第2話 (シルヴィオ回想)
ここだけシルヴィオ視点で、ループ前の回想
「今日、この時を以て、ディアーナ・ハーティングとの婚約を破棄する!」
「シルヴィオ殿下! わたくしは」
「言い訳はいい。連れていけ」
「殿下!」
君は引きずられるように、衛士に連れられていった。
君……ディアーナは婚約者であった僕、第一王子シルヴィオの寵愛を得た男爵令嬢マリアンに長らく嫌がらせをしており、その果てにとうとう排除のために実力行使に出ようとした。
君はほとんど現行犯で捕らえられ、罪を暴かれ、婚約を破棄されて、最下層の牢獄に投獄された。
そしてディアーナは、表向きは自死とされていたが、実際には牢獄で監守によって穢され嬲り殺された――
「これで、もう安心ですね」
その報告を聞いてマリアンの口にした言葉が、その時の……狂った僕にとっての、僕を支配する狂気の最初の綻びだったのかもしれない。
マリアンを排除しようとしたディアーナを許せないと思っていたけれど、ディアーナの死を喜ぶマリアンの姿に衝撃を受けた。
そんなマリアンを愛していたことが、自分で信じられなくなる程の衝撃だった。
本当にこれで良かったのか、と。
……その瞬間までは何の疑問もなく、マリアンに惹かれていた。
だが一つ引っ掛かると、次々と引っ掛かりが出てくる。
不思議なことはたくさんあった。
マリアンの周りにはずっと高位貴族の令息たちが取り巻いて、その気を引こうと争っていた。
可愛らしいというだけで、けしてマリアンに突出して優れた場所はなかったのに。
ディアーナに狙われるようになってから、珍しい光魔法の素養を持つと判明しただけだ。
それも神の使徒とならないならば、浄化の魔法が使えるというだけだった。
その後マリアンはその浄化の力で悪さをしていた黒い森の魔女を懲らしめ、神殿からは聖女に列聖されることになるだろうとされて、それは確かに素晴らしいことだが……
しかし、それはディアーナが失われた後の話だ。
ディアーナがいる頃の理由にはならない。
何故婚約者であったディアーナを蔑ろにして、マリアンに入れ込んだのか。
それすら僕には、わからなくなってしまった。
ディアーナのことにしても、初めには僕に……婚約者に浮気されて悋気を起こしただけのことだ。
この国は王族であっても妾妃を持つことは許されていない。
王であっても妃は一人。
僕が心変わりをしたならば、きちんと先にディアーナに謝罪して婚約を終わらせるか、あるいは婚約を大切にしてマリアンを諦めなくてはならなかった。
それを怠っては、ディアーナを責めることなどできないはずだった。
それなのにディアーナが思い詰めるまで蔑ろにし、放置してしまった。
だが誰も、おかしいと言わなかった。
むしろ、本来の婚約者であったディアーナを邪魔者の悪役令嬢などと蔑む噂が流れていた。
ディアーナを浮気の被害者であるとは、誰も言わず……
そして婚約者はマリアンに入れ替わった。
その頃には僕には自分も周囲もおかしかったことがわかっていたが、婚約者を再び拒むことはできなかった。
それではまた繰り返しだ。
口にすることはできないが、ディアーナにした仕打ちを残酷な死に追いやったことを悔やみ、日々鬱々と過ごし、夜な夜な後悔で眠れずにいた……
そこに黒い森の魔女が夜の窓から現れた。
「あなたも己の意思を、人生を、弄ばれたことに気がついているわね?」
マリアンによって懲らしめられたという弱った黒い森の魔女は、僕に狂気の真実を語った。
「自分の気持ちが、選択が、行動が、おかしかったと気がついているでしょう?」
魔女は僕がおかしかったことを知っていた。
誰にも言えなかったそれを知る者が現れて、僕は恐怖もしたけれど、安堵もした。
周りが今を正とするのなら、おかしいと思う僕が間違っているということだ。
狂気から目覚めたと思った僕だけが狂人なのかと、そんなことも考えていたから。
