第9話
第9話
ニムが村に到着したのは、2日後の昼のことだった。
すると、村のあちこちに討伐隊と思しき男たちがいて、そのうちの数人がニムに近づいて来た。ふらりと村に現れたニムのことを、不審に思ったようだった。
「見ない顔だな? どこから来た?」
20歳前後の討伐隊員が、大仰な態度で問い詰めてきた。
「王都だよ。オレは冒険者でね。ここの依頼を受けにきたんだよ」
「なんだ、貴様、その物言いは? 我らを誰だと思っているのだ!」
討伐隊員たちは、ニムの不遜な態度に気色ばんだ。
「あー、もう、そういうのいいから、村長さんの家はどこだい? あの1番でかい家か?」
ニムはそう言うと、討伐隊員たちを無視して歩き出してしまった。
そして村長の家を訪れたニムは、魔獣討伐の依頼を受けにきた旨を伝えた。
村長は最初、1人で現れたニムをいぶかしんでいた。しかし、魔獣さえ倒せるなら誰でもいいと割り切り、ニムにこれまでの経緯を説明した。
村長の話によると、魔獣は全長3メートルほどで、巨体であるにも関わらず俊敏で、火まで吐くということだった。
「んじゃ、契約成立ってことで。ま、期待しないで、待っててくんな」
話を聞き終えたニムは、村長の家を後にした。
そして森の入り口まで来ると、神の指針を手に取った。
「神の指針よ」
ニムは、老婆に教わった通りの手順で、神の指針に語りかけた。すると、神の指針が浮き上がり、数回転した後、1方向を指し示した。
「あっちか」
ニムは神の指針を掴むと、森へと踏み込んだ。
そして、翌日の昼下り、
「よう、今帰ったぜ、村長さん」
ニムは再び村長の前に顔を出した。
「無事だったかい。だが、その様子だと、魔獣は見つからなかったようじゃな」
帰ってきたニムには、体はおろか衣服にも傷1つついていなかった。魔獣と遭遇したのなら、なんらかの戦いの痕跡が、どこかに残っているはずだった。
「いや、魔獣なら、ちゃんと退治してきたぜ」
ニムの口調は余りにも軽すぎて、危うく村長は聞き流すところだった。
「退治した? あの魔獣をかね?」
村長には信じられなかった。
国が差し向けた討伐隊が、何週間もかかって、その痕跡すら見つけられなかったというのに。こんな、どこの馬の骨ともわからない男が、たった1日で、あの神出鬼没の魔獣を退治したなどと。
そして、それは村長から報告を受けた討伐隊の面々も同様だった。
「貴様か? 魔獣を退治した男というのは?」
討伐隊の隊長であるジェファーソンは、村長に連れられてきたニムを睨みつけた。ジェファーソンは昼間から酒盛りをしていたらしく、その顔は赤らみ、吐く息も酒気を帯びていた。
「そういうこった。だから、もうあんたらが、この村に居座り続ける理由もなくなったってわけさ」
ニムは笑顔で切り返した。
「貴様、なんだ、その言い方は!」
討伐隊の1人が激昂した。
「我々が、好き好んで、こんなヘンピな村にいるとでも思っているのか!」
「そうだ! 我らは、ここの連中の願いを聞き入れ、わざわざ王都より来てやったんだぞ!」
討伐隊員たちは、口々に怒号を上げた。
「あっそ。じゃあ、よかったじゃねえか。これで、あんたらも目的達成ってことで、大手を振って王都にご帰還できるんだからよ」
ニムは討伐隊員たちの怒りを、軽く受け流した。
「ふざけるな! 貴様のような、ならず者に先を越されて、大手を振って帰れるか!」
「そうだ! それに、貴様が魔獣を退治したというのも、本当かどうか怪しいものだ!」
「そうだ! もし、本当に魔獣を退治したというのなら、証拠を見せろ! その殺した魔獣をここに持ってこい! そうすれば信じてやる!」
討伐隊員たちは、勝手なことを言い募った。
「証拠ね」
ニムは腰袋を手に取った。
「そう言われると思って、持って来といたよ。コレが、その証拠だ」
ニムは腰袋を開けると、中身をジェファーソンのテーブルの上に落とした。それは、ニムが退治した魔獣の目玉だった。握り拳ほどもある、その目玉を見て、討伐隊員たちは鼻白んだ。
「そ、そんなもの、どこか適当なところで、野生の動物を殺して持ってきただけだろう!」
「そうだ! そんなもの、証拠にならん!」
