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目線

 いつもより少し多い給金を握りしめ、家に帰ると母が夕食の準備をしていた。元気に「ただいま」というと優しく「おかえり」と返ってくる。俺は何気ないこのやりとりが好きだ。



 母に今月の給金を渡すと、母はぎこちない笑みを浮かべて「ありがとう」と言った。いつもそうだ。俺が学校に通わずに働いていることに負い目を感じているのだろう。



 俺が学校に通いたくないだけなのだから負い目なんて感じないで欲しいんだけどね。働くことは楽しいし、職場にパワハラしてくる上司もいない。なんなら昼ご飯付き、残業無しである。あまりにも理想の職場すぎて、前世の俺の同僚が知ったら泡吹いて倒れるんじゃなかろうか。



 続いておやっさんが作った賄いを渡すと、今度は曇りなき笑顔が見られた。そうして笑っていてくれるのが一番だよね。



 母の作った夕食を食べ終わると、段々眠気が襲ってきてすぐに寝てしまった。中身はおっさんとはいえ、身体は子ども。体力がまだ十分についていないから、疲れもすぐにたまるし、寝る時間も早い。



 翌日、俺も母も仕事が休みなので二人で出かけることになった。実は俺は母と二人で出かけるのは嫌いではないんだけれど、気恥ずかしい思いをするから苦手である。具体的に言うと、ずっと手を繋いでいるのだ。周りの生暖かい目線がむずがゆい。母はそんなこと気にしていないようですごくいい笑顔を浮かべている。



 今日は母が買いたいものがあるらしく、上層に出てきた。やはり下層とは異なり、清掃が行き届いている感じがする。どちらも王都とは思えないほどの違いである。



 俺が住んでいる王都は主に上層と下層の二ブロックに別れている。王が住む城を中心に円状に広がり、城に近い場所を上層、城から遠い町の外れの方を下層と呼ぶことが多い。明確な区分は存在しないし、上層、下層なんて呼び方も国で定められたものではなく、皆が勝手に呼称しているにすぎない。大体、貴族が住んでいるところが上層、それ以外が下層と思っていればいい。



 上層は貴族しか住めないなどと決まっているわけでもない。単純に王城の周りは地価が高く、金持ちしか住むことが出来ないというそれだけの話である。平民でも財力さえあれば上層に家を構えることは可能だ。ただ、商売などを上手くして財を築くことができた平民は大体国から貴族位を叙勲されているので、貴族の住む場所としてのイメージが強いのである。



 だから平民が上層に入ったって何のお咎めがあるわけでもない。そもそも下層に家を構える人で上層に仕事がある平民だってある。何なら母の勤める服屋さんは上層に位置している。同じように貴族が下層に降りてきても問題はないが、下層に降りてくる用事もないので滅多に見ることはない。



 上層が都会と下層が田舎と考えるといいかもしれない。田舎の人は都会に買い物をしに行くが、都会の人は都会で全てが完結しているので、わざわざ田舎には来ない。それだけのことである。



 だから俺も年に数度上層に来るのだが、やはり別世界という印象が拭えない。ただ前世の記憶がある分、俺はこちら側に来るとなんだか懐かしさを感じてしまう。整然とした雰囲気が俺の住んでいた住宅街を思い出させるのだ。建築様式自体は全然違うんだけどね。



 さて、母さんに手を引かれるままに上層を進んでいく。通りには様々な店があって、活気づいているけれど、母はそんなものには目もくれない。一体買いたいものとは何なのだろうか。



 先へ先へと進むさなか、高尚な文様の柵に囲まれた複数の建物があることに気づいた。この辺りは俺も初めてくる場所だから、一体何の施設なのか知らないけれど、大きな建物がたくさん建っているというだけでなんだかワクワクしてくる。好奇心で俺の目は輝いていたことだろう。もしかしたら母の目的はここなのかもしれない。



 建物の真横の通りに入る。建物の正面玄関が見える。その瞬間、久しぶりに気絶しそうになった。



『国立ドゥナー魔法学院』



 期待して損した!学校かよ!けっ!



