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4.哄笑

結局、ニコルとネイサンは半年ももたなかった。


ニコルとのことはなかったことにして、再度私と婚約したいのだと言い出したのは三ヵ月前のこと。

その間に私は十八になり、行き遅れになる前にと両親が私の嫁ぎ先探しに奔走している時だった。


私は生まれて初めて拒絶の姿勢を見せたけれど、両親は当然のように味方してくれなかった。

それどころか、ネイサンの気が変わらぬうちにさっさと再婚約しろと背中を押される始末だ。


十八で可愛げのない私より、十六で美しいニコルの嫁ぎ先を探す方が楽だと考えたのだろう。


私がネイサンを拒否すればするほどニコルは楽しそうな顔になり、両親に「ネイサンに愛されているお姉様が羨ましかったの。だけどやっぱり私ではダメだったみたい」と白々しいことを言って涙ながらに再婚約に加担した。


いつだって私に発言権などなく、けれど今回だけはどうしても素直に従うわけにはいかなかった。


妹に捨てられてますます荒んだネイサンの元に戻れば、どんな仕打ちを受けるか分かったものではない。

外面のいい彼はフラれた鬱憤をどこにも晴らせず、私をサンドバッグにしたくてウズウズしている。

ヴィリアーズ家に再婚約を申し込みに来るたびにネイサンの目のギラつきは増していき、二ヵ月が経つ頃にはとうとう命の危険を感じるほどになっていた。


正式な婚約にも結婚にも私の直筆のサインが必要で、それを偽造することは例え親でも許されない。

もしバレたら、金で買った爵位など簡単に取り上げられてしまうだろう。

だからどうしても私の承諾が必要なのだ。


それなのにいつまでも頷こうとしない私に痺れを切らせた両親は、とうとう縁切りを宣言した。


嫌われているのは分かっていたけれど、たった一度だけ自分の意見を通そうとしただけで家族に見捨てられるというのはさすがにショックだった。

たぶん、そこまですれば私が折れると思っていたのだろう。


事実、一度は折れかけた。

両親に本当に見放されるくらいなら、ネイサンの元へ戻るべきかもしれないと思えた。

外の世界を知らずに育った私にとって、それくらい家族の絆は重要だったのだ。


一ヵ月の猶予を与えてやろう。それまでにネイサンと復縁すれば絶縁は考え直す。


私が折れるのを確信した顔で父はそう言った。


そしてそのことをネイサンにも伝えたのだろう。

ネイサンの執着はますますひどいものになった。

今が狙い目だと悟ったのだろう。


彼自身、今回の不祥事でベアリング家に激しい叱責を受けて焦っているらしい。

貧乏貴族である彼の家は、ヴィリアーズ家という金づるを失えばたちまち没落してしまう。彼らも必死だ。


家からの重圧でネイサンの執着は狂気じみたものへと変わり、行く先々で私の前に姿を現すようになった。


だけど「優しくしてやるから自分の元に戻れ」と言われたって、今更信用できるわけがない。

「本当に愛しているのはお前だと気付いたんだ」なんて、今にも殴り掛かりそうな顔で言われたって怖いだけだ。


付き纏われ、脅され、その口で愛を囁かれ、私も気が狂いそうだった。


絶縁されても復縁しても地獄が待っているのなら、失うものはもうなにもない。


半ばやぶれかぶれになって家を飛び出したのが五日前。

なけなしの貴金属類を売り、馬車を乗り継ぎ王都から五日かけてブラッドベリ領へと向かった。


狂いそうだったのではなく、もう狂っていたのかもしれない。

でなければこんな突飛な行動には出られなかっただろう。


ネイサンは信心深く、正体の不確かなものをひどく恐れる性質だった。

それゆえに吸血鬼という噂のあるブラッドベリ伯爵を忌避していて、彼の話題が少しでも出ると席を立つほどだ。


彼を味方につければ、しつこい付き纏いもなくなるかもしれない。

そんな不確かな判断での、無謀な賭けだった。



「なるほど、それで恋人のフリか」


ようやく私がここへ来た理由に辿り着いて、伯爵が呟いた。


「どうかお願いします。ネイサンが怯えて諦めるまででいいのです」


私は再び平伏して、改めて無茶なお願いを口にする。


こんな図々しいこと、頼める立場にないことは重々承知だ。

だけど匿ってくれるような優しい親戚はいないし、少ない伝手を頼っても両親の金の力に抗えるような人に心当たりはない。

悲しいことに、両親に行動を制限され続けた私には親しい友人すらいないのだ。


だから私は自分でなんとかしなくてはならなかった。

両親から無能と言われ続けた頭で必死に考える。


それで思い出した。

ネイサンが恐れている存在のことを。


彼は伯爵が吸血鬼であると、私以上に信じて忌避している。