討伐隊員たちは口々に言い募ったが、もはや難癖レベルの言いがかりに等しかった。
「アホくさ」
元々面倒臭がりのニムは、それ以上の説得を諦めて立ち去ろうとした。そんなニムを、
「待て」
ジェファーソンが引き止めた。
「そこまで言うなら、その言葉が嘘でないことを、実力で示してもらおうか」
「どういうこった?」
「わしと1対1で戦うのだ。貴様が、本当に魔獣を倒せるほどの強者かどうか、戦ってみればわかることだ」
「アホ臭い。なんで、オレが、そんな七面倒なこと」
「嫌か? ならば、やはり貴様の言っていることは嘘ということになり、当然魔獣退治の報酬も支払われることはない。そうだな、村長?」
ジェファーソンの威圧的な言動に、
「え? あ、は、はい。おっしゃる通りでございます」
村長は、小さくなって同意した。
「そういうことだ。どうする、若造?」
ジェファーソンはニヤリと笑った。
「たく、しゃあねえな」
ニムは渋々同意し、決闘は村の広場で執り行われることになった。
「行くぞ、若造」
ジェファーソンは剣を身構え、
「いつでもどうぞ」
ニムが神の指針を槍代わりに構えた。
「それが貴様の武器か? そんなもので魔獣を倒したと言うのか?」
ニムの持つ武器は、形状こそ槍だったが、先端も尖っておらず、それこそ時計の針のようだった。あれでは魔獣はおろか、人でさえも殺傷できるか怪しかった。
もっとも、それはジェファーソンにとって、むしろ好都合だった。
隊員が言ったように、どこの馬の骨ともわからない男に先を越されたまま、おめおめと王都に戻ることなど、できるはずがなかった。
そこでジェファーソンは、腕試しの名目で、ニムを始末しようと考えたのだった。魔獣退治の功績を、自分のものにするために。
若造。この村に来たのが、貴様の不運。わしの名誉のため、貴様には、ここで死んでもらう。
ジェファーソンは、ニムに切りかかった。
40を目前にしているとはいえ、討伐隊を任される身。チンケな槍使いなど、一刀の下に切り伏せてやる。
ジェファーソンは、そう思っていた。しかし、
「な?」
一撃で剣を飛ばされたのは、ジェファーソンのほうだった。
「気が済んだかい? じゃあ、オレはもう行くぜ」
「ま、待て!」
「なんだ? まだ、なんかあんのかい?」
「こ、このまま、貴様を行かせるわけにはいかん。貴様ら! この男を殺せ! 生かして、この村から出すな!」
隊長からの命令を受けた隊員たちは、喜々として剣を抜いた。隊員たちは、ニムの不遜な態度に、不満を募らせていたのだった。
「たく、しゃあねえな」
ニムは、神の指針を頭上に振り上げた。
「神の指針よ。汝の力を、我が前に示したまえ。この愚劣なる者たちに、その大いなる力を持ちて、裁きを与えんことを、請い願い奉る」
ニムがそう言い終えた直後、神の指針の先端から無数の雷が迸り出た。そして、その雷光に打ちのめされた騎士たちは、次々と倒れ込んでいった。
「はい、お掃除完了、と」
ニムは、今度こそ立ち去ろうとした。
「ま、待て」
ジェファーソンは息も絶え絶えの中、やっとのことで声を絞り出した。
「き、貴様、わ、我らに、こ、こんな真似をして、ただで済むと思うなよ。必ず、後悔させてやるからな」
ジェファーソンが、そう脅し文句を並べたところで、
「見苦しいぞ、ジェファーソン!」
女性の喝が飛んできた。見ると、そこには真紅の鎧に身を包んだ、20歳前後の女性が立っていた。
「リ、リリアンヌ様……」
ジェファーソンは蒼白になった。
「ど、どうして、あなた様が、こんなところへ?」
「どうしてだと?」
リリアンヌは、ジェファーソンを睨みつけた。
「どの口でほざいている? 私がここに来るハメになったのは、すべて貴様らがグズグズしているからだろうが!」
リリアンヌに一喝され、ジェファーソンは身を縮めた。
「お、お待ちを。それは誤解にございます。魔獣を討伐せよという王命は、すでに果たしております。そして、いざ王都に帰還しようとした矢先、その若造が現れて、我らを襲撃してきたのでございます」
ジェファーソンはニムを見た。
リリアンヌが現れたことは、ジェファーソンにとって想定外だったが、むしろ好都合だった。
