17.王都の散策
すでにいくつか招待を受けている中で、一番最初に参加するのは三日後だ。
それまでの間王都内を闊歩し、ブラッドベリ伯爵が社交界にとうとう進出してきたという噂を広げるのが私の役目だ。
「いつネイサンと遭遇するか分からんからな。必ずシキを連れていけ」
出掛ける準備を終えた私にオスカーが言う。
吸血鬼という性質上、オスカーは昼間出歩けない。
「シキを?」
元々一緒に散策するつもりだったけれど、その言い方に引っかかるものを感じて首を傾げる。
「こう見えてブラッドベリ領最強だ。もしヤツが襲い掛かってきても返り討ちにするだろう」
自信満々の笑みを浮かべるオスカーの横で、どう見ても華奢なシキが「むんっ」と二の腕に力を込めた。
「えっ、そうなんですか!?」
「嘘だ」
「嘘っす」
すぐに真顔になった二人に否定されて脱力する。
「はっはっは、本当にお前は騙されやすくて面白いな」
オスカーがご機嫌に笑う。
ミラも細いけど力持ちだから、そんなこともあるかもしれないと信じてしまったのが間違いだったらしい。
「あたしメイク道具より重いもの持てないんで」
「大きな椅子を涼しい顔で運んでるのを何度も見たわ……」
さらりと笑顔で嘘を追加するシキに恨めし気な声で言う。
シキはぺろっと舌を出して、可愛らしい顔で誤魔化した。
結局はちゃんと護衛にと屈強な従僕をつけてくれて、シキと三人で屋敷を出た。
バートンというその従僕は、オスカーに勝るとも劣らない強面の持ち主で、オスカーの三割増しでガタイがいい。
これならネイサンどころか路地裏のゴロツキすらもおいそれとは近寄れないはずだ。
オスカーから離れるのは少し寂しく感じたけれど、新しい服を身に着けて王都を歩くのは少しワクワクした。
「フレイヤ様はどこかいいお店知ってますか?」
「恥ずかしながら、実は全然知らないの」
シキにウキウキと聞かれて苦笑する。
生まれた時から王都に住んでいるけれど、ショッピングを楽しんだことなんて一度もない。
だいたいは家にこもって勉強や仕事をしていたし、おつかいでお役所や商会所に行くことはあっても寄り道は許されなかった。
「じゃあたしと一緒っすね! 新規開拓ってワクワクするっす!」
キラキラと目を輝かせながらシキが言う。
こうやって私が出来ないことや分からないことを後ろめたく思わないようになったのは、シキやオスカー達がそれをプラスに捉えてくれるおかげだ。
「バートンさん、なんかよさげなお店あったらテキトーに停めてください!」
御者席に向かってシキが言う。
バートンが困った顔で振り向く。
「女性の好みなど私に分かるわけがないでしょう」
ぼやくように言って、シキが「確かに」と真顔で同意した。
「んじゃ人がいっぱいいそうなお店でってことで」
「かしこまりました」
いかめしい顔つきのバートンは、シキよりもずっと丁寧に喋る。
その差が少し面白くて、私はこの従僕が好きだった。
「ここなんかいかがですか?」
馬の歩調を緩めてバートンが問う。
店の周りには若い女性が多く、ショーウィンドウを憧れの眼差しで眺めたり、従者を連れて堂々と店内へ入っていく貴族令嬢に羨まし気な視線を送ったりしていた。
「ばっちりっすよバートンさん!」
顔を輝かせてシキが言う。
それから店の前で馬車が完全に停まるのを待って、表情を引き締めた。
「……お嬢様、お手をどうぞ」
優雅な動作で先に降りて、淑やかに言う。
そうしていると完璧な美少女にしか見えない。
「……ありがとう」
私は噴き出しそうになるのを堪えながら、その手につかまった。
こつり、石畳にヒールの音が響く。
異質な空気を感じたのか、視線が集まる。
周囲がざわついた。
馬車の外装にも、シキの胸元のブローチにも、分かりやすくブラッドベリ家の紋章が入っている。
彼女たちはすぐに気付いたのだろう。
それらが吸血伯爵のものだということに。
「私はここでお待ちしております」
御者台から降りたバートンが無表情に言う。
平坦なその口調からは、およそ生気というものを感じられない。
ミラの演技指導の賜物だ。不健康そうに見えるメイクもしている。
案の定周囲からの視線に怯えのようなものが混ざり始める。
不穏な空気が漂う中、私達は無表情のまま店へと入った。
その店は宝飾店だったようで、価格帯からかなりの高級店だということが分かる。
ここに入ったのは失敗だっただろうか。
不安がよぎったのをすぐに察したらしいシキが、無表情のまま親指と人差し指で輪っかを作った。
お金ならたんまり預かってます。
そんなジェスチャーだろう。
もうすっかり以心伝心だ。
微笑みそうになるのをグッと堪え、ショーケースへと近付く。
店内の御令嬢方の視線が、シキのブローチへと注がれるのを感じた。
外での反応と似たようなリアクションが起きて、比較的近くにいた令嬢がじわりと後退る。
「見せていただいてもよろしくて?」
私はそんな些末事に構いもしない、マイペースな謎の女を演じる。
店員の男性はおっかなびっくりショーケースの鍵を開け、私の前にいくつかイヤリングを置いてくれた。
幸いにして、散々親の手伝いをしてきたから石やデザインが価格に見合っているかすぐに判断がつく。
それで言えばここはかなり良心的なようで、人気があるのも納得できた。
そういえばここの店名、聞き覚えがある。
妹が父に何度もイヤリングをねだって保留にされていたブランドだ。
そんなもの、本当にいいのだろうか。
もう一度シキを見ると、視線はまっすぐ前を向いているのに手元にはすでに輪っかが作られていて、その抜かりのなさに堪えきれず小さく噴き出してしまった。
「っふ、……素晴らしいデザインですわ」
それを感嘆のため息風に誤魔化して店員に微笑した。
人間味を示したのが意外だったのか、彼は一瞬陶然とした表情になって、それからいそいそとショーケースの下に屈み込んだ。
「とっ、特別なお客様にだけお見せしているのですが、こちらもおススメです」
ガチャガチャと鍵を差し込む音の後、恭しい手つきで新たにいくつかのイヤリングが目の前に置かれた。
それらは確かにショーケースに飾られていたものよりも上質で、値段は提示されていないが明らかにワンランク上のデザインだった。
その中にひときわ目を引くものがあった。
深い青色の宝石は、大きくはないが上品な輝きを放ち、まるで液体のように透き通っている。
まるでオスカーの瞳のようだ。
そんなことを思って、無意識に手が伸びた。
「お嬢様はこれを気に入ったようです」
シキが冷淡な声で言って、金貨の入った革袋を店員へ渡した。
買うなんて言ってないのに!
慌てて止めようとしたけれど、取り乱すことも出来ずに視線だけシキに送る。
「必要な分だけお取りください。今つけるので、包まなくて結構です」
「あっ、ありがとうございます!」
私の必死さは伝わっているはずなのに、シキは完全にスルーを決め込んだようで涼しい顔だ。
「私がつけて差し上げます」
ずっと無表情なのに、シキがウキウキしているのが伝わってくる。
どうあっても撤回する気はなさそうだ。
「……お願いね」
私は諦めて、せめてシキがやりやすいようにと身を屈めた。




