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【コミック①巻8/30】元婚約者から逃げるため吸血伯爵に恋人のフリをお願いしたら、なぜか溺愛モードになりました【本編完結】  作者: 当麻リコ


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37.嫉妬

「それにしても、出会って二週間足らずで婚約とは。ずいぶんと話が早いな」

「きゃっ」


オスカーが口を開くと、ニコルがわざとらしく怯えた顔でヘンリーにしなだれかかった。

ヘンリーもオスカーを警戒するようにニコルを抱き寄せる。


ニコルの肩は小刻みに震えていて、さっきまで意気揚々と婚約者自慢をしていた人間とは思えない弱々しさだ。


「ニコルに手出しはさせんぞ」


ニコルを隠すように腕の中に抱き込み、ヘンリーが勇ましく言う。


意外にも、彼も吸血鬼説を信じ込んでいるらしい。


けれどその失礼な態度に、オスカーは気分を害すどころか楽しそうに目を細めた。


「……心配しなくとも、その娘の血は腹を下すほど不味そうだからいらん」

「ひっ、ひどい、どうしてそんなことっ」

「清らかさの欠片もないからな」


揶揄を含めてオスカーが言うと、ニコルの顔がにわかに青褪めた。


「こっ、婚約者がいるのだもの、当然でしょう」


冷静さを装いつつ、ニコルがチラリとヘンリーの顔色を窺うように見た。


ヘンリーはニコルの視線に気付いた様子もなく、不機嫌そうな顔でオスカーを見返している。


「……まあ、婚前交渉が褒められたことでないのは承知だが。私とニコルは愛し合っているのだから、そういうこともあるだろう」

「へぇ」

「出会った瞬間分かった。これは運命だと。私達は必ず結ばれる運命にあるのだ」


誇らしげにヘンリーが言う。

大仰だとも思うけれど、そう言い切れる彼を少し羨ましくも思う。


「で、盛り上がってその場でヤっちまったと」

「なっ」


オスカーの明け透けな言葉にヘンリーが気色ばむ。

二人で姿を消した後、なんとなくそういうことになっているのだろうなとは思っていたけれど、どうやら本当にそうらしい。

たぶん、ニコルがそう仕向けたのだろう。自分が誘ったのだと分からないように。


「なるほど、それで即婚約か。情熱的なことだ」


若いっていいねぇとオスカーが鼻で笑いながら言う。


「後ろめたいことなど何もない」


オスカーの言葉に、けれどヘンリーは目を逸らさずに胸を張る。


「きっと性急な行為だったのだろう。別の部屋ではパーティーの最中だ。主催者の家の者がそう長く席を外すのは不自然だ。時間もなく、おそらく着衣のままか。背徳感から余計に燃えたのだろう。だが破瓜の血は確認しておくべきだったな」


