15.好きと嫌い
シキに手伝ってもらって、ドレスを着てみる。
改めて鏡に映った自分を見て、これは本当に私なのだろうかと首を傾げそうになる。
髪だけではない。肌の色も確実に自分の中の記憶とは違っていた。
外出する機会が少なかったから色白ではあったけれど、髪同様くすんでいたはずだ。
なのに今はミラの評してくれたように透き通るようだった。
深みを増した髪の色と、それからドレスの黒がその透明感を際立たせている。
「めちゃくちゃ美しいっすフレイヤ様……」
シキがうっとりと呟く。
慣れない賛辞につい否定の言葉を並べたくなるけれど、それももういい加減やめようと思う。
「あの、ありがとう」
元の服に着替え直して、髪を結ってくれているシキに礼を言う。
今私にできる精一杯がこれしかないというのが情けないけれど、それでも何も言わないよりはマシだった。
「ええ? こちらこそっすよ! フレイヤ様着飾るのすんごい楽しいっす!」
輝く笑顔で言いながら、テキパキと髪を整えるその手際は見事だ。
「はい完成! ホントはもっと手の込んだやつやりたいですけど、道具が足りないんで簡単に」
そう言って自前の手鏡と合わせて見せてくれた髪型は、どう見ても複雑でとても簡単とは思えなかった。
シキの手はびっくりするくらい繊細に動くのだ。
「なんだ。着てるとこ見せろよな」
試着室を出ると、前で待っていてくれたらしいオスカーがガッカリした顔で文句を言う。
「ええ、だって恥ずかしいです……」
「あほ。これから大勢に見られるんだぞ。今から慣れとけ」
言われてもイマイチ上手く想像できない。
沢山の人に見られるより、オスカー一人に見られる方が余程恥ずかしい気がするのは間違いだろうか。
「で? どうだった」
気を取り直したようにオスカーがにやりと笑って問う。
「……すごく好き、でした」
自分の「好き」を口に出すのはなんだか恥ずかしい。
図々しい気がするし、おこがましいような気もするから。
だけどここにいる人達は誰もそれを笑わない。
「よしわかった。店主。これを頼む」
シキからドレスを受け取って、横に控えていた男性に手渡す。
「あとこれとそれ。それからあそこのとその隣と、それから」
「えっ、ちょっ」
止まらない指示に、ミラとシキが即座に対応して店中の服を集め出す。
「そ、そんなに必要ないですよね!? これひとつで充分です!」
「んなわけあるかバカタレ。王都で毎日同じ服着てたら馬鹿にされんぞ」
「それは……」
「貴族は見栄の張り合いだ。社交シーズンが何ヶ月あると思ってんだ」
見栄や虚栄心が人一倍強い両親を見てきたから、オスカーの言う通りだと言うのはよく分かる。
だけどドサドサと積み上げられていく服を見ていると、血の気が引いていくのを止められなかった。
「早く貢がれることに慣れてくれよ子猫ちゃん」
私の頬に手を添えオスカーが甘い微笑みを浮かべる。
「出た! ひゅうっ! オスカー様いかしてるぅ!」
一瞬で上がりかけた全身の熱が、シキのひやかしでスッと冷めた。
オスカーは私のリアクションなど気にも留めず、シキと笑い合っている。
なんだかよく分からないけれど危ないところだった。
結局入った店はそこだけに留まらず、シキの案内で別のテイストの店でも服を買い込むことになった。
シキの見立ては抜群で、的確に私に合うものだけを見つけてきた。
あれこれ似合うと与えられ、私の遠慮はいっさい聞き入れられずにあっという間に衣装箱が積み上がっていく。
「はっはっは。大漁大漁」
領主だというのに自ら進んで大荷物を抱え、オスカーは満足げに笑う。
「次はアクセサリーだな。店はもう決まってるのかシキ」
「もちっす!」
「そんなに買っていただくわけにはいきません」
もはや手遅れではあるけれど、改めてストップをかける。
本当にこれ以上は私の精神が耐え切れない。
「王都住みに言わせりゃド田舎だがこの通り栄えてる。おかげで領主は儲かってんだよ気にすんな。金が回れば領民も潤う」
それ以上は何を言っても全く取り合ってくれず、シキとウキウキ次の店の話をしている。
「ご負担お掛けしますがどうか付き合ってあげてくださいフレイヤ様。旦那様は今楽しくて仕方がないのです」
オスカーよりも大量の荷物を抱えて涼しい顔のミラが、苦笑しながら言う。
こんな細い体のどこにそんな力があるのか謎だけど、ミラはかなりの腕力の持ち主らしい。
「楽しいってでも、伯爵になんの得もないのに」
私にあれこれ買い与えたところで何が楽しいのかわからない。
ネイサンを怖がらせて遊びたいというのは理解したけれど、その一環にしてもこれはやりすぎな気がする。
「ふふ、フレイヤ様がそういう方だから旦那様は楽しいのです」
「私も遊ぶ対象ってことですか?」
それなら少し分かる。
世間知らずですぐにネガティブになってしまう私の思考が、彼とは正反対で物珍しいのだろう。
「少し違いますが、まあ暇つぶしの相手をしてやっているくらいに思っていただければよろしいかと」
魅惑の微笑みを浮かべてミラが言う。
そんな風に思えるかは不安だったけれど、私の足掻くさまが楽しいというのなら少しだけ心が軽くなった。
私にもオスカーを楽しませることができている。
例え無様を笑われているだけだとしても、そう思えるのが嬉しかった。
さらに増えた大量の荷物を馬車へ積み込むと、四人乗りの座席がいっぱいになってしまった。
御者までこなすミラだけでなく、帰りはシキも御者台に移る。
座席にはオスカーと二人きりになった。
さすがに疲れたのか、オスカーは静かに窓の外を眺めている。
馬車はガタゴト揺れていたけれど、黙っていても機嫌が良さそうなのが見て取れた。
「……こんなに自分のものを買っていただいたのは、生まれて初めてです」
ありがとうございます、と向かいに座るオスカーに頭を下げる。
ミラの指導のおかげで、最近はお礼の言葉がすんなりと出てくるようになっていた。
ありがとう、という言葉も好きだ。
ここに来てからまだ一ヵ月も経っていないのに、私の中の「好き」はあっという間に増えた。
「ふ。なかなかいいもんだろ」
オスカーが私を見て淡く笑う。
その濃紺の瞳は穏やかな光を帯びていて、目つきの鋭さなんてもう全く気にならなくなっていた。
「今までこんなふうに扱われたことがなくて、正直ずっと戸惑っています」
王都に居た頃は、嫌いなものばかりだった。
そんなことに今更気付く。
親が嫌い。妹が嫌い。婚約者が嫌い。
私を見下す従僕たちが嫌いだったし、自分とは違ってキラキラしている貴族たちが嫌いだった。
何よりも、それら全てに立ち向かえない自分が大嫌いだった。
だけど好きなものが一つもなかったから、嫌いということに気付けてすらいなかった。
ここには好きなものばかりで、ああ、あのモヤモヤしたものは「嫌い」という感情だったんだ、と他人事のように思う。
その感情も、もう遠いところにある。
「今の生活は楽しいか」
少しの沈黙があって、オスカーが静かに口を開く。
「……はい。とても」
答えて自然に笑みが浮かぶ。
ようやく自分の感情を少しずつ把握できるようになってきた中で、それだけは確かだった。
「そうか」
優しい声で労わるように言われて、胸がぎゅっと痛んだ。
それがどんな感情からくる痛みなのか、私にはまだ分からなかった。




