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【コミック①巻8/30】元婚約者から逃げるため吸血伯爵に恋人のフリをお願いしたら、なぜか溺愛モードになりました【本編完結】  作者: 当麻リコ


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19/53

19.社交界デビュー前夜

夕食を終え、談話室でお茶を飲む。

広間と違って手狭なこの部屋には今、私とオスカーだけだ。

シキやミラも含め、使用人たちは明日招待されているサロンに出向くための準備に忙しい。


ネイサンが参加するものではないけれど、オスカーがさらに大きな夜会に招かれるきっかけを作るための大切な足掛かりとなる。


手伝いを禁じられているとはいえ、やはり緊張からくる手持無沙汰でソワソワしてしまう。


「噂を利用するためとはいえ、私ばかり出歩いてなんだか申し訳ない気持ちです」


落ち着かないのを鎮めようと口を開く。


オスカーは王都に来てから屋敷にこもりっぱなしだ。

少しくらいは、と誘っても、吸血鬼が昼間出歩くわけにはいかないと頑なだった。


遊びは本気でやるからこそ楽しいのだそうだ。


「気にすることはない。だがそう思うなら何か楽しい話を聞かせてくれ」

「沢山ありますよ? 一晩じゃ終わらないくらい」


オスカーとはすっかり打ち解けて、二人きりで話していてももう緊張や遠慮はほとんどない。


「構わん。いくらでも聞いてやる」


促されて話し始める。


シキやバートンとの観光やショッピング。

貴族たちの好奇の視線や噂話。

それらがだんだんと快感になってきたこと。


それから、見るものすべてがキラキラしていて、王都に二十年近く暮らしていたのに新発見だらけだということも。


「本当に何を見ても楽しくって。それにシキがいちいち変なコメントをつけるんですよ? それだけでもおかしいのに、バートンが毎回冷静に的確な訂正を入れるんです」

「あいつはなかなか頭の回転が速いからな」


オスカーにとっては珍しくもなんともない事ばかりだろうに、彼は私の話を楽し気に聞いてくれる。


身振り手振りを交えて懸命に話す私に穏やかな表情で相槌を打って、時折「次はあの公園も行ってみるといい」なんてアドバイスをくれたりもする。

王都に出向いた回数は少なくても、印象の強い場所は記憶に残っているらしい。


「……本当に伯爵はどこにも出掛けなくてよろしいのですか?」

「吸血鬼だからな」


自虐ではなく、愉快そうに笑いながら頷く。


「そもそも、何故吸血鬼などと噂されるようになったのです?」


助長させて広めたのは本人だとしても、何かきっかけになるようなことがあったはずだ。

でなければ王都から遠く離れたブラッドベリ領まで、わざわざ吸血鬼見物に行く人もいないだろう。


私の質問に、オスカーが笑う


「父の話をしただろう」

「ええ。伯爵にそっくりだと言う、あの」


どれだけ似ているのかは、一度も会ったことがないから分からない。

領地の最南端の村に一人で暮らし、屋敷に来ることはほぼないらしい。

滞在している一ヶ月強の間、連絡を取り合っている様子すらなかった。


偏屈で人嫌いと言っていたけれど、まさか息子であるオスカーに対してまでそうなのだろうか。


「若い頃から老け顔だったせいか歳をとってもそのままでな。その時点でまず『老けない』という印象はあったんだろう。で、俺も十代には立派な老け顔に成長したわけだ。父そっくりの」


