33.自覚
オスカーの真摯な目を真っ直ぐ受け止められずに俯く。
どうしてそんなことを思ってしまったのだろう。
「ありがとう、ございます」
感じたことのない痛みに、戸惑いながらも礼を言う。
「……情けないところを見られてしまいました」
「ヴァンパイアを信じて死ぬほどビビってる姿を見せたくせに何を今更」
茶化すようにオスカーが言う。
「ふふ、それを言われたら……」
確かにそうだ、と思ったらなんだか笑えてきた。
「そうだ、笑っている方がいい」
「え?」
「もっと笑っていろ」
オスカーの手が私の髪を耳にかける。
暗闇に慣れた目が、オスカーの微笑を映して心臓が高鳴った。
ああ、私はこの人が好きなんだ。
考えるよりも先にそう気付いてしまった。
恩人だからとか、面白い人だからとかそういうことではなく。
本当の恋人になりたいと、そう思ってしまったのだ。
「私もオスカー様の笑顔が好きです」
彼は私には価値があると言ってくれる。
何度もそう言ってくれたし、たぶんシキやミラもそう思ってくれている。
そう信じられないのは私だけで、だからそんな私はやっぱりオスカーに相応しくはない。
それに、私はもう貴族でも何でもない、孤児同然の存在だ。
恋人にも、結婚相手にもなれないことは明白だった。
だけど。
「……私、頑張ります。これからもっと笑えるように」
オスカーの隣に、本当の意味でいられるように私は変わらなくてはならない。
いつまでもオスカーの優しさに甘えて、守ってもらっているばかりではダメなのだ。
恋人になれなくても、妻になれなくても。
彼はそんなこと関係なしに、私を大切にしてくれる。
価値のある、友人として。
「オスカー様のおかげで元気が出ました」
私が笑顔で言うと、オスカーが苦笑して頭を撫でてくれた。
「そうか。だがあまり無理はするなよ」
「はい。ありがとうございます」
「今日はもうちゃんと寝ろ。事情も分からずシキがずっと心配してた。ゆっくり休んで、元気な顔を見せてやれ」
シキには申し訳ないことをしてしまった。
ミラにもバートンにもだ。
私が寝室に向かうまでの間、彼らはずっと心配そうな顔で私を気にしてくれていたのに。
私はいつだって自分のことばかりだった。
「はい……でもなんだか神経が昂ぶってしまって、熟睡は難しいかもしれません」
苦笑して答える。
妹のことや両親のこと。それからネイサンのこと。自分のこと。
考えることはたくさんあって、とても一晩では解決出来なさそうだ。
「まあいろいろあったようだからな。そうだ、今日の失態の詫びに、添い寝でもしてやろうか」
揶揄いの滲んだ悪い顔で言われる。
私を元気づけるための冗談だろう。
今日のことは本当にオスカーが悪いなんて全く思っていない。
私は「何を言ってるんですか」と呆れて返すべきだ。
だけどなんだかそれはとても素敵な提案に思えた。
「お願いします」
即断で言った私に、オスカーが戸惑いを浮かべる。
「……冗談だ」
「え? 私は冗談は言いません」
空気の読めないフリで真面目な顔で首を傾げると、オスカーが頭を抱えて呻いた。
「あ、出来れば伯爵のお部屋でお願いします」
今のは無しだと言われる前に、畳み掛けるように言う。
その方がオスカーの気配に満ちていて、より安心できそうだ。
「おまえなぁ……」
呆れたような怒ったような表情でオスカーが顔を上げる。
「男相手にそんなこと言ったら襲われても文句言えねぇんだぞ」
わかってんのか、と普段より乱暴な口調で言う。
経験はないけれど、妹を見ていたからなんとなく言わんとすることはわかる。
だけどオスカーがそれを望むなら、それはそれでいい気がした。
「別に構いません」
気負わず言うと、オスカーが複雑な表情をした。
「……何度も言うが、そんなことをしなくてもお前には十分価値がある」
苦し気に言って、それからブランケットごと抱き上げられる。
「きゃあっ」
「それを証明してやろう。俺の鉄の理性を以てしてな」
決意に満ちた表情で言って、そのまま階段を上りオスカーの部屋へと移動する。
「あのっ、重いので下ろしてください! 自分で歩けます!」
申し訳なさと恥ずかしさで動悸が激しい。
好きだと自覚してしまったからか、いつも以上に顔が熱かった。
「こーら。みんな寝てんだろ、静かにしてろ」
小さな子供をあやすように言って、私を抱いたまま指の先と足を使って器用にオスカーの部屋の扉を開ける。
それからオスカーのベッドにそっと下ろされて、隣にオスカーが並んだ。
「一切手を出さないから安心して寝ろ」
毛布を掛けてくれながら、低い声で念を押すようにオスカーが言う。
それを少し残念に思いながら、おとなしく頷いた。
けれどオスカーのベッドは大きくて、並んで横になってもソファにいた時より距離が遠い。
これでは自分の部屋で寝ているのとあまり変わらない気がして、おずおずと口を開いた。
「……あの、ぎゅってしてもらってもいいですか?」
「おっまえ……」
私の言葉に、オスカーが苦悩するように片手で顔を覆い、深いため息をついた。
さすがに寝るときにそんなに近くにいられたら邪魔なのだろう。
「ごめんなさい、調子に乗りました」
「……いや、いい」
すぐに撤回すると、オスカーが顔を覆ったまま小さく言った。
同じ寝床を提供してもらえるだけでも充分だ。
オスカーの寝息を聞きながら眠れるのだから。
諦めて目を閉じようとしたけれど、オスカーがまだなにやらうんうん唸っている。
少しの間の後、「ヨシ」と自分に言い聞かせるように短く声を発した。
「ん」
オスカーが両手をこちらに差し向ける。
ぱちくりと目を瞬くと、オスカーが渋面を作った。
「早く来ないと締め切るぞ」
「ええっ、待ってください!」
言われて慌ててその腕に飛び込む。
「まったく……自信だけじゃなく危機感も足りてねぇ……」
私の身体を抱き込みながら、オスカーがぼやくような独り言をこぼす。
その言葉に少しだけ笑って、私は結局何一つ考えることなく、あっという間に意識を手放した。




