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第1話

「君に話しておかなければならないことがある」


 シルヴィオ殿下はどうしても二人で話さなくてはならないと人払いをして、渋るわたしの侍女も追い出して、面会用の部屋でわたしたちは二人きりになった。

 ……そして、わたしの前に座っているシルヴィオ殿下を改めて見れば、こんな昏い瞳をした方だっただろうかと、ふと思った。


 今日は年が明けると十六になるわたしと第一王子シルヴィオ殿下との婚約が調ってから初めての顔合わせだけれど、シルヴィオ殿下とは初対面ではない。

 この婚約の決まるまでに他の婚約者候補の方々も交えて、何度かお茶会もした。

 シルヴィオ殿下は二つ上の十八で、二十歳には婚姻するために、婚約者の選定を急いでいたのだ。


 つい数日前までは、シルヴィオ殿下は明るい空色の瞳を輝かせた、自信に満ちた方だった気がした。

 それが今は、長い苦しみを味わってきたかのような絶望を宿した曇った光のない瞳をしている……


 いつからこんな風に。

 あの明るい殿下は演技だった?


 ……あら?

 わたしも、なんだかおかしい気がする。


 知っていることも、記憶も、わたしに違いないけれど、昨日までよりもずっと落ち着いている。

 わたしは麗しいシルヴィオ殿下のお姿が好きだった。

 こんな風に向かい合えば、うっとりと見惚れていたはず。


 あら、やっぱりおかしい。

 ここは「お慕いしていた」と言うべきところだ。

 なんだか、言葉が崩れている。


 自分のことも、わたし、ではなくて、わたくし、だった。

 でも、わたしの方が今はしっくりくる。

 何故だかはわからない……さっきまで、確かに、わたくしと言っていたし、何か思う時にもそうだったはず。


 内心はともかく、発言には気をつけなくては。

 言葉が乱れていれば、はしたないと思われてしまう。


「その前に訊きたい。君は、憶えているか?」

「何を……でございましょう」

「この世界が今この時を起点にして、幾度も繰り返されていることを」


 シルヴィオ殿下は何を言っているのか。

 こんな不思議なことを言うような人ではなかったはず。


「そうか……やっぱり憶えていないんだね」


 わたしが驚きに目を見開くと、シルヴィオ殿下は安堵と失望の混ざったような溜息を吐いた。


 シルヴィオ殿下はわたしに憶えていて欲しかったのか、欲しくなかったのか……

 わたしは何を忘れているのか。

 わたしは何故だか酷い焦燥感に苛まれて、ぎゅっと自分の手を握りしめた。


「驚くべき話だけれど落ち着いて聞いてほしい、ディアーナ」


 シルヴィオ殿下の空色の瞳はどこか遠くを見つめるように細められ、苦しみを潜り抜けてきて疲れを宿した声が静かに響く。


「この世界は呪われている」

「呪われている……?」

「そうだ」

「だ、誰に、でしょう」


 どなたに、と言わなくてはいけなかった。

 でも、動揺してしまって、崩れた言葉が出てしまう。

 注意しなくては。


 世界が呪われているだなんて、これは王家の秘密なのだろうか。


「僕だ」

「え?」

「この世界は僕に呪われていて、今日を起点にして幾度もここからの半年から数年を繰り返している」


 シルヴィオ殿下は真剣だった。

 ふざけている様子は欠片もない。

 だけどシルヴィオ殿下にそんな大仰なことができるのかと考えると、どうにも納得し難い。


 シルヴィオ殿下はわたしの目を見つめ、軽く頷いて、わたしの疑問に答えてくれた。


「僕にそんな力があるのか、疑問に思っているんだろう?」

「ええ……シルヴィオ殿下が優秀な方だということは知っていますが、魔法を扱うようなことはなかったのではと」

「実際に呪ったのは、黒い森の魔女だ。だが僕が願いをかけた」


 黒い森の魔女、と口の中で呟いてみる。

 知っているような気がするのに、何も思い出せない。

 酷く曖昧な感じがする。


「僕が……君の幸せを願った」

「え……」


 シルヴィオ殿下は酷く昏い瞳で、そう言った。

 わたしは自分が酷く驚いた顔をしているだろうと思う。


「この呪いは、君が幸せにならなければ解けない」


 それはつまり、わたしは幸せになれないということだ。


「僕がそれを願い、黒い森の魔女が残る命を懸けて世界に呪いをかけた。最初、君はもうその時には死んでしまっていたから――この世界は、時間が巻き戻った。やり直しをして、君が幸せになり得る可能性を残す、この時まで……いつも巻き戻る」

「……何度も、ですか?」


 いつもと言うのなら、それは一度ではない。

 わたしは何度も、幸せになれなかったということだ。


「今で、五回目だと思う」

「五回」


 わたしはどうしても不幸になる運命で、シルヴィオ殿下はそれに抗っているのだろうか。


「君は今、自分が不幸になる運命だからかと考えているだろうが、それは違う」


 だけどわたしが考えを口にする前に、シルヴィオ殿下は首を振った。


「あと、僕は君の考えていることを読めるわけでもない。ただ以前のこの顔合わせで同じ説明をした際に、君が口にしたことに今回は先に答えているだけだ。君が訊いた時も訊かなかった時もあったが、あまり君は疑問を表に出さないようで、君がわかっているつもりになって失敗したこともあったから、以前訊かれたことは訊かれなくても教えることにした」


 それは疑問を表に出さないのではなく、なんと訊いていいかわからないからじゃないかと思う。

 婚約者との顔合わせで、婚約者に「世界を呪っている」と言われて、戸惑わずに何を訊けば良いのかきびきびと思い浮かぶ人はどれだけいるだろう。

 狂人の戯言なのか真実なのかを、すぐさま見極められる人がいるだろうか。


「訊かれた時と、訊かれなかった時の差は、よくわからない。些細な話の流れで、違いがあるかもしれないが……わからない」


 シルヴィオ殿下は光のない目を伏せた。


「どちらにせよ僕は失敗したが、そのすべてを話せば、同じ結末は回避できるだろうと……そう思っている」


 シルヴィオ殿下は一度ぎゅっときつく目を閉じた。

 そして再びそれを開いた時には、僅かだけれどそこに光が宿っていた。

 そこからまだ諦めてはいないのだと伝わってくる。


 あの昏い瞳は、何度も辛い思いをして、希望を失うほど挫折を繰り返したからだ。


「シルヴィオ殿下」


 戸惑いはあるけれど、わたしは今のシルヴィオ殿下を信じようと思った。


「お話を聞かせてください」


 たとえこれがシルヴィオ殿下の妄想であったとしても、わたしを救いたいという気持ちで語られることだ。

 そして確かに、わたしもおかしいのだから。


 ほんの少し前と比べて、わたしは少し落ち着いた人格になっている。

 また、少し上品さが失われている。


 それはわたしの憶えていない、シルヴィオ殿下のこれから語ることに由来するのかもしれない。


「わたしの憶えていない、殿下の知る四回の過去に何があったのでしょう?」


 シルヴィオ殿下は静かに立ち上がり、わたしの隣に移動して座り直した。


「君には、辛い話になる」


 わたしの手を握り、シルヴィオ殿下は語り始めた――


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