オスカーが先を続ける。


人嫌いの父は、伯爵家を継いだあとも公の場にはめったに顔を出さなかった。

どうしても手続きが必要だったり、国王陛下に呼び出された時だけ渋々王都に足を運んでいた。

それすらもそのうち億劫になり、顔がそっくりだという理由で成長した俺を自分の代わりに向かわせるようになった。

さすがにその頃には父もさらに老けた顔になったが、俺が父本人だと思われていたせいで貴族たちの印象は若い頃と同じままだ。

それで不老説が不動のものとなったらしい。

代替わりすら知られていないのは、父が何もしなかったせいだ。

普通の貴族であれば盛大なお披露目パーティーを開いて広く周知するだろう。

けれど法律上は陛下と戸籍管理機関の許可だけでいいからと、面倒がって内輪で済ませたのだ。


「結果、五十代にして二十代の頃と寸分たがわぬままの吸血伯爵が誕生したってわけだ」

「そんな理由で……」

「もともと口数の少ない人だったからな。バレないように俺が黙り込んでいても気にする奴はいなかった。それで全然老けない、めったに人前に姿を現さない、たまに見かけるのは王宮主催の夜会のみと条件が重なって、数年前からそんな噂が密かに流れるようになったようだ」


憶測だけの無責任な噂だ。

普通の人であれば憤慨して噂の出所を突き止め訴えていてもおかしくない。


けれどオスカーはそれをとことん楽しむことに決めた。

私には考えられないほど強い精神をしていると、今更ながらに感心してしまう。


「それで外壁を塗り変えるに至る発想は謎ですが」

「あれは英断だった」

「ええー……」


話が途切れたタイミングでノックの音が聞こえ、ミラが入ってくる。

お茶を替えに来てくれたらしい。


「新しい紅茶をどうぞ」

「ありがとうございます……そういえばミラさんは反対しなかったんですか?」


温かいカップを受け取って礼を言ってからオスカーに問う。


「ノリノリだったが」

「なんの話をなさってたんです?」


空になったカップをトレーに載せながら、ミラが不思議そうに首を傾げた。


「壁を塗り変えた判断が正しかったという話だ」

「ああ」


オスカーの言葉に、ミラが懐かしむように目を細めた。


「丁度模様替えをしたいなと思っていたところでしたので」

「模様替えって規模ですか」


ちょっと棚の位置を変えました、みたいな言い方に思わず口を挟んでしまう。


「だが噂の信憑性が増しただろう」

「夜に見たら今でも怖いです。もうちょっと親しみを覚える色に出来ないんですか」

「あの方が楽しいだろが」

「実際、効果は抜群でしたわね」

「ヴァンパイア城を一目見ようと観光客が来るくらいにな」


オスカーとミラがクスクスと笑い合う。


領地経営が上手くいっているのは、領主とそれに関わる人たちがどんなイレギュラーも楽しめるからだろうか。


「観光資源として大成功です」

「おかげでさらにうちが潤う」

「肝試し感覚でお客様が訪ねてくるようにも」

「脅かすのがだんだん楽しくなってきたのも仕方あるまい」


楽し気な二人を見ていると、私まで楽しくなってくる。


「それであの悪戯が誕生したんですね……」

「ミラがいい試金石だ。こいつは顔が怖いからな」

「旦那様にだけは言われたくありませんわね」


無表情、平坦な声で対応するミラに薄暗い照明。

不健康そうなメイクを施した、ヴァンパイア風衣装のオスカー。


大抵はその時点で逃げ出すらしい。


「そりゃこわいですもん」

「おまえほど本気で信じるやつは初めてだがな」


揶揄うように言われて赤面する。

自分の怯えぶりと、その後の迷走ぶりは今思い出しても恥ずかしい。


だってあんな怖い経験、生まれて初めてだったのだ。


「でも、ネイサンもかなり本気で信じてます」


私の見る限り、あの怖がりようは本気だ。

ブラッドベリ伯爵の話題はあからさまに避けていたし、そのくせ怖いもの見たさなのか誰よりも情報を集めていた。

怖くなどないという強がりもあったのかもしれない。

それで私を追いかけてきた挙句、逃げ帰っていたらしょうがないのだけど。


「ふふん、会うのがますます楽しみだ」


意地の悪い顔で、心底楽しそうにニヤニヤと笑う。


顔はそっくりでも、偏屈で人嫌いなのは彼の父親だけらしい。


呆れ半分、頼もしさ半分で、私は明日への緊張などすっかり忘れてしまっていた。


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