後に一人だけ県内随一の進学校を受験し合格した中井は容姿も飛びぬけていて、しかしその目立ち方は暗黙の了解事だった。今では多くの国民が知っている有名な女優だ。
ちなみに、夜の地獄のグループLINEで石灰のことを口にした者は誰もいなかった。
彼女の瞳の中に再びの火柱を見たのは晩秋のころである。その日、母親は遠出をしていて、父親は今夜もどこかで呑んでくるのだろうし、大学生の兄は文化祭の準備に追われ家に帰ることすらない。だから自分で晩御飯の用意をしなければならず、犬の散歩も任されていた。
スマホをいじくっていたら八時になっていて、近くのコンビニへ買い出しに行く気になり、柴犬の「ムギ」も連れだった。歩いて二分もしない散歩で「ムギ」が満足するはずはなく、いつも母親が連れて行く河原まで足を伸ばした。コンビニは帰りに寄ればいい。
夜の河原はさすがに寒く暗いものだったが、土手の下の車道には等間隔の街灯が灯っていたので、ジョギングや犬の散歩をする他の大人たちのように、何かしらの明かりを持っていなくてもぼくは平気だった。
結構歩いたし、さっき「用」を足したろ? 次の階段で降りて帰るぞ。「ムギ」に話しかけながら相変わらずスマホを見ていると、年配の男性がジョギングで追い越そうとしたときだ。黒いニット帽に巻いたヘッドライトを河原側の土手下に向けて立ち止り「どうした、探し物か?」と声を掛けた。「ムギ」も尻の穴をこちらに向け下を覗いた。
「違います、もう帰ります」若い女の声が返事した。
中井であることがすぐに分かった。ヘッドライトの丸い光の中に慌てる顔が浮かんでいたのだ。逆光のなか這うように上がってくる中井は、最初ぼくを認識することは出来なかったようだ。
光源の隣に同級生がいる事態を悪い夢のなかのように顔をひきつらせた一方で「何でもありません。ありがとうございました」と彼女は微笑みヘッドライトに頭を下げた。
老人は口を開けて固まり、無言のままジョギングを再開しその場を去った。ぼくも死ぬほど驚いた。
「どうしてあんたがいるのよ」
発する言葉よりも暗い夜道に浮かんだ瞳の中の炎に彼女の意思が伝わる。
「土がついてるぞ」ぼくはそれだけ言って帰ろうとした。当然だ。
「当たり前じゃない、食べていたんだから」今度は一転し放擲に微笑む。
「向こうでだけどこいつ糞したから、気を付けた方がいいぞ」
「ねぇ、いま目の前で食べてあげるから動画にとってLINEにあげなよ。あの地獄にっ。なんなら誰が石灰を撒いたか言いふらしなさいよ」彼女はとても静かに激昂した。
賢い「ムギ」は気配を察し、俯いてじっとしていた。
「とにかく犬の糞には気を付けた方がいい」
「土でも食べなければやってられないのよ。親にも学校の私たちにも」
口周りを汚し、暗闇で震え涙を流す中井に「お前なんか死ねばいい」と言われた。
そうして四か月後にぼくらは「最後の宿題」を終え卒業したわけだ。卒業式では中井がぼくらを代表し答辞を読んだ。彼女以外の適任者はいなかった。長い髪を結い、冬の終わりのように凛として、結局当たり障りのない退屈な文章だった。
式が終わり校門を出るとすぐその場で誰もがグループLINEから退室した。解放に歓喜して学帽を放り投げるあの儀式に似ていなくもない行為だ。
拝啓 15年後の君へ
私は実行委員なので、いま君がこの手紙を読んでいるのなら提出締め切り後の工作が上手くいったということです。きっと私は上手くやれているはずです。
十五歳の君が知らない、私の行いは他にも沢山ありました。毎月決まったころに駅前のルミネの屋上から、道行く人の頭へ自分の使用済み生理用品を放り投げたり・・・・・・あんなこともこんなこともしないではいられませんでした。しかし卒業式の前日に、親や学校にあてつけて自殺することは思い留まりました。毎月、私の満月か新月かの血で膨らむ汚物に、飛び降りの身代わりをさせていたら気が済んだ、というわけではありません。親より先に死んだら入る墓を選べず、後から来る両親の骨と同じ場所に収まることになる、と気づいたからです。全くもってなんて滑稽な理由で決意を翻したことでしょう!!
そしてまたこの手紙が君へ届くのかを見極めたくなったこともあります・・・・・・でも本当はやっぱり怖かったのかもしれません。
人は死にたいから死ぬのではなく、生きていたくないから死のうとするものです。
将来の私が何者になっているのか、それは分かりませんが大人になるまで私の訃音を耳にすることがなければ理由の一つは君へのこの手紙です。
在学中私のグロイ噂が立たなかったことを心から感謝します。また余りに酷い言葉を投げつけてしまったこともやはり心から謝罪します。本当にごめんなさい。
大人になった今の君が同級生の誰より幸せでいることをずっと願っています。
PS 添付した一枚にアドレスと電話番号を書いておきました。少なくとも十五年間は変えないつもりですし、必ず生きていますので、もしよろしければご連絡ください・・・・・・って言うか必ず連絡してね。二度も「君」だった偶然に、君の目を見て君と私を接触させた「何か」に感謝したいんだ。本当に感謝したいんだよ。
バイバイ。
国民的な女優へ連絡する前に、内容を覚えている方の手紙も読むことにした。
拝啓 15年後の君へ
無色透明でうまくやっていますか? 確かにこのまま平坦な所で目立たずに暮らしているのであればありがたいだろうけれど、でもいつかは一度でいい「教室の窓」を開けてみてくれ。風のない教室で、我慢ならない温度になったとき、席を立って窓際へ行き全開に開けてみてほしい。ある意味では間違ったことなのかもしれないけれど、決して正しくないわけではないはずだ。シクヨロっ!
シクヨロっ! とは吞気なもんだ。ぼくは一昨年に「窓」を開けている。新卒で入った次の年に、特定の業者に関して計算が合わない旨、上司に報告すると「気にしなくていいんだよ」と肩を叩かれた。以来差額は増えて行くばかりだった。誰にも言えず黙っていることで加担する透明なぼくに「手当」などない。無償ボランティアってわけだった。
いわゆる御前会議へ初めて出席したのは入社六年目だった。ぼくは綿密な報告書を密かに準備し、創業者のいる会議室で、むしろ石灰をばら撒いてやった。
しかし後に一身上の理由で自主退社した五人のうちの一人はぼくだ。
今は長引く体調不良と付き合いながらバイトを転々としている。「ムギ」の死んだ実家は建て替えられ、兄の家族と両親が二世帯で暮らしているから帰るに帰れなく、それで支援してもらっている。
「窓」を開けたことをぼくは後悔している・・・・・・いや、していた。そうだ、確かについさっきまでは後悔していたのかもしれない。
・・・・・・本当に、ぼくの電話に出た国民的女優は昨日、夢を見たらしく、声を上げて泣いていた。
近々の再会を約束して電話を切ると、通話中散々笑っていたぼくも声を上げて泣いた。ようやくぼくの内なる「何か」も通り過ぎてくれる気がした。