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【コミック①巻8/30】元婚約者から逃げるため吸血伯爵に恋人のフリをお願いしたら、なぜか溺愛モードになりました【本編完結】  作者: 当麻リコ


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31.無価値

「おかえりフレイヤ」


玄関から入ると、真っ先にオスカーが出迎えてくれてホッと息を吐く。

ずっと一階の広間で待っていてくれたらしい。


「ただいま戻りました」

「疲れただろう。紅茶を用意させよう。ゆっくり話を聞かせてくれ」


彼は成功を確信した顔で私の頬に触れた。


「冷えているな。話を聞く前に風呂に入るか」

「ええ、そうします」


微笑みながら答えると、オスカーの表情が少し曇った。


「……なにかあったのか」

「え、どうしてですか?」


ドキリとして、明るい声で慌てて聞き返す。


「妙な顔をしてる。男共に変なことをされたんだったらちゃんと言え」


けれどそんなものでは誤魔化されてくれなくて、オスカーは真剣な表情で私の顔を覗き込んだ。


「ちっ、違います! そういうのはなにも」

「ヴィリアーズ家が来ていたのです」


玄関で他のメイドにコートや荷物を預け終えて追いついてきたミラが、私が何か言うより先にオスカーに本当のことを言ってしまう。


「ヴィリアーズが……?」


それを聞いてオスカーの顔が険しくなった。


「何故だ。来ないはずだろう。だから俺は」

「フレイヤ様が参加されていることをどこかから聞きつけたのでしょう。時間が経ってからの登場でしたから、先にパーティーにいた誰かが知らせたのかもしれません」

「……それで金を積んで捩じ込んだのか」


今日のことはオスカーにとっても予想外だったらしい。悔し気に顔を歪めて、それから再び私に視線を戻した。


「フレイヤ。何を言われた」

「フレイヤ様は」

「家族に会っただけです。会って、少し話をして、それだけです」


説明しようとしたミラを遮って笑いながら言う。

本当にそれだけだ。

それだけのことだ。

わざわざオスカーに心配をさせるようなことではない。


「お言葉に甘えて先にお風呂お借りしますね。ミラさん、お疲れのところ申し訳ありませんが、手伝ってくださいますか」


ミラは何か言いたげにオスカーをチラリと見て、それから諦めたように「かしこまりました」と請け負ってくれた。

オスカーはまだ何か聞きたそうにしていたけれど、私は逃げるようにしてその場を立ち去った。



お風呂から出て、談話室でオスカーと紅茶を飲む。


今日のダンスの成果を話して、妹とヘンリーのことや、バートンとミラの会話を笑いながら報告して、それから父と母だったヴィリアーズ子爵夫妻の話を少しだけした。


オスカーはもっと色々と聞きたそうだったけれど、私の詳しく話したくないという心情を汲んでくれたのか、黙って聞くだけだった。


「……少し、疲れたので今日はもう寝ますね」

「そうか……」


話している間ずっとオスカーが気にかけてくれているのが伝わっていた。

それが申し訳なくて、一刻も早くオスカーを解放してあげたかった。


「フレイヤ」


椅子から立ち上がるのと同時に名前を呼ばれる。

返事をするより先に抱きしめられて言葉を失った。


「……おやすみ」


すぐに抱擁を解いて、オスカーが悲しそうな顔で言う。


「おやすみなさい」


どうしてオスカーがそんな顔をするのだろう。


分からないまま、私は自分の部屋へと戻った。



早めにベッドに入ったものの、妙に目が冴えてしまってなかなか寝付けない。

舞踏会で言われた言葉がグルグルと頭を回って、安眠には程遠かった。


足音を忍ばせてベッドを降りる。


屋敷の中からはもう物音ひとつ聞こえない。

きっともうみんな寝たのだろう。


こっそりと談話室へ移動する。

暖炉の火は消えていたけれど、まだほんのりと熱を残していた。


寝室の方が暖かかったけれど、なんとなく日中オスカーと過ごすこの部屋にいたかった。


部屋は真っ暗なままだったけれど、オスカーの気配がそこここに残っている気がしてホッとする。

すっかり定位置になった三人掛けソファの左端に座ると、オスカーが隣に座っているようにさえ感じられた。


この数ヵ月の間で、随分彼に依存してしまっているようだと自嘲が浮かぶ。


本来そんなふうに優しくされる資格もないのに、いつの間にかオスカーに甘えるのが当然になってきている。


彼はただ楽しいと思うことをしているだけ。

私はそのための道化でしかないのに。


自分の価値はそれだけで、ネイサンを諦めさせることができたら離れていく人なのだ。


磨いても輝けない石ころ。

両親が言っていたことは間違っていない。

政略結婚の駒にさえなれない私は、社交界にいてはいけないのかもしれない。


ヴィリアーズの名さえ失った私は、本当に無価値になってしまったのだ。


絶縁上等なんて強がっても、結局はその事態を目の当たりにしてこんなに脆くなっている。


「……つまらない女」


呟いて、涙が落ちる。


せっかくオスカーたちが少しずつ自信を付けさせてくれたのに、両親の言葉で簡単にブレてしまう自分が情けなかった。



「……明かりも点けずになにをしている」


静かな声にハッと顔を上げる。

月の明かりが差し込んで、そこにいるのが呆れ顔のオスカーだと知る。


慌てて顔を拭う。


足音か、ドアを閉める音か。

最小限にしたつもりだったけれど、聞き咎めて泥棒じゃないか確認しに来たのだろう。


「ごめんなさい、ちょっと眠れなくて」


取り繕おうとわざと明るい声で言うと、ため息が聞こえてきた。


気にせず部屋に戻ってほしかったのに、オスカーは無言でソファの隣に座った。

顔を見られたくなくて俯いたけれど、オスカーには通用しなかった。


「頼むから一人で泣くな」


言って、手に持っていたブランケットで二人分の身体を包んで抱き寄せられる。


その温かさに、また涙がこぼれ落ちた。


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