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5.伯爵の正体

「まあいい。それでなんだ、今のは本気なのか」

「へ? あ、ええ」


問われて必死に頷く。

返事が遅れてやっぱりなしなんて言われたら困る。

なんだかよく分からないけれど、私の交渉材料は気に入ってもらえているようだ。


「ふん、同情を買わせてなんの犠牲も払わずってんなら追い返すつもりだったがな」


愉快そうに目を細めて、伯爵が椅子から立ち上がる。

どうやらこちらに来るつもりらしい。


「ええとじゃああの、どっ、どうぞ……」


ズンズン近付いてくる伯爵を見て、覚悟を決めて少し頭を傾け首許を晒す。

少しでも血を吸いやすいようにという配慮だ。


「ぶはっ、いやおまえ、血はいらねぇって」


それを見て伯爵がぶり返したように笑いながら、床に座り込んだままの私に視線を合わせるように、正面にしゃがみ込んだ。


「え? でも」


戸惑いながら言うと、伯爵が手を差し出してきた。


「気に入った。まあとりあえず立ちな」


おずおずと同じように手を出すと、がしりと掴まれて身体が跳ねる。


「先に言っておくが俺は人間だ。正真正銘な」

「ええ。お顔が怖いだけの」


ミラが付け加えると、伯爵は「余計なことを言うな」と彼女を睨んだ。

対するミラは涼しい顔で受け流し、小さく肩を竦めるのみだった。


「にっ、人間……?」

「そう。歳をとれば死にもする。主食は肉と酒とパンの、普通の人間だ」


気のせいだろうか。

彼らを取り巻いていた不穏な気配は、いつの間にか立ち消えるようになくなっている。

はっきり人間だと言われたせいでそう感じるのかもしれない。

そう気付いてから、自分の単純さに嫌気がさす。

こんな簡単に人の言うことを信じてしまうから親に嫌われていたというのに。

いつまで経っても学習しない自分に、いっそ腹が立ってくる。


「がっかりしたか?」

「いっ、いいえそんな……!」


ふるふると首を横に振れば、伯爵はにやりと笑った。


不健康そうな顔色でそういう顔をされるとますます怖い。


けれど握り返した伯爵の手は温かく、間違いなく血の通った生き物だということが伝わってきた。


「んじゃま、こんなとこで話すのもなんだし場所を変えようか」


言って立ち上がり、繋がったままの私の手をぐいと引いた。

ずっと床に座っていたせいか緊張のせいか、立ち上がるのと同時に足元がふらつく。

その身体を、伯爵の腕が支えた。


「抱き上げて運んでやろうか、ハニー?」


至近距離でぱちんとウインクをされて、心臓が変な音を立てる。

人間だと宣言されても恐怖が消えていないのだろうか。


「だだ、大丈夫です! 自分で歩けます!」


慌てて離れると、伯爵がまたひとつ笑い声を上げてさっさと歩き出してしまった。


なんだろう、吸血鬼じゃないにしても、さっきまでの印象と違いすぎて何が何だか分からない。

説明を求めてミラの方を見ても、にっこり微笑まれただけだった。


「私達も参りましょう、フレイヤ様」


美しい声音で言われた言葉は、平坦さとはかけ離れた温かみを感じるものだった。


ミラは私と並んで歩きながら、照明の足りない場所にロウソクの火を足していく。

廊下は一気に明るさを増して、隅々まで見渡せるようになった。


恐ろしく思えた怪物たちのオブジェも、明かりの下で見れば愛嬌のある顔をした動物たちだったということが分かる。


ここは怪物の館なんかではなく、本当に人間の領主が住む場所なのだ。

ようやくホッとして、肩の力が抜けていった。


隣でミラがくすりと笑うのが聞こえる。

けれどそれは決して私を馬鹿にするようなものではなかった。




「オスカー・ブラッドベリだ。こっちはミラ。この屋敷の管理責任者で、俺より偉い」

「あら、そんなことは」


改めて自己紹介を始めたオスカーの、隣に座っているミラが否定も肯定もせず軽やかに笑う。


顔の色はやはり心配になるほどに青白いけれど、もう彼女が人外のものだなんて馬鹿な勘違いはしない。


移動した応接間は明るく、薄暗い広間での人外染みた印象はすでに消え失せ、ちゃんと彼らを人間として認識できるようになっていた。


「フレイヤ・ヴィリアーズです……先ほどは大変な失礼をいたしました……」


身を縮こまらせて頭を下げる。

恥ずかしさと申し訳なさのせいで、顔は異常なほどに火照っていた。