「私もそうよ。森を穢すなんてこと、するつもりはなかった。少し考えればわかることだったのに、最初には不自然なほど森が穢れると考えることを避けていたわ」
魔女は王都に接する森を呪いで穢し、王都を脅かす魔物を生んでいたとして、マリアンに懲らしめられた。
魔女は傷めつけられて逃げ出して、呪いは浄化された。
だけど、そんなつもりはなかったと、魔女は言う。
「私は、操られていたのよ――遊戯の神の悪戯に。あなたも、そう。神の暇つぶしのお遊びで、人生を歪められたの」
「遊び?」
「神話で、時々あるでしょ? 神々が退屈しのぎに人の世界にちょっかいをかける話。私たちはその遊びに巻き込まれたの。『ゲーム』の……演劇遊戯の役割を振られて、脚本通りに動かされた。あなたは主人公となったあの娘の相手役として、当て馬役の婚約者を捨てて、主人公を選んだのよ」
当て馬役のお嬢さんは、可哀想にね……魔女がそう言った時、それがディアーナのことだと僕はやっと気が付いた。
ならば、ディアーナは神の遊びに巻き込まれて落とさなくてもよい命を落としたのだと、そう気が付いた。
自分も狂っていたし、周りも狂っている。
どちらも正気ではなく、そして狂気の中で神の暇つぶしのためにディアーナは死んだのだ。
「それは、本当の……」
「私に割り振られた役割は、『ラスボス』なんですって。そのために本来以上の力を与えられたの――過去や、未来や、他の世界や、神々の世界まで覗き見るほどの力を。だから、探したのよ。私を狂わせた力が、何だったのか。遊戯の神は他の世界で流行っている陳腐な脚本を持ってきて、それを私たちに当てはめて演じさせた……!」
魔女は激しく怒っていたし、僕も行き場のない怒りに苛まれていた。
僕は神に割り振られた役割から完全に解き放たれ、ディアーナに抱いていた想いを思い出した。
マリアンと出会うまで、激しい恋ではなくとも、僕たちは婚約者として少しずつ愛情を育てていたはずだった。
それを完全に忘れていたことを、思い出した……
「神の退屈しのぎのための脚本はもう終わり、これからだんだん皆正気に返っていくわ。それによって傷付く者も苦しむ者も、既に死んだ者だって、神々には些細な存在でしかない……そんなの、あんまりよ。あなたは、正気に返ってもあの娘を愛せる?」
「無理だ」
僕は首を振る。
自分の行いがディアーナを追い詰めたとわかっていても、マリアンを愛することはできない。
マリアンも同じ遊戯に巻き込まれたのだとしても、無理だ。
ディアーナの死を喜んだ彼女は、どうしても無理だ。
「神が憎いわ」
魔女が恨みを告げる。
他に行き場のない恨みと怒りは、神に向かうしかない。
「遊戯の神が憎い。止めなかった他の神々も憎い」
魔女は、歪んだ笑みを浮かべる。
「本当は、私にこんな力はなかった。私は魔術薬を煎じて売っていた、薬売りだったのよ。……もう、あの小娘の力で、私は長くないの。ならこの力と残る命のすべてを使っても、憎い神に一矢を報いてやりたいのよ。今の私は黒い森の魔女……神さえ呪う、呪いを得意とする魔女よ。そういう『役割』だった。だから、その役割を使って、呪いをかけたいの――あなたも、神が憎いでしょう?」
その魔女の言葉には、頷くしかない。
「一人より、二人の方が呪いの力は強くなる。だから、私が呪うための願いをかけてちょうだい。憎い神に一矢報いるために、あなたの願いを」
魔女の手に、黒い光が灯った。
穢れた呪いの力だ。
だけどマリアンから遠ざかるには相応しい力だと思った。
どうすればいいかを魔女は語らなかったが、僕は自然にその黒い光に手を伸ばした。
そして、僕の願いは。
「……ディアーナに、幸せになってほしい。ディアーナが、幸せになる世界以外を許さない……!」
そしてこの世界は、僕と魔女の呪いによってディアーナの不幸を拒絶して、そうならない可能性を残すところまで時が巻き戻った。