第6話
第6話
「え? せ、先生が捕まった?」
ルーン・アムステリアムが、その事実を知ったのは、師に頼まれた用事を済ませて王宮に戻ってきたときだった。
城門前で門番に行く手を遮られたソアは、彼らから師であるファラル・エルベストが逮捕されたことを聞かされたのだった。
「そんな、どうして先生が逮捕されなくちゃならないんだ?」
彼の師であるファラル・エルベストは、ここトルケニアの王に請われ、王宮占術師として働いていた。そして、その占いはよく当たると宮廷内でも評判が高く、重用されこそすれ、咎められる理由などないはずだった。
「理由は、我らの預かり知るところではない。これを持って、さっさと失せろ」
門番は、ルーンに皮袋を投げ渡した。そのなかには、ルーンの荷物が入っていた。
それを見た瞬間、ルーンは理解した。師が、今日逮捕されることを、事前に知っていたのだということを。そして、それにルーンを巻き込まないために、使いに出したのだと。
「逮捕される前に、エルベスト殿から、おまえに渡してくれと頼まれていた。それを持って、さっさとこの街を去れ。エルベスト殿の気遣いを無駄にするな」
門番はそう言うと、ルーンを王宮から追い払った。
そして数日後、ルーンは師が逮捕された理由を、王宮からの発表で知ることになった。それによると、師が逮捕されたのは「偽りの占いによって、トルケニア軍に多大な被害を出したため」ということだった。
トルケニア王国は、先月隣国のイシュターク共和国に進軍して大敗を喫しており、その原因はすべて偽りの進言をした師にあるため、後日公開処刑を行うと。
だが、それはデタラメだった。
ルーンの師であるエルベストは、進軍を進言するどころか、トルケニアの敗北を予知し、思いとどまるよう諌めていたのだった。しかし、トルケニアの国王であるジビエルは聞く耳を持たなかった。そして、トルケニア軍は、師の予言した通り、イシュターク王国に大敗を喫してしまったのだった。
なのに、師を戦犯として処刑するという。だとすれば、考えられることは1つしかなかった。つまりジビエル王は、自分の判断ミスによる敗戦の責任を師に押し付けようとしている、ということだった。師をイカサマ師とすることで、自分に対する国民の不満や怒りの矛先を、すべて師に向けさせるために。
そんな理不尽なことが、許されていいわけがなかった。
ルーンは、師を牢獄から助け出すことを決意した。
王宮の構造は、すべて頭の中に入っている。そして、ルーンには魔術の素養があった。姿を消して王宮に忍びこめば、師を助け出すことも不可能ではないはずだった。
そして、決行の夜。
ルーンが行動を開始しようとした矢先、彼の部屋を何者かがノックした。
こんなときに、誰だ?
ルーンが扉を開けると、そこに立っていたのは、今も投獄されているはずの師、ファラル・エルベストだった。
「せ、先生、どうして?」
ルーンは、一瞬夢かと思った。だが、目の前で優しく微笑む人物は、間違いなくルーンが敬愛してやまない師、ファラル・エルベストだった。
「牢から出してもらえたんですか?」
だが、あの王が、1度下した決断を覆すとは思えなかった。
「人のいいゴーストに、助け出してもらったんだよ」
一目会いたいと思っていた愛弟子との再会を果たし、ファラルの口元は自然と緩んでいた。
「人のいいゴースト?」
ルーンには、なんのことか、さっぱり理解できなかった。
「な、なんでもいいです。とにかく牢から抜け出せたらな、こんなところに長いは無用です。早く逃げましょう」
ルーンは、師の手を取った。しかし、ファラルは動こうとしなかった。
「それはできない」
「ど、どうしてですか? このまま、ここにいたら処刑されてしまうんですよ?」
ルーンには、師の考えが理解できなかった。
「そうだね。でも、それも仕方のないことだ。今回の戦で多大の犠牲者が出たのは事実で、その責任の一端は、確かに私にあるのだからね」
「そんな、先生に責任なんて。先生は、この戦に反対していたじゃないですか!」
「そう、あのとき、私はもっと強く、王を諌めるべきだったんだ」
「そんなこと、どの道、あの王は聞き入れませんでしたよ」
「それでも責任はある」
ファラルは静かに、だが力強く言い切った。