リリアンヌは、レイバッハ王国でも5本の指に入る剣の達人。そのリリアンヌを焚き付けてニムにぶつければ、ニムを始末できるうえに、魔獣退治の功績も奪えて、一石二鳥。
ジェファーソン、そう考えたのだった。しかし、
「……貴様、死にたいらしいな」
リリアンヌは剣を引き抜いた。
「え……」
ジェファーソンは顔をこわばらせた。
「貴様らの所業は、すでに物見から報告を受けている。貴様、そんな陳腐な言い訳が、この私に通用すると、本気で思っていたのか?」
「あ、う……」
リリアンヌの怒気を浴び、ジェファーソンは絶句した。
「騎士団の厳しい戒律の中、少しぐらい羽を伸ばすのも致し方無しと、軽い説教で済ませてやろうと思っていたが、もはや勘弁ならん。たかが魔獣一匹討伐できぬばかりか、王族に虚言を弄して、この場をやり過ごそうなど、その罪、万死に値する」
リリアンヌはジェファーソンに歩み寄ると、剣を突きつけた。
「家族に残す言葉があれば、言うがいい。レイバッハ王家の名にかけて、責任を持って届けてやろう」
リリアンヌは本気だった。そして、そんな王女の気性を、ジェファーソンも十分過ぎるほど理解していた。
「……ないか。ならば逝くがいい!」
リリアンヌは剣を振り上げた。その腕を、
「やーめーろ」
ニムが掴み止めた。
「放せ」
リリアンヌは、ニムの手を振りほどこうとした。しかし、ニムの右手はリリアンヌの右手首を掴んだまま、ビクともしなかった。
「確かに、そのオッサンも調子に乗りすぎたけどよ。何も、殺すこたあねえだろ」
「……なぜ邪魔立てする? 貴公が1番の被害者だろう? あそこで私が現れねば、貴公は此奴によって、お尋ね者にされていたかもしれぬのだぞ?」
「だったら、なおさらだ。当事者のオレがいいって言ってんだから、それでいいだろ」
「……よかろう」
リリアンヌの言葉を聞いて、ニムは彼女の腕を離した。
「ならば私と勝負して、もし貴公が勝てば、その願い聞き届けよう」
リリアンヌはニムに剣を突きつけた。
「おいおい、なんで、そうなるんだよ?」
「戦士は、己の望みは己の力で勝ち取るものだからだ!」
もっとも、それは建前で、本音はニムの腕が立つからだった。強い者と戦い、勝つ。リリアンヌは、その一瞬が何より好きなのだった。
「たく、しゃあねえな」
ニムも神の指針を構えた。そして十合ほども打ち合った末、ニムの神の指針がリリアンヌの剣を弾き飛ばすことになった。
「これで満足かい? じゃあ、今度こそオレは行くぜ」
自分の負けが信じられず、呆然としているリリアンヌに、ニムは背を向けた。
「ま、待て! いや、待ってくれ! 貴公は、一体何者なのだ?」
リリアンヌは、これまで名だたる戦士たちと戦い、すべて勝利を収めてきていた。
王族と言うこともあり、相手の手加減もあったろうが、それを言い訳にさせないだけの強さが、自分にはあるという自負もあった。それを、こんなところで、名もない戦士に負けるなど、リリアンヌの自尊心が許さなかったのだった。
「オレかい? オレは、ただの占い師だよ」
ニムは淡々と答えた。
「う、占い師だと?」
「ああ、訳あって、この神の指針を受け継いでね」
ニムは、神の指針で肩を叩いた。
「神の指針だと?」
リリアンヌの目の色が変わった。
「そ、それは本当なのか? 本当に、それは伝説にある6大占具のひとつである「神の指針」なのか?」
リリアンヌはニムに詰め寄った。
「あ、ああ、オレにコレを託した婆さんは、確かにそう言ってたぜ。実際、魔獣の居場所も探し当てたし、今見た通り、雷も出たしな」
神の指針の潜在能力について、ニムは老婆から、すべて伝授されていた。そして、あの老婆の話が本当ならば、先程の雷撃は、あくまでも神の指針の力の一端に過ぎなかった。
「そうか! いや、これは失礼」
リリアンヌは、そこで軽く咳払いした。神の指針に気を取られるあまり、鼻先が触れ合う寸前までニムに迫っていたことに、ようやく気づいたのだった。
