7 僕と二人の豆人
帰宅した僕を待っていた夕飯は、大好物のハンバーグだった。そこについていたカボチャのスープも、勿論大好きだ。
父さんも嬉しそうにそれを眺めていたし、母さんは満足そうに頷いて、皆で「いただきます」をした。あの一瞬だけ、僕は自分の部屋に訪れる二人の豆人の存在を、すっかり忘れていられたのだ。
僕は、喜びと幸せを噛みしめて、ナイフでハンバーグに切り込みを入れた。「中にチーズが入っているのよ」と自慢げに語る母さんに、僕のテンションも最高潮に上がったが――
それだけに、ハンバーグを半分に割って、そのキレイな切り口が覗いた時の衝撃は、すさまじかった。
思わず、構えていたナイフとフォークが震えた。
いや僕はハンバーグが好きだ。勿論カボチャのスープだって大好きなのに、そんな僕の食欲は手が止まるくらい一気に下がったのである。
ハンバーグの中に挟まった緑の物体と、カボチャスープの底に沈んだ同じ食品である、その枝豆を見た時の僕の気持ちといったら、あまりの衝撃の強さに言葉にならないとはまさにこのことだと思った。
「あら、枝豆、好きじゃなかった?」
母さんが不思議そうに尋ねてくる。とんでもない。僕はこれまで、父さんがつまむ枝豆を頂戴するくらいには好物だった。
それだというのに、ああ、母さんが作る美味しい料理メニューの今晩のチョイスと、僕と『枝豆君』の出会いを、この日だと仕組んだ神様は偉大だと叫びたい!
僕は黙って黙々と、太って丸々とした歯ごたえの枝豆を食べた。触感は大豆と似ている。これをそのまま大きくしたら、あいつらの顔になるだろう、という僕の悟りにも気付かないまま、食事と共に父さんと母さんの楽しげなお喋りは進んでいった。
枝豆入りのチーズハンバーグ、それから枝豆の入ったカボチャスープとサラダ。僕はそれが美味しい、と感じる複雑な胸中で食事を食べ終えた。やはり残念なのは、それを素直に喜べない自分がいたことだろうか。
この大量の新鮮で丸々太った枝豆は、どうやら勤め先の人間から母さんがもらった物らしい。母さんに気のある、あの福田という若い支店長だろう。彼は毎度、いつも妙なインパクトを与える食品を母さんにあげていた。
酢昆布、イカの薫製、鰹節、食用に切られたナマコ、沖縄でよく食べられているという豚の耳のサラダ……
料理上手な母さんだからこそ調理できる食材である。あのチョイスがよく分からないのだが、父さんは「いい人だな」と気に入っているらしい。けれど僕は、今回一般的な枝豆を選んだ彼には、好感を持つことが出来そうになかった。
※※※
食器を片づけて二階の自分の部屋の前に立つと、中から小さな話し声が聞こえてきた。もうあの豆人たちは到着しているらしい。
覚悟をもって自分の部屋に入った僕は、しばらく呆けたように立ち尽くしてしまった。床の中央に腰かける豆人と枝豆君――名前がどちらも「豆人」ではややこしいので、僕はそう呼ぶことにした――は、どちらも無気力を極めたような面を合わせてお喋りをしていた。
時々枝豆君の口元からは「しくしく」と音がもれていて、なんだかついさっき食べた枝豆のことがあったから、僕にはホラー映画の一部分のように思えた。
「おや、どうしました、奏吾さん?」
「いや、この顔が二つ並ぶと、威力も二倍の強烈さがあるなぁと…………」
「よく分かりませんが、こちらへどうぞ」
僕は、豆人と枝豆君を眺める形で床に腰を降ろした。呆けた二つの顔が、途端にじっと僕を見上げてくる。
「……何?」
尋ねたいことでもあるのか、というニュアンスで僕が尋ねても、しばらくどちらも動かなかった。
長い沈黙のあと、ようやく豆人が「分かりませんか」と言ってきた。確か、彼と出会った初日にもそんなことがあったような気がする。
「分からないよ。この前みたいに表情で察しろってこと?」
「はい。わたくしと友人の、この熱い視線できっと伝わると思います」
お前のいう熱い視線って一体何だ?