「私の命1つで、民の溜飲が下りるのであれば安いものだ」
「そんな、そんなことのために……」
ルーンには納得できなかった。
「この国に士官すると決めたときから、覚悟はできていた。できれば私の力で、陛下の御心を、自国の民の幸せに向けさせたかったのだが、どうやら陛下の野心は、私の想像以上に大きかったようだ」
ファラルは苦笑した。
「そんなこと、最初からわかってたことじゃないですか。なのに先生は、僕のために……」
ルーンの目に、悔し涙が滲んだ。
師は、これまでも様々な国から士官の誘いを受けていたが、どの国の誘いにも応じてこなかった。それを、今回に限って応じたのは、ルーンが病気になったためだった。ルーンに十分な治療を受けさせ、なおかつ、安定した生活を送らせる。そのために、師は野心家として名高いジビエスの誘いに、嫌々ながら応じたのだった。
「君のせいじゃない」
ファラルは、ルーンの頭を優しく撫でた。
「私が、こうして穏やかな気持ちでいられるのも、君のおかげだ。君と暮らした時間は、私にとって何よりも幸せで、何物にも変えがたいものだった。本当に、ありがとう」
「先生! 先生が死ぬなら、僕も一緒に」
ルーンは本気だった。師のいない世界になど、もはやなんの未練もなかった。戦火で家族を失い、野垂れ死にしかけていたところを師に助けられたときから、ルーンにとっては師がすべてなのだった。
「それは困る」
ファラルは頬をかいた。
「今日、ここに来たのは、最後に、ひと目君に会いたかったというのもあるけれど、君にコレを託すためなんだから」
ファラルは腰袋から、小さな箱を取り出した。
「先生、それは……」
それは、師が占いに使っていた「運命のカード」を保管していた小箱だった。
「君も知っての通り、コレは強大な力を秘めたものだ。今は、まだ所有者である私が生きているから、他の誰にも使うことはできないが、私が死ねば、このカードは新たな使い手を求めることになる。そのとき、もしこのカードが王の手に落ちていて、王の意に添う者が使い手として選ばれるようなことでもあれば、それこそどんな悲劇を生むかわからない。それを防ぐためにも、君にコレを持って行ってもらいたいんだ」
ファラルは、ルーンに小箱を差し出した。
「そして、いつか、このカードを、正当な継承者に渡してほしい。もっとも、私は、それが君であると信じているけれどね」
ファラルは目を伏せた。
「本当は、君にこんなことを頼みたくはなかったんだけどね。そのカードを持って逃げれば、王が奪い返そうと追手を差し向けるかもしれないから。けれど、たとえ君を危険な目に遭わせることになったとしても、そのカードだけは守らなければならないんだ。それが、その「運命のカード」の正当所有者としての私の責任であり、私の最後の願いなんだ。そして、私がこんなことを頼めるのは、君しかいないんだよ」
「先生……」
「引き受けてくれるかい?」
「……わかりました。このカードは、僕が命に変えても守り抜きます。絶対に、あの男には渡しません」
ルーンが小箱を受け取ったところで、再び部屋の扉が叩かれた。
「どうやら、私がここにいることがバレたようだね」
ファラルは小箱を開けると、運命のカードに触れた。
「運命のカードよ。私の最後の願いだ。その力で、この子とともに、王の手が届かない、どこか遠くの地へ」
ファラルがそう言った直後、運命のカードが光り輝いた。
「では、頼んだよ。そして、愛しているよ、ルーン」
ファラルは、ルーンに優しく笑いかけた。そして、それがルーンの見た、師の最後の笑顔となった。
「先生!」
カードの力で、一瞬にして隣国まで転移したルーンは、その場で泣き崩れた。
その後、ルーンは師の遺言を忠実に実行した。それだけが、ルーンに残された、生きる意味だったから。
そして、それから10年の月日が流れたある日、ルーンのもとに1人の男が現れた。
その男は、ウィルナス・アンリオット・セム・レイバッハと名乗り、自分がレイバッハ王国の第3王子であることを告げた。そしてルーンに、自分の推薦する占い師として、王位争奪戦に参加することを要請したのだった。
そして、ルーンはこの要請を引き受けた。
もし第3王子が王位を継いだあかつきには、レイバッハ王国の軍事力で、トルケニア王国を攻め滅ぼすことを条件として。