 見たくなさすぎて思わず目線を逸らす。このまま見続けていたら眼球が腐り落ちてしまう可能性があるから仕方ないよね。



 どうやら母の目的地はここではなかったようで、今となっては忌々しい建物達から一歩ずつ離れる度に段々心に安らぎが戻ってくる。二度と来たくねえ、こんな所。



 それから十数分くらい歩き続けてようやく目的地らしい場所についた。この世界に対してはほとんど文句はないけれど、平民でも使える自転車とか自動車みたいな移動手段がないというのはいただけないところだ。貴族や金持ちになると馬車とか魔法で動く箱らしき移動手段があるらしいのだけれど、俺ら平民には一生関係のない話だろう。



 さて、目的地には着いたんだけれど、(母よ道に間違ってはいないか)と不安になるほどただの住宅に見える。しかも結構豪華な邸宅。おそらく貴族が住んでいるのだろう。目的地合ってるんだよね…………?商店街は疾うに過ぎてしまったし…………いや、もしかしたら隠れ家的なお店なのかもしれない。前世でも隠れ家カフェみたいな男の子心を擽るお店は商店街みたいなお店がたくさん集まっている場所ではなく、まさかと思ってしまうような住宅街の真ん中にあったりするものだ。あり得ない話ではない。



 そんなことを考えていると母が正門に取り付けられた呼び鈴を鳴らした。ボタンを押したらピンポンと鳴って通話が繋がるなんて機械的なものではなく、ただ単にベルを鳴らしているだけである。数秒待ってメイドが一人出てくる。しずしずと出てきたメイドはこちら、特に母を確認するとぱあぁっと笑顔になり、トトトッと小走りで近づいてきた。



「ツルナさんっ!お久しぶりですっ!」


「久しぶり、アミナ。急に来てごめんなさいね」


「いえいえ、そんなことは!でも、いきなりどうしたんですか?」


「ちょっとオージー様に話したいことがあって。今いらっしゃるかしら」


「わかりました!多分仕事中だと思いますけれど話通してみます!」



 とんとん拍子に話が進んで、アミナと呼ばれていたメイドは意気揚々と屋敷に戻っていった。俺は何が何だか分からなくて混乱している。その中でも強烈に印象に残ったのはオージー様という、生まれてから名前で色々とからかわれそうな人がこの家にいるということだけだ。



 思わず母を見上げると母は困ったような顔をして「ごめんね」と囁いた。相変わらず現状は理解できていないけれど、母は今から俺に謝らなければいけないようなことをするのだということは理解できた。



 まず、母の買いたいものがある、というのは限りなく嘘に近い。そしてさっきのメイドの反応から予想するに、母と彼女は間違いなく古くからの知り合いで、母がメイドをしていたころの後輩だろう。ということはここは母が昔勤めていた貴族の邸宅ということだろう。



 ん~…………もしかして、売られる!?



 いやいやいやいやいやいや、考えすぎだって。ほら、俺のことを今まで目に入れても痛くないほど溺愛して育ててくれた母のことだし、ありえないありえない。だよね、おかあさん!



 あ、ダメだ。覚悟決まった目してる。しかもめっちゃ悲しそう。やめてください!ずっといい息子でいますから!



