32.似ている
「……ミラさんに聞いたんですか」
私が部屋に戻った後に、優しいミラが彼に伝えたのだろうか。
帰りの馬車で、ずっと気遣うように私の肩を抱いていてくれたミラだから。
「聞かなくても想像はつく」
低く静かな声は、ゆっくりと浸透していき心を落ち着かせていく。
「怖かったか」
労わるような声に、泣き声を上げてしまいそうになって無言で首を振る。
「俺のせいでつらい思いをさせたな」
「……オスカー様の、せいでは」
なんとかそれだけ言うと、私を抱きしめるオスカーの手の力が強まった。
「俺に落ち度があった。あいつらは来ないと高を括っていたんだ」
「でも、あんなこと、誰にも予想できません」
「泣かせたくなんかなかった。一緒にいてやれれば、こんなことには」
私なんかよりよほどつらそうな顔でオスカーが言う。
本当に、オスカーが悪いところなんてひとつもないのに。
「……家族の縁を切りました。だからもう、大丈夫です」
たとえまたどこかで会ったとしても、もうこんなふうに取り乱すことはないだろう。
私にとって、彼らはただの傲慢な他人になったから。
「あの人たちに未練もありません。ただ」
言うべきか迷って、少し言葉が途切れる。
「私にはもう何もないんだなって、少し悲しくなっただけです」
あの人たちと縁が切れたことが悲しいのではない。
誰とも繋がれない自分の情けなさが嫌なのだ。
また涙が落ちる。
俯きそうになる前に、オスカーが自分の袖でそれを優しく拭ってくれた。
「……俺の親の話を少ししただろう」
「え、ええ。」
オスカーが切り出した話に、戸惑いながらも頷きを返す。
さらりと教えてくれただけだけど、ちゃんと覚えている。
若くして亡くなってしまったお母様と、早々と隠居を選んだお父様のお話だ。
「ガキの頃に死んじまったが、記憶に残る母親は聡明で美しい人だった。俺は母が大好きだったよ」
少し腕の力を緩めて、私の顔を見ながらオスカーが懐かしむように笑って言う。
「親父も母が大好きだった。母だけが大好きだった」
オスカーが聞かせてくれる。
母が生きている間の父は優しかった。
三人でどこへだって出掛けたし、どんな遊びにだって付き合ってくれた。
だけど母が死んで父は変わった。俺に一切の興味を無くしたんだ。
俺だけじゃない。他のどんなことにも気力を失った。
母が死に際に「生きて」と言わなければすぐにでもあとを追っていただろう。
最初から父は母以外どうでもよかったんだ。
母が生んだ子供だから構ってくれた。母が愛していたから、母が大切にしていたから、同じようにしていただけ。
俺は父にとって母の付属品でしかなく、母が死んで価値を無くした。
「何を言っても、何をしても、親父は俺を見なかった。俺は自分が無価値なんだって思ったよ」
「無価値……」
オスカーは笑いながら言う。
今こんなにも明るく楽しそうに生きる彼に、私と同じようなことを思っていた時期があったなんて。
「それでまあ、恥ずかしい話、一時期自暴自棄になってな。だけど思い出したんだ」
オスカーが微笑み、再び私を抱きしめる。
柔らかな毛布で優しく包むように。
「母に心から愛されていたことを。ブラッドベリに仕える使用人たちにずっと支えられていたことを」
それからゆっくりと私の頭を撫でて、額にそっと口付けた。
「わかるか。おまえはたまたま家族だった人間との相性が悪かっただけだ。んなもんしがみつく意味はねぇ。さっさと捨てちまえ。そんでいい加減気付け」
話しているうちに腹が立ってきたのか、段々と口調が荒くなっていく。
優しかった手は乱暴に私の髪を掻き回し、乱していった。
「今おまえの周りにいるのはおまえを好きなやつだけだ。ここで働く全員がおまえの幸せを願っている。そんな人間が本当に無価値か?」
怒ったようにオスカーが言う。
だけどその表情はずっと優しかった。
「それは、だって、みんなが優しいから」
「そうだ。そして優しくされるだけの価値がおまえにある」
「……そう、なんですかね?」
「疑うなって。ヴィリアーズなんて名前を知らなくたって、みんな最初からお前が大好きだったよ」
オスカーが自分で乱した髪を、丁寧に指で梳きながら戻していく。
私はされるがままで、彼に言われたことをじっくりと考えていた。
「……オスカー様が私の願いごとを聞いてくれたのは、私が過去のご自分と似ていたからですか?」
「まぁ、最初はそうかもな」
オスカーが少し考えるような顔をしてから頷く。
ずっと不思議だったのだ。
初対面で失礼な態度をとってしまったのに、私の事情をしっかりと聞いてくれて、その上協力してくれて。
楽しいことが好きだからと言っていたけれど、それだけでは説明が出来ないくらい親身になってくれる。
今だってそうだ。
こんな深夜にわざわざ来てくれて、大事な思い出を話してくれて。
「私、が、オスカー様に似ているというのなら、それは確かに、すごく価値がある人間に思えてきます」
「はは、そうだろう。なんせブラッドベリの領主だからな」
「……領主じゃなかったとしても。オスカー様がオスカー様なだけで、とても、何物にも代えられない価値があります」
微笑みながら答える。
今度こそ心からの笑顔だ。
オスカーが眩しそうに目を細めた。
「フレイヤ」
オスカーの手が私の頬に触れる。
涙のあとはもう乾いていたけれど、それを拭うように親指が頬を滑った。
「俺にとってもそうだ。だからちゃんと自覚して、自分を大切にしてくれ」
まるで愛しいものに触れるような手つきに心が震える。
彼と私は恋人という設定で、ネイサンに再会して以来、この屋敷でもずっとその演技が続けられている。
私は彼に恋人扱いされるのが気恥ずかしくて、嬉しくて、幸せだった。
ネイサンのことも、家族のことも、どうでも良くなってしまうくらいに。
今もその延長のようなものだろう。
向けられた言葉は本心でも、こんな風に触れるのは私が恋人という役割を続けているから。
今まではそれが当たり前で、触れられるたび嬉しくて、ただ胸が温かかったのに。
「もう誰にも傷つけさせないと誓う」
真剣な目で言われて、強く胸が痛んだ。
嬉しいと思うのに、素直に喜ぶことが出来ない。
たぶん、彼に本当の恋人ができた時。
今まで私に向けてくれた表情全てが、その人のものになるのだと気付いてしまったから。




