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「もし、幼い頃に戻れたなら、何がしたい?」

「もし、幼い頃に戻れたなら、何がしたい?」



 がやがやとうるさい居酒屋の中で同僚が呟いた質問はしっかりと俺の耳に届いた。俺は枝豆の皮を剥いて中身を口に運ぶ手を止めて「何だって?」と聞き返した。



「だから、もし、子どもに戻れたら何をしたいか、って聞いてんのよ」


「ああ、聞き間違いかと思ったわ」


「なんでさ」


「お前からそんな話題が出てくるとは思わなくてさ」


「いいじゃーん、たまにはこういう話をしたってさ」


「お前、もう酔ってんのかよ」


「せいかーい!」



 普段は推しの話しかしないくせに急に素っ頓狂な質問をするのだから、彼の酔い具合は一目瞭然だろう。まだ居酒屋に来てから十分程度、生を一杯飲んだだけなのに完全に出来上がっている。コスパのいいやつだ。俺は遺伝かなかなか酔わない体質だから、少しうらやましくもある。



「そういうお前は何をしたいんだ?」


「難しいところだけど…………ピアノをもっとちゃんとやっておきゃよかったって後悔してる」


「お前、ピアノやってたんだ」


「もう遠い昔のことだよ。小学生の頃の話だから」


「もう弾けないの?」


「多分、無理かな。ほとんど覚えてないし。あの頃、毎週のピアノの日が本当に嫌で仕方なくて。小学六年の冬に限界を迎えて、家に帰らなかったんだよね」


「家出的な?」


「まあ、厳密に言えば違うけど、そんな感じ。授業が終わって、どうしても帰りたくなかった。だから学校から家に帰る道の真逆にあてもなく歩き始めたんだよね。結局四時間くらい、今自分が居る場所すらとっくに分からなくなってるのに足だけは前に進み続けて、遊具とベンチがあるだけの小さな公園に辿り着いたのよ。真夜中になったから怖くなって、やっと冷静になってさ。自分がやったことがどういうことか、そこで理解したんだよ」


「思い切ったことするね」


「思い詰めた人って何するかわかんないよね」



 枝豆の塩味が口内に馴染んでいく。幸福の時間を噛みしめながら、質問の答えを本気で考えてみる。そうして出てきた結論は実に簡素で面白みがないものだった。



「俺は戻りたくねえなぁ」


「えー!なんで。後悔とかないの?」


「後悔はあるけどさ、それよりももう一度学校に通わなきゃいけないって考えると吐き気がする。そのまま死んじまった方がマシだ」



 俺は小中高大と一通り親に通わせてもらったが、その日々は苦痛の連続だった。好きでもない勉強を頑張っても、報酬がすぐにもらえるわけでもないし、数十年先のことを考えながら無給で働き続けるのと同じようなものだから、もう一度耐えろと言われても難しい。高校生時分にあっるバイトを初めて労働の楽しさが分かってからは学業はほとんど手をつけなかった。



 特に俺が苦手としていたのは宿題という存在である。およそ午前八時から午後十六時の八時間を勉強で拘束されるのにもかかわらず、家庭の時間すら勉強で拘束しようとするのだからふざけるなという話である。大人だって法律で決められた労働時間は八時間、それ以上は残業代が出るし、持ち帰りの仕事があると聞けば、その会社は間違いなくブラックだ。



 でも、宿題は無給!無給である!



 やってられるか、という話だ。その宿題でやった内容が今の仕事に一つでも役に立ったかと聞かれればそんなことはないと断言できる。



 だから、俺は『死んでも』学校には通いたくないのだ。



 ◆◇◆◇◆



「おやっさん!肉野菜二、赤一、あと酒が三!」


「あいよぉ!」



 夕方の大衆食堂は仕事終わりの人達で今日も賑わっている。一日の中で最も忙しい時間だ。俺はそんな店のホールをおやっさんの奥さんのユーテラさんと俺の二人で回している。続々と入店してくる客を席に案内し、水を出し、注文を聞き、料理を運ぶ。一秒も止まっている暇がないくらいに動き回らなければいけないのは大変だけど、充実している。



「おーい、マツバ!今日の出し物はまだかー?」


「おっちゃんごめん!今、めっちゃ忙しいからちょっと落ち着いてからでいいー?」


「おう、いいぞいいぞー!」



 常連の頭の毛が少し寂しいおじさんから俺に声がかかる。俺はこの店で働く傍ら、客に喜んでもらおうとショーをさせてもらっている。最初の方はお客さん達もお遊戯会を見る気持ちで応援してくれていたが、続ければ上手くなるもので、今ではこの店の一つの目玉になっている。おやっさんも客が増えるならどんどんやれと応援してくれているからありがたい限りだ。



