書籍購入
三月の終わり。春の陽射しが、地上に柔らかな陰影を落としていた。空にはいくつかの白い雲が浮かび、時おり風に流されていく。まだ肌寒さの残る季節ではあるが、日差しのぬくもりは確かに春の訪れを告げていた。
上松海里は、そんな春の空の下を散歩気分で歩いていた。目的地は、自宅から徒歩でおよそ一時間の場所にある大型書店。普段なら自転車を使うところだが、今日は駐輪場が混んでいることを見越して歩くことに決めていた。
怠惰な春休みを満喫するつもりだった海里だが、母・鈴音の「勉強準備をしなさい」というひと言に抗えず、参考書を探しに出かけることとなったのだ。
家を出て三十分ほどが過ぎた頃。コンビニやファストフード店が立ち並ぶ通りを歩きながら、海里はキョロキョロと周囲を見回していた。
(なんか食べ歩きでもしたくなるな……)
小腹が空いてきたこともあり、唐揚げやホットスナックの香りに誘惑される。だが財布の中の現金はわずか。今月はすでに新刊の漫画とラノベでお小遣いを使い果たしていた。
今日の軍資金は、母から渡された五千円分の図書カード。しかも使用後はレシートの提出義務付き。現金での飲食は諦めて、自販機で飲み物だけでも買おうと探しはじめた。
「お、あったあった」
小走りで駆け寄り、ラインナップを見ながら腕を組んで唸る。水かお茶か、いや、せっかくだから炭酸が飲みたい。
しばし悩んだ末、折り畳みの財布から小銭を取り出し、好物の黒い炭酸飲料のボタンを押す。
ゴトン、と音を立てて落ちてきたペットボトルを取り出し、一気に半分ほど飲み干す。
「っく〜、うまい! こういう日にはやっぱ炭酸だな」
喉を刺激するシュワシュワの余韻に浸りながら、海里は空を見上げた。
「最近、ほんと暖かくなったな……冬も終わりか」
冷たい風はまだ残っているが、日中の暖かさと長くなった日照時間が季節の移り変わりを感じさせる。眩しい陽光に手をかざしながら、ふと空の一点に目が留まる。
白い雲の合間に、黒い模様。
「ん? ……鳥か?」
雲に混じっていたのは、白い体に黒い模様をまとった鳥のような存在。だが、羽ばたかずに空中に静止しており、まるで見えない足場にでも立っているかのようだった。
その鳥は、地上を見渡すように首を動かしていたが、次の瞬間、ピタリと海里の方を向いた。
(こっち、見てる?)
視線が合ったような気がした。次の瞬間、鳥の姿は雲の奥に溶けるように消えていった。
「……見間違いかな。まあ、そういうことにしとこう」
周囲の人々に目を向けるも、誰も騒いでいない。ひとまずペットボトルを飲み干し、ゴミ箱に捨てて再び歩き出す。
途中、景色を楽しみつつ、道を間違えたり信号に足止めされたりしながらも、大型書店にたどり着いたのは出発から一時間半後だった。
まずは趣味の棚を巡る。ラノベ、漫画コーナーには魔法少女を題材にした作品が並び、その種類も実に多彩だ。
(魔法少女ブーム、来てんのか?)
王道系からダークファンタジー、日常系まで──興味を惹かれた何冊かは、次回購入候補としてタイトルを覚えておく。
ひと通りチェックを終えると、本来の目的である受験参考書の棚へ。中一・中二の総復習と中三の先取りができるフルカラー参考書と、書き込み式問題集のセットを選ぶ。
ページ数は多いが、やり切れる自信はある。大学入試用の参考書並みの厚みが、かえってやる気をくすぐった。
レジに並び、ポケットから財布と図書カードを取り出す。
「こちら、図書カードでお願いします」
会計を済ませ、レシートを財布に入れ、袋を手に持って書店を後にした。
空は黄色く染まり、太陽はすでに西へ傾いていた。自販機や迷子時間のロスもあり、想定よりかなり遅くなってしまっていた。
念のため、ポケットから携帯を取り出して実家に電話をかける。
「……あれ、出ない。買い物中かな」
着信音の代わりに流れる留守電メッセージに苦笑しつつ、携帯をポケットに戻して帰路についた。
購入した教材の重みを片手に感じながら、海里は家までの道を踏みしめていく。
(次こそは……ちゃんと勉強して、少しは見返してやるんだ)
――そんな決意とともに。彼はまだ知らない。この一歩が、運命を変える出会いのはじまりになることを。
不明点等ありましたら、遠慮の欠片も不要です。
ここが分からない。何を言っているか理解できない。
ここが良かったなど、今後の参考にさせていただきます。