34.翌朝
朝、目が覚めるとすでにオスカーはいなかった。
ぼんやりと、少し残念に思いながらオスカーが眠っていた場所をそっと撫でる。
昨夜はあんなに落ち込んで暗い気持ちになっていたのに、今はずいぶんスッキリしている。
起き上がって思い切り伸びをする。
爽やかな目覚めで、とても気分が良かった。
――そうか、私、オスカー様が好きなんだ。
そう思うだけで胸が暖かく、じんわりと幸せな気持ちになれるのが不思議だった。
オスカーは私にそういった意味での興味はない。
それは一晩同じベッドで寝ても何も起こらなかったことを考えれば明らかだ。
面白いとは思ってくれているし、褒めてくれることも本当なのだろう。
けれどそれはイコール恋愛対象にはならないのだということがよく分かった。
彼の子供時代に似ている私は、彼にとってまだまだ子供でしかなくて、とてもそういう目で見ることなんて出来ないのだろう。
だけどそれで構わなかった。
「……頑張ろう」
私が勝手に好きで、勝手に幸せを感じているだけ。
けれど、いつまでも甘えているわけにはいかない。
何かトラブルがあるたびに、オスカーが私を心配してしまうから。
私は今抱えている面倒事を、彼のためにもなるべく早く解決させようと決意した。
オスカーの部屋を出ると、幽鬼のように廊下をさまよっているシキに遭遇した。
「シ……、シキ……?」
恐る恐る声を掛けると、私に気付いた途端パッとシキの目に光が戻った。
「フレイヤ様ぁ!」
「きゃあ!」
猛烈な勢いで走り寄ってその勢いのまま飛びつかれる。
よろけて転びそうになったのを、私に抱き着いたままのシキが器用に支えた。
「よかったぁ」
「どっ、どうしたの、いったい何が……?」
「フレイヤ様昨日すっごく落ち込んでるみたいだったから! 今日お部屋に行ってもいらっしゃらないし! つらいことがあって出て行っちゃったのかとっ」
涙混じりに言うシキが、言葉の途中でハッとした顔で言葉を切った。
それから私が今出てきたばかりの扉と、私の顔とを何度か見比べたあとで、驚愕の顔で後退った。
「え、とうとう……?」
「あははっ」
口許を押さえて目を見開くシキに、思わず笑ってしまう。
「何もないわ」
「なぁんだ」
あっさりと表情を戻してつまらなそうにシキが言う。
たぶん本当に何かがあったなんて思ったわけではなかったのだろう。
「心配させてしまってごめんなさい」
シキの手を取って神妙に頭を下げる。
彼女の心配そうな視線は感じていたのに、自分のことで手一杯でなんのフォローもしてあげられなかったことを改めて恥ずかしく思う。
オスカーだけではない。シキや私に優しくしてくれるこの屋敷のみんなのために、私はもっと頑張らなくてはならない。
「いなくなったんじゃないならいいです」
シキがニコッと笑って私の手を握り返す。
「あたし、まだまだフレイヤ様と遊び足りないっす。まだいろんなお洋服着ていただきたいし、いろんな髪型試してみたいし。お肌だって髪だってもっと綺麗になるし、来年はまた別のコンセプトで社交界席巻してみせますし」
笑顔のまま、シキの目が少しずつ潤んでいく。
声が涙に滲んでいくのに胸が痛んだ。
「だから、急にいなくなったりしないでくださいね」
「……うん……っ」
来年のことを約束することは出来ない。
出来ないけれど、今回のことにカタがついたらシキにはきちんと話をしよう。
「ありがとう、シキ」
この屋敷の人達は本当に優しくて素敵だ。
子爵夫妻に言い返すことが出来たことを誇りに思う。
シキのおかげで鏡を真っ直ぐに見られるようになった。
自分の髪の色が大好きになったし、自分に似合うものが分かってきた。
ミラのおかげで上品な立ち居振る舞いを習得出来たし、心に余裕を持てるようになった。
それに、オスカーのおかげで両親にへこまされても立ち直れている。
ここに来てから、私は少しずつ強くなれている気がした。
部屋に戻り、シキに身支度を整えるのを手伝ってもらってから食堂に下りる。
食卓にはすでにオスカーがいて、なんだかやけに眠たそうだ。
「おはようございます」
「……おう」
朝の挨拶もおざなりに、軽く右手を上げるのみだった。
考えるまでもなく、私が邪魔でよく眠れなかったのだろう。
寝相が悪いという自覚はないけれど、もしかしたら蹴ったり叩いたりしてしまったのかもしれない。
申し訳なく思いながら私も席に着く。
正面に座るオスカーの目の下にはうっすら隈が出来ていて、初めて会った時の吸血鬼感を彷彿とさせる。
けれどその姿は窓からの朝陽に照らされて、なんだかとてもミスマッチだ。
「あー、元気か」
「はい。おかげさまで」
寝不足のせいか聞いたことのないくらい低い声で問われて、笑顔で頷く。
オスカーは少し疑うような視線を向けたあとで、本当に元気だと分かってくれたのかふっと表情を緩めた。
「そうか。ならいい」
優しい声でそれだけ言って、満足そうに微笑む。
私はその微笑みに見惚れて、自分の恋心を改めて自覚した。
みんなで食事をしながら、今後ネイサンやヴィリアーズ家が関わってきた時の対策を相談する。
食べ始めたことで調子が出てきたのか、オスカーは昨夜のことなどなにもなかったみたいな顔で、いつも通りの会話を始めた。
少し切ない気持ちになるけれど、オスカーは変わらずに優しいままで、眠れなかった原因である私を責めることもなく「もっと食え」とデザートを分けてくれた。
その優しさに甘えすぎないように、自分で立ち向かえるようになりたい。
そしてよくやったと褒めてもらいたかった。
芽生えたばかりの恋心は、それだけで満たされる気がしていた。




