46.王都撤退
屋敷に帰り、予定より早い戻りに驚いていたみんなに夜会での出来事を話した。
オスカーの語り口は軽妙で、あの修羅場さえ喜劇になる。
シキはケラケラと笑い転げては、隣にいたバートンを気の毒になるほどの強さでバシバシと叩いていた。
ミラはと言えば、特に意外そうでもなく微笑みながら話を聞いていた。
「……もしかして、前にミラさんが何かありそうな顔をしていたのって」
「うふふ」
私がおずおずと尋ねると、ミラが楽しそうに笑った。
「ヘンリー様は真面目で一途。そういう評判だったのは本当です。ただ、それは裏を返せば頑固で融通が利かない、ということのようで」
「はーなるほどね。まさにそんな感じだったわ」
オスカーが納得したように深く頷く。
「正義感が強く、不正を許せない性格でもあったようですが、その正義の基準がいささか独りよがりだったりもするみたいです」
「ほう、例えば?」
「子供の頃、親族の集まりで招待した中にいた小さな女の子が嫌いなものを残した時に、大泣きして吐くほど強く責め立てたとか。他愛ないミスを指摘した家庭教師を、全身が赤く腫れあがるまで鞭で打ったとか。学生時代、常に主席だったのに、一度だけその座を明け渡してしまった相手の不正を捏造して退学に追い込んだとか」
「……それは果たして正義なのか?」
「よく非難されませんでしたね」
「フィッツロイ卿が全て握り潰してきたようです」
さらりとミラが言う。
それを聞いてフィッツロイ侯爵に同情していた気持ちがあっという間になくなった。
「その握り潰してきた情報を、どうやっておまえが入手したのかは聞かない方がいいんだろうな」
オスカーが半笑いで言うと、ミラはにこりと微笑んで何も言わなかった。
「ミラさんかっけぇっす!」
「ええ……私はミラさんが時々怖いです……」
キラキラと目を輝かせるシキに、バートンが怯えた顔で言う。
ミラが笑顔のままバートンをちらりと見ると、彼は脂汗を浮かせながら無理に笑顔を作っていた。
「しかしあの様子だとあの二人は間違いなく破談だな」
「それどころかニコルの嫁ぎ先を見つけるのはもう絶望的ですね」
「あの場にいた全員が明日からの夜会で面白おかしく語るんだろうな」
「だってめちゃくちゃ面白いっすもん」
「人の不幸は蜜の味ってな」
歌うように言って、優雅な仕草でオスカーが紅茶を飲む。
うっとり見惚れていると、カップを置いたオスカーが「それにしても」と眉を顰めた。
「フレイヤ生き人形化説が紛れちまうのは残念だが、そうも言ってらんなくなったな」
「ええ。このままでは矛先がフレイヤ様に向いてしまうでしょう」
「すみません……最後までご迷惑を」
「あっ、そうか。淫乱ピンク頭が玉の輿無理になったから、またフレイヤ様の親が執着してきますね」
「ぶはっ、妖怪みたいな呼び方やめろ」
ニコルの新たな呼称にオスカーが小さく噴き出して、すぐに真面目な顔に戻ろうとして失敗していた。
「……あー、まぁ、どっちにしろもう夜会に顔出す必要もなくなったし、社交シーズンもそろそろ終わる」
仕切り直すように言って、集まった面々をゆっくりと見回した。
「予定より少し早いが、とっとと懐かしのわが家へ帰るか」
「すぐに準備に取り掛かります」
言うのと同時にミラが素早く立ち上がる。
もう夜も遅いけれど、ミラの手に掛かれば先発組は明日にでも発つことが出来そうだ。
「やったー! 今夜は徹夜で準備するっす!」
「私はフレイヤ様のご両親が突撃してきた時に備えて、最後まで残りますね」
バートンが後発組に名乗りを上げて、オスカーが「頼りにしてるぜ」と信頼に満ちた笑みを浮かべた。
「居残り組には悪いが、羽を伸ばすのはここまでにしてもらおう」
