終.幸せな未来
オスカーが広げられた書類の一枚を手に取り目を通す。
私は完全に邪魔な位置にいると思うのだけど、オスカーは気にならないらしい。
「……なるほど?」
その表情が、微かに楽しそうな色を帯びた。
「土地自体が魅力的というのもありますが、個人的に陛下とも親しいようだということも聞き及びました」
これは暗に取引を持ち掛けているのだろう。
商売のルートを確立しろとか、陛下に取り立てろとかそういった類の。
「なかなか食えない男だ」
「ええ。私の血は美味しくありませんよ」
自信満々に兄が言って、オスカーが不快そうに鼻にしわを寄せた。
お兄様でもジョークを言うことがあるのね。
変に感心しながら、自分の腿の上でなんとか書類にサインをする。
「……もう一人の可愛い妹はどうなったんだ」
「気になりますか」
「そっちが駄目になったからフレイヤを迎えに来たんだろう?」
「まあダメという程ではありません。使い道はありますから」
さらりと人でなしなセリフを吐いて、これでこそお兄様と少し安心してしまった。
「おまえの兄ちゃんどうかしてんぞ」
「ごめんなさい、これが通常営業なのです」
苦戦の末、ガタガタになったサインを不服に思いながらペンと書類をテーブルに戻す。
「ニコルの嫁ぎ先は無事決まりましたし、本人も納得しています」
「どんなあくどい手を使ったんだ」
この短時間ですっかり兄の人となりを理解したらしいオスカーが、少し面白がるような調子で聞いた。
「特には。最初は狒々爺のとこなんてイヤと泣いて嫌がっていましたが、今までみたいに使用人と寝ればいいだろうと言ったら段々と乗り気になりまして。金は腐るほどあるし、老い先短い爺さんをほんのちょっとの間慰めてやるだけでいいんだと言ったのがトドメでした」
「……悪くない条件に思えるが」
私にはとてもそうは思えなかったけれど、確かにニコルならそんな中でも逞しく生きていけそうだ。
「商工会の重鎮で、確かに金持ちなので使用人はたくさんいます。ですが筋金入りの女好きなので、全員女性です。それに彼が亡くなった後の遺産は、ヴィリアーズ家が管理することになっています」
兄は少しも悪びれることなく淡々と言った。
両親の気質を一番受け継いでいて、その上でさらにそれを濃く煮詰めたような人だと思う。
「…………っくく」
少しの沈黙の後、オスカーが小さく笑い声を漏らした。
「はーっはっは! いいぞ気に入った! また来月一人で来い。しっかり書類に目を通しておく」
「ありがとうございます」
薄っすらと笑みを浮かべて兄がぺこりと頭を下げる。
他人から見れば特に喜んでいるようには見えないけれど、これはかなり上機嫌な状態だと思う。
兄はテーブルに広げた書類を手早くまとめ、改めてオスカーに差し出した。
「ちなみに、お父様とお母様は今後どうするおつもりですか?」
テキパキと帰り支度を始めた兄に問う。
だって妹があの扱いだ。
兄の中でもう用済みとされているだろう父と母は、一体どうなるのかなんとなく気になったのだ。
けれど私の素朴な疑問に兄は何も答えず、ただニタリと笑った。
背中にゾッと悪寒が走る。
結局両親の行く末については何も言わないまま、兄は署名済みの書類を回収すると、あっさりと退室して帰っていってしまった。
「……あいつ今、俺より邪悪な顔してたぞ」
「あの家族と正式に縁が切れて本当に良かったです……」
恐ろしさに、思わずオスカーにしがみ付く。
脅かすつもりが逆に脅かされてしまったらしい。
なんだか少し悔しかった。
「……あの、オスカー様、もう離していただいて大丈夫です」
ようやく落ち着いてそう言えば、一向に緩む気配のない腕にさらに力が込められた。
「ダメだ。変に里心がついてやっぱり帰ると言われたら困る」
少し子供っぽい口調で言われて照れる。
膝から降ろしてくれる気さえないらしい。
両親の嘘に満ちた安っぽい愛の言葉と、私を真っ直ぐ見るようになった兄。
珍しいものが見られたとは思うけれど、今の私の心を揺らすほどのことではなかった。
「私はあなただけのものだとさっき言ったでしょう、旦那様」
拘束から抜け出すことを諦めて、首筋に腕を巻き付けて体重を預ける。
「んな可愛いこと言っても、半分くらいはシキ達のもんじゃねぇかおまえ」
「ふふっ、それは確かにそうかもしれません」
いじけた指摘に思わず笑う。
オスカーと、シキ達と、それにここで働くすべての人達。
大切なものがどんどん増えて、そのたびに私は幸せになっていく。
「まあおまえが楽しそうだからいいけどよ」
諦めの滲んだ声でオスカーが言う。
私だってオスカーが楽しいのが一番だ。
「無事あいつらと縁も切れることだし、来月あたり結婚すっか」
ごく軽い口調で言って、けれどその目は真剣だった。
「そうすりゃ正真正銘、おまえは俺のものになる」
本当に私でいいんですか、なんてもう聞いたりしない。
オスカーが心から私を大切にしてくれているのをもう知っているから。
「……シキが大張り切りするのが目に浮かびますね」
「屋敷の壁塗り変える勢いでな」
「あはは! そうなったら私も手伝いたいです」
「屋敷中総出で虹色にでもするか」
「センスないって叱られますよ」
「あいつ最近ますます俺のこと舐めてるよなぁ?」
未来のことを空想するのはとても楽しい。
トクトクと心音が上がって、胸が弾んでいく。
「花嫁衣装は黒にしとくか? おまえは本当に黒がよく似合うから」
「全員で黒を着るのも楽しいかもしれませんね。オスカー様も世界一黒が似合いますので」
オスカーの未来予想図の中には当然のように私がいて。
こんなに嬉しいことを私は他に知らない。
私たちは抱き合ったまま、くすくすと笑い合って、これからのことを飽きることなく話し続けた。
ここまでで完結となります。
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