番外編:シキとバートンの場合(書籍化記念SS)
「ではでは、失礼しまーす」
「ありがとうシキ。またあとでね」
今の主であるフレイヤの朝の支度を手伝い終えて、シキは軽やかに部屋を出た。
剝ぎ取ったばかりのシーツを腕に抱え、洗濯室へ向かう足取りに鼻歌が混じるのはご愛敬だ。
この屋敷に勤め始めてから五年は経つが、ただでさえ楽しかった職場がこの一年でさらに楽しくなった。
ふと、気になるものを見つけて足を止める。
廊下に飾られたガーゴイルの像が汚れているのを発見したのだ。
「あ、これこの前使った血糊だ!」
気付いて赤黒いシミを指先でこする。
けれどすっかり乾いたそれは、少しこすった程度で落ちるわけもなく、なんの変化も起こせない。
「んー、しゃあない、一洗いしよっと」
ひとり呟いて、ガーゴイル像の首根っこを鷲掴みにする。
重たげに見えたその像は、華奢なシキの手にひょいと持ち上げられて難なく台座から浮き上がった。
片手に折りたたまれたシーツ、もう片方にガーゴイル像をぶら下げて、シキは再び足を洗濯室へと向けて歩き出した。
「おっと」
「うわっ、すみませ……シキさんそれ重くないんですか」
廊下の角を曲がった先でぶつかりそうになったバートンが、シキの手元を見るなり眉をひそめる。
「あはは、だってこれ偽物っすもん」
これはこの屋敷の主人であるオスカーが趣味で作らせた石像もどきだ。
材質が何かは知らないが、石の塊に比べたら断然軽い。
暗い照明だと本物に見えるけれど、朝陽の下ではやはり少し安っぽかった。
「いやそれは知ってますけど。それにしても女性が持つには重いでしょう」
呆れたように言いながら、シキの手からガーゴイルを当然のように受け取る。
どうやら代わりに持ってくれるらしい。確かに片手で持つにはだいぶ重かったので、素直にバートンに渡すことにした。
「どこに運ぶつもりだったんです? おや、なんか汚れてますね」
「そうなんすよ。だから洗濯ついでに洗っちゃおうと思って」
言いながら並んで歩き出す。洗濯室なら洗うための水には困らない。
「なるほど。あ、そっちも持ちますよ」
「いいんすか? あざます!」
バートンがガタイに似合わない繊細な気遣いを見せるので、シキは礼を言ってから遠慮なくシーツを渡した。
シーツなんて重くもなんともないのに、女性に持たせているというのが気になるらしい。
「バートンさんてまさに『気は大きくて力持ち』って感じっすよねぇ」
恩着せがましくもなく自然にそういった振る舞いができるバートンにしみじみ感心して、笑顔になりながらシキが言う。
「それを言うなら『気は優しくて力持ち』でしょう。それだとただの粗暴なやつじゃないですか」
「わはっ、ホントだ間違えた!」
困ったように眉尻を下げるバートンに、悪びれた様子もなくシキがケラケラと笑う。
「いやでもホント、気遣いマックスっていうか。そこらの男連中よりよっぽど強いのに、全然威張ったりしないじゃないすか」
従僕としての能力も高いが、バートンは用心棒としても重宝されている。
見た目で怖がられるのももちろんだし、実力も伴っているのだ。
そういう男が普通はどんな振る舞いをするか、シキは身をもって体験している。だからこそ余計にバートンの紳士的な態度が不思議だった。
今だって、足の長さに大きな差があるというのに、当然のようにシキの歩調に合わせてくれている。
オスカーに重用されても彼は決して驕り高ぶることなく、控えめな姿勢を崩さない。
それに、今の立場に甘えることなく彼が仕事の時間外にしっかり鍛えているのをシキは知っていた。
「まあこの見た目ですからね。怖がらせたくないんですよ」
「怖がられた方が得な時もあるのに?」
「やですよ。悲しいじゃないですか」
シキの言葉を聞いて、バートンの眉間にしわが寄る。本当に嫌そうだ。
その言い方と表情がなんとなく可愛く感じて、思わず笑う。
「バートンさんってなんか可愛いっすよね」
正直な感想を言えば、バートンは一瞬毒気を抜かれたような顔になったあとで苦笑した。
「……聞く人によっては皮肉に聞こえるでしょうね」
「えっ! すみません、そんなつもりじゃっ」
昔から考えなしに発言をしてしまうことがあるのは自覚していた。だけど人を傷つけたいわけではないのだ。
「分かってます。シキさんに裏表があったら、もう誰を信じていいのか分からなくなりますから」
慌てて訂正しようとするシキに、バートンが優しく笑いかける。
その表情に、焦っていたのも忘れてほわっと胸が温かくなった。
「初対面で私に怯えなかった女性はシキさんくらいです。あれは嬉しかったな」
初めて会った時のことを思い出しているのか、バートンが懐かしむように目を細めた。
なんだかむずがゆい気持ちになって、口がもにゃもにゃしてしまう。
「……ミラさんは?」
「すごく警戒されました」
はははと笑いながらバートンが言う。
その笑い方が、なんだかすごく好きだと思った。
「ねえバートンさん」
「うん? なんですか?」
「あたしと結婚しませんか」
「はぁ!?」
シキの唐突なプロポーズに、ガーゴイルが鈍い音を立てて墜落した。
「そうだそうしましょうよ絶対楽しいっすよっていうか絶対楽しくしますからしましょう結婚」
驚愕に目を丸くして固まっているバートンに、勢いよく捲し立ててシキが詰め寄る。
自然と口をついて出たプロポーズだったけれど、なんだかすごくしっくりきてしまったのだ。
「いや、あの、え? 付き合ってもないのに急に何をっ」
泡を食ったように狼狽えるバートンの顔が、じわじわと赤くなっていく。
「え! まさかの脈ありっすか!?」
その反応に嬉しくなって、後退るバートンを壁際へと追い詰めていく。
「あたしのこと嫌いじゃないなら是非! 絶対幸せにするっす!」
このまま勢いで押しきれるんじゃないか。だってバートンさんいつもすぐ折れてくれるし。
そんな打算を胸に、大きな身体を逃がすまいと覆いかぶさるようにして壁に両手をつく。
「ね。お願いします」
そうして今にも根を上げそうなバートンの顔をじっと見上げる。
「……一週間考えさせてください」
真っ赤な顔を大きな手で隠しながら、観念したようにバートンが言う。
それを聞いてシキの顔が喜色に染まる。
「ひゃっほうやったぁ! あっ、もちろん断ってくれてもいいっすからね!」
本当は嫌だけど。無理強いだけはしたくない。とりあえず選択肢に入れてくれたことだけでも僥倖だ。
「そんじゃあたし仕事に戻るっす! ここまで運んでくれてありがとうございました!」
身体中にやる気がみなぎって、シキは元気よくシーツとガーゴイルを拾い上げて廊下を駆けていく。
一週間後に、イエスの返事どころかオスカーへの報告と結婚後に住む場所の候補までバートンが用意してくるとは知らないまま。
書籍化記念にシキとバートンのほのぼの会話を書くつもりが結婚してました。
シキは恋心の自覚すら怪しいですが、バートンはもともとシキに好意あり。
という感じです。