「あら、旦那様がいてもみんな自由に伸び伸び働いていますわ」
茶器をテキパキ片付けながらミラが笑う。
「それもそうか。つうかおまえら俺に対する敬意がなさすぎないか?」
「うわ今更過ぎてびっくりしました」
「シキ、おまえが愉快な女じゃなきゃクビにしてたぞ」
「雇う基準は愉快さなんですか?」
「ヴィリアーズ家の顔基準よりはだいぶいいだろう」
「はい。おかげさまで毎日が楽しいです」
笑いながら言うと、オスカーが優しい目で私の頭を撫でてくれた。
「私はきちんと尊敬していますよ」
「バートン、今そういう真面目なのはいらねぇんだ」
「あたしだってちゃんと尊敬してるっす!」
「私もですわ」
「うるせぇうるせぇ! そういうのいいからさっさと準備に取り掛かりやがれ! 俺はもう寝る!」
照れたのか、殊更乱暴に言ってオスカーが立ち上がる。
「フレイヤ様も。今夜はゆっくりお休みなさいませ」
「ありがとうございます。手伝えることがあったらなんでも言ってくださいね」
「ええ。その時は遠慮なくお願いします」
ミラはそう言うけれど、相変わらず手伝わせる気なんて全くなさそうだった。
「いいからおまえは俺にかまえ」
「きゃあっ」
不貞腐れたようにオスカーが言って、私が椅子から立ち上がった瞬間抱え上げられる。
「メイクが落ちるからって肩も抱けなかったんだぞ。ストレス溜まるわ」
「それは私もすごく寂しかったですけど……」
演出のために仕方のないことだとは分かっていたけれど、触れ合いが減るのはやはりつらい。
「……今夜は離さないぜハニー」
すとんと下ろされ、至近距離できりりとした顔で言われて頬に熱が上る。
「今日は添い寝してくださるんですか!?」
喜色を全面に言えば、オスカーが難しい顔で黙った。
「添い寝っすか……」
「墓穴を掘りましたね……」
「えっ、添い寝しかしないんですかあのお二人……」
背後でボソボソと三人が囁き合っている。
キスを交わし合った日から、何度か図々しく添い寝をお願いしても断られ続けてきたのだ。
王都最後の夜くらい、と期待してしまったけれど、どうやらオスカーの冗談だったらしい。
「……わーかったよ。するよします。愛する女のためならどんな拷問だって耐えてみせようじゃねぇか!」
しょんぼりして俯いてしまった私に、オスカーがヤケクソのように言う。
「本当ですか!? 嬉しいです!」
嬉しさのあまりすかさず飛びつけば、オスカーが深い深いため息をつきながら苦渋の顔で抱きしめてくれた。
「よっ! 漢っすねぇオスカー様!」
「フレイヤ様はもう少し妹様を見習いましょうか」
「なるほど、大切過ぎて手を出せないというお伽話を地でいっているわけですね」
盛り上がる三人にオスカーは無言で鋭い視線を向け、私の背を押すようにして部屋から出た。
「疲れているのに、わがままを聞いてくださってありがとうございます」
「んな可愛い顔されて断れるかよ……」
あまりに嬉しくてニコニコしながら言えば、オスカーが苦笑しながら私にキスをした。
私としてはもちろん彼が何を耐えてくれているのか、ぼんやりとだけど分かっている。
何度もその先に進んでも大丈夫だと言っても、大事にしたいのだと言われてしまうのだ。
たぶん、実際にしたら私がキャパオーバーで目を回してしまうだろう結果を見抜いているのだろう。
それを否定出来るだけの自信がないので、残念ながら進展はないままだ。
「早くオスカー様の期待に応えられるようになりたいです」
「ミラの言うこと真に受けて妹みたいになるなよ……?」
「さすがにあそこまでは無理ですよ」
そう言って苦笑しながら、離れてしまった唇を追いかけて背伸びする。
今はこれが私の精一杯だった。




