6.遊び心
「両親は貴族としての地位を確かなものにしようとしていて、古くから続く貴族との婚姻を望んでいました」
「踏み台にするための政略結婚か」
「はい。だから私はネイサンにというより、両親に従うしかなかったのです。縁を切られたら生きていけませんから」
役に立たないのならせめて貧乏貴族に嫁いで人脈を広げろ。
お前に今まで投資してきた分を回収してこい、それが出来ないならただの穀潰しだから今すぐ消えろと言われ続けてきた。
親がいないと生きていけない。誰かに頼らなければ正しい道も選べない。
そんな自分の情けなさを白状するのは恥ずかしかった。
「ひどい親だ」
「慣れています」
苦笑しながら答える。
実際私にはそれくらいしか価値がないし、妹との浮気も一度婚約が解消されたことも忘れて嫁に行くべきだとも分かっている。
「虐げられ続けても家族のためにと耐える姿勢は尊敬に値するが」
後ろめたさに再び俯きそうになった私に、伯爵がそう言った。
「旦那様なら一日ともたず逃亡していたでしょうね」
「違いない」
冗談やお世辞を言っているのかと思ったけれど、ミラも伯爵も真面目な顔で深く頷き合っている。
嬉しかったけれど、私にはとてもそうは思えなかった。
結局は耐え切れずに家を飛び出してしまったし、もう二度と彼らの元に戻る気にはなれない。
それなのに自分でどうにかするだけの力はなく、結局は誰かに頼るしかなかった。
考えた末、ネイサンがずっと苦手にしていたブラッドベリ伯爵のことを思い出した。
今の自分に差し出せるのは、この身一つだけだったから。
「もし本当に吸血鬼ならこの血を捧げれば協力を仰げるかもしれない。そしたら伯爵もわざわざ乙女を攫ってくる手間も省けるし、乙女たちも怯えずに済む。一石三鳥! ナイスアイデア! とその時は思ったんです……」
「ぶはっ」
私の言葉に伯爵がまた噴き出す。
ミラがたしなめるように彼の二の腕を叩いたが、彼女も表情を隠すように少し俯いている。
ネイサンに付き纏われる恐怖で、夜もロクに眠れない中で考え付いた案だ。
改めて口にしてみたら、我ながらひどすぎて泣けてきた。
だけど。
金で爵位を買った家。
伯爵家に金で取り入り乗っ取ろうとしている。
金さえあればなんでも許されると思っている下品な家。
「ヴィリアーズ家に対する噂が全部的を射ていたから、社交界の噂というものは結構正確なものなのかもって思ってしまったのが間違いでした」
必死に説明している間もオスカーは笑いを堪えている。
稚拙な考えを嘲笑うというよりは、突拍子もない思い付きを面白がっているようだ。
激怒されて殴られたって文句は言えない立場なのに、伯爵はただ楽しそうだった。
「吸血鬼だなんて、侮辱も同然の噂を軽率に信じて押しかけてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
それでも改めて謝罪のために頭を下げる。
「侮辱も何も、嬉々として旦那様が噂を助長しているのです」
「えっ」
呆れた顔でミラが言う。
意味がよく分からなくてオスカーの方を見ると、彼はふんぞり返るようにソファの背凭れに腕をかけた。
「特に用もないくせに噂を確かめにきた暇人共と遊んでやっただけだ」
「吸血鬼っぽいという理由だけで屋敷の外装を黒く塗り変えるくらいの本気の遊びです」
「……そうなんですか!?」
この屋敷が不吉なほどに黒い理由がそんなことだったとは。
驚く私に、オスカーは悪人顔でにやりと笑う。
「ちなみにこの屋敷で働く全員が協力者だ」
「みな田舎暮らしに退屈しているのです」
「他人事みたいに言ってるがこいつがその筆頭だからな」
「主人の命に従っているだけです」
澄ました顔でミラは言うが、たぶん彼女も楽しんでやっているのだろうなということは二人のその気安い雰囲気から察せられた。
「あの……失礼ながらなんのためにそのようなことをしているのか伺っても……?」
「なんのため? 決まっている」
伯爵が笑う。
心から愉快そうに。
「楽しいからだ」
清々しいまでにシンプルな答えに、私は呆気にとられてぽかんと口が開いてしまった。
「まずミラに出迎えさせて、ビビるようなら作戦開始だ。俺はこの服に着替えて他の使用人たちは隠れ、広間の照明を落として待ち構える」
「ちょっと無表情にしているだけで恐れられるなんて失礼な話ですよねぇ?」
「いや、おまえ俺のことばっか言うが充分怖いからな」
楽し気にお遊びの全容が明かされていく。
聞けば聞くほど、私は彼らの企みにことごとくハマってしまったらしいことが分かる。
「ああもちろんいつもこんな馬鹿みたいな格好をしているわけではないぞ?」
