20.初めての夜会
「……ふぅ。いやぁ、我ながら素晴らしい仕事をしてしまったっす」
シキが満足気に言って、ずっと屈めていた腰を思い切り伸ばした。
自画自賛も納得の仕上がりだ。
鏡の中の自分はまるで別人で、気合いの入ったメイクと髪型が相俟って気品あふれる大人の女性と化している。
「すごい……鏡の中に違う人がいるみたい」
「お綺麗ですフレイヤ様」
シキのアシスタントをしてくれていたミラが、うっとりと言う。
「ありがとう。自分でもそう思うわ」
私自身が褒められるといまだに恐縮してしまうけれど、これはシキの技術の総決算を褒められていると思えて素直に礼を言うことが出来た。
「まるで甲冑に身を包む騎士の気分よ」
シキが施してくれたメイクとヘアスタイル。
みんなで選んだシックなイブニングドレス。
ミラから伝授された高貴な振る舞い。
オスカーと鍛えて引き締まった身体。
すべてを備えた今、全身を鎧で覆っているような無敵感がある。
「ふふ、いいですねその表現」
「んじゃあいっちょ戦場に向かっちゃいましょうか!」
向かう先はカニンガム子爵家で行われる小規模な夜会だ。
子爵とはオスカーの父親の代から細々とした繋がりがあって、その流れで招待状を送ってくれたらしい。
部屋を出て広間へと向かう。
そこにはすでにオスカーとバートンが退屈そうな顔で待っていた。
「……ほう、見違えたな」
こちらに気付くなりオスカーがソファから立ち上がり、優雅な動作で近付いてくる。
階段を降りるまで、今なら胸を張ってオスカーの隣に立てると思っていた。
思っていたのに。
「こら、なんで逃げる」
「だ、だって」
すぐ正面まで来たオスカーに圧倒されて、思わず一歩下がってしまう。
彼をまともに直視できなかったのだ。
当たり前のことだけど、正装に身を包んでいるのは私だけではなかったのだ。
オスカーは寸分の狂いなく仕立てられた燕尾服をきちんと着こなし、髪も綺麗に整えられていた。
「まだ自信がないとか言うつもりか? 安心しろ。今のおまえは世界一美しい」
違う、そうじゃない。
全然わかっていない。
私の挙動がおかしいのは、完全にオスカーのせいなのに。
今まで吸血鬼風のコスプレかラフな格好しか見たことがなかったから、そのギャップに心臓がおかしな動きをしている。
端的に言ってしまえば、物凄く素敵なのだ。
「さあいくぞフレイヤ」
名前を呼ばれて心臓が跳ねる。
そういえば今までおまえとかこいつしか言われたことがなかったなと今更気付く。
よりにもよって今このタイミングで呼ばなくてもいいのに。
責めるような気持ちでオスカーに恨みがましい視線を送っても、通じた様子はない。
オスカーが促すように私の肩を抱く。
今までの子供を宥めるみたいな触れ方ではなく、きちんと女性をエスコートするために。
心臓がいっそう騒がしくなり、じわじわと体温が上がっていく。
シキがコートを用意してくれたけれど、必要ないくらいだった。
「いってらっしゃいませ、旦那様、フレイヤ様」
見送る使用人達と別れてバートンの操る馬車に乗り込む。
「さすがに緊張するか」
「ええ、いろんな意味で」
オスカーと二人きりの車内で肩が触れ合う。
スペースには余裕があるのに、屋敷を出た時から距離が近いままだ。
ボロが出ないように相手の屋敷に着く前から恋人のフリでいこうと打ち合わせていた。
演技だしただのフリだし、普通に出来るだろうと完全に甘く見ていた。
私にはこういった方面での免疫が全くないのだ。
カニンガム子爵の屋敷に着く頃には、緊張し果ててすっかり疲弊しきっていた。
* * *
人に囲まれているオスカーを客観的に見ているとよく分かる。
着飾った彼はそれはもう素晴らしいスタイルで、確かに強面だけど間違いなく美形だ
その上、なんだか怪しげな大人の色気がむんむんと漂っていて、文句なしに魅力的だった。
そう思うのは私だけではなかったようで、会場である大広間に入場した瞬間、オスカーに注目が集まりどよめきが起きた。
ブラッドベリ伯爵が登場したからではない。
その圧倒的な存在感が周囲の目を惹いたのだ。
特に女性から「あれは誰なの」という熱い視線が送られている。
本当にこの人がこういう場に出席するのは珍しいことなのだなと、改めて実感した瞬間だ。
「よ、ようこそ、ブラッドベリ伯爵。よよ、よくおいでくださいました」
今にも倒れそうな青い顔で、主催者のカニンガム子爵が進み出る。
その瞬間、周囲が別の意味で大きく騒めき始めた。
「久しいなカニンガム卿。呼んでもらえて光栄だ」
横で聞いていて思わずギョッとしてしまうほどの高圧的な物言いに、他の招待客たちが顔を顰めた。
「いえっ、そんな、私と伯爵の仲ですから、ははっ」
ハンカチで何度も額の汗を拭う仕草をしながら、カニンガム子爵が引き攣った笑みを浮かべる。
対するオスカーは全てを見下すような冷たい視線で周囲を一瞥し、短くため息をついた。
「やはり人間はくだらんな」
吐き捨てるように言った表情に、笑みの気配は一切ない。
子爵の肩がびくりと跳ねた。
「なっ、なにか失礼が……?」
「まあいい。始めてくれ」
「はっ、はい! ……と、ところでそちらの女性は?」
「俺のものを勝手に見るな」
「ひぃっ、申し訳ございません!」
高圧的な態度を一切崩さずオスカーが言うと、子爵はぺこぺこと何度も頭を下げて元居た場所に戻っていった。
さっきから一言も発していない私はと言えば、オスカーの完璧な演技に感心するより先に少し呆れてしまっていた。