あえて言わせてもらいたいが、お前の目は、棒線一本だよ。
豆人は「一、一、縦線引っ張って、一」という相変わらずふざけた面である。それは枝豆君も同様で、こちらは顔の大きさもあって線が小さく見えるという違いがある程度だろうか。
しばらく黙っていたら、豆人の右側にそっと眉影が出来た。
小馬鹿にされているようで、実に苛っとする表情である。彼は溜息交じりに「実はわたくしたち、見ての通り、悲しみつつも怒っているのです」と述べた。
「ストレスぅが溜まり過ぎて、身体に悪いらぁ」
枝豆君が、妙な訛りでそう補足してきた。
僕は真面目な顔で、間髪入れずこう返してやった。
「いや、お前らに悲しみも怒りも感じないんだけど。むしろ小馬鹿にされている感じなんだけど」
「実はですね、奏吾さん。わたくしたちの職場に、これまた本当に嫌な豆人がいまして」
こちらの意見を無視する気だったので、チクショー勝手にしやがれと諦めた僕は、聞いていますよというように「ふむふむ」とでたらめな相槌を打った。豆人と枝豆君は、今日職場であったという嫌な出来事を思い出した様子で小さく愚痴り始める。
正直言って、好きなタイミングでほぼ同時に語られても、あまりよく分からない。すると、しばらくもしないうちに枝豆君がこちらを向いて、こう訴えてきた。
「おいらより、ちょっとスマートなだけでなんす。それなのに、ボコボコのデブぅのくせにだとか、おいらの言葉ぁが聞こえにくいとか言うんでがしす」
「いや、それ本当のことだと思うけど」
がしすって、お前今の、噛んだんじゃね?
枝豆君の口でこもるような声は、どうやらひどい訛りに加えて噛み癖まであるような気がしてきた。だけど、奴らは僕の貴重な意見――まっとうで正しい意見だと思う――を無視して続けた。
「全く嫌な奴なんです。手足も長いし仕事も早いし、上司と女子だけには優しいのです」
「えっと、優男ってことかな?」
「クールフェイスは古いと主張し、いつも白い歯を見せながら斜め四十五度ポーズなんですよ。それでモテるんです、信じられますか?」
「斜め四十五度に腰を引くよりマシだと思う」
「いつ写真を取られても、イケメン顔なんでがんすぅ」
「…………」
僕は口を挟んできた枝豆君の、各地で色々と訛りを吸収したかのような複雑な言葉を、数秒かけて理解した。
「……で。そのモテる豆人は、豆人界では、たとえばドラマに出ている俳優みたいな感じくらいにモテるイケメンソなの?」
「ドラマの俳優? はよく存じ上げませんが」
「ああ、知らないか。中には歌手でモデルやって、俳優している人もいるんだよ」
二人の豆人が同時に首を傾げた。きちんと話に参加してみようという心遣いをしたつもりだったが、僕はその反応を見て「人間の世界にはあまり馴染みがないのか」とちょっと反省を覚えた。
とはいえ、こちらは豆人界や、そこで活躍する有名豆人を知らないし……
そう思案した僕は、豆人が「たとえるならば、ジョニー・○ップみたいな」と告げてきた言葉を聞いて、自分の悩みがひどく馬鹿らしいと悟った。
「おいコラ。お前、なんで身近の世間より広い世界に目を向けてるんだよ!」
「トム・○ルーズの笑顔にも近いんすぅ」
「波乗りなんとやらと、日頃自分でも言っているくらいですからねぇ」
そんな豆人と枝豆君の愚痴の言い合いは、しばらく続いた。
豆人界にも金持ちはいるようで、二人が『嫌な奴』とするイケメン豆人は、素晴らしい自家用車を飽きずに自慢するらしい。自分のどこが優れているのかを理解しており、ことあるごとに皆と比べたがるのだとか。
「ああ、ようするにアプローチが上手くて、豆の癖に猫までかぶれるわけか」
二人の会話を傍観していた僕は、自分なりに納得しつつそう相槌を打った。
豆人は『気になってアピールしている女豆人』の件で頭に来ていたのか、その話題になると拳を固めたまま立ち上がり、やはり腰を斜め後ろに引いた例のポーズで、僕に向き直った。
「今日なんて、本当にひどいのですよ。わたくしが彼女に好意を寄せていることを知っているのに、皆の前でわたくしの顔が、平面で凹凸のよく分からない顔だと言うのですッ。本当に失礼な奴でしょう? 彼女にも笑われてしまって、顔が熱くなりすぎて蒸し豆になってしまうかと思いましたよ!」
「うん、ごめん。それは否定できない」
すかさず僕は「正論だ」と肯定したけれど、豆人はやっぱり僕の意見を無視して続けた。
つまり結局、僕は話を聞かされているだけだった。けれど数時間も喋りつくすと、豆人たちは「三人での会話は楽しいものですね」と最後だけ大団円のように上手くまとめてきた。
けれど、まあいいか、と僕は思うことにした。枝豆君は「次回にでもクールフェイスを伝授して」とひどい訛りで頼んできたが、それについては「拒否」の姿勢を貫いた。ご自慢のクールフェイスなんて身に覚えはない。
横から豆人が口を挟んできて、もう一度会う約束がされた。
すっかり一階が静かになっているのも気付かないまま、僕は頭を抱えてしまった。