47.ブラッドベリ領にて
ブラッドベリ領のカントリーハウスに戻ってから数ヵ月が経過していた。
しばらくは王都に滞在している間に溜め込まれた領主としての仕事を手伝って、書類の山がようやく解消される頃にはすっかり春になっていた。
一緒に乗馬をしたり釣りをしたりする中で、花が咲き乱れていくのが目に楽しい。
王都での絢爛豪華な日々も楽しかったけれど、やはりオスカーやシキ達と自然に囲まれてのんびり過ごす方がずっと好きだ。
毎日着飾る必要がなくなってシキは少しつまらなそうだったけれど、最近ではお互いの仕事を終えた後にカードゲームやお喋りに興じるのが日課となっている。
屋敷の人達は私の存在をごく自然に受け入れてくれて、オスカーと同じように主人として扱ってくれる。
それに少し気後れしてしまうけれど、胸を張って受け止められるよう、私自身が成長しようという励みにもなった。
そうやって新しい生活が落ち着き始めた頃だった。
* * *
「来ました」
夕食後、二階の談話室で休んでいると、蒼い顔のミラが飛び込んできた。
「とうとう来たか」
満を持してという勇ましい顔でオスカーが立ち上がる。
「シキちゃんの出番っすね?」
同じくくつろいでいたシキが、ウキウキしながら言って、メイク道具を懐から取り出した。
そのメイク道具一式には、普段使わない色のファンデーションやチークなどが詰め込まれている。
「本当に今夜来るとは思いませんでしたね」
せっかく淹れてもらった紅茶を残すのがもったいなくて、慌てて飲み干してから言う。
「余程急いでると見えるな」
「念のため私だけでも先にメイクをしておいて良かったです」
ミラが自分の青白い頬に手を当てて微笑む。
彼女が客間へと案内するまでの間、彼らはさぞ肝が冷えたことだろう。
ヴィリアーズ子爵夫妻がブラッドベリ領に向かっているという情報をキャッチしたのは、つい昨日のことだ。
ミラの情報網となっている個人的な配下の人が、隣町で仕事をしている時に見かけたのだと、早馬を飛ばし知らせてくれた。
一晩宿に泊まって朝の出発であれば明日の日暮れ前に辿り着けるのに、今到着したということはロクに休まず馬車でこちらへ向かったらしい。
「わざわざ夜に来なくてもいいのになぁ」
「油断しているところに奇襲をかけるつもりだったのではないでしょうか」
両親の考えそうなことだ。
そうやって人の最も嫌がるタイミングにつけこんで、最大限の成果を上げようとする。
「ああそうです、お伝えするのを忘れるところでした。ご両親だけではなく、おそらくお兄様もご一緒です」
「兄が?」
意外な情報に目を瞠る。
王都以外に興味のない兄が、こんな遠くまで来るとは思わなかったのだ。
「ええ。ご両親とは違って、私を見ても屋敷内の暗さを見ても一切動じなかったので、助っ人のつもりで連れてきたのかもしれません」
「ああ……確かに兄ならそうかもしれません」
今まで兄が動揺するところなんて見たことがない。
なんというかあの人は、両親や妹よりも真意の読めない人だった。
「おっし、オスカー様終了っす!」
呑気に話をしている間にもシキは着実にオスカーのメイクを終え、今度は私の顔に取り掛かった。
「久しぶりだし、本当はもっと丁寧にやりたいんすけどね」
シキが残念そうに言いながらも手早くメイクを進めていく。
一階の照明は演出のために暗くしているので、ある程度ざっくりとでもなんとかなるのだ。
夜会の煌びやかな照明下でのメイクに比べると、格段に完成度は落ちる。
けれどいつまでも客間で待たせるわけにもいかないので、渋々手抜きメイクを施してくれた。
それでも私から見れば上々の仕上がりなのだけど。
「さて、では応接室で待つとするか」
念のため着ていた黒いワンピースと黒いタキシードのまま、オスカーと二人で一階の応接室へと向かう。
もちろん中の照明は最低限だ。
オスカーが応接用のソファに座り、私はドアから一番離れた部屋の隅にある、何の飾りもない簡素な椅子に座った。
「はは。上手いこと紛れるな」
「本当ですか?」
嬉しくて思わず顔が綻ぶ。
黒いタイツに黒い手袋。