ハカノチとはなんだろう。

背徳感がどうとかなんだかよく分からないけれど、オスカーが楽しそうで何よりだ。


「なっ、なんて不躾なっ! そんなもの必要ない!」

「本当にそうか? 清純な見た目をした女が、心までそうだと言い切れるのか?」


オスカーの目がますます楽し気に細められていくのを、もはや話についていけない私は微笑ましい気持ちで眺めているだけだった。


「いいかフィッツロイの坊や。その女には坊やとは別の匂いが染みついている」

「なんだと?」

「それも一人や二人ではない。数えきれないほどの男の匂いだ」


鼻を意味深に押さえながらオスカーが言う。


ヘンリーが険しい顔でニコルを見た。


「なっ、ちが、やめてください……ひどい……」


ニコルは泣きそうな顔でフルフルと弱々しく首を振った。


「お姉様っていつもそう……私の幸せに嫉妬して嫌なことを言ってくるの……今だって私の婚約に嫉妬して、ブラッドベリ伯爵にひどいことを言わせているのよ」


ポロリと涙をこぼしてニコルが言う。

けれどヘンリーの目に浮かんだ疑惑は、それだけでは消えなかった。


「う、羨ましいのは分かりますけど、今回だけはどうか邪魔しないでくださいお姉様。ヘンリー様のことを本気で愛しているんです!」


焦ったのか、目を潤ませてニコルが叫ぶ。


「ええ? どうしてそんなこと……本当に心配しなくて大丈夫よ? だって私あなた達の結婚に心から興味がっ……」


突然標的が自分に戻ったことに驚いて口を開き、途中で言い留まった。


危なかった。

さすがにそんなこと言ったらこちらが悪者になってしまうことは分かる。


考えずに反射で喋るものではない。


打ち合わせもなくポンポンと言葉が出てくるオスカーは特別なのだ。

頭の回転が速くて、どんな事態にも対応できる。

出来れば真似したいけれど、私にはまだそのスキルはなかった。


「……心から、祝福しているもの」


慌てて言い換えて、なんとか無難な着地点を見つける。


「ぶくくっ……」

「旦那様、声と表情が漏れてます。シキ、気持ちは分かるけどお話の途中で後ろを向くのは失礼よ。フレイヤ様、よくぞ持ち直されました」


私達にだけ聞こえる小さな声でミラが褒めてくれる。


それがトドメとなったのか、シキが耐え切れずぷすっと噴き出した。


「何笑ってるのよ!?」


明らかにメイドっぽい服装のシキを完全に侮っているのか、険のある声でニコルが鋭い視線を向けた。


庇おうと前に出かけた私を、シキの手が止める。

シキはニコルに堂々と向き直り、そんな視線をモノともせずに綺麗に微笑んで見せた。


「……だっておかしいのですもの。いつもそうやってフレイヤ様を貶めていたのかと。その場限りの幼稚な言動で驚いてしまいました。あなたの周りはよほど素直な方ばかりだったのですね。それにしても、フレイヤ様が散々お褒めになるからどんな上品なピンクブロンドかと期待しておりましたが、確かに素敵ですこと。まるでお風呂のカビのよう。結い方もその髪色とあなたの品性にぴったり。まるで街角に立って男性の気を惹く生業の方みたいですね。私には絶対に真似できません。ところで、フレイヤ様の方がずっと上品で素敵なお色ですが、あなたのどこに嫉妬するというのでしょう? だいたい婚約がなんです。会ったその日に我慢も出来ずにご自分の家のパーティー中に盛る男のどこに羨ましがる要素があるのですか?」


反論を差し挟む隙間もなく、淀みなくシキが言う。


ニコルはワナワナと身体を震わせ、憤怒の形相を浮かべたあとにワッと泣き声を上げて両手で顔を覆った。


「みんなひどいわ! 全部お姉様が仕向けたのね! 最低よ!」


捨て台詞のように叫んでニコルが走り去る。


「えっ、ちょっ、ニコル! 待ってくれ!」


ヘンリーがそれを戸惑った顔のまま追いかけていく。


あとには静けさと、周囲からの痛いほどの視線だけが残された。



「なんすかあれ」


シキが憤慨した顔で言う。


「驚いたわ。シキったらいつの間にあんな喋り方をするようになったの?」

「気にするとこそこか?」


私が素直に驚きを口にすると、オスカーが呆れたように眉尻を下げた。


「へへ、だって王宮舞踏会っすよ? フレイヤ様とオスカー様に恥かかすわけにはいかないっすから」

「一緒に特訓したのよね」


シキが得意げな顔で鼻の下をこすり、ミラがにこりとシキに笑いかける。


「いや喋り方より内容に気を遣えよ……」

「だってムカつくんすもんあの女もあのお坊ちゃんも。てか誰っすかあいつ」

「ヘンリー・フィッツロイ様ですね。前回のことがあって、少し気になって調べました。将来有望で真面目で一途。周囲からの評判は良く、使用人からの信望も厚いようです」


ミラが淡々とヘンリーの説明をすると、シキが顔をしかめた。


「うえっ、くっついたらちょっと面白くないっすね」

「そう? うまくまとまってくれたら、もう絡まれなくて済むからいいと思ったのだけど」

「あはは、フレイヤ様のあの対応最高でした」

「オスカー様もおっしゃってたけど、本当にそう思う?」

「ああいうのにはスルーが一番効果的なんですって。自分大好きで、常に誰かに羨ましがられたいんですから」

「全く興味なさそうな棒読みが見事だった」


楽しそうに説明してくれるシキにオスカーが同意する。

わざとそうしたわけではないけれど、結果的にダメージを与えられていたらしい。


「しかしあの坊やも見る目がないな。あんなのを嫁に迎えたら、フィッツロイ卿が泣くぞ」

「ええ……どうでしょうね……」


オスカーの同情的な言葉に、ミラがなんとも言えない微妙な表情で歯切れの悪い返事をする。


「……なんかあんのか」

「いえ」


オスカーが問うと、ミラはすぐに表情を戻してニコリと微笑んだ。

それ以上何かを言う気はないという頑なな意思を感じる笑みだ。


ただ、不安要素に憂いているというよりは、一人ひっそり何かを楽しんでいるようにも見える。


「ま、なんにせよ、なかなか遊び甲斐のある二人だったな」


深く追求することを諦めたのか、切り替えるようにオスカーが言う。


「……もしかして、ニコルに興味がおありですか?」


その言葉に、胸がモヤモヤしてくる。


オスカーが楽しそうにしているのは好きだけど、ニコル相手にあの笑顔を見せるのかと思うとなんだかすごく嫌だ。


「なんだ嫉妬か? 可愛い奴め」


揶揄うように言われてハッとする。


自分の胸に手を当てて考えると、モヤモヤの正体がすぐに判明した。

オスカーの指摘した通り、これはたしかに嫉妬というものだ。


「なるほど、これが嫉妬なんですね……え? でもじゃあニコルはどうして私が嫉妬すると思ったのでしょう……ますますわかりません。だってさっきの会話で私が嫉妬するタイミング、ありませんでしたよねぇ?」


初めての感情に困惑しながらオスカーに問う。

見上げた先で、オスカーは複雑な表情をしていた。


「……ったく。本当にかわいいよおまえは……」


呆れの混じったような表情で私を抱き寄せ、額にキスをする。


質問の答えはもらえなかったけれど、心臓の音に掻き消されて気にならなくなってしまった。


「安心しろ。あれは直接遊ぼうとしたら巻き添え食うタイプのやつだ。遠巻きに眺めて勝手に自滅するのを笑うだけで充分さ」


彼の中での区分はよく分からないけれど、オスカーが積極的にニコルに構いに行くわけではなさそうだとホッと胸を撫で下ろした。


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