「くくっ、見事な覚悟を見せてもらったよ」

「うう、本当に申し訳ありませんでした」


勝手に吸血鬼と思い込んで処女の血を捧げるだなんて。

自分の行いを顧みれば、あまりの失礼さと厚顔無恥さに気絶しそうだ。


「気にするな。わざと紛らわしいことをしたこちらにも非がある」


平身低頭で詫びる私にオスカーが苦笑する。


「わざと……?」


その言葉の意味が分からずに、顔を上げるとオスカーの顔がよく見えた。


確かに人相が良いとは言えないが、よく見ればつややかな黒髪に端正な顔立ちをしている。

それに紺色の目は深い色をしていて、笑みの形に縁どられた薄い唇が危うい色気を孕んで見えた。


「遠慮なく笑わせてもらったし、もう気にしないでくれ」

「お聞きしていた年齢より随分お若く見えたのもあって、すっかり信じ込んでしまいました」


今こうして明るい中で見ても、とても五十代には見えない。

肌にはシワもなければくたびれた気配もなく、声も溌剌としている。


「皆が認識しているブラッドベリ伯爵とは父のことだろう。我ながら不気味なほどそっくりでな」

「お父様、ですか」

「ああ。とっくに引退して領内の村で隠居生活をしてる。人嫌いの偏屈な男だ」


呆れを滲ませた表情で言うけれど、口調には親しみを感じる。

父親を嫌っているというわけではなさそうだ。


「それにしても、変態から逃げるために化け物の館に駆け込むとは」


揶揄うように言われて恥ずかしくなる。

ここに来ることを決めた時は、それしかないと本気で思っていたのだ。


「怖気の立つ気持ち悪さより、怖い方がマシだと思ったんです……それくらいに気持ち悪かったんです……」

「そりゃよっぽどだな」

「あっ」


同情気味なオスカーの言葉のあとに、ミラがハッと気付いた顔で声を上げる。


「あの外にいらした方がもしや」

「はい……おそらく元婚約者です……」


ぶるりと身体を震わせるて答えると、オスカーとミラが「やべぇやつがきた」みたいな表情で顔を見合わせた。


「王都からつけてきたのか」

「おそらく」

「で、そこまでしたのに怖くて館には入れなかったと」

「だと思います」

「ぶくくっ」


確信をもって頷くと、オスカーが心底面白そうに噴き出した。


「根性があるんだかないんだか分からんやつだ」

「捕まえさえすれば私が従うという考えが染みついているのです」


子供の頃からずっとそうだったから、もうその考え方を変えることが出来ないでいるのだろう。

私だって妹とのことで一旦ネイサンから離れていなければ、一生彼に従うことに疑問を持たなかったはずだ。


「ここまで入ってきたお前の方が余程肝が据わっている」

「……ありがとうございます」


微かに褒められた気配を感じて、そんな場合ではないというのに少し照れてしまう。

だって誰かに褒められることなんて、思い出せる限りでは皆無だ。


「しかし何故そこまでしてその男に従っていた?」

「それは、親にとって私が貴族界で成り上がるための駒だからです」


我がヴィリアーズ家は、爵位を金で買ったと陰口を叩かれるような新興貴族で、その噂は正しく的を射ていた。

商売を成功させた両親は、貴族や役人にお金を積んで兄が生まれる前に爵位を得た。

彼らはこれまで散々汚い手を使って今の財力と地位を築いてきたのだ。

そしてそれを恥じることもなく、私達兄妹に「お前たちもこうなれ」と今までの所業を誇らしげに話して聞かせた。


両親の気質を受け継いだ兄と妹は気に入られ、すくすくと育った。

対する私は要領が悪く、無価値な人間だと言い聞かされてきた。


親の愛情を得るために私もその考えに染まろうと頑張ったけれど、生まれ持った気質は変えられない。

自分の得のために人を陥れようとすると、いつも罪悪感が邪魔をしてしまうのだ。

そんな私を両親や妹は「間抜けのグズ」と罵り、自分の不甲斐なさに泣く私を、兄は冷たい目で見てため息をつくのみ。


彼らのようになるのは無理だと悟った私は、せめて彼らの足を引っ張らないようにならなくてはと強く思った。


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[気になる点] 使用人が主人公の隣に座るのは良いのか? [一言] 根っからの糞家族じゃねぇか
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