物語の挿絵に出てくるような、一昔前の吸血鬼風の服を示しながら言う。
「もし訪問が昼間だったら夜まで待たせる。そして全力で脅かしてきた」
「私のこの顔色の悪さもメイクです」
「俺のこの隈もな。失礼な奴だったらそのまま追い返すし、面白い奴だったらネタばらしして噂は本当だったと王都に持ち帰ってもらう」
「どちらにせよ、旦那様が吸血鬼だという説が広まるという寸法です」
なるほどと腑に落ちるのと同時に唖然としてしまう。
今回はまさに私がその対象だったのだろう。
「まんまと遊ばれてしまった上に、いらぬ恥を上塗りしてしまったわけですね……」
その演出の数々に本気でオスカーが吸血鬼なのだと信じ切って、自分の血を交渉の道具にしようとしたなんて。
己の浅はかさを改めて思い知って、赤面するのと同時に深く反省して項垂れた。
「本当に、重ね重ね申し訳ありません」
「はは、お前は面白いな」
「……え?」
唐突に言われて首を傾げる。
「普通は馬鹿にしやがってと激高するところだ」
「フレイヤ様は優しい方なのです」
呆れ半分で笑うオスカーに、ミラが微笑みながら言う。
「よし、どうせ暇だし付き合ってやろう」
伯爵はパシンと自分の膝を打って言った。
「えっ」
「要は吸血鬼として恋人だか婚約者だかのフリをすればいいんだろう? 面倒な男を追い払うために」
「……なんの見返りもありませんが」
「構わん。楽しそうなことは大歓迎だ」
そんな理由でこんな面倒ごとに巻き込んでしまっていいのだろうか。
心配だったけれど、伯爵は心底楽しそうな顔をしているので何も言えなくなってしまった。
「そうと決まれば早速作戦会議を始めるか」
「旦那様、そろそろお休みになられないとお客様が困ります。作戦会議は明日になさいませ」
ミラに言われてオスカーがハッとした顔になる。
時計を見ればまだ深夜というには早かったが、心底疲れていたのでその提案はありがたかった。
「すまんな、気が付かなかった」
良く見れば私がボロボロのヨレヨレということに気付いたのか、伯爵に申し訳なさそうに言われて逆に恥ずかしくなる。
「旦那様はすぐ遊びに夢中になられるのですから」
呆れたようにミラに言われて、オスカーがバツの悪そうな顔になる。
さっきオスカーがミラを自分より偉いと言っていたけれど、確かにこの主従はどこか気安い雰囲気がある。金に縛られたうちの使用人達とは大違いだ。
何よりミラの方がオスカーより年下に見えるのに、どこか子供扱い的な物言いをするのが不思議だった。
「……ちなみに、伯爵のご年齢は?」
五十代というのが父親のことだいうのは理解したが、実際のところ彼が何歳なのかふと気になって訊ねる。
「二十八だ」
「みえっ……ます、大丈夫です……!」
三十代半ばだと思っていましたなんてことはもちろん言えず、必死に取り繕う。
「ははは正直な奴め」
けれどあっさり見透かされて笑われてしまった。
「気にするな。代々老け顔だ」
「オズワルド様も大変老けてらっしゃいました」
「老けた顔のまま生まれて老けた顔のまま死んでいくんだ」
本当に気にした様子もなく、オスカーとミラはケラケラと笑う。
「さて、ではこれ以上老け込まないように今日は寝るか」
そう言ってオスカーがソファから腰を浮かせた。
「そういえばおまえ、宿は取ってあるのか」
「……考えていませんでした」
ここに辿り着くだけで精一杯で、先のことを見る余裕がなかったのだ。
正直に答えると、オスカーは呆れるでもなく「無鉄砲にもほどがある」と笑った。
「ミラ、案内してやってくれ」
「かしこまりました」
「えっ!?」
「使っていない部屋がある。今日はそこで寝ろ」
言って早々と応接室を出ていく。
呆気に取られているうちにミラは私を浴室に押し込み、その間に体型の近いメイドから寝間着も借りてくれて、あれよあれよという間に泊まらせてもらえることになった。
「あのっ、本当に何から何まで申し訳ありません……」
客室の使い方の説明を終えて出て行こうとするミラに深々と頭を下げる。
「フレイヤ様はお早いうちに『ありがとう』を覚えてくださいませね」
ミラは優しく微笑むと、「私、そういうところには厳しいんです」と言ってひらひらと手を振り部屋を出て行った。
申し訳なさとありがたさと、それ以上に人間扱いされた嬉しさに戸惑う。
フカフカのベッドに潜り込んで、目を閉じてから思う。
もしかしたらこれは意識のない私が見ている都合のいい夢で、本体はすでに血を吸われ意思のない人形にされているのかもしれない。
そんなことを考えて少し笑う。
もしそうだとしても、まあいいかという気持ちになるくらいには彼らとの会話は心地よかった。