26.二人きりのダンス
以来、練習と称して誰の目もない屋敷内でもオスカーとの距離は近付いた。
おかげで心臓は休まる暇もなく、目が回るほどの動悸に振り回されている。
面白がられているだけだと分かっていても、免疫がなさ過ぎて動揺を抑えられないのだ。
演技だと分かっていても、至近距離で愛を囁かれ甘やかされればときめいてしまう。
それなのに夜会に出席すればオスカーは冷たい瞳で周囲を睥睨し、私にだけ熱のある視線を向けるのだ。
他の人には冷たい態度なのに、自分にだけ甘いというこの設定が殊更心臓に悪かった。
それでもそんな日々が続けば、少しずつ周囲の視線にも慣れて度胸もついてきた。
最初こそ新しい遊びを見つけて嬉しそうだったオスカーも、段々と真剣に恋人らしく接してくれるようになったように思う。
私も必死に恋人らしさを演じられるよう頑張った成果だろうか。
いつの間にか揶揄ったり面白がったりする空気はなくなり、私に向ける熱意は本物なんじゃないかと勘違いしてしまいそうなほどだ。
おかげで私のぎこちなさも少しずつ消え、こちらからも積極的にオスカーへの愛の籠った視線を向けられるようになった。
それが演技なのかは、もう自分でも分からなかったけれど。
「そろそろ次の段階にいくか」
それなりに規模の大きな夜会の帰りに、オスカーが言う。
「大丈夫だと思いますか?」
次の段階からは、私がメインとなる。
やれる、と思う気持ちもあるけれど、やはりまだ不安な気持ちもある。
それでも少なからず自信を持てるようになったのは、我ながら大きな進歩だと思えた。
「ああ。お前がしっかり顔を上げていられるようになったから」
オスカーが微笑んで言う。
確かにそうだ。
オスカーの隣にいて、オスカーがまるで宝物みたいに扱ってくれるから、自然と俯かなくなってきていた。
よく見ているなと、感心すると同時に嬉しくなる。
もちろん彼はこのミッションをやり遂げる楽しみがあってそうしてくれるのだと、分かっているけれど。
* * *
「あの、一曲付き合っていただいてもいいですか?」
舞踏会を明日に控え、夕食後に遠慮がちにオスカーに問う。
今まではお喋りが中心の夜会のみで、ダンスパーティーへの参加は初めてだ。
しかも不特定多数の初対面の男性を相手に踊るのだ。
どうしても緊張感は拭えない。
今までミラが特訓に付き合ってくれたから、優雅に踊れるという自負はある。
ミラの教え方はとても上手くて、この短期間でメキメキと上達したのだ。
それでもこうしてオスカーに相手を願う理由は、周囲の視線に晒されながらではなく彼と踊りたいからだ。
「もちろんだとも」
快く請け負ってくれたことに安堵の息を漏らす。
もし少しでも面倒そうな顔をされたら、すぐにでも諦めるつもりだった。
広間へと移動すると、中央まで進み出たオスカーがこちらを振り返った。
「私と踊っていただけますか、お嬢さん」
キザなポーズでオスカーが言う。
その姿はとても様になっていて、思わず見惚れてしまいそうになる。
「……喜んで」
微笑み、差し出された手を取る。
日頃の訓練が功を奏して、もうオスカーとの距離に取り乱すこともない。
少なくとも表面上は。
オスカーの腕が私の腰にまわり、ゆったりとステップを踏み出す。
音楽もなく煌びやかな照明もない。
踊るには少し狭い広間で、お互い正装ですらない。
それでも二人で踊るのは楽しかった。
「っふふ」
思わず笑い声が漏れてしまう。
明日の本番でオスカーと踊るのは一曲だけ。
しかも多くの注目を集めることになるだろう。
きっと明日はこんな風に楽しむことなんて出来ない。
それが分かっていたからこそ、今この瞬間がいっそう楽しいのだ。
「ダンスが好きか」
「え? ええ、そうですね」
踊りながら尋ねられて、慌てて頷く。
本当はダンス自体が好きというより、オスカーと踊るのが好きだと言った方が正しいのだけれど。
一曲分のステップを踏み終えて足を止める。
それでもオスカーは私から手を離そうとはしなかった。
「……そんな嬉しくてたまらねぇって顔してたら全員が勘違いすんぞ。自分に惚れてるって」
口調は冗談めかしているのに、オスカーの真剣な目が私を見下ろしていた。
「そんな顔、してましたか」
一体どれだけ緩んでいたのだろう。
恥ずかしくなって自分の頬に触れる。
その手にオスカーの手が重なった。
「おまえは俺のもんだろ。他の男にそんな顔すんな」
彼の言い分にはもちろん納得できる。
私達はお互いしか見えていないカップルという設定で、私はあくまでも他の男性たちにとっては高嶺の花でなければならないのだ。
だけどそのダメ出しに、少し反論したい気持ちもある。
今は相手がオスカーだからそんな顔になってしまっただけで、本番はきっともっと上手にやれる。
「ツンと澄ました気取った顔してろ。てめぇなんかつまんねぇって、言わなくても伝わるくらいにな」
「それはさすがに失礼じゃありませんか?」
「いいんだよ男なんてすぐ勘違いして調子に乗るんだからよ」
顔をしかめながらオスカーが言う。
断定口調でそんなことを言うくせに、オスカーは勘違いをしてくれないらしい。
いじけた気持ちでそんなことを思ってハタと気付く。
してくれない、ってなんだろう。
私は彼に勘違いして欲しかったのだろうか。
自分がオスカーのことを好きだと。
「わかったか?」
「わっ、わかりました!」
自分の考えていることがよく分からなくなって、混乱任せに力いっぱい頷く。
「よし」
その返事にオスカーは満足そうに笑って、ようやく私から手を離した。




