コミカライズ①巻発売記念SS:私だって頑張りたい(後)
夕食を終えてティールームへと移動する。
「すぐにお茶の用意をしますね」
「ありがとう、シキ、ミラ」
いつも通りテキパキと準備をしてくれる二人に礼を言ってテーブルへと向かう。
最近の定位置となっている、オスカーの向かい側のソファに座ると、彼は少し不服そうに唇を曲げた。
「またそっちか。結婚前から離婚の危機か?」
そんなことを言うが、声にはやはりからかいが滲んでいる。
私が恥ずかしがっていることを見抜いていて、それを申し訳なく思わないようにしてくれているのだろう。
彼のそういう相手に気を遣わせない優しさが大好きだ。
だけど今日の私はそんな優しさには気付かない。
オスカーの言葉を額面通りに受け取って動揺する、察しの悪い女なのだ。
「そんなの嫌です!」
今にも泣きそうな顔で言う。私の前に紅茶を置こうとしたミラの手がピクリと反応する。
もちろんどちらも演技だ。
彼女は私の言葉を聞かなかったフリで静かにティーカップを置き、しずしずと離れていった。
「やっぱりもう私なんて嫌になってしまいましたか……?」
震える声で問うと、オスカーが笑みの気配を消して微かに目を瞠った。
「フレイヤ?」
訝し気に私の名前を呼ぶ。
まだ動揺には程遠いけれど、つかみは悪くなさそうだ。
「ごめんなさい、私、色々なことが落ち着いてようやくオスカー様と一緒になれるんだって実感したら、急に恥ずかしくなってきてしまって」
これは事実だ。
ネイサンや家族のことに片が付いて、その後も当然のようにここに居させてくれて。
オスカーが本気で私との結婚を望んでくれているのだと、噛み締めるのと同時に今まで以上にオスカーに触れられるのが恥ずかしくなってしまった。
むしろ恋人のフリをしていた時の方がずっと距離が近かったくらいに。
彼もそれを分かっていて、からかうフリであえて距離を置いてくれているのだ。
時間をかけてゆっくり解決に向かえばいいと、そう考えているのだと思う。
だけど私は今すぐにでもあの時の距離に戻りたかった。
「でも私、本当はもっとオスカー様に触れたい」
真っ直ぐにオスカーの目を見て言う。
その目に、微かな、けれど確かな動揺が見てとれた。
それを見て、企みが上手くいっていることを確信した。
ミラたちと考えた作戦はこうだ。
もはや下手な小細工など一切せず、ただ正直に、まっすぐに伝えること。
それが多分、オスカーには一番効果的なのだと。
ミラもシキも強く言い切った。
ソファから立ち上がってゆっくりと近付く。
オスカーはただ私を見ていた。
「もっと近くにいたい。手だって繋ぎたい」
ソファに座ったままのオスカーの、すぐ目の前に立ち彼の肩にそっと手を置く。
「抱きしめてほしいし、甘えたいんです」
素直に、真っ直ぐ。
自分の欲望を伝えるのは泣きそうなほど恐ろしい。
彼らに出会うまで、誰にも心の中なんて見せられなかったから。
望んだって、叶えてもらえることなんてなかったから。
オスカーが黙ったまま真剣な顔で私を見上げている。
私はオスカーと視線を絡めたまま、ゆっくりと彼の膝の上に腰を下ろした。
「私が恥ずかしがって逃げても捕まえてください。素直に甘えられなくても、抱きしめて強引にキスをして」
額が触れそうなほどの至近距離で視線を合わせたまま、囁くようにひどいワガママを言う。
優しくしないで追いかけてほしいなんて。
オスカーからの返事はない。
だけど先を促すように、私の腰に手が添えられた。
「いいえもうキスだけじゃ足りないんです。その先を」
それ以上を口にするのはさすがに恥ずかしくて俯いてしまう。
オスカーの手の力がグッと強くなる。
それが励まされているようで、懸命に顔を上げて先を続けた。
「……もう子供じゃありません。あなたが、そうさせた」
優しい彼に、理不尽なことを言っているだろうか。
だけどこれが真実だ。
恋も愛も知らなかった私に、この人がすべて与えてくれた。
もっとと望むのは浅ましいだろうか。
だけど彼ならすべて受け止めてくれるはずだと期待してしまう。
「フレイヤ」
熱っぽい声が私の名を呼び、もう片方の手が私の頬に触れた。
そこまでが限界だった。
「はぁ、もう、ダメです……」
くたりと脱力して、オスカーの肩に額を乗せた。
心臓が口から飛び出してしまいそうなほどに暴れまわっている。
全身が熱くて、まるで高熱を出した時のように思考がふやけていた。
「……あぁ?」
耳元で心なしか困惑したような低い声が聞こえる。
少しは動揺してくれただろうか。
身を削る覚悟の決死の大作戦だったけど、なかなか上手く行った気がする。
確認するようにシキの方を見れば、彼女はいい笑顔でグッと親指を立ててくれた。
「……なるほど、そういうことか」
ホッとして気が抜けてしまった私とは対照的に、オスカーの気配が物騒なものへと変わっていく。
恐る恐る身体を離して彼の表情を窺ってみれば、なんだか妙に迫力のある笑みを浮かべていた。
どうやら今のやりとりで、オスカーの動揺を引き出すために私たちが企てたのだと気づかれてしまったらしい。
「もしかして……怒って、ます?」
おずおずと尋ねる。
「いいや? こんなことで怒るほど器の小さい男じゃねぇよ」
口調はいつも通りに軽いが、なんだか目が笑っていない気がする。
「むしろいよいよおまえが人生を楽しむようになって喜ばしいとさえ思っている」
「ひえ……」
ガシッと両肩を掴まれて思わず小さく声が漏れてしまう。
言っていることは普段と変わらないのに、蛇に睨まれた蛙の気持ちになってしまうのはなぜだろうか。
「おかげで遠慮も手加減もいらないということがよーく分かった」
全開の笑顔で言いながら、オスカーの手がするりと私の膝裏に入り込む。
「えっとはい、だから明日からは私ももうちょっと積極的に」
「いやいや何を言ってんだフレイヤ」
「きゃあっ!」
思っていた反応とはちょっと違うけど私の言いたいことは伝わったらしいと安心した瞬間、オスカーが私を横抱きにして立ち上がる。
「明日からと言わず今からでも積極的になってもらおう」
「えっ!?」
妙に色気たっぷりの笑みで言われて慌ててしまう。
「いえあのっ、さすがに今からというのは!?」
「聞こえねぇなぁ」
「だからあの、オスカー様!」
「火をつけたのはお前だ。覚悟しろよ」
そう言って私の反駁には一切応じず、ずんずんと歩を進めてしまう。
「ちょっ、シキ! ミラさん! オスカー様を止めてください!」
オスカーの肩越しに二人に助けを求める。
けれどシキは囃し立てるようにヒューヒュー言っているし、ミラに至っては大満足の笑顔で扉を開け、「いってらっしゃいませ」と深いお辞儀で私たちをティールームから送り出した。
どうやらミラとシキは私に協力してくれたのではなく、オスカーのためにお膳立てをしていたらしい。
「……二人にしてやられました」
「ふん、おまえもまだまだだな」
かくりと脱力してオスカーに凭れ掛かれば、彼は至極楽しそうに私のつむじに口づけて笑った。
オスカーにもっと近づきたいという私の望みは、段階を踏むことなく今夜一足飛びに叶ってしまうらしい。




