コミカライズ①巻発売記念SS:私だって頑張りたい(前)
「ほらフレイヤ、そんな離れたとこじゃなくてこっち座れって」
甘く優しい声でオスカーが私を呼ぶ。
ソファにゆったり座り、とろけるような笑みを浮かべ手招く姿は、とても魅力的なのだけど。
「いえ、お構いなく。大丈夫です」
魅了されてうっかりフラフラ引き寄せられそうになるのをグッと堪え、鋼鉄の意志で正面のソファに留まる。
だってあの顔は私をからかいたいときの顔だ。
さすがにもう分かる。
素直にからかわれても、オスカーは私を馬鹿にしたりしない。
ただ上機嫌になるだけだ。
それも分かっている。
だから絶対に嫌な思いをすることはないのだけど、最近はそれがなんだか少し悔しいのだ。
「くくっ、そう意地を張るなって」
オスカーが目を細めて満足そうに笑う。
困ったことに、私をからかい損ねてもオスカーは上機嫌になってしまう。
「意地なんか張っていません」
まったく思惑通りにならないオスカーに、大人げなくむくれてみせる。
だけどそれさえも彼にとっては面白い反応だったらしい。
「残念だなぁ。愛しい恋人と触れ合う時間を作るため根を詰めて働いたってのに」
大仰なほどに嘆いているが、口元には隠し切れない笑みが刻まれている。
私だってオスカーと触れ合いたいし、思い切り甘えたい。
恋人と言われるだけで胸が高鳴るし、意地を張るのが無意味なことは理解している。
それでも今の私にはどうしてもそれができなかった。
◇◇◇
「ねぇ、どうしたらオスカー様に勝てると思う!?」
鏡の前で身支度を手伝ってくれているシキに勢い込んで聞いてみる。
ここは正式に私の部屋となったブラッドベリ邸の一室だ。
初めてここを訪れた時に滞在していた客室とは違い、オスカーの部屋の隣に位置している。
調度品は少しずつ私の好きなものに変えてくれて、今ではすっかりお気に入りの空間だ。
ヴィリアーズ家で暮らしていた時の殺風景な部屋とは比べ物にならない。
「オスカー様に? 拳の勝負を挑むんすか? それならバートンさんに弟子入りするしか」
「違うのシキ。そういう物理的な話じゃなくて」
喋りながらも器用に私の髪を結いあげながら、見当はずれなことを言うシキに慌てて否定する。
「なら口喧嘩っすか? 口から生まれたみたいなオスカー様相手にそれはあまりにも無謀っすよ」
「ええとそういうことでもなくて」
「フレイヤ様は旦那様のからかいに平静でいたいのでしょう」
放っておいたら埒が明かないと踏んだのか、シーツを換えてくれていたミラが笑い交じりに正解を言ってくれる。
「ああなんだそういう。えでもオスカー様ってフレイヤ様の反応めちゃくちゃ喜ぶじゃないですか。それじゃ嫌なんすか?」
「嫌とかじゃなくて……その、いつまでも子供っぽい反応ばかりで、いつか呆れられてしまうんじゃないかって心配なの」
そう、私はオスカーのからかいに、大人な対応をしたいのだ。
想いが通じ合ってからもう半年以上経つというのに、いまだに私ばかり振り回されている。
今でこそ新鮮な反応として楽しんでくれているけれど、そのうち飽きてしまうのではないだろうか。
あるいは物足りなくなってしまうのではないか。
その証拠に、オスカーとはいまだにキスより先には進んでいない。
私がいつまでも子供なせいで、オスカーは仕方なく歩調を合わせてくれているのだろう。
「もう少し色っぽい……は、無理だとしても、動じないでいたいというか……」
「うーん、フレイヤ様は一生そのまんまだと思いますけどね!」
明るく無邪気な笑顔で容赦なくシキが言う。
「ううっ」
痛恨のダメージに、思わず胸を抑えて呻いてしまう。
「あっ、悪い意味じゃなくてっすよ? 初心で純粋なのがフレイヤ様のいいとこですし、何よりオスカー様はそれが堪んないっつうか」
「そうかしら……」
シキはフォローするようなことを言ってくれるけど、それだとずっと何も進展しないままだ。
「要はフレイヤ様も旦那様を動じさせたい、ということなのでしょう?」
ニコニコと、全てを見通すような笑顔のミラに言われてどきりとする。
「……そう、なのかもしれません」
自分の胸に手を当てて考える。
子供っぽいせいでその気になれないのが申し訳ないとか、呆れられたり飽きられてしまうのが怖いとか、そんなのはただの建前で。
「私も、オスカー様の焦るところを見たいのかも」
素直に口にしてみれば、最近のモヤモヤの理由がストンと胸に落ちた。
たぶんそう、私が何をしたって余裕綽々で、子猫がじゃれているくらいにしか思われないのが悔しいのだ。
「なら話は簡単です」
ミラがにっこりと笑って、取り替えたばかりのシーツをその辺にポイと放った。
「では、女三人で作戦会議をしましょうか」
そう言って空いてる椅子を二つこちらに寄せて、ミラ自身とシキを座らせる。
それから三人で顔を見合わせ、作戦を練り始めた。
「――で、このタイミングでフレイヤ様がこうすれば」
「そんなこと、私にできるかしら……」
「できるかじゃありません。やるんです」
臆病風に吹かれそうになる私に、ミラが力強く言い切る。
「フレイヤ様ならできるっす!」
「でも……ううん、そうよね! 私、やります!」
グッと拳を握り締め、覚悟を決めて二人に頷いてみせる。
そうして腹を決めてしまえば、あとはもうこの状況を楽しむしかない。
上手く誘導できるだろうか。
その時、オスカーは一体どんな顔をするだろう。
ワクワクする気持ちが抑えきれず、口元が緩んでしまう。
悪巧みをするときのオスカーはきっと、いつもこんな気持ちなのだろう。
「フレイヤ様ったらすっかりオスカー様に感化されちゃったっすね」
シキがケラケラと笑いながらそんなことを言う。
それは私にとって最高の誉め言葉だった。