 常連さんが大きな声でショーの話を出してくれたからか、初めて来てくれたお客さんの中でもショーに期待するような声が聞こえてくる。ショーが見たいからといって追加注文してくれる人すらいる。あの人、リピート客が付くように毎日ああやって俺に聞いてくれてるんだよな。本当にいい人だ。また今度お礼しなきゃ。



「マツバ、後はあたしがやっとくから、行ってきな!」


「ありがとう!ユーテラさん!」


「今日も楽しみにしてるよ!」



 店内が少し落ち着いたところで、ユーテラさんからショーに行くように促される。お言葉に甘えて仕事を少し離れ、僕のためにおやっさんが日曜大工で作ってくれた小さなお立ち台に立つ。すると常連さん達からの囃し立てが聞こえてくる。ショーを始めた当初は一々緊張していたけれど、今ではすっかり慣れてしまった。



「皆様、本日もかんむり屋にお越し頂き、ありがとうございます。どうぞ、心ゆくまでお楽しみ下さい」



 挨拶は出来るだけ丁寧に。仰々しくお辞儀をする。うっすらと記憶に残る某テーマパークのショーをイメージしている。雰囲気作りの一環として行うよう心がけている。かんむり屋というのはもちろん俺が働いているこのお店のことだ。名前の由来は聞いたことがないから知らない。



 客の注意が粗方こちらに集まったな、と思ったところで出し物を始める。万が一にもミスをしないように集中して身体の中に魔力を循環させる。ふわっと柔らかい音と共に俺の手から炎が巻き上がり、やがて形が整っていく。少し経つと、炎は犬の姿になった。俺が命令すると犬は大きく跳躍し、その後足下を駆け回るような仕草を見せた。



「こちらが俺の相棒の一匹である、ボヤです。ほーら、ボヤみんなに挨拶しよう。こんにちは!」



 俺の合図に合わせて炎のボヤは首を上下に動かしてお客さんに挨拶をする。するとボヤの愛らしさの虜になった数々のおっさんたちが、我先にと歓声をあげる。もっと若い女の子に人気がでるものかと思っていたのだけれど、日々戦いなどで疲れているおっさん共の癒やしとして丁度良かったらしい。



 炎の魔法で作られたボヤは本物の犬のように愛らしいと評判だけど、召喚したわけでも何でもなく、俺が頑張って炎を制御して動かしているだけである。炎の魔法は取り扱いが難しく、少しでも制御を間違えれば、人に害を与えたり、火事になってしまう恐れがあるから、死ぬほど練習してショーに出せるようになったという経緯がある。



 ボヤは炎の魔法にしては低温で、すぐ近くに居ても少し暖かいくらいだし、炎の周りに薄く窒素の膜を覆わせることによって何かが燃えてしまうのを防いでいる。流石に触ってしまうと大やけどではあるが、危なくなったらすぐに消せば良い。俺の魔法改造の賜物である。



 十分ほどボヤと戯れるふりをして、ショーはおしまいとなる。細かいところの演出の変更はあるけれど、ほとんど毎日こうしてボヤとのショーを繰り返している。おおむね好評のようで、俺の魔法を目当てにした常連も増えているみたいだから、嬉しい限りだ。



 ショーが終わってもう少し給仕をすると俺の仕事の時間は終わりを迎える。おやっさんとユーテラさんはまだ店を開けているみたいだけど、俺は先に上がらせてもらうのだ。



「マツバ!ちょっとこい!」


「はい、おやっさん。どうかしましたか?」


「ほれ、これが今月分だ。ちょっと色付けてある。お前が魔法で出し物を始めてからうちの客も増えたし、随分稼げるようになったからそのお礼だ」


「ありがとうございます!」


「あと、これももってけ。今日の賄いだ。母ちゃんと分けて食え。これからも頼むぞ!」


「はいっ!頑張りますっ!」



 仕事終わりにおやっさんに呼ばれて給金をもらう。確認してみるといつもの1.5倍ほど入っている。今までの頑張りが認められたようで嬉しい限りだ。



 すっかり暗くなってしまった道を急いで母の待つ家に帰る。今日も良い報告が出来そうでよかった。自分が稼いだ額を思い返してふと頬が緩む。道の向こうから母親と手を繋いだ女の子が歩いてくるのが見えて道の片側に寄る。



「ねえ~ママ!今日も帰ったら遊んでよ!」


「ほら、宿題がまだ残ってるでしょ?先に済ましてからよ」


「え~…………わかった」



 すれ違いざま親子の会話が耳に入ってくる。不満げな女の子の声が頭に残った。



 やっぱ、学校って〇〇だわ!



 心の中で放送禁止用語を呟きつつ、俺はポケットにいれた給金を握りしめた。


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