「ツルナさ~ん!オージー様も是非ってことで、どうぞどうぞお入り下さい!」



 焦りで冷や汗がつつつ、と流れる。母に本当は何の用事なのかを聞こうとした所、丁度良く(丁度悪く)メイドが帰ってきてしまった。母が歩き出してしまったので手を引かれるがまま邸宅の中に入ってしまった。



 今生で初めて入った貴族の館は思ったより煌びやかというわけではなかった。どちらかというと装飾は最低限という感じだ。ただ、床は高級そうな絨毯が敷き詰められており、土足のまま上がって汚してしまいそうで踏み込むのを躊躇してしまいそうになる。母は何にも気にしていないようでずんずんと進んで行ってしまうので、当然俺も仕方なく進むしかない。



 アミナというメイドが「こちらです」と示したのは、見るからに重そうな木製の扉だ。メイドが扉をノックして「オージー様、お連れ致しました」と声をかけると、待ち構えていたのかと疑いたくなるくらいすぐに内側から扉が開き、一人の男性が現れた。母が頭を下げるのを見て俺も慌てて頭を下げる。



「ツルナくん!久しぶりじゃないか。五年?いや十年ぶりくらいか。元気にしてたか!」


「オージー様、お久しぶりでございます。碌に連絡もよこさず申し訳ありませんでした」


「いやいや、構わん構わん。またこうやって顔を見せに来てくれただけで十分だよ。それにしても…………ラントゥスのことは大変だっただろう」


「ええ、まあ。でも最近は生活も落ち着きました」


「そうかそうか良かった」



 オージー様は母の顔を上げさせて手を取り、久しぶりの再会を喜んでいる様子だった。でも俺は先ほど考えていたことが気が気じゃなく、俯いて母の元にいられるにはどうすればいいか、頭を働かせていた。ただし俺の頭は混乱しきっていて、まともな思考は出来ていなかったけれど。



「ほら、マツバ挨拶しなさい」



 母の声に失礼なことをしたと思い直して顔を上げ、挨拶をする。



「こんにちは、マツバといいまえええええええええええええええええ!?おっちゃん!?」


「かんむり屋のマツバじゃねえか!何で俺んちにお前が!?」



 挨拶をしようと思ったんだけれど、毎日見る顔がそこにあったからビックリして礼を欠いてしまう。かんむり屋の常連のおっちゃんが目の前にいた。いつもの飲んだくれの平民みたいな服じゃなくて、ちゃんと貴族らしい服を着ているし、似合っていないものだから思わず笑いそうになって口を押さえた。



「あら、マツバをご存じだったのですか?マツバは私の息子なんです」


「息子ぉ!?奇遇な縁もあるもんだなぁ。俺はマツバが働いてる店の常連で、こいつがやるショーの大ファンなんだ」


「おっちゃん、貴族だったの…………!?いや、ですか!?」


「ガキが言葉遣い気にすんな。俺だって貴族が似合わねえことくらい自覚してるよ」


「ああうん、マジか…………」



 混乱レベルマックスである。五十パーセントの確率で思わず自傷してしまうかもしれない。そんな中母は話を続ける。まずい、売られる!?



「オージー様、今日私が伺わせていただいたのは、私の息子のマツバについて相談させていただきたかったのです」


「相談…………?」


「はい。私はこの子を学校に通わせてあげたいのです。だから、お力添えをお願いしに参りました」



 なるほど…………あ~よかった!売られるんじゃないよね!やっぱり。お母さんは俺のことを本当に愛してくれているのは知っていたし、当然俺を売って金に換えようなんて、薄情な人ではない。むしろ一瞬でも疑った俺の方が





 何て?????????????????





 え????????????????





 何ていいました?おかあさま??????????




 ガッコウ?嘘、そんなわけない違うに決まってる。




「この子には稼ぎの少ない私のせいで学校に行かせてあげられませんでした!でもマツバは私に文句も言わず、逆に気を遣って働くことを選んでくれました。私はマツバが学校に通いたかったのを知っていたのに、その選択をとらせてしまった。ずっと後悔しています。だから、今からでも学校に通わせてあげたい!でも、私一人の力では出来ませんでした…………お願いします。私に出来ることなら何でもします!だから…………どうか、力を貸してはくれませんか…………オージー様。私にはあなた以外に頼れる人が居ないんです…………!」



 泣きながら土下座する母。呆然とする俺。耳から聞こえてきたガッコウの四音。



 俺は気絶した。

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