12.自主的に
たっぷりと湯を張った風呂にふやけそうなほど長く浸かるのも、高価そうな香油を惜しげもなく塗りこまれるのもおっかなびっくりだ。
「こんな贅沢な使い方してもいいのかしら」
「ケチケチしてたら効果出ないっす!」
どんなに言ってもシキは断固たる態度で私の遠慮を蹴散らした。
普段は気のいいメイドなのに、美容関連に関してだけは妥協がない。
オスカーに一任されているという以外にも、本人のこだわりによる部分が強そうだ。
「けどほら、そのおかげでフレイヤ様ピッカピカですよ?」
「それはもう本当にそう思うわ。シキってすごいのねぇ」
借り物のワンピースから露出した自分の腕を眺めてうっとり呟く。
最初のうちは申し訳なさや後ろめたさが大きくて身を縮こまらせていた。
けれど日に日に髪も肌もツヤツヤのピカピカになっていくのが嬉しくなってきて、今は戸惑いつつも美容に力を入れるのが楽しみになっていた。
「へっへっへ。フレイヤ様、磨き甲斐あってちょーたのしいっす」
それに私が磨かれれば磨かれるほどシキが嬉しそうで、その顔を見るのが好きだった。
「それで自主鍛錬か」
「はい。是非ともトレーニング方法を教えていただきたいのです」
オスカーが中庭で鍛錬しているのを見かけて、弟子入りを願い出る。
実家にいた時は食事抜きなんてこともよくあったから、一応太っているわけではない。
けれどなんというか、全体が弛んでいる気がするのだ。
せっかくシキが頑張ってくれても、それだけは彼女の力では補いきれない。
今まで美容のために鍛えようなんて発想はなかったけれど、シキが喜んでくれるなら自分で出来る努力はしておきたかった。
「感心な心掛けだが、一ヵ月でどうにかするのはなかなかしんどいぞ?」
ちょうど休憩に入ったところだったからか、彼は邪魔そうにするでもなく真面目に応じてくれる。
「それくらいが丁度いいです。こちらに来てから甘やかされっぱなしなので」
シキはのんびりゆったりストレスなく過ごすのが美の極意だというが、どうにも性に合わない。
たっぷり寝て時間をかけてしっかり食事をとって、綺麗な庭を散歩してミラの淹れてくれた紅茶とヘルシーなおやつを食べて。
優雅な時間を過ごせば過ごすほど、どうしても何かをしなくちゃという気になってソワソワしてきてしまう。
むしろ何もしない時間こそがストレスになっている気さえしてくるのだ。
「難儀なやつめ」
「わぅっ」
オスカーがため息をついて、ボスンと私の頭に手を置いた。
戸惑いでリアクションを返せずに固まっていると、なんだかかわいそうなものを見る目でそのまま頭を撫でられた。
「いいだろう。俺もシキみたいに特訓メニューを作ってやる」
「あ、いえ。邪魔しないように横で伯爵の真似をしますので」
そこまでしてもらうのは申し訳なくてそう申し出れば、オスカーが呆れた顔をした。
「ばぁか。俺の真似したらムキムキになっちまうだろうが」
「ひゃっ」
頭を撫でていた手で額を小突かれた。
ちっとも痛くはなかったけれど、一瞬何をされたのか分からなくて額を押さえて目を瞬く。
「ははっ」
よほど変な顔をしてしまったのか、オスカーが無邪気に笑う。
「ムキムキも少しくらいならいいかと……」
その表情からなんとなく目が離せなくなって、ぼんやりと適当なことを言ってしまった。
「んなことになったら俺がシキに殺される」
そう言ってすぐにしかめっ面になってしまったのが、何故か少し惜しく思えた。
身体を引き締めるためのトレーニングだけでなく、オスカーは合間を縫って色々なことを教えてくれた。
ブラッドベリ領の歴史や主な生産品、それに隣国に属する街と行き来が盛んであることも。
私が少しでも疑問に思うことにはすぐに答えてくれる。
あれもこれもと知りたがる私に、迷惑な顔一つせずオスカーはただ面白がっている様子だ。
執務室は別にあるからと、書斎への自由な出入りも許可してくれた。
家業に関すること以外の新しい知識を得ることは楽しかったし、この地域で最近流行っているのだという物語を読むのも楽しい。
今までは家のため家族のために勉強をしているのだと思っていたけれど、どうやら私は勉強自体好きらしい。
そう気付くことができたのは大きな収穫だ。
両親に無能だ無価値だと言われ続けて、私はすっかり自分の主体性というものを見失っていた。
だけどやっていること自体は変わらなくても、親に強制されるのと自分の意思でするのは大違いだ。
自分で決めてやるというのがこんなにも楽しいことなのだと、今更だけど初めて知ることが出来たのだった。
「次は馬にでも乗ってみるか?」
「いいんですか!?」
昼食後、広間でお茶をしながら勉強に付き合ってもらっている時だった。
冗談半分といった顔で問われて、前のめりに返事をする。
息抜きに乗馬を楽しむオスカーを見て、ずっと乗ってみたいと思っていたのだ。
即席貴族のヴィリアーズ家には領地もなく王都暮らしだったから、馬に乗る機会なんてなかった。両親も乗馬に興味を示さなかったし、馬車があれば充分という考えだった。
「本気か? あんまり乗り心地のいいもんでもないぞ」
「それでも乗ってみたいです!」
「ふはっ、ガキか」
躊躇することなく頷くと、オスカーが噴き出して私の頭を掻き回した。
あまりになんでも興味を示すせいか、すっかり子供扱いされている気がする。
「ミラ、俺がガキの頃の乗馬服ってまだあるか」
「ございます。すぐにお持ちしますね」
「ごめんなさい、忙しいのに我儘を言ってしまって」
笑顔で請け負うミラに頭を下げようとする。
けれどミラのほっそりとした指先が顎に触れて、それを阻んだ。
「こういう時はなんて言うのでしたかしら?」
「……ありがとう、ございます」
うっとりするほど綺麗な笑みなのに、底知れない圧力を感じてぎこちなく言う。
すでに何度も言われているが、どうしても真っ先に謝ってしまう癖が抜けてくれないのだ。
「よくできました」
ミラは満足げな表情を浮かべ、軽やかな足取りで広間を出て行った。
背後でオスカーが笑いを堪えている気配がする。
こういうところが子供扱いされてしまう所以なのだろう。
両親の抑圧から離れてようやく自己主張を始めたばかりの私は、確かにオスカーにとっては子供同然なのかもしれない。
少し情けないけれど、そう悪くはない心地だった。