「と、とにかく、約束は約束だ。ジェファーソン! この場での、貴様の処断は行わん。だが! 決して、貴様のことを許したわけではないぞ! 貴様らに代わって魔獣を退治した者を労うどころか、言いがかりをつけた挙げ句、口封じしようとするとは! 恥を知れ! この痴れ者め!」
リリアンヌに一喝され、ジェファーソンは力なくうなだれた。
「このことは、すでに父の耳にも届いている! いずれ、厳しい沙汰が下るものと覚悟しておけ!」
リリアンヌはジェファーソンにそう言い捨てると、村長に頭を下げた。
「すまなかった、村長。我が身が至らぬゆえ、そなたらには無用の苦労をかけてしまった。この者たちが不当に要求したことによる損失は、レイバッハ王家が、責任を持って保証する。謝って許されることではないが、どうか許してくれ」
「そ、そんな、滅相もない。このような村に、王女殿下が直々にいらしてくだされただけで、身に余る光栄にございます」
雲の上の存在である王女殿下に謝罪され、村長は恐縮しきりだった。
「それに、貴公にも謝罪しなければならん」
リリアンヌはニムに目を向けた。
「オレ? あ、オレは気にしてないので、どうぞおかまいなく」
ニムは、素っ気なく受け流した。前の勤め先を不当解雇されたときから、ニムは王族や貴族と金輪際関わらないと、心に決めていたのだった。
「さっきの一騎打ちも、見事な腕前だった」
「そりゃどうも」
ニムは武門の出のため、剣は元より槍や弓も使いこなすことができるのだった。もっとも、今は、その一門からも、破門されている身だったが。
「名乗るのが遅れたが、私の名はリリアンヌ・レムール・リンス・レイバッハ。この国の第1王女だ」
リリアンヌは、改めて名乗った。
「こりゃどうも。オレは、ニム・アデリアン。さっきも言ったように、しがない占い師だよ」
ニムは軽い調子で答えた。占い師を名乗ったのは、別にそう名乗ったところで、実害がないと思ったからだった。しかし、
「それだ! そのことについて、貴公に話がある!」
思いのほか、リリアンヌが食いついてきてしまった。
ニムは、すぐに自分の迂闊さを後悔したが、時すでに遅しだった。
「貴公が占い師というならば、その力を貸してくれないか?」
「オレの力を貸す?」
「そうだ。実は近々、次期国王の座をかけて、占い勝負があるのだ」
「占い勝負?」
「そうだ。王位継承権を持つ者が、それぞれ占い師を推薦し、そのなかでもっとも優れた占い師を連れてきた者を、次の国王とする。父上、現国王が、そう決めたのだ」
「なんだ、そりゃ?」
そんな王位争奪戦など、ニムは聞いたことがなかった。
「父上の真意は、私にもわからん。ただ、父上は、そうするように神の啓示を受けたのだそうだ」
「神の啓示ねえ」
ニムはアゴをなでた。
「悪いけど、遠慮するよ。王族の権力争いに興味はないんでね」
「私も、そんなものに興味はない」
リリアンヌは、キッパリ言い切った。
「だが、奴だけは王位につけるわけにはいかないのだ」
「あん?」
「第1王子のアデルハイドだ」
リリアンヌは、いまいましそうに言った。名前を口にするのも、おぞましいという顔だった。
「そうだ。あのままでは、なし崩し的に、奴が次の国王になってしまっていた。そうなっては、この国に未来はない。父上も、そのことをおわかりになっていらしたからこそ、神のお告げと称して、こんな苦肉の策を講じられた。私が、そう思っているのだ」
実の妹に、ここまで言われる兄貴って……。
レイバッハ王国の第1王子の噂は、ニムも耳にしていたが、実物は噂以上のバカのようだった。
「ここで貴公に出会えたのも、神の導きだ。頼む。私に力を貸してくれ。これは、我が一族だけの問題ではない。我が国の国民、いや、周辺諸国を含めた、多くの人民の命に関わることなのだ」
まーた、神の思し召しか。
ニムは神の指針に目をやった。
正直、もう王族に関わるのは、御免こうむりたいところだったが、ここで断って、もし本当に後で多くの死人が出たら、もっと後悔することになりそうだった。
「たく、しゃあねえな」
ニムは頭をかいた。
ま、いっか。どうせやることがあるわけでなし。
ニムは軽い調子で決断した。
こうしてニムは、リリアンヌの推薦枠として、レイバッハ王国の王位争奪戦に参加することになったのだった。