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【コミック①巻8/30】元婚約者から逃げるため吸血伯爵に恋人のフリをお願いしたら、なぜか溺愛モードになりました【本編完結】  作者: 当麻リコ


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44.本気の悪戯

シキがいつも以上に真剣な顔で私に向き合っている。

じっくりと時間をかけたメイクはリアリティを追及した結果、鏡の中の自分の顔には本当に死相が漂っているように見えた。


「……よし。完璧っす」


厳かな声で言って、私から一歩離れる。


「どうっすかコレ」


言って手鏡を手渡して私の首筋の辺りを指さした。


「すごい……これ、どうやって作っているの?」


首から肩にかけての曲線の途中に、さっきまではなかったはずの赤い傷跡が二つ出現していた。

ただ赤く塗られているだけではない。

血が固まったような赤黒いインクの周りを囲むように、皮膚がわずかに盛り上がっているように見えるのだ。


「結構簡単っすよ。小麦粉と保湿剤とファンデを混ぜて捏ねるんです。それをちょちょいっと塗って、真ん中に赤黒い塗料を入れれば完成っす」


なんてことないうように言われても、物凄い技術にしか思えない。

見れば見るほど本物の傷跡のようだ。


まるで吸血鬼に血を吸われた痕みたいな。


「あっ、触っちゃダメっすよ! 簡単に取れちゃいますから」


思わず触れて確かめようとした私をシキが慌てて止める。


「ごめんなさい、なんだか本当に痛そうだったから」

「ふっふっふ、シキちゃんの手にかかればこんなもんっすよ」


得意げに言って、それからヘアセットに取り掛かる。


編み込んだ髪をサイドの低い位置でまとめ、コテで緩く巻いて前へと垂らせば完成だ。

首筋の傷跡にかぶさるようにセットされた髪は、私が少しでも向きを変えればチラリと見える仕様になっている。


「これ見よがしに晒してたら一気に嘘くさくなりますからね」

「なるほど。確かにそうね」


芸の細かさに感心しながら立ち上がる。

姿見の前まで行って全身を映すと、そこには生気を失った亡霊のような女が立っていた。


「はぁ……青白いお肌だと美しさに凄味が出ますね……」


シキが隣から覗き込み、うっとりしたようなため息をつく。


いつものファンデーションよりもトーンを落とした肌にうっすらと隈を作って、唇にも血の気はない。

けれどそれで冴えない顔になったかと言えば全く別だ。


「本当……すごいわシキ」


肌は不思議と透明感を増し、血の気の失せた唇は人間味を消して妖しげな美しさを引き出している。


シキの采配はいつだって完璧だ。



ノックの音が聞こえて同時に振り返る。


「はい」

「邪魔するぞ」


返事とほぼ同時にオスカーが入ってきて、真っ直ぐに私に近付いてきた。


「ちょうど今完成したところなんです」


くるりと一回転して出来映えを披露する。


「……ふむ」


頭のてっぺんからつま先までじっくりと観察したあと、オスカーは満足げなつぶやきを漏らした。


それからなんの予備動作もなく唇にキスをされて固まる。


「あっ、馬鹿おまえ、赤くなったら台無しだろうが」

「馬鹿はオスカー様っすよ! もう! 口紅塗り直しじゃないっすか!」

「いやこんなん見たらしょうがねぇって。押し倒さなかっただけマシと思え」

「そんなことしたら張っ倒します!」


主従の口論をよそに、ヨロヨロと化粧台の前の椅子に座る。

表情を崩せば口紅どころではないお直しが必要になってしまうので、必死に耐えた。


想いが通じ合って以来、ずっとこんな感じで心が休まる暇がない。

もう少し手加減してくださいという懇願に、最大限手加減した結果がこれだと胸を張って言われたのはつい昨日のことだ。


「いや人外メイクでさらに魅力を増すとか。おまえ吸血鬼の才能あるわ」


憤慨しながら口紅を直すシキの横で、オスカーが機嫌よさそうに目を細めながら言う。


「どんな才能ですか……」


褒められるのもキスも嬉しいけれど、時と場所をもう少し選んでほしい。

たぶん、シキが全く動じないのを見越した上で、彼なりに選んだ結果ではあるのだろうけれど。


「今夜の夜会が楽しみだな」

「はい。私も楽しみです」


ウキウキと笑顔で言われ、つられて微笑む。


ネイサンを撃退した日から、一週間ぶりの夜会だ。

彼はあれ以来夜道を歩けなくなったらしく、一度も夜会に出席していないのだそうだ。


だから今日は、社交界デビューしてから初めて何の心配もせずに心からパーティーを楽しむことが出来るのだ。


そんな解放的な日だというのに、何故こんな凝ったメイクをしているのかと言えば。


自室に引きこもってしまったネイサン・ベアリングが、「ブラッドベリ伯爵は本物だった」としきりに怯えてベッドから出てこないという噂がまことしやかに囁かれているからだ。


社交シーズンもそろそろ終わりに向かっていて、送られてきている招待状の数もあとわずかとなった今、その噂を利用しない手はない。


最後に派手に楽しもうぜというオスカーの提案に、私は一も二もなく飛びついたのだった。

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