9.家族の縁
「とりあえず街屋敷の準備が整うまでにダンスとマナーの特訓。それから社交界の勢力図の把握。これはミラに任せた」
「かしこまりました」
「それから各自嫌味のバリエーションを増やしておくこと」
「それ必要っすか?」
「貴族なんてそれで飯食ってんだぞ」
シキの素朴な疑問にオスカーが自信満々で言い切った。
私もそれに異論はなかった。うちの家族の得意技だ。
貴族は上品な喋り方の裏にいつだって棘を潜ませている。
「ああ。ちなみにそうだ、俺との仲を派手に喧伝しちまうことになるが、それはいいのか」
「特に問題ないと思いますが……」
「嫁の貰い手がなくなるかもしれんぞ」
心配そうに聞かれて思わず笑ってしまう。
ありがたいけれど今更だ。
私の評判なんてもともと良いものではないし、今頃私の家出を知って激怒した両親たちに「一家の恥晒し」として呪詛の言葉をまき散らされていることだろう。
「そんなこと。すでに親に見捨てられた身です。結婚願望もありませんし」
「戻りたいとは思わないのか」
率直に指摘されて、かえってそれが優しさだと感じるのはおかしいだろうか。
「実はシキさんに支度を手伝っていただいている間に」
「シキでいいっす」
「シキ、に手伝ってもらっている間に」
諦めないシキに折れて、笑いながら呼び方を改める。
シキは満足そうにニコッと笑みを見せて、とっておいたらしい肉料理にかぶりついた。
「……その間に、少し考えていたのですが」
とても久しぶりに深く眠って、すっきりした頭で、極めて冷静に考えた結果。
「段々と腹が立ってきてしまいまして」
「ほう?」
私の言葉に、オスカーが面白そうに片眉を上げた。
だけど残念ながら大した話ではない。
すごく今更なことだ。
だけどたった五日間、家族から離れただけで分かったことがある。
私にとってあの人たちは、庇護してくれる存在どころか毒にしかならなかった。
両親の叱責を浴び続けることも、ネイサンの暴力に怯えることもなく。
五日間たった一人で旅をして、こんな遠いところまで来ることができて、王都で恐れられるブラッドベリ伯爵の館に飛び込んで。
全くの赤の他人達に人間扱いされてもてなされ、温かな部屋の柔らかなベッドでゆっくり眠ることができたから。
まるで呪縛から解かれるように気が付いたのだ。
「絶縁上等、家など何ほどのものかという境地に達しております」
血の繋がった家族から与えられなかったもの。
初対面の他人がくれたもの。
どちらが大事にすべきものかなんて、無能な私にもわかる。
「はっは! 頼もしいじゃねぇか」
豪快な笑い声を上げて、オスカーがデザートへと手を付けた。
「強気でいくがいい。それくらいでないと吸血鬼のオンナは務まらん」
「はい。ご迷惑をおかけしますが、これからよろしくお願いします」
伯爵には心から申し訳ないと思う。
きっと彼は私があまりに哀れで惨めに見えて、同情して付き合ってくれているのだ。
その上で私が気に病まないように、楽しいからやるんだなんて気を遣ってくれている。
望みが叶って事態が動き出してしまった以上、もう自分を卑下してウジウジ嘆いている場合ではない。
私が考えなしだったせいで巻き込んでしまったのだ。
ならばせめて私に与えられた役目をしっかり果たし、この厄介事に早く決着をつけなければ。
「まずはどういうプランでいくか。ああ迷うな。派手にやらかしたいが吸血鬼となるとやはり品性が必要か。なぁおいミラ。なんか良い案あるか」
だけどそんな私の決意をよそに、オスカーはやはり本気でウキウキワクワクしているように見える。
「あの、もしかして本当に楽しんでます……?」
失礼を承知で恐る恐る訊ねると、最後の一口を飲み込んだオスカーが私を真っ直ぐに見て言った。
「心から」
心底嬉しそうに微笑みながら、ナプキンで優雅に口許を拭う。
その仕草は堂に入っていて、洗練された貴族らしいもののはずなのに、何故か悪人然とした雰囲気が更に増して見えた。