16.街屋敷
王都への移動を始めたのは、その一週間後だった。
領内の移動に使っていた軽装馬車ではなく、二頭立て四輪の大きくて立派な馬車での移動だ。
御者席にはミラではなくちゃんとした御者がいて、幌の中にはいつものメンバーに加え料理長や従僕、それに大量の荷物が積まれてぎゅうぎゅう詰めになっていた。
私の隣には常にオスカーがいて、互いに厚着のため熱を感じることはないが、触れ合っている密着感に妙に胸が騒いだ。
途中寝息が聞こえてそろりと横を見ると、彼は目を閉じ眠っているところだった。
その横顔にしばし見惚れてしまう。
起きていると目つきの鋭さばかりが目立ってしまうけれど、こうして目を閉じていれば恐ろしいほどに整った顔だということがよく分かる。
そのせいで、余計に人外めいて見えたのだということも。
にわかに不安が強くなる。
彼に綺麗な服を買ってもらい、それに似合うメイクを施されるようになって、驚くほどまともな見た目になった。
それはさすがに自分でも認識できる。
シキの腕は確かで、そのことにもう疑いようはない。
けれど吸血鬼云々は置いても、オスカーの存在感はどうあっても異質だ。
そんな人の恋人だと、信じてもらえるほどの女だろうか。
今更そんなことを思って気後れしてしまう。
けれどそんな疑問に自分で答えを出せるはずもなく、途中何度か町や村を経由して、馬を替え宿に泊まり、数日の日程を経て一行は無事に王都へとたどり着いた。
「掴まれ」
先に馬車を降りたオスカーに差し出された手を掴む。
「暗いから足元に気を付けろよ」
綺麗に舗装された道に降り立つと、狭い座席に縮こまっていた膝がパキリと鳴った。
吐く息が白い。
季節はもう冬を迎えていた。
中心地から少し離れたこの場所は外灯が少なく、深夜に近いこともあって人通りも途絶えてシンと静かだ。
街屋敷は領地のお屋敷に比べると、当然のことながら小ぢんまりしている。
けれど窓からは暖かな明かりが漏れていて、そのことにホッと息を吐く。
屋敷内を整えて主人の到着を待つため、先行して数人の使用人がすでに働いているのだ。
ミラがノッカーを鳴らすと、すぐに扉が開いた。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「あんまただいまって気はしねぇがな」
年嵩のメイド、ルーシーが破顔して出迎えるのにオスカーが笑う。
先行隊と合流した使用人たちも互いを労い合い、暖かい屋敷の中で遅い夕食が始まった。
食事後、風呂も終えてさっぱりとした状態でしばしくつろぐ。
広間のソファは柔らかく、疲れた身体をゆったりと受け止めてくれた。
ぼんやり暖炉の火を眺め、パチパチと薪の爆ぜる音を楽しんでいるうちに、少しウトウトしていたらしい。
「こら、寝るなら寝室に行け」
苦笑しながらの声にハッと意識が戻る。
いつの間にか隣に座っていたオスカーに、寄り掛かっていたことに気付いて慌てて姿勢を正した。
「ごめんなさい」
「いいけどよ。こんなとこで寝たらさすがに風邪引くぞ」
「暖炉が暖かくてつい……」
居眠りをしてしまった気恥ずかしさに顔が熱くなる。
「あーあ真っ赤じゃねぇか。火に当たりすぎんのも考えもんだな」
それを暖炉のせいだと思ったらしいオスカーが、私の頬に触れて言った。
どきりと心臓が変な音を立てる。
逃げ出したいような焦燥と、ずっと触れられていたいような切望が綯い交ぜになって、微かな混乱に心音が速まる。
「寝室に案内してやる。俺ももう寝るとこだから気にすんなよ」
私の遠慮を先回りで潰して、オスカーがにやりと笑う。
「ありがとうございます」
私は苦笑して礼を言い、オスカーを追って広間を出た。
