波乱万丈の幕開け
俺の目に入るのは見渡す限りの草原だった。
青々と茂る草や、色とりどりの花々の香りを冷たい風が運んでくる。
それは以前にテレビで見たアイルランドのアラン諸島を彷彿とさせる。
ぽつりぽつりと建つ民家は石を基調とした石レンガ造りの民家が多い。
たまに木造で貧相な住宅も見受けられるが、多分貧困差が激しいのだろう。
壮大な景色に目を奪われていると、ふと誰かを呼ぶ声が後方からする。
「ウルフ!おーい!何やってんだ!早く逃げろ!」
よくよく見れば遠くで少年が焦ったように手招きしてるのが見える。ウルフとは俺のことだろうか...?そういえば視点が子供並みに低いし自分の体をよくよく見れば手も足も小さい。そんなことを考えてるとまた声がした。
「バカ!早く逃げろ!ヴァルシークに殺されるぞ!」
...えっ?何言ってんだあいつ。いやヴァルシークってなに。
俺は整理のつかない混乱する頭で、叫び声をあげる少年を見る。すると少年は固まったかと思うとふるふると震えだして草原の奥の丘を指さした。
其方へと目を移せば黒い羊のような何かが見える。でも見るからにあまりいいモノでは無さそうだ。
牙は鋭いし羊じゃない。絶対。しかも猛スピードでこちらに向かって丘を駆け下りてくる。一匹や二匹ならまだしもよく見ればわらわらと大量にいるのだ。
「まって...もしかして群れだったりしちゃう...?」そんな事が頭を過ぎった頃には、ヴァルシークとかいう化け物とは反対方向に声にならない悲鳴をあげて走り出していた。
いや...だってさ、第2の人生を始めた瞬間化け物に殺されるかもってなに?それだけは絶対に避けたい。いや...避けなければならない。
幸いにも子供の体は思ったより身軽だしそれなりに足が早いのか叫んでいた少年の元にすぐ駆けつける。
"そういやこいつホルグって名前だったよな。"そんな事がふと頭に浮かんだ。多分だが、ウルフというやつの記憶だろうか?
「ホルグ、おっ先!」俺は少年の横を颯爽と走り去る間際いい笑顔で言葉を投げ捨てた。後ろからは「待て!」だの「置いてくな!」だの「人でなし!」だの聞こえてくるが、相手を待つなんてそんな悠長な事をしてる場合ではない。自分の命が一番大事。後ろを走るホルグという少年には悪いと思ってるが、せっかく2度目の人生で健康そのものなら最後まで楽しみたい。俺は殺されて悲惨な一生を遂げるより、老衰で孫に囲まれながら幸せに息を引き取りたい願望の持ち主なのだ。
それにしても、転生早々間が悪いと言うか、運がないと言うか...波乱万丈と言うか...。
そうこうしてるうちに、ホルグが今にも死にそうな顔で追いついてきた。
そりゃ全速で走ってるもんね。俺も死にそう。
しかもその間にもヴァルシークはどんどん距離を詰めてくる。もう後方目前まで迫ってる黒の物体は、丘の上の黒いモヤにしか見えなかった時とは違い、もうはっきりとその姿を捉えることが出来る。
黒く息も詰まるような濃いオーラのベールが羊の毛のようにも見える。顔はコウモリに似ていて鋭い牙が何本も見える。あんなのに噛まれたら人堪りもない。
「ウルフ、どうする...?見張り塔まで行けば兵士がいるけどこの分じゃ間に合わないかも。それにお前服ボロボロだしすんごい血が滲んでるけど大丈夫なのか」
そんな事をホルグが口にするが、俺にどうしろと言いたいのだろうか。兵士が居るなら兵士に全て丸投げしてしまいたい。とは言えど俺が転生する前のウルフの記憶を辿っても走って最短あと5分って所だ。
ただでさえ疲れて走るスピードも落ちているのに、ここから更に5分も走るなんて今まで虚弱で病院に引きこもっていた様な俺には無理だ。まずペース配分できないし、調子に乗って最初の方で結構スタミナを使い果たしてる。多分馬鹿だ俺。
それと指摘されるまで全然気が付かなかったかが、来ている上着は右肩から左腹部にかけてバッサリと切られて藁色の簡素な服が真っ赤な血で滲んでる。
多分ウルフはあの場でヴァルシークかなにかに1回殺されてるんじゃなかろうか...
何はともあれ無事に逃げるための打つ手がないのなら仕方が無い。俺は走る度にガチャガチャとなる腰に下がった己の短剣を見て一縷の望みを掛けホルグに聞いてみる。
「なぁ、ホルグ。俺たち友達だよな。ならヴァルシークをこの短剣で倒せないかな」
ホルグは目を見開いて驚いた表情を見せた。そりゃそうだろう。あの数十匹の大群を2人で倒せるものなら態々逃げなくてもいいのだから。
案の定半泣き状態で「無理!!!!!」と叫ばれた。
でも抗わずして死ぬなら抗って死にたい。転生早々死ぬのは嫌だけど、どうせ打つ手がないのなら少しの希望にかけて戦って見るしかない。
俺は走る足に急ブレーキをかけ地面の砂利に少しだけ足を取られながら止まる。
とりあえず泣きながら鼻水垂らして喚くホルグは使い物にもならなそうなので俺は見張り塔まで兵士を呼ぶように伝えた。
「死ぬなよバカウルフ!!!」
そう言い残して走り去る背中を見送ったあと、大量のヴァルシークを視界へ納める。
死ぬな...か。まぁ死にたくないけどこれ生きて帰れるかな。
そんな事を考えていると脳内にあの如何にも天使な女性の声が直接響いてきた。
「貴方には特別な力を授けました。その全ての知識を受け入れなさい」
全ての知識...なんだろう?とか思ってると、戦い方、魔法のスキルやその全ての効果そんな戦いに関する知識がどんどん流れ込んでくる。それは気持ちいいものでは無いし、強いて言うならすんごく気持ち悪い。
それでも、そんな戦い方の術をホイホイと教えてくれたんだからまぁいいだろう。
俺は腰に下がる短剣の柄に手を掛けると、それを思い切り引き抜いた。
さて、開始早々羊ぽい魔物に追いかけ回されます。
ウルフという少年に転生し尊は多勢のヴァルシークの勝つことができるんでしょうか...?