13.わからない
「そうだ、今日は町まで買い物に出るぞ」
朝食を終えて移動したリビングルームで食後の紅茶を飲んでいると、オスカーがそう宣言した。
「日用品の買い出しですか?」
「だからそういうのは使用人の仕事だっつうの」
「あうっ」
ピッとデコピンを受けて仰け反る。
ブラッドベリ家に来て三週間近く経つが、私が何かズレたことを言うたびにお見舞いされるようになってしまった。
ごく軽い攻撃だが、反応が鈍いせいで毎回律儀に食らってしまう。
「そうじゃなくておまえのドレスとかアクセサリーとかそういうのだ。シキとミラに見立ててもらえ」
「えっでも私お金が全くないのですけど」
「そんなものはパトロンのおじさんに任せておけばいいんすよ」
「おじさんは若い女の子にお金を使いたいものなのです」
慌てて自分の情けない懐事情を明かすと、シキとミラが優しく私の肩に手を置いてそう言った。
今までは屋敷にあった服を借りていた。
若いメイドがもう着なくなったものや、亡くなった前伯爵夫人の遺したものが主だ。
デザインは決して新しくはなかったけれど生地や縫製は上質で、私にとっては充分にありがたいものだった。
「はなはだ語弊があるが、金はもちろん俺持ちだ」
二人の言葉にオスカーは不服そうな顔をする。
「伯爵はおじさんではないと思いますが……」
「この屋敷でそう言ってくれるのはおまえだけだ」
よしよしと褒めるように頭を撫でられて、少し嬉しくなる。
まるでペットみたいな扱いだけど、それでまんまと喜んでいるのだからその扱いで間違っていないのかもしれない。
「何度か見回らせてるが元婚約者らしき不審者も見かけんしな。そろそろ外出しても大丈夫だろう」
「オスカー様に恐れをなして逃げ帰ったんすね」
「顔すら合わせてないのに軟弱な男だ」
シキとオスカーが小馬鹿にするように鼻で笑う。
聞かれるままに今までされてきたことをシキに話したせいか、彼女はネイサンが大嫌いらしい。
「王都で過ごす服が必要だろう。借り物の服のままではどうにも不格好だしな」
「でも、そこまでしていただく義理がありません」
言われて今着ている服を改めて見下ろす。
似合っていない自覚はあったけれど、直接言われるとやはり落ち込んでしまう。
「それにどんな素敵な服を買っていただいたところで私には似合わないので、どれでも同じです」
自分用に仕立ててもらった服なんて着たことがないけれど、どうせ何を着たって一緒だ。
これまでは母がいらなくなったものや商売で売れ残ったもの、取引相手からの貢物で賄っていた。
それすら妹が先に選んで、私は残りものを押し付けられていた。
だから自分に合う合わないなんて考えたこともなく、そもそも暗く沈んだ髪色の前では流行のドレスもアクセサリーも褪せてしまう。
「今お借りてしている服だって、せっかく仕立ての良いものばかりなのに私が着ているせいで台無しにしてしまっていますし、いたっ!」
気を遣わせてしまった申し訳なさに、遠慮の言葉を重ねようとしたところで額にバチンと思い切り衝撃が走った。
いつの間にか俯いてしまっていた顔を反射的に上げると、ムッとした顔のオスカーが目に入る。
もうすっかり彼の強面には慣れた気でいたけれど、こういう表情をされるとさすがに少し怖い。
「いっ、いたいです」
「痛くしたからな」
それでもジンジン痛む額を押さえながら、涙目でなけなしの抗議を入れるとオスカーが当然だとばかりに言う。
それからミラたちの方を見て、眉間のシワを深くした。
「シキ、ミラ。この大馬鹿者にわからせてやれ」
「もちろんですわ」
間髪入れずにミラが迫力のある微笑みで応じた。
「腕が鳴るっす!」
腕ではなく指の関節をボキボキと鳴らすシキが、やる気満々の顔で頷く。
私は自分の発言のどれが彼らの何に火を点けたのか分からぬまま、拉致同然に馬車に乗せられたのだった。
連れていかれた先は領内一の交易街だった。
豊富な品揃えと賑やかさに声を失う。
隣国との境界が近く、行き来が多いのだそうだ。
国が主要とする交易地はブラッドベリ領とは別にあって、あまり知られていないがここも交易が盛んらしい。
「すごいですね……!」
「そうだろう。自慢だが、王都に引けを取らないという自負がある」
オスカーが自信満々に言う通り、この賑やかさは王都の繁華街に近いものがある。
貴族向けの洗練された雰囲気とは全く違うけれど、活気という点で言えば王都すらしのぐかもしれない。
少し歩いただけでも見たこともないようなものが沢山あって、目が回りそうだった。
「どうしてこんな素晴らしい場所が有名にならないのでしょう?」
「ブラッドベリは昔から畑しかないド田舎の僻地という印象が強いからな。わざわざ来たがる貴族も商人もいない」
「王都からも離れておりますしね。商人たちも隣国との取引の方が儲かるそうで、王都まで行かないから話が広がらないのです」
「吸血鬼の噂はあんなに広がったのに……」
「広めたい人間がいるかいないかの違いだな」
オスカーがにやりと笑って、ミラが呆れた顔で「そのせいで余計王都の人間が寄り付かないのですけど」と付け足した。
「ま、なんにせよ時間はたっぷりある。好きに回るといい」
「でも……」
促されて足を止める。
好きに、と言われても、自分がどんなものを好きか分からないのだ。
困った顔でオスカーを見上げる。
「……好きなものが分からねぇか?」
「……はい」
すぐに察したらしいオスカーに聞かれて、正直に頷く。
本を読むのが好き。
新しいことを知るのが好き。
乗馬も好きだと知った。
ミラの教えてくれる美しい仕草を真似るのも好きだし、シキと全身を磨くのも好きだ。
少しずつ自分の好きを増やしているけれど、自分を着飾るためのものとなるとまた別な気がした。
「しょうがねぇ、今日は特別な」
ぽんと軽く私の頭を叩いて、オスカーはすぐにシキの方に向き直る。
「シキ、こいつに似合いそうなもん置いてる店に心当たりあるか」
「ばっちりチェック済みっす!」
シキが頼もしい顔で親指を立てる。
それから急かすように私達を手招いて、先導するように足早に歩き始めた。
私はそのあとをトボトボとついていくことしか出来ない。
少しはマシになったと思っていたけれど、やっぱり私はダメみたいだ。
たった数週間で成長できるほど、人生というものは簡単ではないらしい。
今まで抑圧されていたことを言い訳に、全て人任せにしてきたツケが来ているのかもしれない。
「ほら、手」
私の前を歩いていたオスカーが振り返り、手をこちらに差し向けた。
「……?」
「繋いどけ。はぐれたら面倒だ」
「え、でも」
「急げ。シキに置いてかれる」
急き立てるように言われて慌ててその手に捕まる。
再び歩き出したオスカーは、シキと離れた距離を詰めるでもなくゆったりとした歩調で歩き出した。
「ったくしょぼくれた顔してんなよ」
「……はい」
「今はとりあえずいろんなもんを見ろ。そんでゆっくり見つけてきゃぁいい」
口調は乱暴だったけれど、私の沈んだ心にそっと寄り添うような優しい声音だった。