階段で三階まで上がり廊下を少し行くと、いかにも主人の部屋という豪華な扉が現れた。
ここがオスカーの寝室なのだろう。
「ここがお前の寝室だ」
「えっ?」
予想に反して言われた言葉に目を丸くする。
隣に立つオスカーを見上げると、彼が真面目な表情で私の目を見た。
「そして俺の部屋でもある」
続く言葉に絶句する。
「屋敷が狭いからな。すまんが部屋は共用だ。ベッドもでかいのが一つ入っているだけだが、我慢してくれ」
申し訳なさそうに言われて頭が真っ白になる。
ブラッドベリ領の屋敷でも、途中立ち寄った村の宿でさえも別部屋だったのに。
いきなりこんな。
無理だ。
絶対に無理。
だって。
心の準備が。
「ああフレイヤ様。丁度良かったです。寝室の準備が整いましたよ」
頭の中で処理しきれなくなって涙目になっていたら、隣の部屋の中からひょっこりとルーシーが顔を出した。
「へ……?」
ぽかんと口を開けて彼女を見る。
ルーシーは私の返事がないことに不思議そうな顔をしたあと、オスカーの方を見て呆れた表情になった。
「……またフレイヤ様で遊びなさったんですね」
それを聞いてオスカーに視線を戻せば、彼は廊下に屈みこんで肩を震わせていた。
「……伯爵?」
「ははは悪い、冗談だ。ちゃんと客室を用意してるに決まってんだろ」
声を低くして呼べば、心底楽しそうに笑い声を上げながらオスカーが立ち上がった。
「もうっ、信じられません!」
「くくくっ、悪かったって。いやそれにしてもおまえ、本当にいい顔するよな」
私の抗議にも笑いを収めず、オスカーは肩を震わせ続けている。
騙されるのは今に始まった話ではないが、王都への行程でも何度も揶揄われてきたのに一向に学習しない自分が恥ずかしい。
「まったく。あんまりしつこいと嫌われてしまいますよ?」
ルーシーの言葉にオスカーの笑いがぴたりと止まる。
それから私を見た。
「なるか?」
「なりません」
問われて即答する。
オスカーの笑い方は人を馬鹿にするようなものではなく、心から楽しんでいるのがよく分かる。
すぐに信じてしまう自分の単純さは恥ずかしいけれど、その笑顔と笑い声を聞いていると、まあいいかという気持ちになってくる。
だからこそいつまでも学習しないのだけど。
それにすぐにネタばらしをしてくれるから、後に引き摺ることがない。
むしろ私の騙されやすさに呆れられる方が早い気がする。
「ならんそうだ」
何故か得意げな顔で、オスカーがルーシーに向けて言う。
「……仲のおよろしいことで」
諦めたような嘆息と共に、彼女は肩を竦めて階段を下りて行った。
ルーシーが整えてくれた客室はピカピカで、ホコリひとつ落ちていない。
さっそくベッドに飛び込むと、フカフカの毛布からはいい匂いがした。
長い道のりで疲れていたから、眠気はすぐにやってきた。
目を閉じてこれからのことを思う。
とうとう王都に戻ってきてしまった。
両親は今何を思っているだろう。
本当に出て行きやがったと怒っているか、私がいなくなってせいせいしているか。
ネイサンはどうしているかしら。
私がいない一ヵ月の間に、飽きて諦めてくれていればいいのだけど。
もしそうなら、すぐにでもオスカーを解放してあげることができるのに。
だけど。
それを少し残念に思うのはなぜだろう。
オスカーの作戦通り、悪女の役を上手く演じることが出来るだろうか。
吸血伯爵の恋人としてネイサンを怯えさせ、私自身二度と舐められないように振る舞わなくてはならない。
明日からのことに不安も恐怖もあるけれど、すぐ隣にはオスカーの部屋がある。
そのことが意外なほどに心強く、私はすぐに考えるのをやめて眠りについた。