それから髪はくるりとまとめて、黒いベール付の黒い帽子を被っている。
僅かな照明は部屋の隅には届かず、身動きをしなければ闇に一体化出来るのだ。
「くくく、悪だくみは楽しいなぁ」
「ふふっ、両親の訪問をこんなに心待ちにする日が来るなんて思いもしませんでした」
「途中で笑わねぇか心配だ」
「私もです」
二人でひっそり笑いを交わし合っていると、控えめなノックの音が聞こえた。
「……入れ」
すぐに空気を切り替えて、低く威厳のある声でオスカーが言う。
私は息を殺して姿勢を正した。
ゆっくりとドアが開いて、ミラが入ってくる。
その後ろに両親と、兄が続いた。
三人が入ったのを見届けて、ミラが静かに出て行く。
ドアが閉まるほんの小さな音に、父がびくりと肩を揺らすのが見えた。
「……急な訪問にも関わらず、お会いくださりありがとうございます」
「座れ」
にべもなくオスカーが言って、父が鼻白む。
母は戸惑ったような顔で父に目配せをして、二人がまごまごしている間に兄が「失礼します」と言ってさっさとソファに座った。
両親が慌ててそれに続く。
「こっ、このお屋敷は随分と暗いですな」
「用件はなんだ」
ご機嫌を取るような愛想笑いを浮かべた父を、短い質問で遮る。
顔を見合わせた両親がおずおずと口を開いた。
「……ではお言葉に甘えて本題に入ります。その、娘を返していただきたいのです」
「ほう……?」
「私達はこれまでずっと行方不明の娘を探していました。先日、王都で運良く再会でき、お互いに喜び合っていたばかりでした。それなのにまた消えてしまったのです」
「それで何故俺に返せなどと」
「噂では、あなたと共にいると」
調子のいい作り話に、思わず笑いそうになるのを耐えた。
「知らんな」
「いいえ確かな情報です。どうか娘を返してください。いいですか、これは誘拐ですよブラッドベリ卿」
オスカーがしらばっくれたのを後ろめたいからと判断したのか、父の口調が少し強気なものへと変わる。
「誘拐? 面白いことを言う。お前の娘は自分の意思で俺の元に来たのに」
「やはりここにいるんだな!? フレイヤを出せ!」
得たりとばかりに強い口調で父が言う。
オスカーは泰然と構えたまま、薄く笑った。
「あれはもう俺のものだ」
「お前との婚約など私たちは許可しておらん!」
「貴様らの許可などいらん。だいたい貴様から縁を切ったのだろう?」
互いに口調が荒くなっていく。
けれど怒りのボルテージが上がっていく父とは反対に、オスカーは小馬鹿にするようなニヤニヤ笑いを強めていた。
「そんなはずはない。フレイヤは何か勘違いをしているんだ。あれは必要な存在だ。私達は娘を愛している、返してくれ」
「そっ、そうです! 私はフレイヤを大事に育ててきました。あの子は世間知らずなところがあるから、あなたが唆したんでしょう!?」
「……まぁ世間知らずという部分は納得できるが」
そこだけ妙に実感の籠った調子で言って、ちらりとオスカーがこちらに視線をやった。
「しょっ、処女なら誰でもいいのだろう? なんなら代わりの女を見繕って渡すから、取り換えてくれ」
さすが私の親。
失礼にも程がある。
半ば呆れ、半ば羞恥に襲われ思わず顔を覆いたくなる。
オスカーはそれを鼻で笑って、姿勢を崩した。
「馬鹿が。誰でもいいわけがないだろう」
ソファの背凭れに片腕を掛け、低く冷たい声で嘲笑う。
「フレイヤ、おいで」
「……ハイ、旦那サマ」
椅子から立ち上がって、感情のこもらない返事を返す。
今まで身動き一つせず気配を殺していたのが功を奏して、暗闇から急に出てきたようにしか見えなかっただろう私に、両親が驚愕の表情を向けた。
ベール越しにちらりと窺い見た兄は無表情のままだが、いつものことなので気にしない。
「ここに座りなさい」
「ハイ、旦那サマ」
言われて近寄る。
打ち合わせではソファの隣に座るはずだったのに、オスカーが指し示している場所は彼の膝の上だった。
うっかり動揺しそうになるのを堪えて、虚ろな目のままオスカーの正面に立った。
両親にだけでなく、私にも悪戯を仕掛けてくるとは。
責めるような目で睨むと、オスカーは心底楽しそうにニヤニヤと笑っていた。