もしその伯爵が私と行動を共にしてくれれば、私も眷属になったと思い込み二度と近寄って来なくなるのではないか。


もちろん噂が嘘で、彼が人間だという可能性の方がずっと高かった。

だけど真偽なんて、実のところどちらでも良かった。ネイサンが信じているということが重要だったのだ。


ただ、もしそうだとすると少し困ったことにもなる。


「……その茶番に付き合うメリットが俺にあるとでも?」


見返りを求められている。

すぐに気付いてゆっくりと顔を上げた。

彼の表情には、面白がるような色があった。


そう、協力の代償をどう支払うか。それが一番の問題だった。


家には唸るほどのお金があっても、私が使えるものは銅貨一枚すらない。


フレイヤ・ヴィリアーズ、十八歳。

子爵家次子。

無価値。


それが私の肩書きだ。その肩書さえ今や風前の灯火で。


私に支払える対価なんて、本来ならひとつもないのだ。

これまで私の話を聞いてくれた彼にはそれが分かったはず。


彼が人間ならば、憐れみを誘って良心に訴えようと思っていた。

最低の方法だけど、手段を選んではいられなかった。

必要とされればメイドとして無給で働くことだって厭わないし、力仕事でも汚れ仕事でもなんでもやる気だ。

それでもダメならすぐに諦めるしかない。


だけど。

もし、彼が人間ではないのなら。


私に捧げられるものが、ただひとつだけあった。


だからむしろ私は彼が本物であることを願った。

そして彼が本物だと確信して、恐怖ももちろんあったけれど喜びも大きかった。


噂通りなら彼は若い娘の、とりわけ清い身体の乙女の血を好むらしい。


私は彼のお眼鏡に適うだろうか。

ただでさえ自信はなかったけれど、案内の女性を見てさらに打ち砕かれてしまっている。

彼女くらい美しくないと、食指は動かないかもしれない。


願わくば、処女であればなんでも構わないという大らかさがあってほしい。


「しょっ、処女なので美味しい血が飲み放題です!」


ぎゅっと目を閉じて、決死の覚悟で言う。

私はここに、文字通り身を捧げる覚悟で来ていた。


無価値な私の願いを聞いてもらうための唯一の手段だ。


ブラッドベリ伯爵の噂を聞くとき、吸血鬼説にありがちな少女の遺体発見という話はなかった。それどころか、伯爵の屋敷で粛々と働いているのだという。

血を啜られても死に至るまでではないのなら、希望はある。

元婚約者から逃げられるなら、血くらい吸われたって我慢できる。


しばらく沈黙が流れる。

血を捧げると言った瞬間に襲い掛かられてもおかしくないと思っていただけに、その沈黙が恐かった。


そろりと片目を開けて、伯爵の様子を伺い見る。


彼は眉間に深いシワを寄せて、一層恐ろしい顔をしていた。


身の程知らずと言われて八つ裂きにされてしまうかもしれない。


死を覚悟した瞬間だった。


「……っく」


伯爵が口許を手で押さえて俯くのと同時に、喉の奥から声が聞こえた。


「くくっ、くくく、はーーっはっはっは!」


それから徐々に声が大きくなり、やがて哄笑が響き渡った。


堪えきれないという様子の笑い声に硬直する。

悦びなのか、嘲りなのか。

私の馬鹿な行動を笑われているのかと思ったけれど、どうにも違うようだ。


その声には純粋に楽しそうな響きがあって、なんなら目尻に涙まで滲んでいる。


訳が分からず困惑して女性の方に視線を向けると、彼女は彼女で口許を押さえてそっぽを向いていた。

よく見ると肩が小刻みに揺れている。


「……あの、えっと……?」


どう反応していいのか困っていると、ようやく笑いを収めてくれた伯爵が、楽しそうな笑みのまま私に視線を据えた。


「はぁ……いやすまんな。予想外だったものでつい」

「いえ……不躾なことを言ってしまい申し訳ありません……」


予想外なのは私の方だ。

こんな反応をされるなんて、夢にも思わず戸惑ってしまう。


「なに、構わんさ。……おいミラ、いつまで笑ってんだおまえ」


伯爵が視線を移し、呆れたように言う。


「コホッ、申し訳ございません…………っふ」

「まだ笑ってんじゃねぇか」


ミラと呼ばれた女性は口許から手を離して真面目な顔に戻ったが、何故かもうそれを無表情だとは思わなかった。

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[気になる点] 威厳のある感じだと思ってたらものすごいフレンドリーな伯爵だな?もしかして最初ミラが伯爵の隣に立ったとき恍惚とした表情だったのは普段とのギャップで笑ってたのかな?
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