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【コミック①巻8/30】元婚約者から逃げるため吸血伯爵に恋人のフリをお願いしたら、なぜか溺愛モードになりました【本編完結】  作者: 当麻リコ


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25.恋人特訓

「これって本当に必要ありますか!?」

「あるある。やっぱ普段からの行動ってとっさの時に響くもんだしな」


私の抗議にも動じず、オスカーはシレっとした顔で言って新聞を読み続ける。


今は朝食後のティータイムだ。

談話室でくつろぐのはいつものことだった。

だけど今、私はまったくくつろげていない。


だっていつもと全く状況が違う。


いつもは暖炉前のローテーブルでお茶を飲む。

テーブルの周りにはソファがあって、三人掛けの大きなものと、一人掛けのものがいくつか並べられている。

私はそのうちの一つに座り、身体の大きなオスカーは三人掛けソファにゆったりと腰掛けるのだ。


それなのに今は。


「ほら、次めくれって」

「ううっ……」


催促するように言われて、仕方なく新聞のページをめくる。

ただそれだけの行為なのに、私の手の動きはおかしなくらいにぎこちなかった。


だって腰にオスカーの手が巻き付いている。

それだけじゃない。

私達は三人掛けのソファに並んで座っていて、私とオスカーが座ったってまだまだ余裕があるはずなのに、オスカーは左端に座る私にぴったりくっついているのだ。

その上新聞は私の膝にあって、それを覗き込むようにしてオスカーは読んでいる。


これで緊張しない訳がない。


「なんでこんなことに……!」


泣きそうになりながら呟くと、すぐ近くで忍び笑いが聞こえてくる。

私の動揺と嘆きがそうとう楽しいらしい。


「自分でめくってくださいよ!」

「つれないこと言うなよフレイヤ」


わざとらしいほどの甘い声でオスカーが言う。

名前呼びは夜会の時だけだったのに、今日はずっとこの調子だ。


「愛する男のために新聞のページをめくるくらいいいだろう?」


甘えるように私の肩に頭を乗せて言う。


思わず叫びそうになるのを必死に堪える。


これがオスカーの言う荒療治だというのは分かっているが、これまでの夜会時より密着度が異常に高いのは本当にやめてほしい。

ネイサンの前でも恋人らしく振る舞うための特訓にしても、もうちょっとソフトなところから始めてくれないものか。


だけどオスカーには迷惑をかけっぱなしなので、そんなことも言えずに逃げ出したい気持ちと戦いながらこの状況を受け入れるしかなかった。


「ほら。おまえからもなんかアクションしろって。恋人にしてやりたいことがあるだろう?」

「恋人いたことないのでわかりません……」


半泣きで言うと、オスカーは悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「想像でいいんだよ。遊びを心から楽しむには想像力が必要だ。そんでそれが本当だと自分でも信じ込む」

「難しいです」

「いいから俺を本物の恋人と思い込め。何をしてやりたい。何をしてほしい」


私の答えを待って、オスカーがウキウキして見えるのは気のせいだろうか。

だけど残念ながら楽しいことなんて何一つ言えない。

この近すぎる距離のせいで、まともに考えることも出来ないのだから。


恋人がいたら。

オスカーが本当の恋人なら。


考えただけで心臓が悲鳴を上げる。

彼が恋人なら、恥ずかしすぎてこんな密着状態でずっといられるはずがない。


私に出来そうなことと言ったら、せめて。


「……手!」

「て?」

「手を、繋ぎたい、です」


必死に絞り出した提案に、オスカーは拍子抜けしたような表情になる。


「……なるほど」


我ながら幼稚過ぎて恥ずかしかったけれど、彼は笑わなかった。

それから少し身体を離して、私の膝にあった新聞をばさりと取り上げてポイとテーブルに放った。


「ん」


短く言って、左手を差し出す。

私は少し戸惑いながら、その大きな手の平に自分の右手を重ねた。


指と指が絡むように繋がれて、オスカーの太腿の上に置かれる。


そのまま何も言わずに静かな時間が過ぎていく。

激しい動悸はなかったけれど、トクトクと速い音を刻んでいた。


うん、これくらいが私にはちょうどいい。


「……おい、こっちの方が恥ずかしくねぇか?」


しばらくして、オスカーが勘弁してくれとばかりに情けない声で言う。

横顔を盗み見れば、目許がほんのり赤く染まっていた。


恥ずかしいの基準がよく分からない。


「お言葉ですが伯爵」


だけど私はさっきまでその何万倍も恥ずかしかったのだ。


「私の恋愛偏差値は幼児以下なのです」

「胸を張って言うことかよ……」


はあ、とため息混じりにオスカーが笑う。


彼が恋人なら、こんな笑顔をずっと見ていたいと思う。

それもしたいこと、に含まれるのだろうか。


「他には? もっとしたいことあるか」

「そうですねぇ……」


再び考え込む。

繋がれたままの手からはじわじわと熱が昇って、なんだか心まで温かくなってきた。

それでふと、してみたいことがひとつ胸に浮かんだ。


「オスカー……」


ぴくりとオスカーの手が動く。

ほんの僅かな反応だったけれど、繋いでいたからよく分かった。


「……様」

「ははっ、確かに恋人なら必要なことだな。別に呼び捨てでも構わん」


慌てて付け足した私にオスカーは声を上げて笑い、きゅっと手に力を込めた。

その笑顔が本当に嬉しそうで、なんだか胸が締め付けられてしまう。


またひとつ思い浮かび、身体の向きを変えそろりと左手を伸ばす。


恋人ならしたいこと。

してあげたいこと。

しても、許されること。


そっと頭を撫でると、オスカーがぱちくりと目を瞬いた。


かわいい。

素直にそう思った。


「……意外だな。甘やかしたい派か?」


すぐにいつもの悪人顔に戻ってオスカーがにやりと笑う。


「ええと、オスカー様、に、頭を撫でられるのが好きだなって、思ったので」


呼び慣れない名を呼びながら、懸命に言葉を探す。


されて嬉しいことは、してあげたい。

それは恋人相手なら必ず思うことなのか、オスカー相手だから思うことなのかはよく分からない。

だけど自然と手が伸びてしまった。


「そうか」


私のつたない言葉に、オスカーが眩しそうに目を細めて優しく微笑む。


また胸が強く締め付けられて、だけど不思議とその痛みが嫌ではなかった。


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