21.帰り道
夜会の間中、私達は特にアクションを起こすこともなく隅っこで大人しくしていた。
招待客達の会話に加わるでもなく、二人で談笑するわけでもなく。
時折周囲に聞こえないくらいの声で話をして、静かに微笑み合うだけだ。
にも関わらず、絶えず好奇や畏怖の視線が向けられているのを感じた。
たまに勇気ある女性が話しかけてきても、オスカーは冷たい表情で一言返すのみだ。
笑顔もなく、ロクに返事もないことに挫けて女性たちは怯えるか憤慨してすぐにいなくなった。
今日の目的は、ブラッドベリ伯爵の存在とミステリアスな印象を残すだけ。
あくまでも自分から目立つような行動はしない。
ここで親し気な印象なんて与えてしまったら台無しだ。
好奇心を煽るだけ煽って帰り、このあとの交流に繋げる。
その狙い通り、私の社交界デビューはオスカー以外の誰と話すこともなく無事に終わったのだった。
「伯爵の存在感がすごすぎて私、完全に霞んでましたね」
帰りの馬車で苦笑しながら言う。
伯爵に寄り添うあの女は何者だ、という視線は感じたけれど、一度も話しかけられることはなかった。
皆強い興味があるのはオスカーだけで、私は付き人の一人くらいの認識だったのだろう。
「アホ。男共の視線が釘付けだったの、気付かなかったのか」
呆れたようにオスカーが言う。
正直、まったくピンとこない。
「俺がずっと牽制してたんだよ。立ち位置ちょこちょこ変わったり睨みを利かせたりしてただろう」
「そういえば。怖い人アピールじゃなかったんですか?」
「隙あらば寄ろうとすんのを未然に防いでたんだよ。我ながらすげぇ器の小せぇ男みたいだったわ」
「あはは。大切にしてるって印象付けるためですものね。演技が自然過ぎて全然気付きませんでした」
おかげで失態を演じずに済んだ。
下手に話しかけられたら、オロオロして一瞬で高嶺の花の偶像は崩れ去っていただろう。
しかし惜しいことをした。
気付いていたらじっくり観察していたのに。
大切な女性を守る時のオスカーはどんな表情をしていたのだろう。
演技とは言え、今日はオスカーの色んな表情が見られて嬉しかったのに、それを見ることができなかったのはなんだか損した気分だ。
「演技なぁ」
褒めたつもりの私の言葉に、オスカーが納得のいかない表情でぼやくように呟いた。
「わっ」
大きな手が私の頭に置かれる。
唐突なその行動にどんな意味があるのか分からなくて、きょとんとした顔になってしまう。
それから少しの沈黙があったあと、オスカーがふっと表情を緩めた。
「……ま、しばらくはそのままでいいわ」
「あっ、なんだか小馬鹿にされた気配がしました」
「はは、そういうのは気付くのかよ」
柔らかい声で笑って、優しく目を細める。
せっかく治まっていたはずの心臓が、また変な音を立て始めた。
「そっ、そういえば途中で気付いたんですけどっ」
なんだか変な空気になりそうだったのを、誤魔化すように慌てて口を開く。
「カニンガム子爵様が怯えたご様子だったのってもしかして」
「ああ」
私の頭から手をどけてオスカーが悪い笑みを浮かべる。
「演技だ」
「やはりグルでしたか」
いつもの調子に戻ったことにホッとする。
それからさっきの夜会でのことを思い出す。
子爵は終始青い顔をしていたけれど、拭うふりをしていただけで汗は全く出ていなかった。
それに私達から離れて他の招待客たちと普通に話している時も、顔色は悪いままだった。
たぶんあれもメイクなのだろう。
「見た目は悪人だが、なかなか茶目っ気のある御仁だろう」
まったく人のことを言えない容姿のオスカーがおかしげに言う。
けれど確かに、小悪党然とした子爵は己の見た目に自覚があるようで、強きにおもねる矮小な人間を見事に演じていた。
「ええ、十字架をこれ見よがしにつけているあたりとか」
首許にぶらさがった大きな十字架に言及すると、オスカーが小さく噴き出した。
「あれは最高だった」
「伯爵がそれを見た瞬間に盛大に顔をしかめたタイミングも最高でした」
「ウケてたな」
「怯えてたんですよ」
呆れて言うと、オスカーがケラケラと笑いだした。
「あいつら全員、ずっと俺らのこと気にしてたなぁ」
「あんまり笑ったら可哀想です」
「そうか? やけに同情的じゃねぇか」
「なんというか、完全に騙されていた過去の自分に重なって段々気の毒になってきてしまって……」
「ぶはっ! なら明日には今日の噂が広まってるな」
悪戯が成功した子供みたいな笑みを浮かべて、オスカーが断言する。
夜会中のビシッと決まった表情より、この笑顔の方がずっと好きだ。
のんびりと揺れる馬車の中、そんなことを思った。




